第5話
「あ!あそこ!みたことある!」
「どこ?あの大きい建物?」
「そう!あのながいやつ!」
そういうなり男の子、たっくん(とママに呼ばれているらしい)は私の手を引っ張って走り出す。元気を出したたっくんはよく話す明るい子だった。スーパーの近くを歩いているうちに、徐々に家までの道のりも思い出してきたようだ。たっくんに手をひかれるままに進んでいけば、急に立ち止まる。目の前に見えていたのは二手の分かれ道。
「どうしたの?」
「・・・これ、どっちかわかんない。」
キョロキョロと辺りを見回したたっくんだが、やはり思い出せないのか視線を落とす。
「大丈夫!両方行ってみればいいんだよ。1回間違えてもまだ戻ればいいんだからさ!」
「・・・うん。」
私の言葉に小さく頷く彼。しかしまた不安になったしまったのか、私の服の袖をぎゅっと握りしめていて。まだこんなに小さいのだ、お母さんと会えない不安はとても大きいのだろう。
たっくんの気持ちを想像するとまた胸が苦しくなる。自分自身そんな経験はないはずなのだが、なぜか鮮明に苦しさを感じて。
「・・っ・・あ!!」
この感情は何なのだろう、と考えを巡らせていた私は不意のたっくんの大声に現実に引き戻される。彼の視線を辿れば、そこにはベービーカーを押す女の人の姿が。まだ20代だろうか。とても若く見えるその女性は、たっくんを見つけると目を大きく見開いた。・・・もしかして。
「たっくん!!」
女性の下へ駆け寄ったたっくんはその胸に飛び込む。彼女もしっかりと彼を抱きしめ返す。
「ままっ・・!」
やはり。彼女がたっくんのお母さんなんだろう。ベビーカーの中では小さな女の子がスヤスヤと眠っている。きっとあの子がたっくんの小さな妹、ちいちゃんだ。
「すみませんっ・・!本当にありがとうございました!」
「そんなそんな!私は何も!」
妹のちいちゃんを寝かせようと寝室であやしていた彼女は、たっくんが外に出ていったことに気づかなかったようだ。しばらくしてからいない事に気づいて、慌てて外を探し回っていたらしい。彼女の額には大粒の汗が浮かんでいて。それにとても心配していたのだろう、その目は潤んでいるように見えた。勝手に出ていったことを叱った彼女に、たっくんは素直に謝ってから、でも、と言葉をつなぐ。
「ちいちゃんのミルクかってきてあげようとおもったんだ。ままがいそがしそうだったから。」
その言葉に息をのんだ彼女は、たっくんを抱きしめて、ごめんね、と彼の頭をなでる。
「仕事が忙しくて。この子にもいつも寂しい思いをさせてしまっていて。」
たっくんを抱きしめたまま、彼女は一人事のように呟く。仕事をしながら2人の育児。きっと私には想像がつかないくらい大変なのだろう。
「自分が本当に情けないです。いつも人の優しさに助けられてばっかりで。」
「いやいや、私は何も・・・。」
「本当に、私は…。」
そこで言葉を止めた彼女は、少し涙を堪えるように上を向く。強い人になりたいのになあ、そう呟いて眉を下げて少し笑った彼女は、何を思い出しているのか。その視線は空を見上げていて、もしかして旦那さんが、なんて勝手な想像をしてしまった。
・・・強い人。彼女が思う強い人はどんな人なんだろう。誰か思い浮かぶ人がいるんだろうか。
たっくんはしっかりと彼女の手を握っていて、その顔はとても嬉しそうだった。私も安心して、少し力が抜けてしまった。
「おねえちゃん、ありがとう!」
「いえいえ。もう迷子にならないように気を付けるんだよ。」
「うん!!」
そう言ってニコニコ笑顔で私に手を振ってくれたたっくんは、お母さんと妹とともに二手に分かれた道の右側へと進んでいく。歩き始めてからその先にある角を曲がるまで、何度か振り返って私に手を振ってくれた。
「・・・ふう。」
さて、全て解決したように見えるこの状況で一つ問題がある。
「…どうやって帰ればいいんだろう。」
そう、たっくんに引っ張られるままにたどり着いたこの道。実は私が普段通ることの無い道だ。もともと地図も読めない、路線図も読めないという完全方向音痴な私には自分がどこにいるのか分からない。
この分かれ道を進んでも帰れる気はするのだが、どっちに進めばいいのだろう。さっきのたっくんと同じ状況だ。
「・・・。」
どっちの道が正しいのか、全く見当がつかない。
・・・たっくんはお母さんが迎えに来てくれて道を決められたけど。私はどっちに行けばいいのだろう、どうやって決めればいいのだろう。なぜだろう。別に大したことじゃ無いのに、ただ帰る道を探すだけなのに、何故かとても心細くなってしまった。自分にはたっくんのように迎えに来てくれる人はいない、道を教えてくれる人もいない。・・・って、何考えてるんだろう。変な風に重く考えてしまう自分が可笑しくて、それでもその思考は止まってくれなくて、しばらくその場に立ちすくんでしまう。このまま帰れなくなってしまうんじゃないか、なんて訳の分からない不安に押し潰されそうになる。
「・・・奈月?何してんの?」
そんな私の背中から、突如聞こえてきた声。
その声に、とても安心して。
「・・・迷子。」
「え?馬鹿なの?」
「うるさい!要こそ、こんなとこで何してるの?」
「神谷ん家行ってた。この辺なんだよ。」
そう答えた要は私の手からスーパーの袋を奪う。
「これどっち行けばいいの?」
「分かんない。」
「え!?神谷くん家から帰る時通るんじゃないの!?」
「普段はこの道通らないんだよな。今日はなんとなく新しい道開拓してみようとおもって。」
「なにそれ。ダメじゃん。」
なんだよ迷子が偉そうに、と私の頭を軽くたたく。まあ、と要は息を吐いて。
「両方行ってみればいいじゃん。間違えてたら戻ればいいし。」
「・・・うん。そうだね。そうだよね。」
そうだよ、その言葉さっき自分がたっくんに言ったはずなのに。間違えてても別に戻ればいい、うん、そりゃそうだ。なにをあんなに心細くなっていたんだろう。ほら、帰ろう。と要がゆっくりと歩き出す。私もその後に続いて歩き始めた。私にも私を導いてくれる人がいる。
道が分からなくても、正解が分からなくても一緒に歩いてくれる人がいる。不意に、自分がとても幸せだと感じた。
「みんな忘れ物ないー?」
千里の一言でみんなが一斉に荷物を漁り始める。旅行当日、集合場所は神谷くんの家だった。なんと神谷くんのお姉さんが海まで送迎をしてくれるそうで、さっき挨拶にいったら笑顔で「気にしないで」と言ってお菓子までくれた。顔は神谷くんそっくりで、かっこいいお姉さんって感じ。惚れそう。
いい匂いのする車に、一斉に乗り込む。車に酔いやすい千里は前の席へ。車酔いはほとんどしない私は由香ちゃんと共に後部座席に乗り込んだ。
「楽しみだね!」
「だね!天気もいいし。」
「ほんとに!お菓子たくさん持ってきたよ~」
「由香ちゃんがそのセリフいうと小学生感が凄いね。」
「なっ!失礼な!」
ごめんごめん、とふくれっ面をする由香ちゃんに謝る。結局最初に開けたのはチョコレート菓子。皆で騒ぎ、そしてお菓子を食べながらワクワクした気持ちは加速していく。
・・・車の中でも、私は海にすごく惹かれていた。果てしなく広がる海。私の大好きな場所の一つ。久しぶりの海に気持ちが惹かれているのは当然なのだろうが、単純なワクワクとはなんだか今日は少し違う気がして。何故かすごく、心がぞわぞわした。
「着いたー!!」
しかし、そんな気持ちに変化が現れたのは着いてすぐ。海を目の前にしてテンションを上げる皆とは裏腹に、私の心は急速に萎んでいく。さっきまでの惹かれていた気持ちはどこへ行ったんだろう。なぜか気持ちが急に落ち込んで、何とも言えない気持ち悪さに襲われる。あんなに好きな海が、今はとても恐ろしい物に見えた。
「・・・変なの。」
思わずこぼれた言葉。私の様子に気づいた千里が駆け寄ってくる。
「奈月?どうした?」
「・・・ちょっと酔っちゃったみたい。」
この気持ち悪さをなんと表現したらいいか分からずそう言えば、千里が心配そうに顔をのぞき込む。
「ちょっと休んでれば治るから。由香ちゃんと泳いできな!」
「でも・・・」
「いいからいいから!ほんとに大丈夫!」
心配性の千里をなんとか説得して、皆が海を楽しむ中、一人ビーチパラソルの下で涼む。
しばらく休んでいたら、気持ち悪さも治まってきて。今なら泳げそうな気もしたけど案外ここにいるのも心地よくて、見るだけで十分だな、と満足した気持ちになった。海風が心地よくて、少し瞼を閉じてみる。
「奈月?寝てんの?」
「・・・うとうとしてた。」
声が聞こえて目を開ければ、疲れたあ、と私の隣に腰掛ける要の姿があった。
「皆は?」
「向こうでビーチバレーやってる。」
要が指さした方を見れば、海からあがって楽しそうにボールを追いかけるみんなの姿が。笑って見ていれば、要が私の顔をのぞき込む。
「具合大丈夫?」
「・・・大丈夫だよ。」
泳いでいたため髪の毛が濡れている要は、なんか少し変な感じ。なんだか別人のようで目を逸らしてしまう。
「なんか。見てるだけで満足しちゃった。」
誤魔化すように話題を変えて、海に目を向ける。
「車の中では楽しみだったのにね、着いたら急に気持ちが萎んじゃって。」
要に目を向けず話していた私は、彼の変化に気づくことはなく。
「・・・それになんか怖いなあ。」
自然と口からこぼれた言葉。怖い、という感情がなんだか少し可笑しくて笑ってしまう。
そこまで口に出して初めて、要の相槌が消えたことに気づく。どうしたんだろう、と気になって要の方を向いた、が。彼は私をじっと見ていた。視線は交わっているはずなのに、そこに要の意識はない。私の先に、何かを見ていた。その表情はあまりにも悲しそうで、痛々しくて。思わず息を呑む。
「・・・要?」
心配になってそう声をかければ、はっとしたように要は笑顔に戻る。
「・・・ごめん、ぼーっとしてた。」
そういった要は既にいつもの要で。さっきまでの表情は嘘のように消えていた。
「奈月、海大好きなのにな。」
「ね、ほんとに。」
「覚えてるよ俺。小さい時奈月が色の図鑑見てる時に全部同じ色じゃん、って言ったら号泣されたこと。」
「ええ。そんな事あったっけ?」
「あったよ。その後泣きながら色の違い力説されたんだから。図書館の中なのにね。」
「なにそれ大迷惑。」
昔話でくすくす笑っていれば、
遠くから千里の大声が聞こえてくる。
「奈月ー!要くん!一緒にやろうよ!」
要はその声に手を挙げて答えて、私に手を差し出した。
「行こう。」
頷いて要の手を握る。さっきどうしたの、そう聞きかけた私の言葉は、「いちゃつくなよー!」と叫ぶ神谷くんの声にかき消された。
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