第5話脇の甘さ

「山田さん?」


 小平石さんがビックリした表情でなんとか言葉を出す。


「うるせんだよ!あ?どいつもこいつもよお」


 僕も驚いてる。めちゃくちゃドキドキしてる。怖い。今日会ってからここまでずっと穏やかだった山田さんが急に変貌したから。目の前の出来事が理解できない。初めに頭に浮かんだのは、ドッキリ?ってことだった。


「ちょっと。急にどうしたんですか?落ち着きましょうよ」


「うるせえ!じじい!」


 山田さんを落ち着かせようと言葉をかけた徳永さんを山田さんは思い切り殴り飛ばした。高齢者である山田さんの体が軽々と宙を舞い、床に叩きつけられる。


「きゃあ!」


「大丈夫ですか!?」


「うるせんだよ!お前ら。次はどいつだ?死にたい奴はよぉ」


「山田さん?どうしたんですか?急に」


 小平石さんの言葉に山田さんが答える。


「おう。運営側の人。あんた審査員でもあるよな?」


「そうです」


「だったら俺のやり方はありか?なしか?」


「それは…」


「議論とかよお。タリぃだろ。だったらぶん殴ってよお。俺の意見が正しいって納得させるのはありかってことよ。そっちの兄ちゃんが言ってたよなぁ。ジャイアンがうんたらってよお。ジャイアンの意見の通し方はこうだろ?」


「おっしゃる通りです。山田さんの言い分は分かります。ではそれに対して運営の答えです。アリです」


「ほお…」


「ちょっと!」


「小平石さん!それじゃあ話し合いにならないでしょう!」


 その通りだ!このまま山田さんが暴力で意見を通してもそれを正義とするのはいくらなんでも運営の怠慢だろ!


「阿っ久悠」


 え?今なんて?小平石さん。


「阿っ久悠。ぶち殺すぞ、ゴミめら」


 え?


「いや!」


「ちょっ!」


 現実を受け入れられない僕たちに対し、小平石さんが続ける。


「これが議論です…」


「いやいや!絶対違うでしょ!」


「こんなの議論でもなんでもないじゃないの!」


 山田さんは怖いから舐めてないけど、司会進行役の小平石さんのことは舐め切っている僕たちは小平石さんには思ったことを伝える。口にする。そんな声に小平石さんが答える。


「実は運営は皆さんの職業を存じております。山田さんの職業は指定暴力団の組長です」


「な…!」


「マジ…?」


「もう一度言います。これが議論です。力です。日本がアメリカの言いなりなのはこういうことです。じゃあどうすればよかったか?ボディーガードをこの場に最初から呼んでおけばよかったってことですよね。それは理想だろ?いいえ。皆さんの怠慢です。その知恵がなかったからじゃないですか?何故皆さんひとり一人に高額なノートパソコンを用意したか?ズームのアプリが目に入りませんでしたか?」


「ズーム!?じゃあリモートで別室から参加すればよかったってこと!?」


「そうです。論破王はその知恵があるからリモートで参加されることも多いですよね」


「それは詭弁だ!」


「論破王だってスタジオで対面することも多いだろ!」


 いや。小平石さんの言ってることは正しい。その正しさを小平石さんが説明する。


「『ジャッジがいない状況では議論をしないが鉄則』。これは論破王の言葉です。私もこの言葉に賛成です。悪質な宗教団体の問題提起に歯に衣着せぬド正論を貫く。そんなことをサラッとやり抜くには知恵が必要だと思いませんか。あの論破王はその辺の抜かりは一切ない。常にギャラリーの前で意見する。単なる顔も名前もないものの声なら瞬殺されるでしょう。だからこれまでそういう意見は匿名でしか言う存在がいなかった。そのタブーをあの論破王は覆しました。どうすればタブーを世に発しても自分は消されないかを考えた結果があれだと思います。今や日本中の人間なら誰しも彼を知っています。顔も名前も知ってます。好き嫌いや考え方の相違はあるでしょう。でも存在は売れている。世界的にも有名です。そうなれば消そうとしても大変ですよね。あれだけの有名人の命を奪うことは文字通り『頭が悪い』行動だと思います。そこまでの『覚悟』をしての『議論』です。自分の意見を口にするってことはそれだけ『覚悟』を要するのです。皆さん。考えてもみてください。これまでの自分の生活を。皆さんは『自分の本当の意見』を口にしてきましたか?」


 そう、これだ。皆が急に黙り込む。反論出来ない。小平石さんは構わず続ける。


「勤務先の上司や取引先の強い立場の相手。言えませんよね。だって皆さんは賢いんだから。同性の友達のグループ内で。マジョリティな意見に逆らってきましたか?逆らえませんよね。面倒くさいことになりますからね。例えその場では従ったふりをして、心の中で『自分は従っていない。仕方なく同じように振舞ってやっただけだ』と自分に言い訳してきませんでしたか?学校はもっと残酷で陰湿な空間ですよね。社会にでもそれは大して変わりませんが。マイノリティな存在は否定される。マイノリティな考えを貫くのは大変な労力を必要とするから。それを貫き続けることを皆さんは『馬鹿じゃない』と冷めた目で見てきませんでしたか?だから匿名の掲示板でつまらない本音を書く。SNSで毒を吐く。いい気になる。そこで肯定されて。承認されて。分かってもらったような気になり。誰かが悪いことをしたとなったらこれ幸いと自分も一緒になって石を投げていいことをした気になって。免罪符を得たと勘違いし。頼まれてもないのに評論家になり、気に入らないことは全否定する。そして絶対的な安全地帯から攻撃を繰り返す。自分は正義だから。間違っていないから。だって周りの人も同じことをしているから。匿名性の高いSNSで他の皆が言ってるからってそのデータはあるんでしょうか?自分以外はbotかもしれませんよ。そういう考えだから、皆がそうなったから、それを許してきたから、今の日本はダメになっちゃったと思いませんか。本当の自分は探さなくてもよく知ってるはずでしょう。狡さと賢さは別物です。と、小難しい話をしてきましたが、自分の意見を貫くやり方は論破王が示したと思います。さあ、再開しましょう。本当のなんでもありの議論を。考えるんです。ツワモノになるには、を。自分はツワモノ足りえるか、を」


「だ、そうだ」


 そう言いながら徳永さんがドスを抜く。



『狂人と強い意志』



「きゃああああああ!」


「ちょ、落ち着いてください…。私は…、同じ意見です…」


「うるせえよ。勝ち抜く人数は少ない方がいいだろ?結局最後に金を受け取れるのは四人だろ?」


「おっしゃる通りです。江口さん、私が言うことではありませんが、このままでは負けますよ」


「負けるって…、ちょ!」


「どっちだよ。俺も気は長い方じゃねえからよ」


 まさか…。脅しでしょ…?そんなことを僕たちは考えていた。いや、期待していた、が正しいと思う。徳永さんがドスを持った手を動かす。


「ぎゃああああああああ!」


「うるせえよ。ちっと切っただけだろ。ほら、どっちだよ」


「負けです!私の負けでいいです!意見変えます!だから助けてくださいいい!」


 腕から血を流しながら、いい大人の江口さんが泣きながら命を乞う。それを見て山田さんが振り向きながら言う。


「一人論破ぁ。次は…お前だ」


 山田さんが血のついたドスをかざしながら新田さんの方へ近付いていく。次のターゲットが自分だと理解した新田さんが傷付く前に白旗をあげる。


「わ、わ、わ、わ、私も意見を変えますぅぅぅぅぅぅぅぅ!私の負けですぅ!だから勘弁してください!」


「二人目論破ぁ」


 狂人の顔を現わした山田さんがここから次々と暴力という名の圧力で意見を吹き飛ばしていく。この行動はテロ行為に近い。考えろ。嬉しさとか期待とは違う胸のドキドキを感じながら僕は必死に頭の中を回転させる。道はあるはず、と。


(えっと…、落ち着け…、山田さんの出口は『一人だけ勝ち抜くこと』。入り口は…、『勝ち抜くとお金が貰える』だ。理由は『暴力を振りかざした方が圧倒的に強くて早い』から。それを『論破』すること…。それこそが…、僕の今の可能性…)


「行こう。走るよ」


 僕は小学六年生の小野田君の手を取る。


「え?」


「まずは相手から距離を取ること。それは出来るよね?」


「…うん」


「それが出来るのに考えずにすぐに負けを認めることは頭の悪い人がやることじゃない?」


「だね…」


「内山さん。あの男が近くに来たらすぐにギブアップしてください」


「ちょっと!何言ってるのよ!私は簡単にギブアップしないわよ!」


「じゃあこう言ってください」


 僕は内山さんに秘策を伝える。そして小野田君と二人で山田さんと対角になるよう距離を取る。


「逃げてんじゃねえぞ。逃げても無駄だぁ」


「きゃああああああ!」


 大丈夫。他の皆も山田さんから逃げている。すでに山田さんの犠牲となり、負けを認めた江口さんと新田さん、そして倒れこんでいる徳永さん。十二引く三は九。そして山田さんを引くと八。残るは、男が僕と小野田君、そして瀬島さん。そして女が八引く三は五人。対角を意識しながら頭の中で計算。落ち着いて。クールに。あの狂人の頭の中を冷静に読む。考える。女子供はどうとでもできると考えるなら次のターゲットは瀬島さんになるはず。江口さん、新田さんと成人男性を先に従わせたのがその証拠。


「お前はぁぁぁ?」


「は、はいぃ!」


 予想通り、次のターゲットは瀬島さん。僕は小野田君の手を取ったもう一つの手に持ったノートパソコンを抱えながら視線を動かす。顔は動かさない。おそらく、瀬島さんの次は僕だ。瀬島さんが粘ることを願う。


「一回しか聞かねえ。お前は?」


「は、はい!助けてくださいぃ!言うことなんでも聞きますぅ!」


「じゃあ棄権だな」


「はい!負けでいいです!」


「三人目論破ぁ」


 早いよ!もっと粘れよ。そう思いながら視線で捉える。この部屋の出入口。さっき、議論がスタートする前にトイレに行っといてよかった。それが生きる。あの出入口のドアに鍵はかかっていない。そしてこれは賭けだ。未成年の男二人と成人女性五人。多い方を取るはず。僕は小野田君の手を強く握る。


「(あそこのドアからこの部屋を出る。いいね)」


 小野田君の顔を見ながら囁く。小野田君は不安そうな表情だけど僕のことを信じている。そんな顔をしている。小野田君が精いっぱいの勇気を振り絞って僕の言葉に頷く。


「さあ次!とっとと済ますぞ。あああん?」


 行ける。僕は手に持ったノートパソコンを小野田君に持たす。僕の手を握りながらも、もう片方の腕でノートパソコンを胸にギュッと握る小学六年生。頼もしい。僕は小野田君の手を引きながらドアに向かって走る。後ろは気にしない。確実にこの部屋を出ることが出来る。後ろで叫び声が聞こえるけど気にしない。怖い。けど考えない。目の前に集中する。ドアノブを握る。回す。よし!鍵はかかっていない。ドアノブを引っ張る。頭の中は冷静だ。押してダメなら引っ張る。それよりも引っ張ってダメなら押す。その方が早い。ドアノブを引っ張るとドアが開く。そのまま二人で部屋の外に出る。止まらない。走る。走れ。エレベーターとか使わない。階段だ。上じゃない。下だ。降りる。ダッシュで降りる。慌てないこと。小学六年生の走るスピードを僕は知らない。合わせる。転ぶと時間のロスになる。それ以上に怪我のリスクが高い。慌てず急げ、だ。ゆっくり急げ、だ。そして一階に降りる。ビルの出口は分かりやすいところにある。そのまま駆け抜けて建物の外に出る。


「ハアハア」


「大丈夫?」


「う、うん…。でも他の人は…」


「大丈夫。僕に考えがある。とりあえずもっと安全なところに移動するよ。ここはまだ安全とは言えないと思うから」


「う、うん…」


「あ、パソコンありがとう。ここからは僕が持つ」


「う、うん」


 僕は小野田君からノートパソコンを受け取り、二人で出来るだけビルから離れたところを目指した。


「いらっしゃいませ。お持ち帰りですか?それとも店内で召し上がりますか?」


 駅前のハンバーガーショップに入る。ここでアイスティーとオレンジジュースを注文。周りの人の存在がちょっと前の非日常的な暴力を紛らわしてくれる。忘れさせてくれる。でもここは高確率で安全。あの狂人・山田さんもこれだけの人の前で物騒なことは出来ないはず。僕は支払いを済ませてドリンクを受け取る。テーブルに座る頃には小野田君も最初に見せた大人びた小学六年生に戻っていた。


「ねえ」


「うん?」


「ここまで来たら大丈夫だと思うけど。なんか残念だな。十億円」


「小野田君。勝負はまだ終わっちゃいないよ」


「え?じゃあまたあそこに戻るの?ダメだよ。危険すぎるよ」


「戻るとは言ってない。だからこのノートパソコンだよ」


「え?」


 僕はアイスティーのカップにストローを突き刺し、それを飲みながらノートパソコンを起動させる。さっきまでコードに繋げていたからバッテリーはまだ持つはず。これは可能性の高い賭け。小平石さんがああ言ってたってことがその証明。ハンバーガーショップの無料Wi-Fiにノートパソコンを繋げる。ビンゴ。ズームアプリに招待状のメールもすぐに確認。ID、パスワードを入力。画面に小平石さんを確認。


「お、やっぱりこう来ましたね」


「はい。さっきの小平石さんの言葉です。これでお互いに公平な議論が出来るんじゃないですか?山田さんのノートパソコンは…壊れちゃいましたかね。その場合は…」


「山田さんは安室さんからの連絡を待ってましたよ」


 小平石さんの背後から山田さんが現れる。


「安室さん。話し合いをしませんか?」


 え?ちょっと驚く。画面に映る山田さんはさっきまでの狂人の表情ではなく最初に会った時の柔らかい表彰。


「話し合いですか?じゃあこのまま続けましょうか。で、どこからの話になりますでしょうか?」


「うん。平和的な話し合いだよ」


「平和的?ですか?あ、トロッコ問題ですよね」


「そうだね。トロッコ問題だ」


「確か…山田さんは五人を救う…でしたよね?」


「そうだね。そして君は全員を救うだ。救えるかな?」


 え?画面に、ビルに取り残してきた他の人たちが映る。後ろ手に拘束され、猿ぐつわ?みたいなので口を塞がれた状態で。床にそのまま座らされている。そして狂人・山田さんがドスを一番近くの内山さんに突き付ける。


「…小平石さんを」


「全部認めたよ。運営は。安室ぉ!あと小野田か。ガキの方は。まあ二人ともガキだけどな」


「僕ら二人が戻らないとあなたは負けるの?」


「別に戻らんでもええ。ここでお前ら二人の敗退の言葉を聞けりゃあ十分らしいってよ!」


「じゃあ他の人は関係ないよね。解放してくれるかな」


「うるせえ。俺に指図すんじゃねえ!今こいつらもお前らも俺に生かされてんだよぉ!」


 ハンバーガーショップに声が響かないように気を遣う。逆に周りが騒がしいから助かる。


「いくら運営が許そうと法治国家のこの国で人は殺せないよね」


「そうだなあ。普通の人間ならな」


「それは?あなたは特別なんですか?罪を犯しても見逃してもらえるっていう」


「そうだなあ。お前には分からんか。俺が何をやらかしても身代わりが出る。そういうことだ」


「いいの?ズームって録画されてるんでしょ?」


「お前らの口を封じればいいだけの話。簡単だなあ」


「他の参加者の皆さんはまだしも。僕も小野田君も未成年ですよ。それに小野田君は小学六年生ですよ。未成年を手にかけるとさすがにごまかすのは無理でしょ?」


 僕の心の拠り所。未成年はセーフティって考え。それが交渉の有効なカードになると思っていた。


「所詮ガキの浅知恵だな。バレなきゃ同じことだ」


「いいでしょう。その前に一つだけ確認がしたいんだけど」


「一つだけだな。いいだろう。言ってみろ」


「他の九人は無事ですか?」


「命があるって意味で無事だ」


 僕が内山さんに伝えた秘策。『とにかく逃げて。捕まったら負けを認めてください。その代わり僕が後から皆を助けます。負けもひっくり返します』。あの口の悪い内山さんも負けを認めたんだろう、かな。


「僕らが負けを認めればいいの?」


「そうだ。小野田ってガキにも言わせろよ」


「小野田君にはさっき委任状を書いてもらいました」


「委任状だと」


「はい。すべてを僕に一任するって委任状です。小平石さんに確認してください」


「ちょっと待て」


 これも賭け。でも大丈夫。確率は高いはず。狂人・山田さんが再び画面へと視線を移す。


「大丈夫でしたよね」


「ああ。じゃあさっさと言え」


「言ったでしょ。僕の考えは『誰も殺さない』だって。今から僕がそっちに戻ります。話はそこでしましょう。約束します。逃げませんし助けも呼びません。一人で戻ります。僕が戻るまでに皆に何かをしたら終わりと思ってください。他の人を見殺しにしてでも僕は戻りません。そうしたらあなたの一回戦勝ち抜けもない」


「何分だ。待ってやる」


「十分で戻ります」


 ズームを終了させる。


「だ、大丈夫?」


「ああ。時間がないから今すぐちょっと行ってくるよ」


「…ぼ、僕も一緒に行こうか?」


 さすが論破キッズ。でも大丈夫。


「最初から言ってたよね。僕の考えは『誰も殺さない。全員助ける』だ。これは強がりじゃあない。計算と可能性、そして知恵と勇気だ」


 僕は残ったアイスティーをストローで飲み干す。トンっと紙コップをテーブルに置く。そしてノートパソコンをそのままにして立ち上がる。


「ズームの使い方は分かるかい?」


「うん」


「助かるよ」


 そう言って僕はあの部屋を目指して走り出す。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る