第2話 入部

 一太刀で浄化まで成した少年の技能は木刀が纏う電子の煌めきでわかる。テレビやパソコンに走るノイズのような光。

 助けられた雫は礼を言うよりも先に、少年に駆け寄り、その手を取る。黒縁の眼鏡の奥の瞳は少女漫画もびっくりなくらいにきらきらしていた。

「君、記号タイプだよね!? コンピューター研究部に入らない!?」

「え、は」

 少年がきょとんとして雫を見つめる。少年のみならず、辺りを置いてきぼりにして、雫がぺらぺらと喋り始めた。

「私、コンピューター研究部部長の永瀬ながせしずく! 三年生よ。コンピューター研究部が取り扱う記号タイプは最近発見されたばかりでなかなか部員が集まらないのだけれど、電装剣一太刀で妖魔を切り裂くばかりでなく浄化まで果たすその実力、是非ともコンピューター研究部で遺憾なく発揮してほしいわ!」

 少年が雫の熱量についていけていないのはお構い無しだ。後方にいた麻衣は呆れ顔、優子は相変わらずののほほんとした顔で眺めていた。

 目付きの鋭い少年は最初きょとんと丸めていた目を徐々に刃のような鋭さに戻っていく。返事の代わりに一度瞬きをする。

「怪我はありませんか?」

 ものすごく冷静な質問。手を取り合った男女にこの台詞。少年はそこそこのイケメンで雫は眼鏡だがそこそこの顔である。どこの少女漫画だ。

 まあ、少年の台詞は雫だけではなく、後方の優子や麻衣にも向けられているのだが。

「大丈夫よー。おかげさまで怪我人なし」

「ならよかったです」

 優子ののんびりとした回答に少年が少し表情を和らげる。が、すぐにまた険しい表情に戻る。少し悲しげな色を滲ませていた。

 雫に向けて、申し訳なさそうに告げる。

「すみません。俺、文芸部に入るって決めているもんで」

「な、な」

 思いもよらぬ返答に、雫の叫びがグランドに谺した。

「なんですってぇぇぇぇぇっ!?」




 優子たちは昇降口から校庭に繋がる階段に並んで腰掛けていた。優子と麻衣に挟まれて座る雫は目に見えて落ち込んでいる。暗雲立ち込めるという言葉を体現しているようだ。

 優子を挟んで隣、少年は申し訳なさそうな顔のまま、雫の顔を覗き込んでいた。

「なんでよりによって文芸部なのよぉ……」

 教室で話していた内容がまるで皮肉のように雫に押し寄せてくる。もちろん、話した当時の優子たちに作為はないのだが。

「まあまあ、訳ありってことでしょう? そんなに落ち込まない。彼が記号タイプなのは変わりないんだから」

「……一年の阿蘇あそう礼人れいとです。タイプはご覧の通り記号タイプ……訳ありって言いますけど、優子さんは大体わかってるんじゃないですか?」

「あり?」

 名乗っていないのに名前を当てられて優子が首を傾げる。糸目がちな目を少し開いて、礼人と名乗った少年を見る。

「ああ! 礼人くん! おっきくなったわねぇ」

「どこの近所のおばさんですか」

「女の子捕まえておばさん言わない」

「会ってないのはたったの三年でしょう」

 突っ込む礼人に優子はからからと笑う。

「たった三年、されど三年よ」

「本格的におばさん化してますよ」

「だからおばさん言わない」

「まあ、聖浄学園ここで過ごす一年は外で過ごすより濃いから」

 優子にフォローを入れたのは、雫を慰める麻衣だった。

「毎日のように妖魔が出て戦う羽目になる。妖魔初対面の一年生とか毎年大変そうよね」

「そうそう。二年生になると歴戦の勇者みたいな風格になるか、転校するかのどっちか。まあ、礼人くんは既に歴戦の勇者だけどね」

 優子の口振りに麻衣と雫は先の戦いを思い返して納得するが、何故優子と礼人は知り合いなのだろうか。

「咲人は元気ですか?」

「そりゃもう元気よ! 譬、妖魔の突然の襲撃が夜中にあっても叩き起こして活躍するくらい」

「叩き起こすんですね……」

 咲人、というワードに雫が反応する。

「水島咲人くんともお知り合い?」

「知り合いっていうか、幼なじみです」

 礼人が答える。雫は納得したようだ。

「家が近いとかそんな感じ?」

「ええと……優加ゆうかさんとうちの両親がこの学園の卒業生で……」

 優加、とは水島姉弟の母親だ。

「ああ、そういえば縫合タイプの伝説的存在の名前が水島優加とか言ったわね」

「伝説あるんすか」

 礼人が苦笑いする。優加の性格を熟知している咲人がこの場にいれば、似たような表情を浮かべたことだろう。

 そこでふと眼鏡を持ち上げ、雫が声を上げる。

「あの水島優加さんと同級生だったってことは、阿蘇くんのご両親も伝説の世代ってこと!?」

「まあそうなるわね」

 無言で俯いた礼人に代わり、優子が答える。礼人が俯いた理由を優子は知っている。だからそれ以上は言わない。

 だが、雫はだいぶ答えに近いところまで辿り着く。

「そういえば、伝説の世代では初めて記号タイプで妖魔に対抗した人がいたわよね。確か名前が……」

 そこで、あ、と口を閉じる。

 麻衣が続かなかった言葉を紡いだ。

「伝説の世代で記号タイプを確立した人物、世界的にも有名なあたしたちの大先輩。名前は阿蘇明人あきとといったわね、確か」

 麻衣はつらつらと述べると、ちらりと礼人を見た。礼人は目を合わせ、小さく頷く。

「……俺の父です」

「なるほど、生粋の記号タイプというわけだね、阿蘇くんは」

 目をきらきらさせる雫だが、優子はよしなさい、と止める。

「阿蘇明人は有名人だから、辿った道も知っているはずよね、記号タイプ部部長さん」

「あっ……」

 指摘されて雫は口をつぐむ。

 記号タイプの確立者である阿蘇明人は、数年前、妖魔との戦いの最中失踪したことは、その手の筋では有名な話だ。

「で、でもお母さんは……?」

「……河南かなみ真実まみって言えばわかりますか?」

 礼人が静かに口にした名に雫が目をひんむく。

「河南真実って言ったら伝説の世代にして、史上最強と謳われた歌唱タイプの巨頭じゃない」

「まるで妖魔と戦うための家系ね」

 麻衣の感想はもっともだ。阿蘇明人、河南真実、伝説世代の二大巨頭とも言える存在から生まれた子ども。生粋の対妖魔技能者と言える。

 だが、河南真実も、行方不明になっている。

「まさかあの二人が結婚しているとは思わなかったわ。でも河南さんは十数年前に妖魔と相討ちしたと聞いているわ」

「……ま、つまり、礼人くんは孤児ってわけ」

 平和な日本で孤児というのは珍しい。

 けれど、育ててくれる人はいた。数年前までは父が。

 父がいなくなってからは遺産を引き継いで一人暮らし。遺言で礼人の後見人に指定されたのが水島優加だ。

 元々優加、明人、真実は仲の良い三人組だった。小学生時代から一緒の仲である。

「まさかそんな伝説的な家系とは……ご両親のことはお悔やみ申し上げるけど」

 雫の言葉に礼人ははっきり首を横に振る。

「お悔やみなんていりません。俺の両親は死んでいないんですから」

「でも、行方不明って……河南さんに至っては失踪から十年以上経っているのよ?」

「……だから俺は、コンピューター研究部ではなく、文芸部に入るんです」

 雫は意味がわからないといったような顔をする。麻衣はなんとなく察しているのか、何も言わない。優子は肩を竦めた。

「文芸部は確かに訳あり部員の溜まり場よ。でも、だからって礼人くんのが達成できるとは限らないわ」

「わかっています」

 礼人は優子の言う通り、訳ありで、いくつかの目的を持ってこの聖浄学園に──ひいては文芸部に入ってきた。

 その目的が全て達されることが望ましいが、無理があることは承知だ。

 礼人が達成しようとしていることは、かつて父が記号タイプを確立したのと同じくらい前人未到の事柄だ。

 しかし、礼人が臆することはない。真っ直ぐに優子を見つめ返す。

「……覚悟は確かなようね」

 やがて、優子が微笑み、礼人に手を差し出す。礼人はその手を──取らない。

「あの、こんな階段で背負い投げとかやめてくださいね」

「私にだってそれくらいの常識はあるわよ」

「一体優子は何やったのよ」

 麻衣のツッコミが入った辺りで場の空気が和む。

 その瞬間。


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