第11話 夜の妖魔

 てんやわんやな一日だったな、と振り返りながら、礼人は夜を迎える。

 個性豊かな文芸部員はおそらくあれで全員……のはずだ。これから増えるかもしれないが。

 全寮制の聖浄学園は広々とした部屋に二人が住まうことになる。

 礼人のルームメイトは岸和田きしわだ一弥かずやという平凡な容姿の人物だった。特徴があるとすれば、茶髪で華奢な体型であるくらいだろうか。

 人当たりはよさそうだった。礼人と顔を合わせたときも無愛想にしかならない礼人に悪い顔一つせず、よろしくね、と言ってのけた人物だ。

 聞くに岸和田は記号タイプらしい。ただ、実戦経験は少ない、と語っていた。珍しくもないことだ。礼人の家やまことの中学が異常なだけで、普通に暮らしている分には妖魔に遭遇しない。それで妖魔が闊歩していたのでは、寺社仏閣を守る縫合タイプが無能ということになる。日本に限ってそれはない。日本は妖魔に対抗する技能においては世界一なのだから。

 そんな平凡なルームメイトとの会話もそこそこに、礼人はベッドに入る。岸和田は既に眠っているようだ。ベッドに入る前になんとなく見たところ、アルマジロみたいに布団にくるまり、丸まって寝ている岸和田を目にした。……寝相は人それぞれだと、礼人は脳内で処理した。

 わかってはいたことだが、文芸部には優子がいる。共にいるのは今年一年だけのことになるが、一年を濃密に感じさせるほど礼人を振り回すにちがいない。咲人と共に十年は振り回されてきた身だ。それなりに対応策はあるし、体力もついた。……ここに水島姉弟の母、優加がいたなら、考えたくもないような一年になることは間違いなかったが、幸いなことに水島優加の職業は専業主婦。全寮制のこの学園に現れることはまずないだろう。……たぶん。

 優加の行動力と神出鬼没さを知っている礼人は断定できなかったが、九割九分の確率で来ないと信じるより他ない。

 咲人が暗い表情で「長期休みには家に帰ってもいいんだって。……例えばゴールデンウィークとか」という不吉な台詞を放っていたが、今は忘れておくことにしよう。

 しかし、今日は思えば貴重な体験ばかりをしたのではないだろうか。まず、礼人は基本一人で戦っていたため、他者と連携を取ることなんて滅多になかった。それに記号タイプの技能の一つである「ハック」もあまり使うことはなかったから、ハックを使って指示を出すというのも新鮮だった。それに「エキストラ×エキストラ」や「エキゾチックイメージ」などといった創作タイプの一風変わった階級技能を目にすることもできた。ヒーリングフェアリーの登場も驚いたが。

 それに万能タイプという存在。基本能力が高くて礼人は驚いた。まさか歌唱タイプの「浄歌」の強力なバージョンを披露するばかりか、歌唱タイプを習得した者は大抵習得できないとされる記号タイプの「記号解放」まで使いこなすとは思っていなかった。

「……確かに、父さん、あんたが言った通り世界は広いしタイプ技能は奥深、いっ……」

 途端に胸を締め付けるような痛みが礼人の中を駆け巡る。礼人は苦しくて仕方なかったが、何が起こったかはしっかり理解していた。そのため、勢いをつけて、ベッドから飛び起きた。幸い、岸和田を起こすことはなかった。

 寝間着の上から制服のジャケットを引っ掛け、靴を履いて外に出る。胸を締め付けるようなこの反応は妖魔が出た合図。痛みはひどいが妖魔討伐には一役買った。

 これには妖魔と惹き合う属性があるらしい。……妖魔に近づけば近づくほど、痛みは増し、呼吸さえも犯してくる。

 それでも礼人が駆けるのは、妖魔から人間を守るため。戦える者が戦わなければ、誰も救えず、守れない。礼人は物心ついたときから、父にそう教わってきた。妖魔討伐の最中、母を失った父の言葉には重みがあり、礼人の中ではもはや誓約のようになっている。

 そして、礼人のその覚悟を称えてか、記号タイプは礼人に更なる力を与えた。

 記号タイプには創作タイプの階級技能のように、基本技能とは別の特殊技能が個々に授けられる。それを称号と呼ぶ。

 礼人の称号は「人に与えられし力」──より強力な記号の力を得、妖魔の浄化までを助ける力だった。

 それは使命で、天命のようだった。だからどんなに胸が痛くても、礼人は駆ける。人に与えられし力でもって、妖魔と対峙するために。

 しかも今の時間は夜。夜は黄泉路に漂う穢れが濃くなる。以前ならば月の光で穢れは祓われていたのだが、人間が作った街灯という文明のため、月の光の力は地上に届くまでに弱まってしまった。

 故に、夜の妖魔はより妖気を取り込み、強力な個体となる。放置すれば、学園全体を揺るがすかもしれない。

「──いた」

 礼人は妖魔をその目に捉えた。街灯にも月の灯りにも照らされて尚、その黒さを失わない、巨大な烏の妖魔。目は赤く光り、ぎろりと確かに礼人の姿を捉えた。

 異形の烏に怯むことなく、礼人は術式を展開する。

「攻撃用記号構築」

 持ってきた木刀に電子の煌めきが纏われる。

「悪鬼を切り裂け、人の造りし刃よ!」

 唱え、妖魔に袈裟懸けに切り上げ──そこでがきぃん、と刃が弾かれる。

「くっ、縫合タイプ持ちか……!」

 タイプ技能を持っているのは何も人間ばかりではない。稀ではあるが妖魔もタイプ技能を使うことがあるのだ。特に凶暴化した夜の妖魔は。

 縫合タイプは強い結界を作るタイプ。夜であるためかその威力は強く、ただの記号タイプでは届かない。

 だが、礼人は諦めない。新たな詠唱を始める。

「我に与えられし称号、更なる記号を解き放ち、我が前の闇を打ち砕け、記号解放!」

 その詠唱に電子の煌めきが一重二重三重と重なっていく。美しい虹色は青白い月の下に映えた。

 ばさり、とその翼で防ごうとする烏の妖魔。その分厚い盾に怯むことなく、礼人は跳躍し、切り捨てる。

 妖魔の縫合タイプと、礼人の記号タイプが凄まじい鍔迫り合いを起こし、目を焼くような火花が散る。能力は拮抗している。

「悪鬼を切り裂けぇぇぇっ!!」

 あと一押し、けれどきっかけが足りない。胸の痛みが礼人の動きを鈍らせているのも否めない。妖魔が強ければ強いほど、礼人の胸の痛みは大きいのだ。

 だが、礼人は戦う。それが与えられた力だから。

 人の造りし刃──記号タイプこそが人間の独自の刃だから。

 けれど、拮抗したまま膠着状態。これは我慢比べになりそうだ。烏の妖魔は余裕の表れか、赤くおどろおどろしい瞳を冷たく細めて礼人を見据える。

 ぎちぎちと黒い翼が刃を押し返してくる。礼人のこめかみを冷や汗が伝った。

 妖魔はまだ本気になっていない。それがなんとなく伝わってきた。

 だめだ、このままでは……!

 記号タイプしか使えない礼人には更なる記号解放しか道はない。負荷は称号が減らしてくれるが、既に二重三重の無茶はしている。

 それでも一押し、と思ったそのとき。


「魑魅魍魎が跋扈する跋扈する蒼い月の夜よ

 去れよ」


 闇の中に冴え渡る清らかな気。妖魔を否応なしに浄化せしめる歌声が響いた。

 その歌の清らかさに烏の妖魔が怯む。礼人はその隙を逃さなかった。

「標的を確認、攻撃用記号構築。悪鬼を切り裂け、人の造りし刃よ。記号解放!!」

 妖気を削がれた縫合タイプの結界は礼人の記号によって切り裂かれる。

 そこへ更なる歌唱が谺する。

「さあ、逝きなさい。あるべき場所へと

 我はその道を照らす者なり」

 切り裂かれた傷口から、「誘いの歌」により、妖魔の形が崩れ、最終的に砂のように消えた。

 ふう、と礼人は息を吐き、声の主へと目をやった。

「……長谷川」

 そこに立っていたのは、ワンピースにカーディガンを羽織った万能タイプの少女だった。

 少女は微笑む。

「こんばんは、阿蘇くん」


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