第6話狂室

 朝はちょっとふわふわした気持ちで足を踏み入れたビル。そしてつい数十分前には死に物狂いで飛び出したビルに分かっていながらもう一度戻ってくるとは。緊張と不安に支配されそうになるけれど、考える。どうすればこの状況を打破できるか。考える。入り口と出口を頭の中で探す。


 入口。あの部屋に戻って狂人・山田さんと対峙する。


 出口。狂人・山田さんに論破バトルで勝つ。


 その入り口と出口を繋げる。無理がないように。出来るだけ確率が高いように。山田さんが用意してそうな考え。部屋にいる九人の人質のこと。これは暴走しているトロッコは狂人・山田さんであり、向かうところには九人の人質。そして分岐器の前で結末のカギを握っているのは僕。九人の人質を助けるには分岐器を捜査して暴走トロッコを僕の方へ向かわせる。このビルに戻ってきたってことはそういうこと。九人の人質を見殺しにするつもりならこの部屋に戻ってこなければいい話。でも僕の考えは『誰も殺さない』。考えろ。考える。絶対にその選択肢はあるはず。階段を駆け上がる。ドアが見える。僕は走るスピードを緩めない。行動しながら同時に考える。コツさえ掴めば話しながら、会話しながらだって別のことを考えられそう。そんな感じ。だからスピードを緩めない。部屋のドアの前に立つ。ドアの向こうの静けさが逆に不気味だけど、何か問題が起こっていれば騒ぎ声が聞こえるはず。静かであるイコールみんなは無事ってことだ。


 ガチャ。ギギーッ。


 今気付く。このドアは重くて音がすごい。そして目に入る異様な光景。


「遅かったな。青少年」


「お待たせしました。正義の味方です」


 考えることに重きを置いていたから変なセリフを口にしてしまう。でもいい。間違ってはいない。それにしてもなんだ?この光景は。部屋に残された人質の九人。そのうちの女性五人は全員タオル?か布みたいなもので目隠しされている。それに…これは…。


「まあ最後の論破バトルをゆっくり楽しみたいのもあるが、青少年とチマチマやるほど暇じゃねえ。もう一人のガキの委任状、それとお前の敗北宣言だ。運営もそれで認めるな」


 狂人・山田さんの言葉に小平石さんが表情を変えずに答える。


「はい。小野田さんと安室さんの敗北宣言が確認できればその時点で山田さんの勝ち抜けが決まります」


「だそうだ。そしてお前はそう簡単に敗北を認めない。だろ?あの場面でパソコンを持って逃走。そしてパソコンでコンタクトを取って来た。お前は優秀なんだよ。なあ、青少年。そんな優秀な青少年がここまで頑張って簡単に負けは認めねえよなあ。委任状も嘘だよなあ」


「そうですね」


「馬鹿が…。まあいい。ところで青少年。この状況分かるか。分かるよな」


 目隠しをされた女性が四つん這いになり、その背後に男性が膝立ちで、聡明な乃木さんの後ろに高齢の徳永さんが、女子大生っぽい細田さんの後ろに五十代?の新田さんが、咥えタバコが印象的で知的な水商売っぽい冴羽さんの後ろにお喋りだった江口さんが、主婦っぽい世良さんの後ろにまだ若いと思われる瀬島さんが、あの…、あれ…、そう、頭では分かってるけど…、やっぱり…、あれか…、口にはできないチェリーな僕。


「分かるよ」


「おら!お前ら!もっと『ワシッ』っと掴まねえか!『グワシッ』ってなあ!」


 そう言いながら狂人・山田さん、いや、山田が、頭数の関係で漏れたであろう目隠し状態で寝転ぶ内山さんの脇腹を蹴る。


「あいたああああああああ!痛いいい!何するのおおお!止めなさい!」


「おら!俺は無理を言ってねえぜ」


 そう言いながら山田が江口さんの真横にしゃがみ込んで囁くように言う。


「腕切られたぐれえでこんなチャンスはそんなにねえよな。おら!こうやって揉むんだよ!」


 そう言って江口さんの切られていない腕、血のついていない腕の手のひらを掴み、目の前で四つん這いになっている冴羽さんのお尻を揉ませる。


「ちょっとぉ!止め、止めなさい!」


「うるせえ!てめえの余計な一言が元気なババアの寿命を短くするってことをよーく理解しろや!このアマぁ!ほらほら、他の連中もしっかり動かせ。お楽しみはここからだからよ」


「やめろ。僕は戻ってきただろ」


「ああ。戻ってきたなあ。お前は約束も破った。大人を怒らせるとどうなるかって想像力が足らねえ。大人を舐めたらどうなるかをガキにキッチリおせーたるのが大人の役目だからなあ。それにこいつらは『いやいや』、『命令されて仕方なく』やってるわけじゃねえ。こいつはご褒美だぁ。お前が無駄なあがきをすればするほど少子化問題が解決する。分かるな」


 狂ってる…。考えようにも考えられない。僕のせいで…。


「小平石さん!こんなこと!止めないと!」


 小平石さんは僕の顔を黙って見ながら何も答えない。


「お前が決断してもトロッコは簡単には止まらねえ。そしてお前の決断がおせえ。おめえら!担当してる女のケツを剥き出しにしろ」


「やめろ!」


「ちょっと!何してんの!止めなさい!」


 僕と一緒に内山さんが叫ぶもどうにもならない。トロッコは暴走を続ける。


「お前の決断が遅いからこうなる。暴走トロッコはお前の判断の『一手後』に止まる」


「え?」


「少子化問題解決に時間はかからねえってことだよ。おらあ!早くしろ!」


 まごまごする男性陣、悲鳴を上げる女性陣、それでも止まらない男性陣、視界を奪われながらも身をよじって必死で抵抗する女性陣、ゆっくりだけど本気かそうじゃないか分からない動きをして無言で女性の下を脱がせようとする男性陣、それに必死で抗う女性陣。地獄だ。


「おらぁ!てめえらも下脱げよ!少子化問題を俺が解決してやってんだからよ!」


「すいません。すいません」


「やめてええええ!いやあああああ!」


「江口さん!止めてください!徳永さん!止めてください!」


 僕が叫んでも意味がない。このままでは。人間は想像の生き物だ。だから自分とは関係のない『五人を救うか』、それとも『一人を救うか』の答えを出せない。いつまで経っても。今、まさに暴走しているトロッコを止めなきゃいけない。女性たちは必死で助けを乞う。一人を救っても問題解決にはならない。考えろ。考えろ。止めるべきはこの狂人・山田。他の四人の男性たちを止めようとしても効率が悪い。こいつを止めれば全部が止まる。考えろ。


 入口が『山田を止める』。


 出口が『山田が止まる』。


 必ず通過しなきゃいけないのが『五人の女性たちを救う』、『四人の男性たちも止める』。僕が叫んでも何を言ってもこれらの項目は通れない。うん?何を言っても?もともとは交渉しに戻ってきたはずだろ。これは議論であり。論破の前にまずは止めないと。議論に持ち込むのは止めてからでいい。そのためなら嘘をついてもいい。この状況はどう考えても異常。この状況を止めない運営はどうなの?いや、そもそも十億円という賞金が動く大会。十億円のためなら人を殺してでもって人間が出てきてもおかしくない。想定済み?この小平石さんのジャッジ。死人さえ出なければ現場レベルの判断は何を選んでも許されるとか?いや、死人が出ても何とかしちゃいそう。だって今目の前では強姦でしょ。強姦未遂か?小平石さんがそれをも黙認してる時点で狂ってるとしか。もしくは僕がここから何とか起死回生を繰り出すことを期待してるとか?考えろ。


「おいおい。もしかして自分の分は?とか心配してんのか?安心しろや。お前のはこのクソババアが残ってる。お前も人のおさがりで兄弟になるのは嫌だろ?このジジイなんか俺に感謝だろ。この機会じゃなきゃこんな若い女にタダでぶち込めねえよな。なあジジイ、俺は神様だよなあ」


「そこまでだよ。山田ぁ」


「ああん?」


 狂人・山田が呼び捨てにされて鬼の形相を僕に見せる。怖い。でもこれがいい。まずは山田の気をこっちに向ける。あとは嘘と駆け引き。頭の中では入口から地図で確認しながら迷路の中を最短距離で出口に向かえるよう、イメージする。


「ここでこんなことして頭が悪いよね。それともこれって山田の趣味?だったらAVの見過ぎじゃない?それとも、あ、やっぱいい」


「ああん?いいから言え」


「いやさあ、山田って勃たないんじゃないの?EDってやつ?かわいそうだね」


「ああん?」


「いや、変態で勃たない人って他人のプレイを鑑賞して興奮するって噂は本当だったんだ。見学プレイっての?なんかかわいそう。でもリアルで見ると残念っていうか、人に迷惑かけずにやればいいのになあって」


「おぃ!お前らぁ!さっさとぶち込めやぁ!」


 山田は僕から視線を逸らさずに怒声をあげる。


「それは冗談。まあ冗談はさておき、頭が悪いってのは間違っちゃいない。この僕とのサシ勝負、今彼らを止めないと自動的にあんたの負けは決まる。それでもいいなら趣味嗜好に頑張るがいいんじゃない」


「あ?俺の負けが決まる?理由を言ってみろ」


「この一回戦を勝ち抜くには条件があったよね」


「…」


 無言で山田が話の続きを促す。僕は続ける。


「一回戦の勝ち抜け条件。自分以外の十一人、全員を論破する。力づくで意見を通すのもオッケー。まあ僕も今のままじゃあ押し切られるかも、だ。でも『一人』足りないよね」


「あのガキか…」


 小学六年生の小野田君を安全地帯に移動させたのがここで生きる。


「そういうこと。小平石さん。パソコンでチェックしてください」


「確認しましょう。小野田さん?」


 ズームアプリで小野田君と繋がる。


「小平石さん?安室さんは?」


 僕は狂人・山田から目を逸らさず、そのままいう。


「小平石さん。小野田君に伝えてください。『僕が逃げろと言えばそのまま家に帰るように』と。そしてこの場合の小野田君の行動は棄権とみなされますか?」


「一つ目の伝言はお安い御用です。そして二つ目のジャッジですが、運営的に、まあ、判断はわたくしに一任されておりますが」


「そんなの通らねえだろうが!試合放棄だろうが!」


「このケースは第三者から見て、山田さんの主張が正当です。試合放棄となります」


 僕の頭の中の迷路の道はそれでも問題なし。僕が目指す道はしっかりと示されている。


「小平石さん。らしくないですね。小野田君は運営から支給されたパソコンを持っているんですよ。電源アダプターなんかはいくらでも代用できますよ。あれってタイプCですよね?」


「あ」


「どういうことだ。おい」


「大変失礼しました。先ほどのジャッジを覆します。小野田さんは試合放棄と判断しましたがズームで交渉可能です。だから棄権行為ではありません。試合続行です」


 この小平石さんの発言で山田がすべてを理解する。


「そういうことです。山田ぁ。ズームでの議論ならあんたの得意の強引な力技は使えない。そして小平石さんにお願いです。さっきの小野田君への伝言にこう付け足してください。『何を言われても返事をしないこと。だんまり作戦。これだけで君はいつまでも時給千五百円のお金を手に出来る』と。あ、よかったですね。山田ぁ。あんたも時給千五百円だよ」


 出口が見えてくる。


「てめえ…」


「これはあんたに選択してもらう。僕の優しさだ。今すぐ僕とサシ勝負を受けるか、それとも自分の趣味を選んで時給千五百円のエンドレス議論か。運営がいつまでも千五百円の時給を払い続けるとは理論的に考えにくいけどね」


「…お前とのサシ勝負を選べばあのガキはどうなる?」


「条件付きで負けを宣言させる」


 以前問題なし。


「条件、言ってみろ」


「一つ目。この馬鹿げたあんたの趣味を今すぐ止めさせること」


 その言葉で狂人・山田が何も言わずその場から歩き始める。そして四つん這いの乃木さんの後ろでおたおたしていた徳永さんを思い切り蹴り飛ばす。それを見て、他のおたおたしながらまだ一線を越えずにいた三人の男たちも動きを、手を止める。


「何勝手やってんだ。俺が止めろっつったら止めろや、ボケぇ。おい。二つ目は」


 出口までもうすぐ。


「条件は残り一つだけ。この場には当事者の僕とあんた、そして審判の小平石さん。それ以外の人間は部屋から出ていってもらう」


「いいだろう。ガキの敗北宣言は?」


「皆がこの部屋を出たら宣言させる。約束する」


「おい!てめえら!さっさとこの部屋から出ていきやがれぇ!」


「皆さん、この人が言う通りです。今日の時給と交通費を小平石さんに清算して貰ってください」


「何言ってるのよ!あんた!」


 目隠し状態の内山さんが僕にあの口調で叫ぶ。


「内山さん。あなたは負けたんです。どうしょうもない暴力に抗うのも一つの正しさでしょう。でも賢者は逃げるんです。小平石さんの言う通りで暴力が通じる環境以外での議論に持ち込める術があったにも関わらずそれを選択しなかった、用意できなかった時点で皆さんは負けなんです」


 僕は他の人が納得するように言う。でも内山さんは違った。


「何言ってるの!あんたも逃げなさい!お金なんか生きてりゃなんとでもなるでしょ!あんたぁ若いんだから!」


 内山さんの言葉にハッとさせられる。こういう優しい考え方もあるんだ、と。


「江口さん、新田さん、瀬島さん。内山さんをお願いします。江口さんは怪我をしています。徳永さんも殴られて蹴られてます。他の女性たちもお願いします」


「あ、ああ…」


 ここで小平石さんが言う。


「それでは他の九名の皆さんは別室で清算を済ませてお帰りください。このビルの三階が清算場所になります」


「触らないで!変態!」


 女性たちの目隠しを取ろうとした新田さんたち男性が罵声を浴びせられる。理由って本当に前後すべてを見ていないと理解できないよなあ。


「おいお前ら、さっさと出ていきやがれ。十秒以内に出ていかねえ人間はこいつで斬る。一、二、三…」


 狂人・山田がドスを再び手にする。それを見て九人は急いでこの部屋を出ていく。


「じゃあ僕の番だ。約束を守ろう。小平石さん、小野田君と直接会話させてください」


 僕は小平石さんのノートパソコンから小野田君に語り掛ける。

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