天袋の目

 理瀬さんは大学時代に酷い部屋に住んでいたと言っていた。彼女も大学生になったとき、両親に『一人暮らしがしたい』と強く主張した。田舎にずっと居るというのが当時は嫌だったし、都会にいけば楽しい暮らしが待っていると思っていたそうだ。


「でもねえ……遊ぶお金のために家賃を切り詰めるものじゃないですね」


 理瀬さんは大学に入ったものの、一人暮らしをするなら学費と生活費しか出さないと両親に言われた。もちろん生活に困るわけでは無いのだが、当然遊びたい年頃だったし、大学生活というモラトリアムを勉強だけして終わらせるつもりは毛頭無かった。


 しかし、バイトをするにも限界がある。夜に遊びに誘われてしまうとあっという間に生活費が底をつく。考えた末に彼女は家賃を削ることにした。


「当時はまだスマホが無かったですよ。でも携帯電話は普通にもっていましたし、親からの連絡は全てそれに来ていました。そこで安いアパートに移れば今の真新しいアパートの家賃との差額を遊びに使えると思ったんです」


 そう考えて大学生活の時間を少しでも遊びに費やすため、急いで物件を探しにかかった。ただしそこは大学生だ、両親を誤魔化してお金をちょろまかそうとしているのだから保証人などいるはずもない。さすがに理瀬さんも友人を保証人にする気は無かった、借金と保証人にだけは手を出すなと父親に強く言われていた。


 仕方ないので保証人不要のアパートを探した。しかし当然だが保証人が要らないと言うことは保証会社なりがリスクを背負ってくれるか、その分家賃が高いとなっている。


 安いところを選んだのに家賃がそう変わらなくては本末転倒なので、不動産屋をはしごしていたら、『ここでしたら保証人が不要です。お家賃も相場よりかなり安い物件です。おすすめはしませんがご覧になりますか?』どう考えても事情のある物件なのは明らかだったが、値段を見ると信じられないほど安かったので見るだけ見ておこうと思いそこを内見することになった。


 ところが不動産屋は『鍵は開いているのでご自由にご覧ください』と言った。楽でいいのだが、そう言った担当には恐怖の色が浮かんでいるのを見て取った。


 それでもこれくらいしかチャンスはないと思って休日にそのアパートを覗くことにした。


 バイトが休みで大学も単位を取ったので安心して地図にあるアパートに向かった。


「ハッキリ言ってボロボロでしたね。でも少し安心したんですよ、『ああ、古いから安かっただけだ』と思ったんですよ。もしも何か事情がある物件だったら嫌じゃないですか。ただ単にボロいだけなら我慢すればすみますしね」


 あまり深く考えず、アパートの当該の部屋を見て、これといって汚れも無く、ユニットバスがきちんとあったのでその部屋に即決した。あの値段からして風呂トイレ共同なのかな? と危惧していた理瀬さんにとっては不潔ではなく、小さいもののキッチンがあり風呂とトイレもきちんとついているのだから文句は全く無い。


 そして不動産屋に契約をしたい旨を告げると、担当してくれた人が嫌そうな顔をして契約を進めてくれた。あの綺麗な部屋のどこに不満があるのか分からないけれど、事故物件らしい感じもしないし、もしそうであれば告知はされるだろう。それが無かったということはあの部屋で死人が出るようなことはないはずだった。


 そうして大したことのない量の荷物を知り合いの伝手を頼って引っ越しに協力してもらい、郵便物は転送されるように届け出をして引っ越しは無事終わった。その時点で手伝ってくれた人たちはその部屋に入ったけれど、おかしなことを言う人はいなかったので、これはいい物件を見つけたと思ったそうだ。


 そうして引っ越しをして初めての夜、少し悪いことをしている罪悪感と、自由に使えるお金が増える高揚感を覚えつつ、灯りを消してベッドに寝転んだ。すぐに睡魔はやって来て眠りに就いた。


 そして真夜中に金縛りになって目が覚めた。いや、別に引っ越しの時に妙なものを見つけたわけでもない。ただ単に引っ越しで疲れたせいで妙な目の覚め方をしただけだと自分に言い聞かせた。


「金縛りだけだったらよかったんですがね……視線を感じたんですよ」


 理瀬さんはどこからか見られているような気がして、頭は動かないものの、目玉は動くのでその範囲で自分を見て要るものを探した。そしてようやくそれを見つけた。


 視線の正体は押し入れの天袋から見えている二つの目玉だった。おかしい、この部屋は真っ暗で今は深夜だ。もし仮に誰かが天袋に潜んでいたとしても目玉があんなに光るはずはない。光の反射もないのにまるで眼球そのものが白く光っているように見えた。結局その日はそこで意識が無くなって気がついたら朝だった。


 おかしいと思ったが天袋がきちんと閉まっているので、アレは夢なのだと割り切ることにした。実害があったわけではない、だったら多少気持ちが悪かろうと我慢すればいい、そう思って大学に向かった。


 そしてその夜も金縛りに遭った。二日も続くと嫌にもなったが、それより気になったのは視線だった。またかと思い天袋の方を見ると、やはり底には目玉が爛々と光っていた。問題はそれが四つ、つまり二人分になっていることだった。誰かが二人天袋に潜んでいる、そう考えるとゾッとしたが、そもそも子供であっても一人しか入れないような場所だ。二つの目玉の位置がおかしい、あのスペースに頭と体を押し込められるはずがない。


 そしてまた気がついたら翌朝になっていた。そこで天袋を開けてみようか少し迷った。おそらくアレはこの世のものではない。侵入者にしては行動がおかしいしあんなところに二人も隠れるはずはない。


 しかし正体をはっきりさせないと不安なままなので気が進まないが天袋をスライドさせて開けた。


「そこに真っ黒な板があったんです。手を伸ばしてそれを出してみると……位牌だったんです。もちろん引っ越しの時に天袋も見ましたし、その時には絶対にそんなものはありませんでした」


 そして位牌は二つあった。これが二人分の目玉の正体なのだろうか? そう考えたのだが罰当たりでもなんでもいいので位牌をファストフードを買ったときの紙袋に入れて位牌だと分からないようにしてゴミに出した。それで終わると思っていた。


 だがやはりその晩も金縛りに襲われ、天袋に目をやると目玉が六つ、三人分あった。動けないが危害を加えられずただただ見られているだけだった。そしてその目玉は縦に三組並んでいる。絶対にあそこに三個の頭を縦に並べられる高さはない、そう考えたところで意識が落ちた。


 翌朝天袋を開けると位牌が三つあった。確かに昨日二個捨てたはずだ、それが増えている、あるいは新しく三つ出てきたのか?


 どちらにせよここには住みたくないという気持ちが勝って結局理瀬さんは親に平謝りして普通の家賃のアパートに引っ越させてもらった。不動産屋に退去を申し出たときに『そうですか』とだけいわれ、嫌な顔一つされず淡々と事務処理されそのアパートからは去ることになった。


 話は一応それで終わるのだが、理瀬さんは最後に「あそこに無理してずっと住んでいたらあの目玉の一つになるんじゃないかと思ったんですよ、なんとなくですがね」


 理瀬さんは引っ越し後何事も無く生活をしているそうだが、家賃は親が直接振り込むように下ということだった。

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