第17話
電車に揺られること数十分。駅のホームに降り立った途端に磯の香りと湿った空気が流れ込んできて、海の存在を強く感じる。
「はやくはやく!!」
「はいはい。」
駅から歩いて数分。すぐに見えてきた海に、胸が高鳴った。そこには心配していた気持ち悪さなんて全くなかった。
「・・・綺麗。」
そこは、別世界だった。
星空が水面に反射して、海はキラキラと輝いていて。灯りなんてほとんどないはずなのに、そこはとても眩しく見えた。私の目の前でゆっくりと揺れる。それ以上何も口にすることが出来なくて、海をじっと見つめる。ずっと、この景色を見ていたい。自然と目が惹きつけられていた。夜の海にはやはり私達しかいなくて、波の音だけが暗闇の中で反響する。
見始めてからどのくらい経ったのだろう。しばらく夜の海に見とれていた私は、視線を感じて横を向く。ぱちっ、と要と目があった。
「・・・なに?」
「・・・いや。やっぱ綺麗だなって。」
「ね!来てよかった!」
私の返事にだな、と笑った要は不意に私の名前を呼ぶ。返事をして振り返れば、要は私に何かを手渡す。可愛いクリスマスカラーのラッピング袋に一瞬思考が停止してしまう。
「これ・・・。」
「クリスマスプレゼント。」
要はそういって照れたように笑った。
「開けてみて。」
促されるままに中を見れば、わあ、と思わず声が出てしまった。そこに入っていたのは青色のとんぼ玉のキーホルダーで、透き通ったまあるい玉の中には気泡が揺れていた。あまりにも綺麗で、こんなの、すごい、
「・・・海を閉じ込めたみたい。」
私の声が、ひんやりとした世界の中に溶ける。
どのくらいじーっと見つめていたのか。ふと我に返って要の方を見れば、彼は微笑んで私を見ていた。そのなにかとても愛しいものを見ているような瞳に、なぜか目を逸らしてしまう。要も取り繕ったように咳払いをひとつして、ほら、と私の肩を叩いた。
「奈月すぐ物無くすじゃん。それの防止。」
「・・・否定できない。」
「でしょ。名人級だもんね。」
「嫌だよそんな不名誉な名人。」
カバンから家の鍵を取りだして、もらったばっかりのキーホルダーを結びつける。要の目の前でしゃらしゃらと揺らしてみれば、彼は照れたように笑った。
「・・・私、ほんとに何も用意してない。」
「知ってる、奈月だもん。」
「・・・ありがとう。」
私の言葉に彼は笑って頷く。プレゼントを貰えるなんて予想もしてなかった。こんなに綺麗なもの、嬉しい。
とても、とても嬉しい、はずなのに。
嬉しさと同じくらい込み上げてくるのは、胸が張り裂けそうなほどの切なさだ。なんだろうこれは。
「・・・奈月?」
俯いてしまった私の顔を要が覗き込む。込み上げてくる気持ちが整理できなくて、突然、涙が溢れてきてしまった。嬉しさと切なさが胸の中でぐちゃぐちゃに混ざって、ただただ涙がこぼれ落ちる。何故だろう、とても苦しい。
「・・・泣くなよ。」
頭上から降り注ぐのは要の優しい声。そして私の頭をぽんぽん、と叩く。なんで自分が泣いているのかさえ分からない。なんでこんな気持ちになっているのかわからないのに。要の声に戸惑いの色はなかった。まるで、私が何故泣いているのか全て分かっているようで。
その後、私の涙が止まるまで、要はずっと待っていてくれた。泣き終えた私の顔を見た彼は、変な顔、といつものように私をからかう。
「・・・帰ろ。」
「うん。あのさ、要。」
「ん?」
「来年のクリスマスプレゼント、楽しみにしててね。」
「え、今から?」
「だってもらったからって今から買うのもなんか変だし。来年に持ち越しかなって。」
なにそれ、と要が笑う。自分の目が真っ赤でひどい顔をしていることは分かっているけど、私も笑う。
「ねえ、何が欲しい?」
「いやあまりにも早すぎて決められないって。」
「だよねえ。」
さっきまで泣いていたはずなのに今は要へのクリスマスプレゼントのことで頭がいっぱいだ。そんな私に要も呆れたように笑っていて、あ、そうだ、いいこと思いついた。
「私も要のために海を閉じ込めてあげよう!」
「なにそれ?」
「・・・うーん。詳しくはこれから考える。」
「正直でよろしい。」
だって、嬉しかったんだもん。もう一度キーホルダーをポケットから出して要の前で揺らして見せた。そのうちふざけて要の顔に当たりそうなほど近くまで寄せれば、やめろよ、とケラケラと笑う。私も笑ってしまって、白い息が揺れた。
「約束だから、楽しみにしててね。」
そう言って小指を差し出せば、要は少し驚いた顔をして、ゆっくりと小指を差し出す。指切りげんまんをして、そして、自然とそのまま手を繋いだ。右手に要の体温と、ポケットには小さな温もりを感じて、とても安心して、でも。
胸の切なさはまだ消えてくれなかった。
冬休みが迫った平日の放課後、誰もいなくなった教室で1人日直の仕事を片付けていた。黒板もきれいにしたし、学級日誌も書いたし、あとは集めたプリントを教務室にもってくだけ。意外と疲れるものだ。
「あれ、奈月ちゃん?」
突如ガラガラ、と教室のドアが開き誰かが私の名前を呼ぶ。
「神谷くん。」
「こんな時間までどうしたの?」
「ちょっと日直の仕事があって。神谷くんこそ部活は?」
「ああ、今日は休みなんだ。」
そう言って神谷くんは教室の中を見回す。
「もしかして宮前(みやまえ)先生ってもう帰っちゃった?」
「どうだろう。でももうしばらく見てないよ。」
私の言葉にまじかー、と彼は肩を落とす。宮前先生というのは私の担任で、英語の先生だ。神谷くんの手に握られている英語のプリントを見るに、課題の提出に来たのだろう。
「それ、今日までなの?」
「・・・いや、先週まで。」
「もうアウトじゃん。」
私の言葉にははっ、とさわやかに笑う。いや全然笑い事じゃないからね。こんな神谷くんだが、実は私なんかより全然頭がいい。毎回10番以内をキープしているのではないだろうか。
「あー、いいや。明日だそ。」
「いいの?」
「うん。どうせもう期限過ぎてるし。ていうか奈月ちゃん寒くないの?」
「とても寒い。」
「だよね。」
神谷くんの言葉に速攻で頷く。教室の隅にあるストーブは授業終了直後にすでに消されていて、教室内の気温は既にかなり下がっていた。
「でももうあとはこれ持ってくだけだからさ。」
私の言葉に神谷くんの視線が机の上のプリントへと移る。
「そっか。これどこに持ってくの?」
「ん?教務室だよ。・・・って、いいよいいよ!」
当然の事のように神谷くんは机のプリントを持ち上げてくれる。慌てて止めれば、きょとんとした顔で私を見た。
「手伝うよ。」
「大丈夫だよ!私の仕事だし!」
「でも1人じゃ大変でしょ。」
そう言って彼は半分以上のプリントをもって歩き出す。
「・・・ありがとう。今度なんかおごるね。」
「いいよほんとに。」
私の言葉に神谷くんは振り返って笑った。私も残りのプリントをもって、神谷くんの後に続く。
「あれ、そういえば今日要は?あいつなら奈月ちゃんの仕事終わるまで待ってそうだけど。」
「先に帰ってもらったの。付き合わせるの悪いしさ。」
「そっか。逆にそれで不機嫌になってそうだね。」
「・・・よくわかったね。」
神谷くんの想像通り。私の仕事を待っててくれようとした要を、今日は時間がかかりそうだと無理やり返した。・・・最後には小学生みたいないじけた顔をしていたな。私がその話をすると、ぷっ、と吹き出して大声で笑い始める。
「ほんと要って奈月ちゃん大好きだよね。」
「え、いやそういうのではないでしょ。」
「どうだか。奈月ちゃんはどうなの?」
「どうなのって、別にどうもないよ。」
「へえ~・・・。」
曖昧な私の返答に、神谷くんはニヤニヤと笑って私の肩を叩く。これはクリスマスの時の仕返しだろうか。このやろう。
「でもまじめな話、要と奈月ちゃんって本当にお互いの事信頼してるんだな、って思うよ。」
「・・・そう?」
神谷くんは笑って頷く。
「なんだろう。いつでも繋がってる、みたいな感じがする。」
「・・・なんか照れるね。」
「お、素直。」
思わず本音を漏らしてしまった私を神谷くんは見逃さない。またからかうように私をつついた。
「要にしか話してない話とかもあるんじゃない?」
「そんなことは・・・。」
ないよ、と言おうとしたのに、言葉がつっかかった。
要にしか話してない事?そんなこと、あったっけ?別になんてことない質問のはずなのに、なぜか言葉が出てこなくて。何か、何かがすごく引っかかる。要にしか言ってない事、この言葉が頭の中をグルグルと回った。・・・あれ。誰にも知られたくなくて、誰にも言いたくなくて。でも、要には言えた事。
って、なんだっけ。
「奈月ちゃん?」
「・・・あ、ごめん。」
神谷くんの呼びかけでグルグルと回っていた思考がピタリ、と動きを止める。
「大丈夫?すごいボーッとしてたけど。」
「ごめんね、大丈夫。寝不足なのかも。」
心配そうな神谷くんに笑って誤魔化す。その後もしばらく残っていた謎の違和感。しかし時間が経つにつれて薄れていって、神谷くんと別れる時にはすっかり私の中から消え去っていた。
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