お母さんのお見送り

 溝口さんは小学生の頃に母親を亡くしているのだが、当の本人が母親の死を認識したのは小学校の卒業式の日だったという。何故それまで疑問にも思わなかったのかを語ってくれた。


「母が死んだのはまだ二年生の頃、夏休みに交通事故に遭ったらしいんです。でも僕はまったくそんなことは気付かなかったんですよね」


 気付かなかった……これはデリケートな話題のような気もするのだが、話す機会をもらったからには話してもらいたい、心苦しいが質問するか。


「気付かなかった、とはどういうことでしょうか? 小学二年生ですし人の死というものがよく理解出来ていなかったということですか?」


 慎重に訊ねると彼は豪快に笑って答えた。


「そんなわけは無いですよ、何しろそれまでだって飼っていた犬が死んだり、夏の終わりに道ばたに蝉の死骸が転がっている光景なんて見てますからね。死ぬというのがどういうことかは分かっているんですよ。ただね、分かっていたからこそ気付けなかったんでしょうね」


 気付けなかった、それはどういう意味だろう?


「難しい話じゃなくてね、父親は母親がいない分必死に働いていて、家に帰っても父親がいないのは当たり前だったんですよ。だからそこに『母さん』がいてもおかしいと気付く人がいなかったんです」


 居た、と言うのはどういう意味だろうか? 気付けなかったと言うことは受け入れられなかったという意味ではないはずだ。ではいったいどうしたというのだろう?


「昔話なんですけど、面白くはないですよ」


 そう前置きをしてから話を始めた。


 母親が死んだ直後、斎場には連れて行ってもらっていないんですね、多分二年生にはまだ早いと言うことでしょう。だから僕も母が箱の中に入って目を閉じているというのは分かったんですが、そこで死んだんだとは思えなかったんですよ。


 それから父親が仕事量を増やして僕をしっかり養ってくれたんです。家庭を顧みないと言えば聞こえは悪いですが僕は尊敬していますよ、男手一つでしっかり大学まで出してくれたんですからね。ただ、その分家に居なかったのは事実でしたがね。


 そうして葬儀の後で父親はすぐに仕事を増やし家に帰ってこなくなった。幸い生活費は置いて行ってくれたり分別がつく頃には銀行口座に振り込んでくれたりしたので不自由はしなかったんです。


 葬儀の後三日で父は忙しそうに仕事に行きましたね。「奥さんを失ったというのにけしからん」という意見もあったと後になって聞きましたけど、人間生きている方が優先だと割り切ったそうです。おかげでお金には困らなかったんです。そして父が仕事で帰ってこなくなってすぐに母が家の中に居たんですよ。


 アレは亡霊ではないと思っていますよ。亡霊だとしたら料理なんて作らないでしょう? いや、そういう霊もいるのかもしれませんけど、母さんは何も変わらない姿で僕が家の鍵を開けたら待っていてくれたんですよ。当時は『ああ、帰ってきたんだ』と思って「おかえり」と言いましたよ。どこかにしばらく出かけていたものだと思ったんです。


 そんなことがあるのだろうか? しかし目の前の溝口さんの語り口は真剣なものだった。


 その日は適当に野菜と肉を買ってきたので野菜炒めでも作ろうかと思っていたんです。しかし買い物袋を僕から取って母さんは料理をしてくれたんです。あれは……回鍋肉だったかな? 少なくとも自分では作れない料理ですし、しっかり食べることが出来ましたよ。アレは間違いなく本物の料理でしたね、幻想や幻の類いではなく実体でしたよ。


 それからですね、父さんが家に居ないとき、僕一人で家に帰ると必ず母さんが待っていてくれたんですね。それが当たり前だと思っていたので不思議にも思いませんでした。ただ、今になって思うとあの時の母さんは料理を作ってはくれましたけど絶対に自分は食べませんでしたね、水一杯すら飲んでいたのを見た覚えは無いです。大人はそういうものなのかと何故か納得してしまったのでおかしく思うこともなかったんですがね。


 もちろん父さんにも「母さんがいた」とは言いましたよ。温かい目で見られましたが、アレは今になって思うと可哀想なものを見る目立ったのでしょうね。父さんも僕に気をつかってかその言葉を否定せず、仏壇のある部屋で帰宅出来る日は必ず線香を上げて手を合わせていましたね。僕は母さんに会えないから母さんの写真相手に謝っているのだと思っていました。


 そうして小学校にいる間、帰宅すると母さんか父さんが居るというのが当たり前の生活を送れました。友達を一度連れてきたこともあるんですが、不思議とそうすると家に誰も居なかったので友人という物が出来ませんでしたよ。


 そうして小学校も卒業しようかという頃ですかね、母さんが最後に家に現れたのは。


 母さんは黒ずくめの服を着て僕を出迎えてくれたんですね。後になって分かったのですが、あれが喪服というものだったんです。


 卒業式まで間もない日に母さんは『頑張るんだよ』と言ってスッと煙になって家の中を流れていきました。突然人が消えたので混乱しながら煙の方向に行くと、仏壇の写真の中に吸いこまれていきましたよ。


「そして、最後に母と出会って母が死んだと理解したのは卒業式の日ですね」


 卒業式には父も出席してくれました。そうして小学校ともお別れということで最後の下校をしたわけですが、父親と一緒に校門を出たときに耳元で声がしたんです。『もう大丈夫』とだけ聞こえて、声の方向を見ると喪服に身を包んだ母さんが一瞬だけ見えてふっと消えていきました。その時に僕はようやく「もう会えないんだ」と理解して涙を流しました。まわりのみんなは卒業式だから泣いたんだろうと思っていたようですがね。


「だから僕はあまり幽霊が怖くないんです。なんならもう一回あいたいとさえ思っていますよ。小学生の間ずっと面倒を見てもらったんですからね」


 そう言って溝口さんは自身の体験を語ってくれた。私がそれを書き留めて喫茶店の会計を済ませて出て行きました。もうしばらくここに居ると言っていた溝口さんのところを道路側から見たところ、後ろにも服を着た婦人が立っていました。そういう親子関係もあるのだろうと思い彼には伝えませんでした。

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