第18話

あれよあれよという間に、今年も終盤に差し掛かっていた。大掃除や新年の準備やらで日々はあっという間に過ぎて。…そう、大掃除。葛木荘の大掃除は大変なんてものじゃなかった。言葉にするのも恐ろしい。記憶から抹消したいくらいである。


「要。起きて。」

「・・・。」

「起きろ!!!」


新年は葛木荘のみんなと共に迎えた。テレビを見て、年越しそばを食べて、鈴香さんと拓海さん、そして珍しく雨野さんもお酒を飲んでいた。年を越してからも明け方近くまで皆で騒いでいたものだから、元旦の動き出しは雨野さん以外皆遅かった。雨野さんはいつも通りの時間に起床しいつも通りお店に出勤していたようで、お客さんが来るのかは不明だが、元旦も通常通り営業するそうだ。


私も昼近くになってやっと目が覚め、のそのそと台所へと向かった。午後から千里たちと初詣に行く約束があるのだ。要や神谷くんも一緒のため、まだ寝てるであろう要を起こしに行く。ただでさえ寝起きが悪いのに寝不足となれば起すのにも一苦労だ。結局布団をはぎ取り窓を全開にし、私の勝利だ。睨まれていたけど知らない、だったら自分できちんと起きなさい。


「おもち、何個食べる?」

「・・・さん。」

「ほい。」


お餅を追加し、少し火にかける。私も要もボーッとしたまま、無心でお雑煮を食べた。おいしい。ちなみに私はお餅はきなこで食べるのが一番好きで、お正月の楽しみの1つと言っても過言ではない。お雑煮ももちろん好きだけど、きなこってなんであんなに美味しいんだろうなー、と、餅を食べながら餅の事を考えていれば、要があ!と声を上げる。


「奈月やばい、時間。」

「うわ、ほんとだ。急がなきゃ。」


気付けば集合まで30分をきっていて、慌てて準備を始めた。結局集合には間に合ったのだが、お財布を忘れて要から5円を借りてしまった。なんかとても悪い事をした気分だ。・・・ま、いっか。


お正月はあわただしく過ぎて、いつのまにか冬休みも終わり3学期がが始まる。時が経つのは早いもので _ もう今年は、受験生である。




「さむ・・・。」


1月も終盤となった休日の朝。平日と比べて遅い起床。それでもまだ寝足りなく感じ、寝ぼけ眼をこすりながら台所へと続く廊下を歩く。今日は鈴香さんも拓海さんも休みだと聞いていたので、まだ誰も起きてきていないだろう。と、思っていたのだが。微かに聞こえてきたのはテレビの音声。誰かいる?

なんとなく、ドアをの隙間から中を覗く。


「・・・?」


そこには椅子に座ってテレビを見つめる人の姿があった。茶色の髪に愛用しているもこもこのパジャマ。あれはきっと鈴香さんだ。彼女は椅子に座って真剣にテレビを見つめていた。・・・思わず、声をかけるのを躊躇ってしまうほど、鈴香さんの表情は硬かった。驚愕、焦り、不安。そんな感情が入り混じったような、 暗い表情。ドアに隠れたまま耳をすませば、どうやら流れているのは毎朝やっているニュース番組のようだ。


『大手企業で発覚したパワハラ問題。奪われたのは新入社員の女性の命でした。事件が発覚したのは先週、自宅で・・・』


神妙な顔で喋っているのはいつもの人気アナウンサー。


『本当にっ・・・本当にいい子で・・・っ・・・。』


泣きながらインタビューを受けているのは、亡くなってしまった人の会社の同僚らしい。


『警察は調べを続けているようです。』


・・・鈴香さんの表情は全く動いていなかった。一言も発する事なく、ただテレビをじっと見つめていた。そして画面が移り変わって、亡くなった人の顔写真と名前が映し出される・・・前に。ガタンッ、という大きな音がしてテレビが突然消える。驚いて飛び跳ねてしまう。鈴香さんがテレビを消して、リモコンを机の上に強く置いたのだ。そしてそのまま暗くなったテレビを見つめる。


__怖い。と思った。


テレビを見つめる鈴香さんの目は真っ暗だった。いつも見ていたはずの鈴香さんではないような気がして、しばらくそのまま固まってしまう。しかしずっとここに立っている訳にもいかず、なんとなく悪い事をしてしまった気分を抱えたまま恐る恐るドアを開けた。その音にはっ、と振り向いた鈴香さんはすぐに表情を切り替えて、いつもと同じ笑顔を見せた。そこにさっきの暗い瞳は無かった。


「あ、なっちゃん。おはよう。」

「・・・おはようございます。早いですね。」

「なんか目覚めちゃって。なっちゃんは、今、降りてきたの?」

「そうです。」


じっと見つめられて、スルリと口から嘘がこぼれた。ふーん、と鈴香さんは曖昧に頷いて、もう一度テレビへと視線を向ける。私もそれ以上何も言わずに朝食の準備へと急いだ。その後は特に変わった様子もなく、いつも通りの鈴香さんだった。けれど、あの表情と暗い目は、中々私の中から消えてくれなかった。




その日の夜。珍しく部屋に来客があった。


「入ってもいい?」


部屋のドアが二度ノックされ、控えめに声がかかる。どうぞ、と返事をすれば、ドアが開いて入ってきたのは鈴香さんだった。


「ごめん、勉強してた?」

「いえ、集中できなくて困ってた所です。」

「それならよかった。」


鈴香さんはそう言って笑って、部屋のベットに腰掛けた。


__ 暗い表情と、光の見えない瞳。


そんな鈴香さんの今朝の様子が思い出される。しかし今私の部屋でくつろいでいる鈴香さんは、いつもと変わらない笑顔で。・・・けれど、なんだろう。うまく言葉にできない違和感が、そこにはあった。


「学校はどう?楽しい?」

「楽しいですよ。千里にいつも振り回されてます。」

「ふふっ、振り回されるなっちゃん、想像できるなあ。」


私の言葉にくすくすと笑う。声も表情もなにもかも、いつもと変わらないように見える鈴香さん。なのに違和感は消えてくれない。自分の体調がどこかおかしいのだろうか。それから他愛もない話をしばらくして、学校で要がモテるという話で大笑いをしていた(失礼)鈴香さんはひときしり笑い終えた後。あのさ、と私の瞳を捉えた。


「・・・なっちゃんは今、幸せ?」


不意に真剣な顔をした鈴香さんは、私にそう問う。咄嗟に答える事が出来なくて、少し黙り込んでしまう。なんでだろう。胸が少し苦しい。


「・・・幸せ・・・です。」


ぼそり、鈴香さんに聞こえるかも分からないような呟きが溢れる。

幸せ?私は今、幸せ?心の中で自問自答を繰り返す。何もかもが嫌になることもある、上手くいかないこともある。でも。帰れる場所があって、大切な人がいて、一緒に生きたいと、思える人がいる。

私は、私は今 __


「__幸せです。」


今度ははっきり、鈴香さんに聞こえるように。確信を持ってそう答えた。幸せの定義は人それぞれだけど。でも私は今、幸せだ。温かい人達に囲まれて生活できる今の状況が、幸せでないはずが無いじゃないか。私の答えを聞いてから数秒後、鈴香さんはそっか、と笑って表情を崩した。そしてもう一度私に向き直って、嬉しそうに、でも悲しそうに、笑う。


「後悔しちゃ駄目よ。」

「・・・え?」


そうだけ言って彼女は目を伏せた。口元に笑みを浮かべていたけれど、何かを諦めたような、そんな風にも見えて。・・・やっぱり、今日の鈴香さんは少し変だ。


その後は急にテンションを上げた鈴香さんと、色んな話を夜中まで続けた。学校の話、鈴香さんの昔話、会社での話。こんなにたくさん話をしたのは初めてで、笑い疲れて、一緒に眠った。

眠気に耐えられず、意識を手放す瞬間。私を見つめる鈴香さんが、ごめんね、と呟いたような気がした




「・・・これ分かんない。」

「教科書98ページを読んで下さい」

「これはー?」

「・・・66ページ!」

「これ」

「211ページ!!」


声を荒げる私と拗ねる要。・・・完全なるデジャヴである。


「少しは自分で考えなよ。」

「そうだそうだ!神谷くんもっと言ってやって!」


参考書を片手に神谷くんが援護射撃。その横で千里は必死に教科書をめくっていた。期末テストへ向けて神谷くんの家で開かれた勉強会。今回のテストは2年生最後の総合テストだ。赤点をとるのは非常にまずい。・・・のだが。


「・・・どうしようもう無理。」

「千里、まだ勉強始めてから30分も経ってないからね。」

「いやもう無理だって進級できる気しない。」

「諦めるの早すぎだわ。寝るなよおい。」

「大体さあ、日本史なんて将来使わなくね?」

「要お前は開き直るな。」


シャーペンを放り出して寝転がる千里と、もはやペンを握る気すらない要。神谷くんと目があって、はあ、と2人同時に溜息をつく。今回のテスト、赤点が一教科だけならまだ許されるがそれ以上となると進級の危機となる。・・・つまり。


「ちょっと待って俺たすき掛けできないわ。」

「ねえねえ英語って何からやればいいの??」


「「・・・はあ。」」


化学と数学が壊滅的にできない要、そして全般的に勉強が苦手な千里は、現在非常に危ない状況にいるのだ。みんなで進級できるよう、テスト前に急遽開かれた勉強会はあまりに緊張感が無さすぎた。しっかりしなあんた達???


「・・・奈月ちゃんは数学得意だよね?」

「それなりには。」

「よし。じゃあ要に基礎の基礎だけ教えてあげて。俺は千里に英語叩き込むから。」

「よっしゃ任せて。」


別にすごくいい点数なんてとらなくてもいい。赤点を免れさえすればいいのだ。幸い私たちの通う高校はそこまで偏差値の高い学校ではないため、平均点はそこまで高くないだろう。だらけてやる気を出さない要に無理やりシャーペンを握らせる。


「とりあえず、この問題やって!」

「やってって言われてもできないし。」

「いいから!やってみなきゃ分からないでしょ!!」

「でも・・・」

「早くやれ!!!」


ペシッ、と持っていたノートで要の頭を叩けば、拗ねながらも問題に取り組み始めた。横を見れば千里も同じように神谷くんに怒られていた。・・・テストまではあと一週間もない。ここまできてもやる気を出さずに謎の自信を語っていた要を千里を逆に尊敬する。


そんな勉強会を経て流石に焦りを感じたのか、要も千里も真剣に勉強に取り組み始めた。・・・といっても3日間だけだけど。もちろん私も気は抜けないので、要の面倒もみつつ自分の学習に励む。ちなみにテスト期間中の家事は鈴香さん達が気を利かせてお休みさせてくれた。


テスト返却日。そんな甲斐もあってか、まずまずの自分のテストの出来に一息ついて後ろの席の千里を振り返る、と。


「あら奈月さんテストの結果はどうでして?」

「何キャラだよそれ。」


振り向くのを待ってました、とばかりに得意げな顔の千里。・・・なんかむかつく。


「これみてくださいよ。これ。平均点余裕で超えちゃってますよははは!」

「はいはいよかったね。」

「まあこれが?これが私の実力ってやつ?」

「・・・。」


うざかったから一発デコピンを食らわせといた。痛っ、奈月容赦なさすぎ!!とおでこを押さえて騒ぐ千里をスルーする。要はどうだったんだろう、と気になって携帯を開けば、新着ラインが一件。差出人は要で。


【無事赤点回避!俺の実力にかかればこんなもんよ!】


同じような事言ってんじゃないよ、ばか。

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