第7話決着

 あの日からちょうど一週間後。僕はある場所を目指していた。


(えっと…、グーグルマップに出ないのかあ…。だよねえ…、しょうがないか)


 僕は手に持った名刺に記載された住所を頼りに歩く。


「安室さんですか?」


「え、はい」


 急に僕へかけられた声に思わず反応する。これって『カクテルパーティー効果』ってやつ?


「お待ちしておりました。こちらにお車を用意しております。どうぞ」


「あ、はい…」


 怪しそうな若い男の人。普段ならついていかないと思う。おう、黒塗りの高級車で左ハンドル。


「どうぞ。親分がお待ちです」


「え、あ」


 若い人が開けてくれた黒塗りの高級車の後部座席のドア。そして車の中から声が。


「やあ。久しぶりですね。中へどうぞ」


「こ、こんにちは…」


 僕は思わず作り笑顔で情けない挨拶を返す。そして車の中へ。そう。今日の目的地は指定暴力団『肉球会』の事務所。あの山田さんと会う約束をしていたのだ。手に持った名刺は山田さんからあの日に貰ったもの。


「おう、出してくれ」


「はい」


 素早く運転席に回った若い人が山田さんの指示で車のエンジンをかけ、走り始める。そして、『うわー、スモークの窓ガラスの中からはこんなに普通に見えるんだぁ。まるでAVのマジックミラー号みたいだ』とか、『何を話すんだろう…』とかを心の中で思いながら山田さんからの言葉を待つ。あの日の結末はこうだ。



「山田さん」


「あ?急に今度は『さん付け』ですか」


「山田さんこそ口調がもとに戻りましたね。そっちが素ですか?それともさっきのが素ですか?」


「怒鳴り散らすのはチンピラだけですよ。相手を威嚇したいから怒鳴る、暴力に訴える、本当に怖い人間はそれを言葉から想像させるもんです」


「ホントですね。さっきの山田さんより今の山田さんの方が百倍怖いです」


「ここまでくれば本題は『トロッコ問題』とかではありません。君の心を折る、それとも君が私の心を折るか、そういう問題です」


「そうですかね。本質は変わらないと思いますけど」


「本質ですか」


「そうです。小平石さん、確認です」


「はいどうぞ」


「今日のこの試合…ですね、は、僕と山田さんが今残っている、で、あってますか?」


「はい。そうなります。他の方がこの部屋を出たということは敗退を意味します。パソコンを持ってこの部屋を出た唯一人の小野田さんは先ほどわたくしが敗北宣言を確認しております。よって安室さんと山田さんのお二人が残ってます」


「山田さん、タバコ持ってますか?」


「タバコ…ですか?ええ」


「小平石さん。あなたは襲われそうな女性たちを目の前にしても止めなかった、ですよね。じゃあ未成年の僕がタバコをこの部屋で吸おうと、ですね」


 山田さんが僕を援護する。


「問題ないですよ。これはお菓子です。チョコレートです。煙が出るのは進化したんです」


 否定も肯定もしない小平石さん。まあ、見て見ぬフリをしているが正解かな。ジャッジには影響しないだろう。僕は無料の自販機で缶コーヒーのボタンを押す。


「山田さんは何か飲みますか?」


「私はいいですよ」


「小平石さんは?」


「大丈夫ですよ」


 僕は缶コーヒーを下の取り出し口から取り出し、そのまま部屋の換気扇の下に移動する。山田さんがそれに合わせて移動してくる。そしてタバコの箱を僕に差し出す。僕はそこから一本取り出して口に咥える。続けて山田さんがライターの火を差し出してくれる。僕はその火にタバコの先端を近付ける。人生で初めての喫煙行為。タバコに火が点かない。


「吸ってやるんです。空気がないと火は点かないでしょう」


 言われた通りに僕はタバコの先端をライターの火に近付けた状態で思い切り息を吸う。


「ゴホッゴホッ、うえーーーーー、ゴホッゴホッ」


「大丈夫ですか」


(山田さん、このまま聞いてください)


 僕は小声で、小平石さんに聞かれないように話す。


(続けて)


「ゴホッゴホッ。(これは話し合いです。そして提案です)うえーーーー――、ゴホッゴホッ。(僕に託してもらえませんか。十億獲りますから)うえーーーーーー、ゴホッゴホッ」


(どういうことだ?)


「(僕が優勝して十億円の半分、五億円を山田さんに回します)ゴホッゴホッ、(山田さんは僕のブレーンになってください)うえーーーーーー、ゴホッゴホッ」


(ブレーンだと?五億…)


「ゴホッゴホッゴホッゴホッ、うーーーーーー、コーヒー…(そうです。山田さんは反社です。いずれ勝ち上がればそれが枷になるでしょう。僕は堅気です)、うえーーーーーー、ゴホッゴホッ、(この大会はある程度の行動は自由です。外部との連絡も取れると思います)コーヒー…」


(…)


「(勝ち進めば顔や名前、職業が世に出る可能性も高いです。運営の目的は政治です)ゴホッゴホッ、うはっ、うーーーーん、(政治には頼れる裏方が絶対に必要です。その裏方をあなたにお願いしたい)うえええええええええええ、ゴホッゴホッ」


 僕はコーヒーを飲み干す。


(ふーん…)


 それから暫く無言の時間が過ぎる。僕が頭に描いていた迷路はすでに最短距離が示されている。これしかない。後の判断はこの人だ。そして山田さんが本当に賢い人なら受けてくれるはず。確率的に五十パーセントぐらい。ダメなら次の手を、別の道順を考えるだけ。そして五分後、山田さんは僕にこう言った。


(もし十億獲れなかったらどうする?)


 僕は即答する。


(その時はヤクザになります。山田さん)


 僕の言葉を聞いた山田さんはそのまま小平石さんに敗北宣言をした。



「あれから二週間、運営から何か連絡はありましたか?」


「いえ、何もありません」


「そうか。こっちはいろいろと調べてみた」


「すいません…」


「いい。こういうのが俺の仕事でしょう。まずこの大会、おそらく日本中の多くの人間が参加している」


「え?そうなんですか?でも学校でそんな話題はないですけど」


「安室さんは友達が少ないんじゃないですか?」


 当たり…。


「でも山田さんが言うから本当なんでしょうね」


「おそらく、です」


「どうやって調べたんですか?」


「安室さん。ヤクザってのは情報のプロです。ソース元はいろいろありますんで。それにウチの組の人間にも別途、招待状が来てました。全員にです」


「え?ホントですか?」


「本当です。おうお前も参加したんだよなあ」


 山田さんの僕にではなく運転手さんへの言葉のトーンで運転手さんが返事をする。


「はい。昨日でした。勝てませんでしたけど」


「他の一回戦でも同じ『トロッコ問題』を議論したんですか?」


「いいえ。あの問題はおそらくウチのグループだけかと。俺が把握している分にはですが。他のグループの問題も多彩だったみたいですね。『警察は民営化すべきか』や『アイドルの恋愛は禁止が正しいのか』、『タバコを吸う料理人の作るものは不味いか』とかですね」


「なかなか興味深いですね…」


「他にも『ラーメンは塩か味噌か』、『阪神か巨人か』、『西か東か』とかですね」


「その議論…、見てみたいです…」


「見れますよ」


「え?」


「ユーチューブにアップされてます。固定カメラでのほぼ音声のみの動画ですが」


「本当ですか!?」


「ええ。今見てみますか?これですね。この『議論チャンネル』ってやつです。まだ再生数はそんなでもないですけど。じわじわ伸びてます。おそらく一回戦が始まったのはごく最近かと」


 僕は教えてもらったチャンネルをスマホで再生する。本当にいろんなテーマで議論している。じゃあ僕の動画も…。


「僕たちのグループの動画も…あるんですかね?」


「いえ、それは確認できてません。まあイレギュラーな内容だったと思いますので。ユーチューブって規制が厳しいんですよね。今は。あの内容だと垢バンの可能性とかあるんじゃないですか」


「それにしても…、これって勝手にアップしてるんですよね?本人の同意とかいちいち取ってるとは考えにくいですし。だって勝ち上がったならいいですけど、一回戦で敗退した人たちがそれを了承するとは思えないです」


「安室さんのおっしゃる通りです。でもおそらくあの『時給』ですね」


「『時給』ですか?」


「ええ。金銭を受け取る際には必ずサインや判子を運営は要求してるはずです。その際に規約とか約款ですね。そういうのを読ませているはずです。まあ読めないほど長文だったんでしょうね。金を受け取るにはそこにサインを、サインは悪用しません、この二言で聞いてませんは通用しないですから」


「お、恐ろしいですね…」


「安室さん」


「はい」


「今の日本の企業がやってることも同じようなもんですよ。この細かい約款にちょろっと書いといて、サインしたから同意とみなすってね。これって今問題になってる『特定商取引法』で規制されてることなんです」


「『特定商取引法』ですか?」


 僕はスマホでググる。それよりも早く山田さんが説明する。


「『特定商取引法』、まあ『特商法』です。これは屋号を持たない商売、電話営業やネット広告での営業ですね。虚偽や紛らわしい内容でサインしてしまった契約は無効になる、まあ有名な『クーリングオフ』ってやつです。でもこれって日本でも最大手の通信事業者、スマホやネット回線で有名な大手三社とかありますよね。ああいうところが高齢者の無知に付け込んで使わないであろう高額なオプションを契約したりとかです。代理店がやったことって言いますが、それじゃあ無理があります。代理店にも本家の社名を名乗らせたり、代理店を除外すれば通信事業者は正規ショップもあるんでしょうが、まあ全体の五パーセントもないでしょう。そのパーセントの線引きはありません。通信事業者は『特商法』の括りで責められたらグレーではなく黒なんです」


「それって…」


「ええ。国民が気付いてないだけです」


「そうなんですか…」


「他にもサブスクですか。初月無料とかありますよね。月々いくらで見放題ってサービス」


「あります」


「スムーズに解約できます?揉めることが多いと思いませんか?」


「そういう解約できないとか、分かりにくい問題はよく聞きます」


「そういうことです。これも『特商法』でアウト。話を戻します。運営は十億、上位四人で十七億ですか。それだけの金を出せる程巨大なんでしょう。組織として」


「でしょうね。僕もそう思います」


「あの運営の理念や目標は聞きましたが。まあ、これから少しずつですね。あ、あとこれが一回戦で一緒だった他の十人のデータです」


 山田さんが大きめの封筒を僕に手渡してくる。僕はそれを受け取る。


「中を見てもいいですか?」


「もちろんでしょ」


 僕は確認をとってから封筒の中を見る。本当にあの十人の個人情報だ。顔写真から住所、本名とか年齢、職業など。


「いいんですか?」


「言ったでしょう。ヤクザは情報のプロだと」


「いえ、僕がこれを手にすることがです」


「それは好きにしてください。安室さんが悪用しなければそれで済むことです。でも知らないより知っておいた方がいいこともありますよね」


「ええ、まあ…」


「俺は約束通りに動いてるだけです」


「改めて責任重大ですね…」


「他にもいろいろあるんですよ」


「いろいろですか?」


「ええ。勝ち馬に乗る方がいいと俺が判断したんです。だったら他の勝ち残りそうな人間を探して青田買いした方が手っ取り早いでしょ。安室さんもその方が気楽でしょう」


「青田買いですか?」


「はい。めぼしい人間に先に声を掛けておくことです。こうやってね、裏方として強力するから分け前を、ってね。安室さんが十億獲ろうと、一億獲ろうと、半分は約束している。上位四人に入れなくても俺は一円も損しない」


「あ、そういうことですか」


「でも俺の中では安室さんの評価は高いですよ」


「そう言って貰えると恐縮です…」


「まあ他にもいろいろありますけどね。反社の人間が十億円も受け取るとなると眉唾もんに聞こえますしね。それに上手く立ち回れば、十億、五億、一億、一億で十七億。その半分で八億五千万です。言葉は悪いですが、頂点に立って十億でも実入りは五億。だったら裏方で八億五千万を選ぶでしょう」


「は、八億五千…」


「でもね、安室さん。ホントに安室さんのことは高評価で見てますよ。あの『トロッコ問題』で見せてもらったあの論破力、今日はまあスイッチオフなんでしょう。俺のことをヤクザの組長だと知った上でのあの行動力、意志の強さ、いやいや、大したもんです」


「本当にそう思ってますか?」


「もちろんです」


「でも…、僕が言うのもなんですが…、山田さんが味方でよかったです。頼もしいですし…、本気出せば僕にも本当は勝てたんじゃないですか?」


「うーん、どうでしょうかね。でもこれだけは言えます。俺もこの世界を若いうちからトントン駆け上がってきました。それでも言えることです。今の安室さんと十七歳の時の俺、勝負したら十七の時の俺じゃあ絶対に勝てないってことです」


「それ、本気ですか?」


「本気ですよ」


 山田さんは不思議な人だと今日思った。黒塗りの高級車は僕を自宅の近くまで送ってくれた。情報のプロを前にして自宅の住所を隠すのも意味がないように思えたので。別れ際に交わした会話。


「安室さん。俺の名刺は慎重にです。ヤクザの名刺なんか渡したのがバレたら問題になります。持っていれば安室さんにとっても問題になります。でもバレなければ問題になりません。携帯と事務所の電話番号もその通りです。どっちにかけて貰っても大丈夫なように話は通しておきます。まあ携帯の方が早いですけどね。何かありましたらいつでも。こちらからも新しい情報が入れば連絡します。ラインとかテレグラムのアカウントを用意した方がいいですか?」


 ホントにいいの?


「じゃあラインをお願いします」


「今日中に用意してIDを連絡しますね。じゃあこの辺でいいですか?」


「はい。今日はありがとうございました」


「頑張ってください。安室さん」


 運転手の若い人がそう言ってすぐに車から降りて後部座席のドアを開ける。


「すいません…」


 本当に恐縮するというか…。急いで車を降りようとする僕を山田さんの声が止める。


「安室さん」


「はい」


「あの問題、『誰も殺さない』が正解だと思いますよ。あの問題が世に出て五十年。今は事故の起こらない車が出来るまでに進化したと聞いてます。自動運転で目的地を入力すれば電車の線路を走ってるように安全な車とかですね」


「そうですね」


「トロッコも同じです。作業現場も安全になるべきです。絶対に事故の起こらないトロッコを作る、これが現代のこの問題の正解でしょう」


「はい!」


 僕はそう言って頭を下げてから車から降りる。山田さんから受け取った封筒を落とさないよう大事に抱えながら、『肉球会』に向かう時より晴れやかな気分で家路についた。

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