第6話 「 カウンター・ラブ 」

 早朝4時半。先週店長に「今度新しいレジの機械が入るから」と言われた。全く、お中元に、おでん、饅頭にうなぎまで。どうしてこうコンビニは売れもしない物に力を入れて雑用を増やすのか?客が来るんならまだいい。季節モノにしろ、新システムにしろ、結局客は呼べずに煩雑さとノルマを従業員に背負わせるだけなのだ。店長だってしょっちゅう「どうして店長会議っていつもいつもしょうもないことばっかりに時間かけてんだ!?」って嘆いてるじゃないか。・・・まぁ、朝から愚痴っていても始まらない。気が滅入るだけだ。


 使ってみると店長の云う“新しいレジ”はなんてことはなかった。多少フォルムは斬新だが、センスの点からいうとダサさのほうが目立つ。使い勝手も大して変わらないし、唯一気がついたのは新しく付いた客の性別・年齢認証キーだ。それも従来の認証キーはそのままなので、俺たちは客の性別・年齢で二回キーを押さなければならないことになる。店長が言うには「上の話じゃ、一種の国勢調査にコンビ二各社が協力することになった」らしい。結局、いつもの煩雑さの上塗りだ。

 朝、七時五分前。彼女がやってくる時間だ。彼女はこのコンビニの向かいに新しくできたファーストフード店の売り子だ。この店はファーストフードでは珍しい後払い制で、「ファミリー・ファースト」を謳い文句にしている。彼女は店に入る前に必ずここで朝食を買っていく。もちろん俺は話をしたことはない。レジ前で型どおりの挨拶を交わすだけだ。でも俺はそれでいい。毎日彼女の顔が見れるだけで少なくとも俺は幸せなんだ。これ以上望んで何がある? 


 朝の時間帯には客足の波がある。六時台と七時台の二回だ。こうなると認証キーの手間は致命的に思えてくる。今日の相棒はひと月前に入った二つ下の大学生で、もともとバイトで本気を出そうなんて気は更々ない。相棒のレジが手間取ると当然こちらのレジに客が流れてくる。尚更こちらはペースを上げなければならなくなる。キーを押しながら相手の顔なんて見る暇はない。客が出す商品と金、こちらはバーコード・リーダーと釣銭でのやり取り。そうした中で回りくねった緊張感がそこかしこに漂うのだ。

 午前7時半過ぎ。二度目のラッシュ。何度か認証キーを押し間違えたが後の祭り。いちいち気にする暇はない。四十前の女性客がレジの前に立った。それも籠いっぱい商品を入れてだ。大体なんで女は買う品物が多かろうが少なかろうが籠買いするんだろう?仕方なく俺は商品のひとつひとつにバーコードをあて、筋張った女の手から金を受け取るとレジ・キーを連打した。金額を打ち間違えそうになって一瞬慌てたのがまずかった。手元が泳いだ。

 その時、作業服姿の男が横から割り込んだ。次の瞬間、俺の前にいた女が言った。「なにやってんだ、テメエ!こっちの勘定がまだ終わっちゃいねえだろうが!!」コンマ何秒かの沈黙の後、女はノッシノッシと買い物袋を提げ、入り口に歩いていった。割り込みオヤジと俺はお互いに目を丸くしてそれを見送った。当然彼女に声をかける者はいなかった。俺は自分の手元を見た。<男性50歳台>キーを俺の指はしっかりと押していた。


「そうか!」更衣室で同じアルバイト学生の服部が不意に叫ぶ。「きっとそれ、<人格変更>ボタンっすよ!」

「そんな訳ないだろう?」一瞬何事かと思ったが、俺は取り合わない。それでもSF、推理モノ好きの彼は執拗に主張する。

「いや、絶対そうですって。俺もなぁ、おかしいと思ったんっすよ。だってあれ以来変ですもん、やっぱり」

 それは事実だった。例の割り込み事件以来この十日間、コンビニ近辺ではおかしなことばかり起きている。例えば見るからに大人しい高校生がコンビニの前でたむろっていた若者たち相手に突然喧嘩を始めたり、毎朝ワンカップ酒1つを楽しみにやってくる徘徊老人が、レジで清算後いきなりそれをあおり飲みしたまではよかったのだが、その5分後コンビニ先の横断歩道脇で倒れていたり・・・。

「眞鍋さんって、ちゃんと認証キー押してます?」服部の目は既に“謎解き”モードに入っている。

「一応ね。でも忙しい時はいい加減になってるよ、多分」

「俺も同じっすよ。それでつい無難な“若者”キーで済ましちゃうんですよね」

「そう。それに女の場合、“中年”キーよりはいいかなって思ったりさ」

「ハハッ、それってちょっとしたサービス気分ってヤツですか!?」

 考えてみれば客ほど見かけによらないものはない。品が良さそうな女性が平気で飼い犬を連れて店内に入ってきたり、強面の作業服男が意外と丁寧な喋り方だったり、人の良さそうなおばちゃんがやたらとカウンターでクレーム言ったり・・・例には事欠かない。最近の“タスポ”騒動だって、私服だと正直未成年と若者の区別はよくわからないのだ。それにいちいち確認するのはどうも気が引ける。

「今度一緒の時、試してみましょうよ。ね、眞鍋さん」服部がこの上なく嬉しそうに言った。まるで宝物を探し当てた子どものようだ。

「うん、今度な」俺は先に店を出た。午前9時4分。


 10分後、俺は例の彼女の店にいる。国道側の窓際、一番奥の席。ここだと彼女のいるカウンターも外の様子も一望できる。そしていつもの<朝のスペシャル・セット>。安くて、スクランブルエッグが美味い。カウンターで注文する時、俺は一瞬期待する。彼女が毎朝来る俺を覚えていて「いつものですね」の一言で常連扱いしてくれることを・・・。しかし残念ながら彼女の口から出るのは「ご注文は?」の生真面目で決まりきった文句。全くあんな認証キーなんていいから“常連キー”とか“いちげんキー”とか、誰か開発してくれないものか。もしそれが叶ったら客の流出率も分かるし、常連の買って行く品目だって絞り込める。店長の発注作業もどれだけ楽になることか。いや、待てよ。逆にわざと“常連キー”を押したら固定客が軒並み増加ってことか・・・。

「んな、馬鹿な」俺はいつの間にか服部のSF話の影響下にあるらしい。でも信じたい気持ちも正直ないではない。結局人間って事実を自分の信じたいように受け取るだけなのだ。そしてそれを<真実>と呼ぶ。まさにSFだ。俺は少しやるせない気持ちになる。

・・・男になれ。カウンターの向こうで働く彼女に時々目を向けながらそう思う。でも、もしそれで今のささやかな幸福まで無くなったら俺はどうやって生きてゆけばいいんだ?そう思うと俺は何もできない。踏み出せない。俺の生活はその終わりのない思考のループに支配されているのだ。

 ふと見上げると、店の壁に最近テレビでよく見る若手ロックミュージシャンのポスターが貼ってある。所謂ブレイク・タレントってやつだ。きっとこのファーストフード・チェーンのイメージキャラにでもなったのだろう。お決まりのポーズで片手にはハンバーガーをここぞとばかりにかざしている。ミュージシャンも音楽性より露出性、話題性の時代なのか?そういえばこいつはもともと某有名政治家の孫らしい。田舎でつつがない暮らしにしか興味がない両親を持つ俺とは基からが違うんだ。俺は忌々しさの代わりにポテトを食いちぎる。


<朝スペ・セット>を平らげた俺の上着のポケットにはこの五日間茶封筒が一つ入ったままになっている。自分が組んでいるロックバンドの初ライブのチケット。もちろん手作りだ。中身がしわにならないように注意してきたが、今ではむしろ自分の気持ちの方がヨレヨレになりそうだ。渡すか渡すまいか。誰が言ったか、『逡巡は無為の時間を経て虚無に近づく』。これは俺の気持ちに関係なく真実だ。俺は毎日この真実と朝の陽光に打ちひしがれる。

「初めてのライブなんで・・・」一応文句を練習してみる。「もしよかったら・・・」ああ、ダメだ、ダメだ。取ってつけたようなセリフ。接客応対マニュアルじゃないんだから・・・。仕方なく俺は今日も席を立ち、レジに向かって歩いていく。<朝スペ・セット>400円。俺と彼女の接点は結局それだけのものなのか・・・。

 ピッ、ピッ、ピッ。彼女の手慣れた小気味よい電子音。俺は素知らぬ顔で財布を取り出す。「400円になります、有難うございます」いつもの歯切れの良い彼女の声。まあ、いいか。これだけでも十分じゃないか。考えてみれば出会いなんてそうそうあるもんじゃない。犬の散歩と同じだ。俺は犬のように無邪気にはなれないし、彼女と俺の間にある壁はこのカウンター棚のように高く、頑丈なのだ。

 俺は定額の小銭を彼女の手のひらに払い、入り口に向かう。ピッ。後ろで音がする。それが俺には「はい、お終い」と聞こえる。入り口のガラス戸から差し込んでいた冬の光が俺の体を容赦なく刺し通す・・・。    

 いや、それでいいのか?それで俺は本当に納得できるのか?所詮ダメもとじゃないか。マニュアルっぽくったっていい。俺の声で、言葉で彼女に伝えるんだ。いや、言葉さえ要らない。黙って差し出して受け取ってもらえなかったらそれで諦める。それだけでもいいじゃないか。俺の中で不意に、今まで感じたことのない勇気と不安が同時に湧き上がってきた。挑戦してやるという思いと、この思いが今にも煙のように消えてしまうのではないかという不安。そうだ。有名だろうが、保障があろうがなかろうが、そんなことは関係ない。今、俺にはやるべきことがあって、歌うべき歌がある。それが一番大事なことではないのか?後のことは、後で考えても遅くはないのだから。

 俺は踵をかえす。彼女はまだカウンターにいる。俺は彼女の涼しい顔立ちをあらためて見る。彼女は俺に驚いたように少し首を傾ぐ。でも彼女の瞳も俺を捉えている。大丈夫だ。俺の彼女への気持ちは揺るがない。大丈夫、大丈夫・・・。俺はポケットからゆっくりと封筒を取り出した。



「その後の状況はどうだ?」

「はい、順調です」

「そうか。どうやら<国民総活性化ブリーフプロジェクト>は上手くいったようだな」

「はい、これも一重に大臣のご尽力のお陰かと」

「巧いことを言うな。ま、これでワシも政治家ならぬ政治屋の仲間入りした気分だよ。しかし今や全国津々浦々にあるコンビニを国政に利用するとは、全く君のように便利で速いものには敵わんな」

「そんなご謙遜を・・・。追ってご報告はいたしますが、今のところ心配されていた“変換キー”の意図的操作の事例は少数です。期間を最大2週間に限定した大臣のアイデアが功を奏したのでしょう。ただ一点、コンビニ業界筋からは苦情も挙がっております。全国規模で国民の“総活性化”が進んだのはよかったのですが、その分コンビニから客足が遠ざかっているようで、この十日余りの各社の売り上げが軒並み下降しているとの報告がありました」

「ほほう、つまりコンビニの存在そのものが国民の“劣化”現象を支えているということか?しかし業界からのクレームには対応せんといかんな。これからも何かと使えそうだからな」

「はい、そこで残りの3日間の“変換”効果はランダム仕様に切り替えました。売り上げへの影響は最小限で済む計算です。それに・・・」

「それに?」

「はい、実は計画の第二段階が既に動き出しております」

「そうか、今度は何だったかな?」

「はい、ファーストフードです。そういえば大臣のお孫さんもCMに出演されておりますね」

「ははは、政治家の孫がイケメン・ロックタレントというのも時代か?」

「いえいえ。今回のファーストフードはコンビニほど広い国民層は狙えませんが、若年層に絞っての効果は十分だと自負しております」

「全くだな。長生きすると若いモンたちの行動は奇怪にしか思えん。どうにかしたいものだよ。“変換”効果は?」

「はい、幾分強化しております」

「そうか。これでワシの孫もどうにか“大人”になってくれるといいんだが。次期総選挙も近いしな」

「それは、それは・・・。心中お察し申し上げます」

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