最下層 #04 - "血"

 空のない檻の太陽が南の壁から西へと移り、魔人の煉獄を紅の光で照らす... アズールは世界の左上の端にたどり着いたが、そこには上に昇るための何かはなかった。ただ世界の端には吹き溜まった薄灰色の砂と魔人たちの亡骸があるだけだった。かつて狭い世界の中で縄張りや領地を争った魔人は、みな白い骨となって自然に還ったのだ。吹き溜まりに積み上げられた魔人の骸... その数は20や30あまりだろうか。


 空のない檻にやってきたばかり頃... その日々はまさしく地獄だった。魔人同士が限られた食料と資源を奪い合い反目しあっていた。彼女は海に逃れ陸の魔人たちの剣や拳、炎の魔術を使った小さな戦争から免れていたのだった。

「皆... ここにいたのね」


 吹き溜まりの側には白いルリマツリの花が生えていた。怒りと絶望に満ちていた魔人たちも、今や穏やかな花... アズールはルリマツリに手を合わせて祈った。


 空のない檻の北の端を砂の吹き溜まった壁にそって進むと、今度は巨大化したアメーバの様なバケモノ - 廃液の魔獣と遭遇した。廃液の魔獣はプリンの形をしていたが、表面からは青光りする謎の物質がデロデロと流れ出ていた。その色は昨日の夜見たアドミニストレーターのホログラムを思い出させるものだった。

 戦争が始まる前、アズールは廃液の魔獣について海の仲間から聞かされたことがあった。工場などから垂れ流される汚物に魔術の放つ瘴気、そして目には見えないアメーバや菌類が合わさるとこういう汚れた魔物が生まれることもあるらしい。


 アメーバを仕留めようと、アズールは助走をつけバケモノの右半分を思いきり斬りつけた。だがブヨン、というまとわりつくような感触にはイマイチ手ごたえを感じなかった。アメーバはお返しに、水を凝縮して放つ魔術-アクアで彼女に対抗してきた。

 砲弾の様な青い塊が放たれる... アズールは水の塊を腕と触手で防ごうとしたが、数キロの鉛弾ほどの威力はあろうかという衝撃で後ろに吹っ飛ばされた。

「うぁっ」


 水の弾を受けた腕に骨にひびが入ったのような鈍い痛みが残った。私はこの空のない檻の最上階に行かなければならないのだ。こんなところで... アズールの闘争心に火が灯った。あの魔獣が使った技、それとおなじ魔術が使えれば―


「その技、次で見切るから」

 彼女はアメーバにナイフを突きつけながら宣言した。アズールは横跳びでアメーバに近づきながら、アクアを受け止める算段を立てた。彼女の狙い通り、アメーバはアクアをアズールに向け放った。彼女はその水の塊を右の2本の触手で回転しながら受けとめ、その勢いを相殺した。彼女はその塊に自分の魔力を加え、そのままアメーバに打ち返した。


「まだまだこんなもんじゃないよっ」

 アズールはアクアの使い方を直感で学びとった。水を大気中から集め、最大まで圧縮して放つ... その動作を数回繰り返し、アメーバに叩きつける。廃液の魔獣は完全に弱り切っている。その隙を逃さず、アズールはナイフをアメーバの頭頂に思いきり突き刺した。

 アメーバは外との境界を失い、砂に溶ける液体となって息絶えた...


 廃液の魔獣との死闘から1時間ほど... 彼女はついに空のない檻の北東の端にたどり着いた。そこには吹き黙った砂はなく、代わりにけばけばしいコーションラインで囲われた鉄の板があった。これが人間たちが昇降に使う設備だろうか。

 「使い方... やっぱり人間さんに教えてもらわないとね」


 彼女がそういうと、板の隣に生えたポストの様な物体から「昇降機作動中、ご注意ください」という生気の無い音声が流れた。それはあのアドミニストレーターから感情と魂を奪い去っかのような声音だった。彼女が上を見上げると、ロープも鎖もついていない四角い板が数百m上を舞っているのが確認できた...


 アズールは昇降機が下りてくるのを辛抱強く待った。昇降機には昨日の人間と同じ者たちだろうか、白い防護服の男と女が乗っていた。

「ちっ...」


 男は不機嫌になるのを隠さなかった。そんな人間に彼女はあえて勇気を振りしぼって言ったー

「人間さん、昨日はごめんなさい。その...私は上に行きたいだけなの」

「はあ??」


「魔人どもの層を超えた移動は禁止されている。大人しく海でも漂ってな」

「でも... 人間の女の人が言ってたよ。『上の世界を知りたいと思ったことはありませんか』って」

「失せろ」


 彼女は男の制止を無視して昇降機に近づいた。昇降機には周囲に1.5mほどの金網のフェンスと、その中央にスタンドにくっつけられたタブレットが備わっていた。アズールが昇降機のステップに踏み入れようとすると、人間の女が彼女の背中に拳銃を突きつけた。


「ぶっ殺されたいの??」

 やっぱり、この人たちは話を聞く気なんて... アズールは意を決して、人間との関わり方を変えることにした。彼女は女の腕を背中から生えた触手で縛り上げ、銃を腕の触手で払い地面に叩きつけた。彼女は続いて女の首と腰に触手を回し、人間の動きを完全に封じた。


「ぐっ!?うわあああぁぁぁ!!」

「大丈夫、傷つきはしないよ」

 

「うっ... クソ野郎が、そいつを放せぇ!!」

男が怒声を上げた。男は銃を構え、震える手でアズールに狙いをつけた。

 

「信じて、人間さん。私は上に行きたいだけなの。だからこの昇降機を―」

男は容赦なくトリガーを引いた。鉛玉はアズールの2本の触手と脇腹を貫通した。


「ひっ」

 彼女は反射的に腕と触手を思いきり上に振り上げた。それと同時に、アズールは女を縛り上げた触手に必要以上の力を込めてしまった。背中からボキボキボキ... というヒトの体がねじ曲がる音が聞こえた...


「人間さん、私―」

女の首は既にありえない方向に90度、直角にへし折れていた。


「野郎、ぶっ殺してやるあああぁぁぁ!!」

 男がケモノの様に吠えた。彼は残り8発の弾丸を打ち切るまで魔人の少女に向けてトリガーを引き続けた。弾丸はアズールの右ひじと右腿をかすめた。彼女は弾丸を目にをも止まらぬ動きで避けながら、女の落とした拳銃を手に取った。彼女がトリガーを引くと弾丸は男の緑色のバイザーに命中し、ガラスの破片と鮮血を飛び散らせた。


「あっ...」

 アズールは魔術や神経毒など使う間もなく、あっという間に人間たちを倒してしまった。


「人間さん、大丈夫ですか」

 答えは返ってこなかった。男は額に空いた穴と口から赤い血を垂れ流しながら、息絶えた。

アズールは初めて人間の血の色を知った。彼女の拳銃を持った手には、男の頭から飛んだドス黒い血がべっとりとこびりついていた...


「人間さん、私そんなつもりじゃ...」

 死んだ人間は生き返らない... 現実が彼女に重くのしかかる。

戦争を起こした悪い魔人は私じゃない。アズールは心のどこかで、人間と魔人の争いを他人事として捉えていた。だがもう現実からは逃れられない... 彼女は生きるため人間たちを手にかけ殺した。彼女はズキズキと痛む胸を押さえながら、地面に膝をついてうずくまった。


 「私...」

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