マジックスモーク

 本田さんはVTuberのファンだという。そのせいで一度恐ろしい目に遭ったという話だ。


「いやね、推しの配信者のグッズって欲しいじゃないですか? ですが残念なことにグッズを買い占めて転売をする人が増えてるんですよ、まったくかないませんよ」


 そう言って手元のコーヒーをすすって愚痴を話し出した。


「他の人が本気で好きなものを買い占めて売るというのが本当にクソだと思っているんですがね、悔しい話ですが転売されているものしか市場に流れていなかったりするんですよ。本当に迷惑な連中だと思いますよ」


 それからしばし愚痴が続いて、これは怪談でもなんでもないのではないかと思ってきた頃に本田さんが声をひそめて語り出した。


「それでも高値で売っている連中はまだマシなんでしょうね、アレを見た後だとまだ上前をはねている連中が可愛く思えますね」


 彼は推しのVTuberのグッズをフリマアプリで眺めながら悔しい思いをしていたそうだ。その配信者のぬいぐるみなのだが、発表された後すぐ販売店の店頭から根こそぎ買い占められたそうだ。その時に心底悔しかったが、まだファンに買われたなら諦めもつく、我慢ならないのは料金を上乗せして転売されていることだ。


「その時ですよ、たまたまなのでしょうが定価で売っている販売者を見つけたんです。嫌も応もなく買いましたね、よく考えるとアプリの開発者側に支払う手数料を考えたら新品を定価で売ったら絶対に損なんですよ。でもそのVに執心していたので見つけたときには相談も無しに即購入をしていましたね」


 私には理解出来ない世界だが、そういったことに熱心になる事があるのは知っている。本田さんもその一人なのだろう。


「結構相談無しでの購入を嫌う人もいるんですが、その出品者は決済が済んだら信じられないくらい早い発送をされたんです、それこそ荷物の集配所が自宅の隣にあるのかなと思うくらいの早さでした。今さら言っても仕方ないんですが、今になっては一刻も早く手放したかったのかとも思います」


 そこまでのことなのだろうか? 確かに悪質な出品者がいるとは聞いたが親切な人に当たっただけではないだろうか?


「ええ、そう思ってましたよ。ただ発送されたのですが何故か最速の発送方法だったんですよ。こういうのは大抵匿名配送で多少は時間がかかると思うんですよ。相手の人の住所や名前が判明するので嫌う人も多いのですが、私もまあ良いやくらいに思い配送先を伝えたんです。向こうはこちらの住所を知っているでしょうが、まずグッズのぬいぐるみを取り返しには来ないでしょうね」


 そうして翌日、驚きの早さでお目当てのぬいぐるみが届いたそうだ。しかし箱の大きさがおかしいと思った。ぬいぐるみなので重量もないし、片手で十分持てるサイズのはずだ。購入したのは間違いなく一個、この大きさは小さめの家電くらいが十分入るサイズだった。


 妙に思いながらも、推しのぬいぐるみを手に入れた喜びでハンコを押して受け取ると即座にマンションの部屋に入れた。何かおまけでもついているのだろうかとくだらない期待をしながら箱の封をカッターで開けた。段ボールの梱包が全ての隙間をピッチリ塞ぐようにガチガチにガムテープを巻いていたのは雑な配送をされてもいいようにだと思った。


「それで開封したんですがね、驚きましたよ、ビニール袋に密封されたぬいぐるみと白い粉がいくつも入れてあったんです。『そういうもの』なのかと不安になったのですが、いくつかの袋に入っている粉は黒く変色していました。薬物には詳しくないのですが、なんとなく中身の予想がついたんです。念のためまだ真っ白な袋を開けて少しだけつまみ舌にのせたんです。間違いなくそれは塩でしたね」


 箱に塩が入っている、それだけでも不気味なのだが、化学物質である塩が黒く変色しているのは謎だ。何かの理由があって塩を入れたとしても腐るはずはない。言い知れない不気味さがありました。


 そしてぬいぐるみをデスクの一角に飾って置いたそうだ。その夜、ノートパソコンを置いているデスクの方から『バタン!』という音が聞こえた。しかし眠さの方が圧倒的に勝っていたのでそのまま眠ってしまった。


「それで朝になったわけですが、デスクの上のノートパソコンにぬいぐるみがのっていたんです。間違いなく隅の方、しかし座れば目に入る位置に置いたはずなんです。何かの気のせいか、寝ているときに少しだけ目が覚めたのでその時に寝ぼけてこうなったのかと思いました。それで再びデスクの隅に置いて出社したんですよ」


 なるほど、勝手に動くぬいぐるみというやつですか。その……割とよく聞く怪談ですよね。


 少し落胆したのだが、本田さんはかぶりを振った。


「いえ、それから部屋に帰ったときにはぬいぐるみが無くなっていたんです。貴重なものですよ、もちろん探しました。そうしたら見つけた場所がなんとキッチンの引き出しの中だったんです。それ自体よりも、あまり自炊をしないので包丁を触った覚えが無いのにいつもの場所になっている包丁入れから落ちてぬいぐるみの前に落ちていたんです。これには肝を冷やしましたよ」


 どうしようかと思ったそうだが、人形焼きやお焚き上げはしたくなかった。何しろ限定生産品だ、それをやってしまうともう手に入らないだろう。それだけは避けたかった。


「仕方ないので学校で習った裁縫の知識で出来るだけ傷をつけないように中身を見てみようと思ったんです」


 幸い難しいことは無く、切るだけなら背中の部分にある縫い合わせの糸を切ればいい。推しのグッズにはさみをいるのは少し躊躇したが、捨てるよりはいいのでなんとかなるならなんとかしたいその思いで縫い合わせを切った。


「ぱっと見は普通に詰め物がしてあっただけなんですが、僅かに紙片のようなものが見えたんです。何故? と思いながらそれを破らないように引っ張り出したんですが……お札でした。それも……気のせいだといいんですが、そのお札の赤黒い部分はまるで血で描いたようでしたね」


 どうしようか困ってしまった田中さんに霊感があるような人はいない、自分でなんとかするしかない。そこで色々考えた末、ホームセンターに行って塩化ナトリウムしか入っていない塩と、梅干しや梅酒をつけておく瓶を購入した。


 帰宅すると床に置いていたぬいぐるみには何故か背中に刺さりかけているお札があった。


「これ以上推しを愚弄するのが許せなかったので迷わずそのお札を引っこ抜いて買ってきた瓶に入れました。そこから買ってきた塩を一杯になるまで入れました。盛り塩とかってあるじゃないですか。浅い知識ですが幽霊の類いが苦手だと書いてあったのを読んだんですよ」


 そして蓋を密封して部屋の入り口に置いておいた、そこが一番寝室から遠かったからだそうだ。田中さんの度胸もなかなかのもので、お札を抜いたのでぬいぐるみを枕元に置いて寝たそうだ。動いたらどうしようとも思わなかったそうだ。どこかで『大丈夫』という勘があったらしい。


 そして安眠をして翌朝、枕元に置いてあった通りに動かず人形は置かれていた。やはりそのお札が鍵だったのかと思い、玄関の塩を入れた瓶を見に行った。そこには真っ白な何かが完全に詰まっていた。塩ではなく気体で、真っ白な煙のようなものが詰まっており、塩の重さは全く無くなっていた。


 不気味だったが、換気扇の下でそれを開けると煙が立ち上り、換気扇に吸いこまれていった。そこそこ大きめの瓶から全ての煙が出た後に残ったのはお札だけだった。しかしそのお札からは血のようなもので書かれた文字の部分だけが消えていた。読経があった田中さんは、そのお札を部屋のデスクの上に置いて寝たそうだ。


「何も起きなかったんですよねえ。おかげでグッズが定価で買えたみたいなものですよ。『マジックスモーク』って知っていますか? 電子部品が壊れたときに煙を上げて壊れるのを魔法の煙が抜けたからだと揶揄する言葉なんですがね、もしかしたらお札からそういう魔法が煙になって抜けたのかも知れませんね」


 そう言って笑った田中さんは未だにぬいぐるみを持っているらしいが、特別な荷も起きていないらしい。


 ただ、住所が分かっているので文句をつけたかった。つい一枚ハガキを出したのだが、宛先不明でハガキは帰ってきたそうだ。そして塩が何故気体になったのはどうやっても分からなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る