第4話 「WSS」
――ボクの好きな人は、目が見えない。
でも、幼い頃から彼を見ているけど、半年に1回は本当に目が見えないのか疑っちゃう。
そんな不思議な男の子。
初めて出会ったのはボクが6歳の時。
引っ越した家の隣に彼の家があった。
同い年で、来年からは同じ学校に通うことになる未来の『友達』。
今のうちに仲良くしておいたほうがいいとママは思ったのかな。
乗り気じゃないボクの手をママが無理やり引っ張って、彼の家に連れて行った。
おずおずと手を振る君は、ボクの人生で初めて見る全盲の人。
灰色の瞳に、明らかに運動不足な細い体。外に出ていないのが肌を見れば嫌でもわかる。
そのうえ自分の家のはずなのに、何かにおびえてソワソワしていて気味が悪い。
それがボクが彼に抱いてしまった印象だった。
今もそうだけど、ボクは身体を動かすことが大好きだ。
だから、あの頃のボクにとって、見るからに動けない彼とは友達になりたくなかった。
歳を取るにつれ、仲良くなりたくない人間との上手な距離の置き方。なんて知りたくないものは自然と身についてくる。
でも、生まれて6年のボクはそんなもの知るはずもなく、「ヨロシクね」と歓迎する君に、「ボク、バドミントンのできない友達なんて欲しくない!」と言った。
そして、自分の娘が放った失言にショックを受けて、ボクの手を掴む手が緩んだママ。
ボクは手錠が緩くなった隙を見て、外へ逃げて行った。
これがボクと彼が初めて出会った日の出来事。
こんな最低な行動をしたのが自分だなんて、何年たっても信じたくないや。
まぁこんな最低な出会い方をしたのに、彼がボクに歩み寄ってくれた。
何をしたかって?
出会ってから二か月後にバドミントンで初めて敗北をくれたんだよ。
あの頃のボクは、バドミントンスクールを何個も掛け持ちしてた。
だって、ラケットの握り方とルールを教わってから、先生を含む誰一人として、ボクの相手になってくれる人はいなかったから。
先生もメンツを保つために、他の生徒の保護者さんがドン引きするレベルの手加減なしでやったけど、ボクには敵わなかった。
当然スマッシュなんて技法は知らなかったけど、先生が積極的に狙ってきたから、試合中に見よう見まねでスマッシュを覚えた。
少し恥ずかしいけど、完全に才能だろうね。
大会は出場するたびに全試合ラブゲーム。
そりゃ天狗にも……うん。今は反省しています。はい。
そんなボクに初めて敗北をくれたのが彼。
最悪なプレゼントだったけど、そのプレゼントはボクにライバルをくれたんだ。
あの天狗の鼻を折ってくれる英雄が近くにいてよかった。
じゃないと、ボクは強いだけのつまらない人になっていたから。
スポーツ推薦でこの学園に通えたのも、今のスポーツマンシップを重んじるボクに彼が変えてくれたからかもしれない。
本当に感謝しかない。
仲良くなった後。
どうやってバドミントンが出来たのか聞いたら、
「ヨモギのお母さんにラケットとシャトルを借りて、シャトルが飛ぶときの音を家の中で確認した」
「プロの試合を聞きながら、ノートにペンでシャトルの行く道を追って母さんに確かめてもらった」
「あとは父さんが休みの日にラリーに付き合ってもらって、バドミントンでの打ち返し方がわかったから、あとはプロの試合を散々聞いて同じ音が多いことに気づいたから、クセがあるだろう。で、クセ見抜く練習をしたら勝てた」だって。
言っていることはわからなくはないけど、人間ができていい所業じゃないよね。
しかも2か月だよ?
ボクと戦った時なんて、途中からボクが打つ場所に先回りしてるんだよ?
もはや予知ができる神様とかと戦っている気分だったよ。
で、そんな人間離れした奇跡を会って本当に間もないボクのために。
こんなひどいボクと友達になるために起こしてくれた。
ボクは案外チョロいんだろうね。そこでコロッと恋に落ちちゃった。
それから今に至る。
色恋沙汰にまるで関わりのなかったボロ。
彼はどうやっても一目惚れはできないし、どこか儚さがある顔立ちはいいけど、『盲目』ってだけでいろんな人に距離を取られているのをボクは知っている。
……いや、見えていないはずなのに完璧にノートをとるとか、本人にとって隠さなくていいと思い込んでる異常な行動が、彼の魔除けになってるのかもしれない。
だから彼をめぐる恋のレースがあるなら、参加者はボクだけで、絶対に勝てると油断していた。
それなのに。このレースに割り込んできたのは、よりにもよって月下さん。
月光に照らされた赤ワインのような瞳に、瞬きを素早く繰り返せば羽になりそうなほど長いまつ毛。
色気漂わせる釣り目と、淡く赤い唇。
許されるなら一生撫でていたい滑らかな白い肌。
放つたびに威厳を感じずにいれない声。
ボクもボチボチ告白されるけど、彼女に比べれば月とすっぽん。
勝ち目があるとすれば胸のサイズくらい。
でも、目の見えないボロにとってこんなの柔らかいだけの脂肪。
こんなの押し付けて誘惑を試みようものなら、間違いなく太った子だと思われちゃう。
月下さんは面白がってボロに近づいたのかもしれないけど、ボロはみんなが関わらないだけで、中身は超ハイスペックで、性格もすごくいい。
それに無理やり引っ張ってきたけど、月下さんのあの目は本気だった。
根拠はないけど、あれは間違いなくボロの隣を狙う目だった。女の勘がそう言ってる。
「こんなの勝ち目ないじゃん!」
隣を歩くボロのみぞおちを軽く小突く。
「うっ……勝ち目がないなら練習しろよ! なんで試合前にサボってんだアホモギ!」
「……アホなのはボロだよ。ところで、告白の返事はどうしたの?」
鞄を脇に挟み、空けた手でみぞおちを撫でるボロは、少し間を開けて答えた。
「まぁこんな機会でもなければ、僕に恋人なんて出来なかっただろうし……うけたよ。相手は月下さん。恋愛の猛者でしょ? どうせ長くは続かないだろうし、恋愛体験としてはぴったりな相手だよ」
「そっか……よかったじゃん」
彼は、人が見せる顔に疎い。
だからボクが悲しい顔をしているのも気づいていない。
仕方ないよね。彼は言動からしか人の顔色を伺えないんだもの。
そのおかげで彼の中学での生活は幸せなものだっただろうし、嘘が下手なボクもこの心を隠してこれた。
でも、今はそれが裏目に出ている。
きっと今の彼は月下さんが本気だなんて知る由もない。
あぁ嫌だな。こう思っているってことは、ボクは彼を自分の手の上で踊ってくれる都合のいい人って思っている証拠じゃん。
きっとどこかでボクのものになるって安心してたんだね。恋人でもなければ、今ボクが隣にいるのはボロの優しさがあったからなのに。
漫画の世界の幼馴染ってこんな気持ちなんだ。
すごいなぁ。こんな中身から心を裂かれるような状態で、主人公に祝福の声をかけるなんて。
ボクにはできないや。
「もし……もし月下さんがさ。本気だったらどうすんの?」
本当にその線を疑っていなかったんだね。顔に出ているよ。
しばらく黙りこくって、帰路を歩む。
本当に器用だね。見えていないし、白杖に当たってもいないのに電柱をすらりと避けるんだもの。
「そうだね。その場合は本気の相手に軽率な返事をした罪滅ぼしとして……生涯かな? 付き合うことにするよ」
相手がボクでも、君はそう言ってくれたのかな。
なら、ボクは馬鹿だね。
その席は勝手に予約を受け付けていると思っていたんだもの。
「ん。着いたね。じゃ、またなヨモギ。明日はサボるなよ?」
「サボるのが心配なら、ボロが相手してくれればいいじゃんか」
「その場合、他の生徒が練習できなくなるだろ? ……昼休みとかでいいか?」
さすがのボロでも、体育館で複数の足音やシャトル、ラケットの振る音とかが飛び交うと耳が使いづらいらしい。
駄々をこねて一度相手してもらったけど、びっくりするぐらい弱かった。
(まぁどうせ、他の子が居たら平穏な日々のために隠したいとか、そっちが本性だろうけど)
「そうだね。昼休み……いや、いいや。ボク一人で頑張ってみせるよ」
「そんな遠慮しなくていいぞ。君の我儘は聞きなれている」
違うんだボロ。君の彼女さんは、君の思っている以上に人気な女の子なんだよ。
きっと君はしばらく、いろんな子に付きまとわれることになる。
だから無理なんだ。
「ボロは彼女とラブラブする仕事が増えたの忘れてない? ……期間限定なんだから楽しまないと」
ごめんね、ボロ。これがボクにできる精一杯の祝福だ。
「そっか。気づかってくれてありがと。じゃ、頑張れよ」
彼が家の中へ入って行った後、ボクはロケットみたく寄り道なく、自分のベットに突っ込んだ。
またママにワイシャツを早く出しなさいって怒られるだろうけど、今のボクはそんな余裕ないや。
今までワガママを言えば、いつでも遊んでくれたボロ。
でも、今日からはもうそんなワガママは通らない。
ボクに用意された時間は、学校の行き帰り……いや。もしかしたら、それすらないかもしれない。
今なら、君の幼馴染ってポジションが空いている。
でも、ボクは自分の欲しいものを我慢できるほど大人じゃないんだ。
それが「一番欲しいもの」ならなおさら。
「…………そっか。どちらかの愛想を尽かせればいいんだ」
ボロは優しい。度が過ぎているほどに。
だからボクのせいで、フラれることになっても、いつもみたいに許してくれる。
もし彼が本気なら許してくれないかもだけど、今は本気じゃない。
彼が本気になるまでに、曖昧過ぎるタイムリミットまでに、あの関係を壊さなきゃ。
最高に嫌な人になるけど、彼の隣を奪えるならもうどうでもいい。
ボクはそれほどに彼を愛しているのだから。
――そう、ボクはそれほどに彼をアイシテル……
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