第3話 「皇 晴夏」


「女は時に汚い手を使うのよ。安心して? あなたを好きになれそうってのは本当だから。これからよろしくね? 『ダーリン』」


 気分としては、喜ぶべきなのだろうけど。僕にとっては風呂に入れた一個の角砂糖を味わう。そんな薄い幸だった。


「はぁぁぁぁ……20秒くれ」


 本性である荒々しい性格が垣間見えはじめたので、一度深く空気を肺に入れ、心に纏った新聞紙を貼りなおす。


「あら。こんな詐欺にあってるのに、あっさり呑み込むのね」


 主犯が何言ってんだ。とでもツッコミをいれればいいのか?


「君は馬鹿じゃない。ここで僕が抵抗したとしても、それを丸め込めるプランがあるはずだ。それすらを論破できるほど僕は応用力には長けていないんだ」


 そもそも勘違いしているけど、僕は別に頭がいいわけではない。ただ解答用紙に模範解答が書けるだけだ。


「それにこんな状況にでもならないと、僕は恋愛なんて生涯経験しないだろうし。なら、こちらにメリットがあると思って受け入れた方が賢明でしょ。それに何はともあれ最終的に了承したのは僕だ。自分の発言くらい責任取るさ」


 それに彼女は「好きになれそうな気がする」から、交際の申し出をしたのだ。そんな長い関係にはならないだろ。


 長引いたとしても3か月。そこから75日は悪目立ちする。それだけなら……まぁ、うーん。駄目だ。呑み込めない。

 そろそろいい具合に冷めたであろうコーヒーで無理やり不満を流し込む。


 負の感情とコーヒーの苦みは仲がいいらしく、あっさりのみ込めた。


「で、僕は何をすればいいんだい? 物語と現実は違う。現実の彼氏とは何をすればいいのか教えてもらえない?」


 経緯は置いておいて、人生で初めてできた彼女だ。


 他の男子よりは出来ることは少ないが、やれるだけのことはしてあげたいし、好きになる努力や、好きになってもらう努力はしたい。


「うーん。そうねぇ。お互いとりあえず知らないことを極力減らしましょうか。要は彼氏彼女版の自己紹介。私から聞いていい?」


「親の銀行の暗証番号とか以外なら答えるよ」


「じゃあまず……どうしてこの学校に来たの?」


 ……それはどうして全盲のお前が、この学校に来たんだ。って話だろうか。

 まぁ、それしかないよな。

 

「目が見えない子は、見える度合いによるかもしれないけど、まぁ盲学校って場所で幼稚園から高校までかな? 通うのが一般的だね……」


 僕にも一応心はある。その心が晒すことに怯えているのがわかる。

 でも、これを避けることは、この場所にいる僕には許されていない。


「僕にはさ、7つ離れた姉さんが居るんだ。名は……そうだね芸名で皇 晴夏すべらぎ はるか


「……噓でしょ?! だって……あの人は」


 反応から察するに、彼女があくまで調べていたのはどうやら、僕が学年主席であることと、あいつとのタイマンで勝ったことくらいらしい。


「そうだね。生まれた瞬間から5各語で会話ができたことで、世界中から注目された伝説級の人さ。今でも聞かない日がないあの人さ」


 家族である僕も、姉さんが今どこにいるかわからないし、最後に会ったのは10年以上前。言ってしまえばほぼ他人だ。


「その弟が生まれるとなるとさ、親戚の人をはじめ、海外の映画監督とか。まぁ、ありとあらゆる方向から期待されてたんだ。でも、実際生まれたのは全盲の赤子」


「……。」


 出てくる情報が、もはやファンタジーの類のせいで理解が追い付いていない様子だ。


「今だから話せる話だけど、姉さんの芸歴を傾かせる可能性すらあったからさ。抹消されかけたんだって僕。まぁマスコミは流産ってことにしたけどね。そっちのほうが姉さんの人生にドラマができるから」


 空気を和ませるため、乾いた紙粘土を無理やりこねて作ったような笑顔で、笑って見せた。


「でも僕の家族は、断固として抹消を拒否した。その代償と言うべきなのかな。僕の姉さんは祖父母に引き取られたんだ。もちろんその後は縁を切られている。

だから、僕の両親に残ったのは盲目の赤子。失ったのは、大金を生み出す天才。頼りにしていたはずの家族。もっと言えば将来の安泰も。どう考えても割に合わないだろ?」


 自分で言っていても、信じられないほど筋が一切通っていない滅茶苦茶な話だ。


「僕の母さんはさ。今でもたまに謝るんだ。『あなたを元気な状態で生んであげなくてごめん』って。おかしいよね。謝るのも、感謝するのも僕のほうだって言うのに」


 あぁ。この目はどうして、涙が流せてしまうんだろうか。


「勘違いしてほしくないから言っとくけど、僕は姉さんの代わりになる気はない。あれは神が味方してやっとできる芸当だ。ただ、僕を守り育てたことで、僕を育てる中で後悔することも、苦労することもさせたくないんだ」


 もう自分でもきちんと発音できているかわからないや。

 それでも、これだけは伝えなきゃ。


 塩辛い唾でのどを潤し、震える声を彼女の元へ押し出す。




「父さんと母さんは。こんな僕でも、心から愛してくれているから。僕はそれに応えたいんだ。行動で『ありがとう』を伝えたいんだ」




 彼女が流している今の涙は、メンソールは香らない。


「だから僕は、他の子目の見える子と同じように生きれるよう頑張った。その気になれば杖が無くても生活できるくらいに。

進学のたびに、子どもなりに言葉を組み合わせて。

見えない運動場のトラックを走って見せたりして、無理言って普通の学校に通えるように教師を説得した」


 思えば、子ども一人がどう足掻いてもこんな無理が通るはずがない。

 僕が知らない場所で父さんや母さんが、何度も頭を下げてくれたに違いない。


 僕の願いとは裏腹に迷惑をかけてしまっただろう。きっと今の僕も。


「だから今僕がここにいる理由は……恩返しの準備をするため……かな」


 目の見えない人でも、名をはせて大金を稼ぐ人はいる。有名じゃなくてもあらゆる方向から社会に貢献している人がいる。


 でも、僕がすべき恩返しってのは「お金」とか「実績」で済ませるものじゃない気がする。

 かと言ってするべきこともわかっていないのだが。


 それでもせめてご近所様からあんな子を育てる羽目になってかわいそうと言われるとか、母さんが僕を生んだことに罪悪を感じるとか。

 そんてことをさせないために、健常者と同じような人生を歩もうと思った。


 これが正解なのか。実際に両親にとってこの行動がタメになっているのかなんてわからない。

 ここに来たせいで、無理させてかわいそうなんて言われるかもしれないし。

 

 結局、僕の行動のすべては両親を悪人へ変えてしまう。


 本当に難しい話だ。


 話してからしばらくして、僕の涙がようやくひいた頃。

 すすり泣く音が、ゆっくりと近づいてくる。



 ――そうか。僕は失恋するんだな。



 生まれてこの方、人の顔を伺うことはできない。

 ただ人が自分に向けてどんな感情を抱いているのか。意識すればやんわりとわかるようになってきた。


 彼女が僕に今抱いている感情は、後悔と懺悔だ。


 おおかた僕の話を聞いて、気分が悪くなったとか、自分勝手な行動をして平気な顔をして今を生きている僕に嫌気がさしたんだろう。


 恋愛は「重い」と上手くいかないと聞いたことがある。

 それはきっと感情の面もあるけど、相手がいる立場なんてものもある。


 彼女は芸能界で働いている。そんな人間にとって「皇 晴夏」なんて、もはや神だとか言って信仰していてもおかしくない。

 それの弟で、あらゆる運命のいたずらが交差している。


 僕が僕じゃないなら、こんな面倒な存在とはできるだけ関わりたくない。


 それに彼女は今のところその面影を一切感じないが、学校でも社会でも優等生だ。


 驚くほど細い糸ではあるが、交際の先には結婚が繋がっている。

 彼女のことはまったく知らないが、少なくとも軽い気持ちで交際するような子には感じない。 


 ただですら彼女は多方面からの「期待」を背負っている。そんななかで彼氏の重荷も少しは背負わなきゃいけないと思ったのだろう。


 誰だって嫌なことからは逃げたい。彼女もそうなのだろう。

 今なら異常なほど傷は浅く、なかったことにするなんて簡単なことだ。


 だって僕らの交際は15分も経っていないのだから。


 あぁ、失恋RTAなんてものがあったら記録更新確定だろうな。


 彼女が目の前に来た時。

 何の情報も遮断できないのに強く目を瞑る自分がいた。


「えっ?」


 今日の僕は調子が悪いみたいだ。

 予想とは大きく外れ、彼女の手が僕の頭を撫でていた。


「その……本来彼女ならここで抱きしめるくらいしたほうがいいんでしょうけど、度胸が足りなかったわ。ごめんなさい」


「僕はてっきり、告白の撤回に来たのかと思ったよ。謝罪を添えてね」


 髪が擦れる音とコーヒーとローズブレンドの自然発生アロマが、さらけ出すことで傷ついた心を修復してくれる。


「元々私が騙してはじめた交際関係じゃない。確かに……そのぉ……あなたの人生が複雑なのを聞いて驚きはしたけど……むしろそれを聞いてあなたへの評価が上がったくらいよ……かなりね」


 今の僕のどこに評価ポイントがあったのかはわからない。

 でも安堵する自分がいるのはわかった。


 無意識のうちに僕は彼女に助けを求めていたみたいだ。


「改めてよろしくお願いするよ。月下さん。君が僕を好きになる努力をしてくれるなら、僕は君に好きになってもらえるよう頑張るよ」



――バタンッ!


 勢いよく誰かが突撃をかけてきたらしく、ボロボロの扉が低い振動音を立てている。


「ボロ! 大丈夫!」


 小中高を通して散々聞いた馴染みのあるアイツの声だ。


「そういうお前こそ今週大会のはずだけど練習しなくていいのか? ヨモギ」


「こんなビックニュース聞いて練習に集中なんてできないよ! 今日お休み!」


 そう言ってヨモギは乱暴に僕の手を引き始めた。

 どうやら僕はここを強制的にお暇させられるらしい。


「ごめんね月下さん。僕、誘拐されるみたいだからまた明日」


「えぇ、また明日。朧くん」


 ヨモギはさらに強く僕の手を引き始めた。 

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