第3話トロッコ問題における第三の選択肢

(三十分後)


「はい。時間になりました。皆さん、最初の席にお戻りください」


 小平石さんはそう言うけど、僕たちはほとんど口も利かずに三十分という時間を過ごした。意見の交換とかをするわけでもなく。まあ、今日、今、この場で出会った人ばかりだし。こういう展開になるとなんか自分の手の内を見せたくなくなるって心理になるし。ただ、あの口の悪い内山さんだけは変わらずよく喋っていた。


「あら、もう三十分経った?これでお給料貰えるんだから、もっと休憩しててもいいんだけどね、うふ」


「それではまずはそれぞれの意見に分かれていただきます。『五人』を犠牲にすればいい、義務論的判断をされる方は挙手をお願いします」


 ここで新田さん、瀬島さん、江口さん、山田さんが手を挙げる。全員男だ。僕は…、まだ迷っていた。


「なるほどなるほど。この四名は『五人』を犠牲にすべきとのお考えですね。では、まあ、念のためにこちらも聞いておきましょう。『一人』を犠牲にすべきとお考えの方、功利主義的判断をされる方は挙手をお願いします」


 ここで残った人たちが手を挙げる。世良さん、小野田君、細田さん、内山さん、冴羽さん、乃木さん、徳永さん。僕は…、まだ迷っていた。


「あれ。数が合いませんね」


「そこの現役高校生の彼だね」


「どうしたの?早くも議論放棄?まあいいけど」


 違う…。僕の考えは…。


「安室さん?これは二者択一の問題ですよ。それともなにかウルトラCでもおありですか?」


 小平石さんが僕の顔を覗き込むような角度で視線を送ってくる。


「僕の…、考えは、第三の選択です…」


「第三の選択ですか?」


「おいおい。最初から二者択一の問題だと言ってるだろ。そこのおばちゃんと同じで『危ない!』って叫ぶってかい?」


 江口さんがさっきからやたらと絡んでくる。勝負はもう始まっているのか?


「江口さん。少しいいですか。安室さん。最初にわたくしから申し上げましたが、途中で意見を変えることは即敗退を意味しますよ。ここで安易に『どちらも助ける』って選択をすることはあまり意味がないように思えますが」


「はい。どっちかを選ばないといけないってのは分かっています。でも…」


「でもじゃないんだよ」


「江口さん。ここは安室さんの話を聞きましょう。安室さん、どうぞ」


「はい。何かが違う気がしまして…」


「違う気がしたと。この問題の論点はそこじゃあありません。道徳的に見て『許される』、『許されない』、そのどちらかを選択する問題です。トロッコを無理やり止めるって考えは最初から排除されています。『置き石その他の障害物で脱線や停止はできないものとする』と決まっているのですよ」


「エレベーターです…」


「エレベーター?すいません。どうぞ」


「百五十キロの重さに耐えるエレベーターに誰も乗せないって選択肢もあると思います…」


「どうぞ」


「『ノアの箱舟』だって空いているから乗れるってわけでもないと思います」


「それはつまり『六人』を犠牲にするという考えでしょうか?」


「逆です」


「逆?それは『誰も犠牲にしない』という考えでしょうか?」


「はい」


「だーかーらぁー」


「細田さん。少しいいですか?安室さん。ウィキペディアの『類似したジレンマ』にはこうあります。『あなたはボートで五人の溺れた人を助けに向かっている。しかし、途中で溺れている一人の人を発見した。その人を助けていれば五人はその間に溺れ死んでしまう。その人を助けて五人を諦めるべきか?』。他にも『病院に五人の患者がいて、それぞれが異なる臓器の移植を必要としている。そこに臓器はいずれも健康な患者が現れた。彼を殺して臓器を移植すれば五人を助けることができる。彼を殺して内臓を取りだすべきか?(臓器くじ)』。そもそも安室さんのいう『誰も犠牲にしない』という考えは選択肢にはないのです」


「はい」


「ちょっといいかしら」


「はい。内山さん」


「私の意見を変えてもいいかしら?」


「はい?」


「だから、私もそこの安室君?と同じで『誰も殺さない』に変えるのはいいの?」


「現時点で自分の意見を変えるのはオッケーです。ただ、今は安室さんの考え、『誰も犠牲にしない』という意見はそもそも選択できないんです」


「あんたねえ。その『トロッコ問題』?合ってる?『トロッコ問題』の答えは出てんの?」


「いえ、出ていません。いろいろな考え方はありますが明確な答えは出ておりません」


「じゃあこの議論で正解が出るかもしれないじゃないの。その正解が『誰も殺さない』じゃないって誰が言えるのよ?」


「分かりました。ただし、議論が始まって論点があまりにもズレるようでしたらわたくしの一存で敗退とさせていただきますがよろしいでしょうか?」


「ええいいわよ。ねえー」


 内山さんが僕に笑顔を送ってくる。馬鹿にしてたけど、こういう人を味方に付けると心強い。そして。


「すいません。じゃあ僕も意見を変えます。『誰も犠牲にしない』にです」


 小学六年生の小野田君が内山さんに続く。今はハッキリと言語化できないけれど。ぼんやりと光は見えている。


「他にも考えを変える方はいらっしゃいますか?今なら変更は可能です」


 そこから自分の考えを変える人はいなかった。小平石さんが続ける。


「いいでしょう。でも申し上げましたように『お気持ち論』だけでの勝利はありません。いいですか?」


「いいからさっさと始めなさいよ。席替えした方がいい?」


「その必要はございません。それでは最後に細かいですが決めごとをいくつか。皆さんの移動などは自由です。議論は長くなると思われます。途中でトイレ休憩などは設けませんので。水分補給もそちらの自動販売機をご利用ください。同じ意見の方との相談などもそれぞれの判断でお願いします。また皆さんにはノートパソコンを一台ずつ用意しております。机の下のところを探ってみててください」


「あ、ホントだ」


 皆がそれぞれ自分の前でノートパソコンを開く。


「なあに?パソコン?ダメダメ。私はスマホも持ってないから。ピコピコは無理!」


 内山さんだけがノートパソコンを拒否。おじいちゃんの徳永さんですら開いて電源ボタンを押している。


「議論にはある程度専門的知識が必要になってきます。でもそんなものはネットである程度拾えます。ネットの知識はその真偽を見抜くだけの最低限の知識がある程度必要になりますが。必要なデータなどはそれぞれで調べてください」


「へー。速度早え。無線なのに上りで五百超えてる」


「ゲーミング用?CPUがAMD Ryzen 7 6800Uって。起動も速いね」


 江口さん、瀬島さんが周りに聞こえるように『IT強いですよ』アピールの声。そのノートパソコンに触る手捌きがそういうのをさらに物語っている。


「それではマイクは用意しておりません。皆さん、自分の意見はハッキリと大きな声でお願いしますね。では始めましょう。議論スタートです」


 始まった。来るぞ。その予想通り、瀬島さん、江口さんのITコンビの攻撃ならぬ口撃が始まる。


「あ、私からいいですか?」


「江口さん。どうぞ」


 この人はなんか、社交的というか、常に笑顔。でも本心は笑っていないと思う。作り笑い。多分、普段からそういうのが自然と身に付いたんだと思う。


「では私の意見から。反論などは話が終わってからお願いします。この問題は『そんな短い時間で判断なんかできるのか?』『行動できるのか?』が私には疑問です。この状況は『あ、このままだと人が死ぬ。でも自分が分岐器を動かせる位置にいる』です。確かに五人の命と一人の命だと『単純な数』の上では『一人助けるよりも五人が助かる方が普通に考えたらいいよね』ってなると思います。ただし、あくまでも僕の経験上ですが、そんな判断を現場レベルでとっさに判断することは不可能だと思います。不可能です。そういうことです」


 僕は語尾に「〇〇だよ『ね』」と『ね』をつける人は頭が悪いと思っている。この話し方はあの論破王の専売特許だと思うから。別の人がその話し方をしているのを見るとたんなる猿真似にしか見えない。そして反論。腕組でタバコを吸っている冴羽さん。


「で?それがあんたの主張なの?以上?」


「江口さん、よろしいでしょうか?」


「あ、どうぞ」


「では冴羽さん。どうぞ」


 小平石さんの司会進行。今はまず他の人の意見、考え方を理解することが先。


「江口さんね。あんた今いくつ?四十過ぎかな?」


「四十二です」


「四十二といやあいい年だよ。この問題は倫理上の問題。パッと見てその状況でどっちを選ぶかなの。いざ人の命を前にするとビビッて行動できないってことよね」


「そうです」


「それはおこちゃまなあんただけの考え方だよ。人間、いざって局面を前にすると本能で動くもんよ。目の前で飛び降り自殺をしている人を見て。手を差し出すか、差し出さないか。それを答えるだけ。それであんたは手を差し出さない、それでいいんじゃないの?」


 江口さんを見ながら、腕組した姿勢でまったく体を動かさずに淡々と喋る冴羽さん。意見を言い終えてから灰皿に視線を一瞬だけ落とし、タバコの灰をトントンする。


「江口さん。わたくしもこの問題は『時間』の概念は切り離して考えた方がいいと思います。躊躇してすぐに決断は出せないって意見は問題の後回しでしかありません。自分は行動すべきではないとの主張でしたらその根拠をお願いします」


「ちょっと伝わりにくかったですね。すいません。私の言い方が悪かったです。極端な言い方をしますね。『人は他人をそこまで簡単に知ることできるのか?』が私の考え方の根っこです」


「…」


 冴羽さんが無言。話の続きを促している。


「江口さん。続きをどうぞ」


「はい。問題にあります命の数だけを考えれば一人よりも五人です。それは間違いないです。では私の考え方を順に説明します。人によっては『命よりも大事なもの』、『命の次に大事なもの』があると思います。もっと分かりやすく言い換えれば『価値のあるもの』ですね。例えば。そうですねえ。うーん。机の上に高額な壺と百均で購入した安いコップがあったとし。地震が発生すればどっちを大事にするか?分かりますよね」


「高額な壺ですね」


「そうです。それが正常な人間の考え方だと思います。給料日の帰り道で強盗に遭遇したでもいいです。鞄の中には五十万円が入った給料袋です。ポケットの財布の中には十万円が入っています。強盗は金目のものを差し出せばそのままどっかに行ってくれそうです。強盗に差し出すのは十万円の入った財布の方ですよね。被害を最小限に留めるにはそれが正常な人間の判断です。財布の中にクレジットカードやキャッシュカードが入ってたら?とかは関係ありませんよ」


「…」


 冴羽さんだけではなく、皆が黙って江口さんの話を聞いている。江口さんは続ける。


「四十二・一九五キロを走り終えたランナーに差し出すガラスの容器に入った一リットルの水と二百ミリリットルの水でもいいです。そういう知恵が人間にはあるんです」


 ここで内山さんが空気を読まずにいう。


「だからあんたは何が言いたいわけ?」


「内山さん。質問は後でお聞きします。江口さん。続けてください」


「この問題の五人と一人。どちらかを選ぶ立場に我々はいるわけです。私にはその五人と一人のバックボーンを知りません。それは私だけではないと思います。だって我々はたまたまその分岐器の前にいて。たまたま走っているトロッコの先に五人と一人がいることを知り。その状況でその生命の判断をしろと言われても、それは途中経過を知らされずに判決の時に裁判官の役割をしろと言っているのと同じように聞こえます。その状況で判決を下せと言われても私なら『それはできませんよね』ってなるのが普通だと思いますが」


「なるほど。つまりは江口さんがおっしゃる『人は他人をそこまで簡単に知ることができるのか?』とはその命の判別をする対象のバックボーンを知らないのならば敢えて自分は関わるべきではない、そうおっしゃりたいわけですね?」


「そうですね」


「ではそれに対して、あ、じゃあまず冴羽さんからどうぞ」


 冴羽さんが新しいタバコに火を点けてからそれを指に挟んで話始める。


「人を助けるのに理屈が必要かな?さっきと一緒で私が言いたのは『手を差し出すか』、『手を差し出さないか』の二択。救急車で緊急外来に運び込まれた患者に医者やナースが『あなたに前科はありますか?』とは聞かないよね。治療に必要なことだけを聞くのが常識。違う?」


「冴羽さん。この場面は病院ではありません。特殊な状況を作り出しても話は進みません。私が言いたいことを極端に言えば『五人は凶悪な囚人かもしれない』。対して『一人は優秀な医者の卵であり、生かせば将来たくさんの命を救う「かも」しれない』です。想像してみてください。時計があります。時計はたくさんの細かい部品が集まり、それがしっかりと噛み合っているから正しい時刻を示すのです。一つひとつの部品に『理由』があるんです。小さい小さいネジ一つにも『理由』があるんです。じゃあ海に行ったとして。目の前の海には波がありますよね。あの波にも『理由』があるんです。月の引力があるから波が起こるんです。顔に風が当たります。その風にも『理由』があるんです。人間の行動も同じだと思っています。満員電車で足を踏まれたから怒る。足を踏んだ方はそれに気付かない。だから他人の怒りに気付けない。『理由』もなく怒る人はそうそういません。話を戻します。その『五人』と『一人』にも必ず『理由』があると思います。トロッコが走り出したことにも『理由』があります。その先に『五人』と『一人』がいることも『理由』があります。その『理由』を我々が知る術はないんです。単純に数だけで『五人』を助けることが正解と言って動くことは安易すぎると思いませんか?」


「どうですか?冴羽さん」


「他人を知ることができないなら想像すればいいだけの話じゃない。『一人』の方をあんたの親御さんに置き換えればすぐに想像できるんじゃ?」


「問題には『五人』も『一人』も赤の他人であるのと前提がありますよ」


「誰が決めたの?そんなこと一言でも誰がいったの?ウィキペディアのどこに書いてあるの?」


「そういう前提ですよね。小平石さん」


「そうですね。助けるべき対象が身内や知り合いにすれば話はかなり複雑になってきます。なので前提としては『まったくの他人』である、になります。それでは内村さん、どうぞ」


「あんたねえ。『五人』と『一人』なら助かったらどっちが稼ぐと思ってるの?」


「え?」


 僕も思わず「え?」と心の中で呟く。


「だーかーらー、生きてれば税金払ってくれるんでしょ!給料取りなんだからー!だったら『五人』を助けた方が税収は増えるでしょ!」


「あのお…。収入は…、『一人』が超高給取りだったら『五人』よりも多くの税金を納めますよ…」


「何?そんな高給取りがトロッコの現場でなんでいるのよ!」


「あ、内山さん。ここで収入を論じるのはまさに論点がズレてきます。それは考えないようにしてください。では同じく『五人』を犠牲にする派の瀬島さんのお考えを聞かせてください」


「はい。えっとですね。僕も例え話からになります。単純に僕がタクシーの運転手だと思ってください。町をタクシーで走っています。すると五人のお客さんを拾ったとします。行き先を伝えられ、その目的地点へとタクシーを走らせますよね。五人のお客さんは礼儀正しく、僕が分からない道も親切に分かりやすく教えてくれました。横柄な態度をとるようなことも一切なく。そして目的地に到着したら支払いもスムーズでした。僕は気持ちよく仕事を遂行したことになります。そして翌日の朝刊でその五人が目的地、そうです、僕がその五人を運んだ場所で一人の男を殺害したことを知りました。これって僕は人殺しに加担したと言えるでしょうか?」


「瀬島さん。続けてください」


「条件はその都度付けると思います。でもそれを言い出したら論点はズレます。目的地に向かう途中で異変に気付かなかったのか?タクシーは他にもあるから僕が乗車拒否すればよかったのでは?」


「あ」


「ん?世良さん。何かありますか?」


「あ、いえ。まったく同じことを考えてましたので」


 主婦っぽい世良さんが笑顔でごまかす。


「それはタクシーの運転手を想定する話をですか?」


「あ、いえ。乗車拒否とかとんでもない場所に連れていけばとか、ですね」


「結果論や道徳的論などになりますが。僕が乗車拒否すれば別のタクシーの存在は置いといても少なくとも僕が五人の殺害に強力することは避けられます。結果として一人が殺される未来は変わらなくても僕は関わっていないですよね。だから僕が目的地に向かう途中で異変に気付いても気付かなくても結果は同じだと思うんです。日本の死刑制度とかで聞いたことがありますが、あの死刑執行のボタンって誰が押したか分からない仕組みですよね?」


「そうですね。五人?だったと思いますが。ボタンを押すのは複数人ですが、実際に死刑執行のボタンは一つだけ。つまり他の執行官が押しているボタンはダミーです。それをすることで罪の意識を和らげる効果があると聞いたことがあります。心理的に相当な効果があると思います。瀬島さん、続けてください」


「つまり、僕は結果を知っていても、それに関わらなかったと思うだけで心理的に負担が減るんです。それと同じですね」


「なるほどですね。それでは別の意見も聞いてみましょう。一人を犠牲にする派の細田さん、どうぞ」


「え?私ですかぁ?そうですね…、えっとぉ、やっぱり命って平等だと思うんです。人数ではなく命の数で数えたらそうなりましたぁ。五人とか一人ではなく命が五つと一つで天秤にかけたらそうなるのかなぁと」


「命が平等なら五つも一つも等しく価値がありますよね。いくら数の理論だろうと、それに優劣をつける時点で平等ではなくないですか?」


 細田さんに江口さんが噛みつく。


「細田さん。それに対して反論どうぞ」


「え?」


 そこに見た目が若くてかわいい乃木さんが助け舟を出す。


「それは考え方の違いかと。彼女が言っているのは、『命は等しく平等』であるってことです。助けることが可能、つまりは罰を与えるって視点ではなく、助けるって視点で考えたらそうなるってことだと思います。類似問題にもあったと思います。ボートで五人を助けるか、一人を助けるかって。命が平等なのは考え方であり、救える命は人間として救いたい、それならば数が多い方がいい、そういうことだと思います」


「そうです!」


「これに対して同じく五人を助けるとした徳永さんはどうですか?」


「あ、ええ。私ですか。うーん、とですね、人生の数ですね。残された家族や大事な人を考えれば五人を助けた方が悲しむ人が少なくなると思いましたので。それで一人の方のご遺族の悲しみがなくなるわけではないのですが…。なかなか難しい問題ではあると思います。それでも二者択一の問題であるならば悲しみは少ない方がと思います」


「いいですか」


「はい。同じく五人を助けるの世良さん、どうぞ」


「私も基本的な考え方は徳永さんと同じです。この問題って頭の中でイメージすることでより答えが変わってくると思います。あの、最初のレバーですかね?レバーで線路を切り替えての選択なら瞬間的に体が動いて五人を助けるとなると思うんです。でも例題ですかね?二番目の橋から突き落とすって問題ですか?あれをイメージするとまた変わってきちゃうんですよね。橋から人を突き落とすってことはそれはもう殺意ですよね?それって例えるなら『これから無差別に人を殺しまくるテロ行為を行おうとしている殺人鬼を事前に止められポジションにいたら?』ってことと同じかなあと。自分が手を汚さなければ確実に多くの人が犠牲になると分かっていながら見過ごすことは罪なのかなあ、と」


「ちょっといいですか?」


「はい。五人を犠牲にする派の新田さん、どうぞ」


「まずは徳永さんの意見に反論です。悲しむ人が少ない方がいいって考え方は絶対的ではなく相対的な考えだと思います。なのでその考え方は論理としては弱いんじゃあないかと思いますが」


「ん?絶対的と相対的とは?新田さん、続きをお願いします」


「つまりですね、遺族、残された家族ですね、五人だろうと一人だろうと親、子供、あとは妻、友達?まあそういうのは省きますが。大事な人を失ったという事実が五つになるか一つになるかですよね?別に残された人を五つの悲しみが襲うわけではないじゃないですか。遺族が受け止める悲しみはそれぞれ一つですよね?命が有限なら、まあ有限ですよね?だったら言葉は悪くなりますが遅かれ早かれの問題であって、そりゃあその人が生きていれば人類にとって確実に特になるような人であればそれを議論の一つとして加えることはいいと思いますがそれは生きていれば、つまり将来の話でありますよね。後ろ向きな悲しみとかそういうことは意味がないと思いませんか?」


「新田さんは大切な家族を失った経験があるというんですか?」


「そうは言ってませんよ。あくまでも論理としてですよ」


「それは想像力が欠けているんじゃあないですか?人の生き死にはそんなに軽いもんじゃあない。それを後ろ向きとは何ですか」


 あ。徳永さんが感情的になっている。これが『お気持ち論』ってやつ?


「まあまあ、そういう意見もあるということです。新田さん、他にありますか?」


「そうですね。その後の世良さんの考え方はこの問題を分かりやすくしてると思いますね。この問題は五人と一人って設定ですが、極論、五人の方は増えていいんですよね?十人だろうと百人だろうと。一万、十万、百万、億。その方が分かりやすいんじゃないですか?一人を助けるか多数を助けるか、そういうことですよね?」


「おっしゃる通りです。わたくしもこの問題の本質はそこだと思います。功利主義的判断か義務論的判断の二者択一です。一対多数と考えた方が明確だと思われますね」


「では私の考え方いいですか?」


「新田さん、どうぞ」


「この状況、一対多数の状況で命の選別でしょ。まあ、その当事者である一人と多数は前提として命の危機には気付いてないってことですよね?気付いてたら逃げるでしょ。まあそれはこの問題の論点ではない。考え方としてね、みんなが『助けてくれ!』というでしょ。気付いてたら。当然でしょう。じゃあそこで『多数決の原則』で決めるのか?『少数派意見の尊重』は?そもそも国のバックボーンもあるでしょ。民主主義なのか?社会主義なのか?つまりは行動することは多数を助けるために一人を犠牲にするってことでしょ。行動するといろいろとめんどくさいことを考えないといけないと思うんですよ。だったら自然の成り行きに任すのが当然でしょ。問題にあったでしょ。ネット観ますね」


 気が付けば僕を含め、徳永さんと内山さん、あと冴羽さん以外はノートパソコンの画面をちらちら見ている。新田さんが続ける。


「『A氏およびトロッコの運転手の法的な責任の所存を棚に上げており』、つまり行動の責任は解決してないんです。だったら責任が発生する行動はとれないでしょ。責任のある立場なら尚更でしょ」


 あ、責任が問われるんだ…。今気付いた…。ここで冴羽さんが腕組のままいう。


「その前に小平石さんがハッキリと明言してたでしょ。新田さんがおっしゃったように、この問題は一対多数なんでしょ。想像してみれば明確じゃないの。一対残された全人類ならどう?ほら簡単でしょ?全人類ならダメで五人なら見殺しにしていい。じゃあ五十人ならダメ?一万人なら七十億の人口から考えれば見殺しにしていいとでも?そちらの皆さんの考えなら一人とそれ以外の全人類でも全人類を見殺しにする、関わるべきじゃないってことですよね。それでも残された全人類よりも一人を犠牲にするってのが間違いだとのお考えが変わらないようでしたら反論どうぞ」


「わたくしの発言が少し追い詰めた感はありますが、冴羽さんのこのお考えについて他の方、意見お願いします」

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