第4話論破王が見ている景色

 僕はあの論破王が好きだ。尊敬している。


「ではここで、どちらも犠牲にしない派の小野田さん。お願いします」


 論破王の書いた出版物はすべて読んだ。


「はい。今ネットで見てるんですが。この『トロッコ問題』って千九百六十七年の問題ですよね」


「それでいいと思います。続けてください」


 もちろん動画も全部見てる。


「今が二千二十三年ですよね。つまりはこの問題が世に出てから五十六年が経つわけです」


 論破王の生き方が好きだ。


「五人を助けるべきだとか、一人を助けるべきだとか、この問題は倫理学上の問題だとか。答えはないだとか。一体何をこれまで議論してきたのか?って話だと思うかな」


「小野田さん。それは?」


 人は誰しもが表の顔と裏の顔を使い分ける。僕みたいな中二病を受け入れなきゃいけないと悟った年頃は特にそういうのに敏感になる。人は綺麗ごとが好きだし、心の中で逆のことを思っていても表ではいい人を演じる。人の意見は「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」を重んじる。学校にも社会にもカースト制度は存在して。自分より偉い人にはへつらう。頭を下げる。自分の意見を言っても火に油を注ぐだけだって今になって分かった。いじめられっ子を助けたって今度は自分がいじめられる。だったら気付かないふりをするのが大人であり。カツアゲにあっても黙ってお金を差し出せばそれで済む。抵抗すればお金を取られた上に痛い目に遭わされる。だったらどっちが賢いか。そういう計算が出来ることが大人になるってことだと思う。最初はむしろ卑怯者、口だけ達者ってイメージだった。でも論破王は行動とその口で示してくれた。自分が正しいと思ったことをそのまま口にする強さ。それはとてもカッコいいことであり。相手を選ばない。タブーとかも関係ない。相手が間違ったことを言っている、そう思ったらしっかりと正しさを言葉で示す。データで示す。分かりやすく示す。これまで論破王はたくさんのこの国の問題を提起してくれた。

その論破王が今、この国に愛想を尽かそうとしている。でも画面越しに見る論破王の目はそうではなくて。「面白いものが好き」だとか「どうなのかを知りたい」だとか。僕が今でも一番印象に残っている論破王の言葉。『卵焼きに醤油をかける人・ソースをかける人が居て。ソースをかけて食べるとめっちゃ美味しいですと言う人が日本人の九割です、とってなった時に、「ああ、そうなんだ」と思うだけで。それを変えたいとは僕は思わないです』。それと。『それを見て人がどう思うかって話』。論破王はいい人ぶろうとは絶対にしない。熱いメッセージを送ったりしない。でも僕たちに答えはめっちゃ出してると思う。それを受け取っている僕たちが『動かないと』。『何かを始めないと』。『学ばないと』。


「今の時代になって。この問題の答えを出せないってのはダメだと思うからです」


「だから答えを出してるんじゃないですか?」


「江口さん。小野田さんの意見を最後まで聞きましょう。小野田さん、どうぞ」


 この小学六年生も同じことを考えているかも。ろんぱキッズは伊達じゃない。質問をするとちゃんと答えるのが大人であり。


「この問題のしっかりとした答えを出すべき時代が来ていると思います。だから五人でもない。一人でもない。全員です」


「それこそ君の好きな『それってあなたの感想ですよね』じゃないですか?今の君の発言は個人の意見ではなく感想だよ」


「江口さんの言いたいことも分かります。今の小野田さんの発言は問題解決にはまったく関係はないと思います。でも発言の側面として『五十年以上も同じような議論をしている。だったら今は時代もかなり進化した。だったら我々も進化してしかるべき。解けなかった問題も解けるようにならないと』ってことですよね?」


「そうです」


 小学六年生は十二歳。十七歳の僕より五つ下。この場でたった一人の年下がたった今、こんなにも熱い言葉を発したんだ。僕もお子様だけど、ちゃんと答えないと大人じゃない。


「僕からいいですか?」


「同じどちらも助ける派の安室さん。どうぞ」


「はい。では順番に聞いていきます。まずは江口さん」


「どうぞ」


 論破王が見ている景色って僕の想像だとこんなだと思う。


「あなたは『理由を知りたい』ってことをおっしゃってましたよね」


「ええ」


「理由って必要ですか?」


「はい?」


「安室さん、説明どうぞ」


「この問題は『五人を助けるべきか?一人を助けるべきか?』って問題ですよね?」


「そうですよ」


「そしてあなたの答えが『一人を助けるべき』ですよね?」


「はい」


「問題が『AとBのどちらを助けるべきか?』で答えが『A』、そして理由が『理由が分からないから』。それだと単なる思考の放棄じゃないですか?」


「思考を入れるべきではないと言いたいんです」


 論破王の見ている景色。それは物事の考え方だと思う。そして仮説。論破王は問題に対して頭の中で『簡単な入口と出口、その経路を考えている』と思う。迷路って、パッと見、複雑そうであり、入り口と出口が繋がっているように見える。でもここに落とし穴があって。問題には入り口と出口が繋がっていないもの、つまりは答えがないもの、もあると思う。一見繋がってそうな道が繋がっていないから。だから答えが見えない、出せないんだと。論破王はそういうのを瞬時に見抜く。言い換えれば、船に空いた穴を見つけるのに似ている。どこかに穴が空いている船は必ず沈む。しっかりとした正しい考えは穴がないから沈まない。穴が空いている意見も同じであり。すぐに浸水は始まる。議論とは入り口と出口をスムーズに示すものだ。そして効率よく「ここをこう進めば一番スムーズですよね」と示せば多くの同意を得られるものだ。そこで「いや、それよりこっちの方がスムーズだ」と出口に通じていない道を示す人を説き伏せるのが論破であり。


「今、思考を入れるべきではない、とおっしゃいましたよね」


「言いましたよ」


「じゃあ、さっきの言葉です。『途中経過を知らずに裁判の判決を下せと言われてもそれは出来ません』とおっしゃってましたよね」


「はい。それが?」


「じゃあ途中経過を知っていれば判決は出せるってことですよね?判断に時間の概念はないとされています。どうですか?」


「それが分かればね。話は違ってくるかもね」


「でもそれが分かれば話が違ってくるなら、それこそ思考じゃないですか?一方では『思考を入れるべきじゃない』と。そして『もっと思考の材料を寄こせ』。これって思い切り矛盾してません?」


「は?」


「おっしゃる通りだと思います。江口さんの主張だと一方では、普通に考えれば五人を助ける、でもそこで選択権のある人間が思考すべきじゃない、との主張でした。でも、理由の存在を丁寧に説明されてました。その理由の部分がクリアになれば思考の入る余地がある、と。結果的に条件付きで五人を助けるべきに変わる、と捉えられてもおかしくはないです。これに対して江口さんの反論ありましたらどうぞ」


 入口があり、出口が決まっている。そして今はその道順で三つの提案がある。他の二つを却下させるには。『その道順にはこういう落とし穴がありますよね』と問題提訴すること。そうすれば「だったらそっちの道順はおかしいよね」となる。正しい、間違っているは関係ない。他の二つの道を間違っている、この道が正解なのだと押し通せばいいのだ。


「ちょっと待ってください。私が言いたいのは、思考がですね、えっと…」


「次に瀬島さん」


「はい」


「じゃあ先に安室さんの考えをお願いします」


「あなたは『心理的負担』が理由とおっしゃいましたよね。心理的な負担が減るんで、と」


「はい、言いましたよ。正確には関わりたくないですけどね」


 入口は五人を助けるべきか?一人を助けるべきか?瀬島さんが選んだ出口は一人を助けるべき。その道を選んだ理由、関わりたくないから。だったらこうでしょ。


「瀬島さん、どっちみち人殺しには加担するんですよ」


「はい?」


「だってそうでしょ。Aは五人の殺人集団と仮定して考えるなら、Bは犯罪者じゃないんですか?」


「え?」


「結局、Aは五人の殺人集団であり、じゃあBは罪を犯してない普通の人なんですか?」


「そうは言わないけど…」


「言わなくても瀬島さんの考え方だと『犯罪者の悪行に関わりたくない』ですよね?だったらBが罪を犯していないことを示さないとダメじゃないですか?それを示さないと『五人と一人で選ぶよりも善悪で選んだ』ってことになりますよ。それって問題の本質からだいぶズレてませんか?」


「おっしゃる通り。この問題は『五人か一人、どちらを選ぶか』です。瀬島さんの考えだと『数ではなく善悪での判断』になりますよ。瀬島さん、反論どうぞ」


「うーん…、だからね、Aでも…Bでもどっちでもいい。その代わりレバーにも触れません。その結果がAになるってことで」


「じゃあタクシーのくだりいります?」


「分かりやすくするためにね」


「余計混乱させてませんか?」


「はい。ありがとうございます。ありがとうございました」


 ここは休んだらダメだ。


「次に細田さんと乃木さんの考えについてです」


「安室さん、どうぞ」


「ちょっと待ってください」


「はい。乃木さん」


「私はまだ自分の意見は言ってません。さっきは同じ意見の細田さんに出した助け船です」


「じゃあそれでいいです。細田さんいいですか」


「ど、どうぞ」


 細田さんの出口は一人を助ける。その理由は『命は等しく平等』(等しく平等って重言じゃね?)。だから命の「数」で判断。


「じゃあ一人は殺していいんですね?」


「そうは言ってません!」


「言ってますよ。問題は『五人か一人か、どちらかを選ぶ』です。五人を選ぶイコール一人を選ぶってことですよ」


「?」


「安室さんがおっしゃってることは、この問題の二択は『どちらを救うか』でもあり裏を返せば『どちらを見殺しにするか』という問題でもあるということです」


「そういうことです。どちらも助けたい。じゃあ命の数が多い五人を助けよう。命の数が五つと一つじゃ小学生でも分かるよね。うん。五つの方が助かる命が多い。正解。その代わり、一人の方の人ごめんね。なるべく考えないように、忘れるように、見なかったことにしまーす、ってことですよね?」


「そうは言ってません」


「じゃあ命の数で決めるんなら両方救うが一番多いじゃないですか。五つ足す一つは六つですよね?小学生でも分かりませんか?」


 僕は思わず流れで「あなた馬鹿なんですか?」と言いそうになった。でもそこまでは流石に言えない。


「これに対して細田さん、お願いします」


「あ、あのねぇ、問題は二択なんですぅ。五人を救うか、一人を救うかの選択なんですよね?」


「だから二択はいいですよ。ただあなたのおっしゃる『数の理屈』だと通りませんよね。だって両方救う方が確実に多いですよね」


「はあ?だーかーらー、条件を満たす形だと一番数多く救うのが五人でしょ?」


 止まらない。


「馬鹿なんですか?」


「私が馬鹿かどうかなんて今は関係ありません。ちなみに高校時代は偏差値六十三ありましたぁ」


「じゃあ学校の勉強はできる馬鹿なんですね。あなたが数を理由にしてるから、じゃあ数で言うなら両方じゃないですか?って言ってるんです。それに対して高校時代の偏差値が六十三だったとか持ち出して『うん。じゃあ優秀ですね。だから言ってることは正しい!』ってことにはなりませんよね。今考えてる問題は答えが出てるもんではないんですよ。だから今こうやって議論してるんですよね。高校時代の偏差値を今ここで言うって恥ずかしくないですか?」


「だからそれはあなたが馬鹿馬鹿言うからであってぇ!初対面の何も知らない相手にいきなり使う言葉じゃないですよね」


「じゃあそれを証明してくださいってことですよ。数で判断するならあなたの考えは無理がありますよってことです。それを覆してください」


「ありがとうございました。いったん話を戻しましょう」


「あ、私いいですか?」


「はい。徳永さん。一人を救う派の徳永さん、どうぞ」


「安室さんは大切な誰かを失った経験はおありでしょうか?」


 ホントに出たよ。『お気持ち論』。徳永さんの出口は、一人を救うで、理由が『悲しみの数』、だよね。


「ないです」


「じゃあそういう映画やドラマ、漫画でもいいです。そういうのを観たことはありますか?」


「あると思います。覚えてませんけど」


「じゃあそれらを観て涙を流したことはありますか?」


「あると思います。覚えてませんけど」


「涙ってものは人間にだけ与えられたものなんですよ」


「え?」


「悲しいから泣く。でも誰だって泣きたくないでしょ。それは分かりますよね」


「まあ、それは…」


「これは人間の性善説に訴えた問題だと思う。死を前にしたとき、善人とか悪人とかで本能は動きません。とっさに動くのが善に寄り添う考えなんだと思います」


 この人は正しい。そして、そういう生き方をしてきたんだろう。でも、そのままでは前に進まないのが今の日本なんです。今の日本は残念な多数が増えすぎたと思う。救えないものにまで口を出すのは偽善だ。だったら善人だとか悪人だとか関係ない。考えを主張するってことは責任を取るってことに近いと思う。その責任とは結果の正しさだと思う。そして多数決を覆す力を持つのが正しい議論だ。徳永さん、あなたの優しさは正しい、でも、人間は馬鹿になったんだよ。決まりをいちいち作らなければいけないほどに。呼吸ひとつするのにも決まりがあるんだよ、今は。僕は徳永さんの言葉を聞きながらノートパソコンのキーボードを叩く。この世界に『繋がった』小さい機械は今の世の中で『割と正しい知識と情報を瞬時に与えてくれる』。それを最初から放棄しているあなたでは無理なんです。


「すいません、徳永さん、人間以外に涙を流す動物はいないって嘘ですよね。数年前に中国の動物園で生まれた赤ちゃん像が、母親像と隔離されたあと五時間泣き続けるってニュースが話題になったの知ってますか?」


「なっ?」


「水分を目から出すという意味では、目の健康を保つために人間も動物も涙を流します。ゴミが入った時なんか、角膜を潤わせ、とにかく清潔にするのです。そして洗い流します。その赤ちゃん像は人間のものに似たものを流していたわけなので、泣くかと言われればイエスだと証明されてます。確かに、感情的に泣いていたかどうかは定かでありません。ただ、ダーウィンも著書に書いてます。ダーウィンだけではありません。多くの動物行動主義心理学者は、繋がりの欠如やストレスが原因であり、感情的反応ではないかと考えてます。動物が感情的に泣くということを科学者がハッキリさせていないので、悲しそうな動物は感情的に悲しんでいるということが言いにくいです。けれど、それをやっているのが神経科学者です。猿、犬、ネズミなどの脳をスキャンすることによって、人間が感情を感じた時の脳に動物の脳が似ているかを調べています。今のところ、人間が恐怖、怒り、喜びを感じた時の脳波に動物の脳波が似ていることが分かっています。二千十三年には、日本の研究で感情的なイメージを見て、チンパンジーが人間と同じ脳のパターンを見せたという報告もありました」


「君は何を言って…」


「徳永さんが嘘をついてることを証明してるんです。嘘をつく徳永さんの言うことは信用できませんよね。だって平気で嘘を言うんですから」


「私は嘘なんか言っておらんよ!」


「でも涙は人間にだけ与えられたものって言ったじゃないですか。でもそれってすぐに嘘だって僕が説明しましたよ。それとも徳永さんはその学者たちを納得させるだけの学説をお持ちなんですか?」


「そ、そういうのを揚げ足取りというんだよ!」


 ほら怒る。自分の主張が通らないと怒って誤魔化す。分かる。徳永さんを怒らせたのは僕だってことは。そりゃあ怒る。でもそこで怒らない方が『大人』なんです。怒った時点でそれは『お気持ち論』になるんです。


「『若者はすぐ屁理屈で揚げ足を取る』説ですか?説はいいんです。結果、正解を検証しますから。『ドラゴンボール』の孫悟空はピッコロ、トランクス、悟天よりもサタン、デンデ、犬をとっさに選んだ。ここで議論していることは理想です。いざ本番で理想通りに動けるかと言ったらそうじゃないんです。じゃあどうすれば動けるか?その答えをここで出すんです。『トロッコ問題』が解決してたら孫悟空は全員助けようと動いた。結果として強力な戦士三人の命よりも、人類規模なら複数生命の蘇生も可能とするドラゴンボールを作れるデンデを選んだってことです。遠回りしながら全員助けてるんです。だから僕は『全員を救う』なんです。今の時代に必要なのはジャイアンじゃなくてスネ夫なんですよ。分かりますよね」


 僕たちは剥き出しになって意見をぶつけ合った。


「全員を助けるってじゃあどうやって助けるんですか?思いつくところなら分岐器?もうすでに出てますよね」


「知ってる。レバーをトロッコの前輪と後輪の通過点で瞬時に切り替えるってやつでしょ。あれってトロッコが脱線するから両方助かるって結果だよね。そんなの動画だから一発で成功してるって分からないの。あんなの実際に成功するまで何十回、何百回と撮り直してるに決まってるでしょ。そんな一発勝負で成功するわけないでしょ」


「はい。そうでしょうね。でも僕が言ってる全員助けるってことはそういうことじゃありませんから」


「じゃあそれを言語化してもらえる?人の意見に難癖だけつけるの誰でもできますよね」


「それとも君らが好きそうなあれじゃないの。トラックに轢かれて異世界転生ならぬ、トロッコに轢かれて異世界転生でチートスキルでスローライフでざまあでハーレムで成り上がりが待ってるって考え?悪いけどアレってラノベの世界だけの話だから。いい大人はあんなの読まないからね」


「そうそう。スネ夫はジャイアンの後ろにいるから才能が生きるんじゃないの。スネ夫単体じゃなく、ジャイアンというケツ持ちがいるスネ夫。さしずめ君はのび太じゃない。理想だけは無駄に高い、ドラえもんがいないとただの引きこもりニートだよ」


 真面目に議論をすればこうなる。論破王がどれだけ相手を言いくるめても負けを認めない人は多い。そして議論では負けを認めなければ負けることはない。ディベートならそれを審査する人がいるから勝敗はつくけど、この場の審査員は小平石さん一人だけ。他にも負けになるルールはある。でもそれはなかなかに難しい。相手を怒らせてもそれだけじゃあ勝てない。


「僕が言いたいのはこの問題の本質です」


「本質?」


「だからそれが五人を救うか、一人を救うかでしょ。これ究極の選択って」


「そこじゃありません。この大会の目的、運営の考えです」


「は?」


「トロッコ問題に運営関係あるの?」


「そういう問題じゃないでしょ。安室君の言いたいことは」


「運営はツワモノを探しているってことです。ありきたりな答えじゃあツワモノにはなれないし選ばれませんよってことです。五人を救うにしても、一人を救うにしても、全員を救うにしてもです、これだけ長い間、議論され、考えつくされた問題に対して未だにありきたりな答えしか出てないんです。出せてないんですよ」


「だから全員を救うって?」


「少なくともそれを通せればかつてない斬新なものになると思いませんか?」


「面白いと思うけどね。でも僕らは今更意見を変えられないしね。このルールだと考えを変えればそこで敗退なんだよね」


「はいそうです。だから五人を救うにしても、一人を救うにしても、『かつてないほどの斬新な発想』が欲しいんです。命の数だとか本能だとか、そういうのはすでに語りつくされてますから」


「言いたいことは分かるけどねえ」


「願望なのは百も承知です。ただ十億を獲りにいくには、です。ここでありきたりな意見を通すようでは十億も獲れませんし、戦争も勝てません。止められません。五人の命どころかもっと多くの人の命を失うでしょう。今、僕たちが議論しているのは単なるギャラリーのいないビルの一室ではない。国会です。大事な国のことを議論するあの場です。居眠りも出来ません。負けたら終わりなんですから。そして少なくとも認めない限り、自分の意見は死にません。自分の考えを通せる可能性はあるんです。だったら死ぬ気でやりましょう。ツワモノになるってことはそういうことじゃないですか」


「分かってるよ。少年」


「ちょっと飲み物補給タイム。議論はここからよ」


 何も言わないけれど小平石さんが僕の方に意味ありげな笑みを送ってきた。多分、僕の言ったことは運営の考える理想なのだろう。僕らが集められて議論をする意味はそこなんだろう、と。そう思っていた。仕切り直しとなったこの場は斬新な意見でぶつかり合えると思っていた。でも、そんな空気を一人の参加者があっという間に覆す。


「ふざけんじゃねえ!」


 そう言いながら高そうなノートパソコンを壁に投げつける。ガシャン!って音をたてながらノートパソコンの破片が飛ぶ。その方向を一斉に見る僕たち。一人を救う派の山田さんだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る