第9話三か月

 僕はあれから、いろいろと準備をしながら二回戦の知らせを待った。あのふわふわとした夢みたいな一回戦から三か月が経とうとしていた。SNSではあの議論大会のことが呟かれていて。実は議論大会ってワードは以前から使われていて。だからエゴサしてもそれっぽいのはなかなか検索に引っかからなくて。でも招待状の写メ入りだとか、賞金十億円だとか。あの大会が夢ではなかったことを教えてくれる呟きも多い。


(これって運営サイドの呟きじゃないよね…)


 そう思いながら毎日のエゴサも続ける。アップされ続ける議論チャンネルの動画もチェックする。人って意外と多人数の前だと『そうですね』って言葉を発言の頭に付ける。


『…そうですね』、『そ…お、ですね…』、『そう…ですね』。


 あと、『正直な話』とか『逆の考えで』とか。普通の意見を言う時に口癖のようにこういう言葉を使っている人って多い。これは他の討論動画を見ても分かる。論破王みたいに議論で強い人はそういう言葉を一切使わない。考えてみれば『そうですね』って肯定語であり。そしてなんでもかんでも『そうですね』だと逆に自分の考えを持っていないみたいで。そしてやっぱり言葉の語尾に『ってなるよね』『〇〇だよね』って付ける人は多い。『だよね』で検索すると昔のラップの曲で『DA・YO・NE』ってのが出てくる。論破王の動画はやっぱり面白い。そしていろいろと参考になる。一回戦で僕の考える『入口』『出口』思考を使ったけど。他にも『船』思考ってのがある。もちろん僕が考えた考え方だけど。


 船って水に浮いているわけで。まあ、正確には海水だけど。その辺は問題ではない。船が浮いているってことは穴が空いてないってことであり。議論における理論も同じで、穴の空いている理論は沈む。船と同じで。何かの理論の正当性を示し、他者の理解を得るには穴が空いていないことが大事であり。議論、討論の場であると『その穴』を相手は攻撃してくる。そして船は沈む。自分の主張を発言するということは穴のない船を水に浮かべることだと思う。そして自分の考えを客観的にみるには船の穴を探すこと。出発前のしっかりとした点検。無理なところはないか。矛盾している箇所はないか。常識的に考えておかしいところはないか。自分だけではなく他者にも理解できるものか。もちろん船に人間としての感情はない。だから『お気持ち論』が混ざるとおかしくなる。『ここは穴が空いてるけど、人間としてこれは許せるのが心の持ち主でしょ』と考えると、その考えは『お気持ち論』になる。論破王が負けないのは彼の言葉には穴がないからであって。穴がない船は沈まない。沈めようと攻撃しても沈まない。


 あと『正義』についての解釈も考える。『正義』って言葉は世間一般に周知されているように絶対的な定義はない。自分にとって『都合がいい』かどうかだ。正義のヒーローも悪のヒーローがいないと成り立たない。魔王を倒すために旅立つ正義の勇者たちも悪の魔王の手下たちを倒して経験値を得てレベルを上げる。この場合、『悪』とされる魔王側にも言い分があって。『悪』とされる魔王側から言えば、自分たちの都合でレベルアップの経験値稼ぎのために仲間や同胞を殺戮される、勇者たちは『悪』だ、となる。マルチや情報商材などで人を騙してお金を稼ぐ、詐欺でお金を稼ぐ人たちから見れば自分たちがやっていることは『正義』であり。「自分たちは間違っていない」、「別に法律を破っているわけではない」、「違法性がなければ問題ない」と詭弁を弄する。でもその人たちの主張、つまり『船』に穴が空いてなければ、それは正しい主張となる。昔からイジメにはイジメられる側にも問題があると言われていた。そうは思わないとずっと思っていたけれど。でも世間一般的にはイジメられる側にも問題がある、は間違いではなく。一回戦で江口さんが主張していたこと。「すべてのことに理由がある」ってことは正しい。両者の言い分を聞けば第三者が公平な判断、ジャッジを下すことは可能である。イジメる側は「顔がムカつくから」とか「存在がムカつくから」とか「こっちは仲間がたくさんいて、相手には仲間もいなくて逆らってくることもないから」とか、そういうことを馬鹿正直に言わない。そして押し通す。イジメられる側は百対一の状況だろうと、自分の『正しさ』をしっかりと主張しないといけない、そうしないと変わらない。この国はいつだってそうだった。『いつも問題になるのは、真剣に考えようとするのは、そのことを発言するのは、決まって誰かが死んだ後』だ。つい最近、またネットの誹謗中傷で人が死んだ。誰かが死んだ後で、いろんな人が自分の考えを言う。「ネットでの誹謗中傷は軽い気持ちで相手を殺す」とか、「日本人ってのはグロテスクでおぞましい」とか「いい加減に理解しろ」とか。でも僕には分かる。この人たちの発言はすべて『お気持ち論』だ。本当になんとかしようと思うなら、考えるなら、同じようなことが絶対に起こらないような仕組みを本気で考えるはず、考えようとするはず。キレイゴトは誰でも言えるし、誰だって言いたい。でも本当に大事なことはその問題に対して『お気持ち論』を述べることではなくて、しっかりと『議論』することだ。そして一回戦から三か月が過ぎた頃。僕は運営からのメールを受け取った。二回戦が行われる。

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