第2話 「能ある美女は本心を隠す」


「僕を舐めるな。杖が無くても学校程度なら歩ける」


 弾いた手と声色から心情を読み取った彼女は、押し付けるように杖を返してくれた。

 返してもらえると思っていなかったため、若干杖が手から滑りつつもどうにか掴み、杖先で地面に触れる。


「ついてきて。ほぼ私物化している部屋があるの」


 震えた彼女の声は、僕の怒りを完全に拭ってくれた。

 心の奥にしまい込んでいた歪んだ性格が、思わず口角を上げようとするのを必死に抑えながら、荷物を左手に彼女の足音を辿る。


 気持ちが悪いほど静かなおかげで、随分と簡単に彼女を追跡できた。

 これなら虚勢で言ったが、本当に杖なしでも問題なかったかもしれない。


 静寂の代償というべきか、見えていないはずの数多の視線が、シャツのタグのように絶妙な不快さを運んでくる。


 一流の女優がレッドカーペットで飼っているペットを散歩させているのだから。そりゃ多くの視線を浴びるかと、自分に言い聞かせる。



 ……待て。誰がペットだ。


 人生で初めてされた告白に浮かれる自分が、心のどこかに張り付いていたのだろう。

 それを丁寧に剥がしてから、今更ながら自分の現状に理解が追いつく。


 「学園を超え日本のアイドルに今から告白されること」という喜びよりかは、「入学してから可能な限り空気のように生きていたのに、その努力がさっきの一瞬ですべて無駄になったこと」が、ジワジワと心をえぐってくる。


「明日からどう生きていこうか……」


「あら? 破産でもしたの。少しなら出せるけど?」


「お金で取り戻せないものが無くなったんだよ」


「……ご愁傷様」


 どうやら彼女は僕の心拍数で縦乗りするのが好きらしい。 


「はい。ついたわ」


「なるほど。図書準備室兼、文芸部の部室か」


「へぇ。立ち止まったのは図書室前なのに、よくわかったね」


「入学前に一通り部屋を回らせてもらったからね。それに図書室なんて放課後なら誰でも出入り可能だ。そこを私物化なんて、流石の君でも許されないだろ?」


 図書準備室。

 新しく入った本は一時的にここで保管され、ブックコートカバーやバーコードを貼り付け、本を貸出可能な状態にする場所。

 また文芸部の活動場所ともなっているが、現在一人を除き部員は不登校である。


 図書室に漂う古本の香りと、朽ち始めている木の机や椅子、乱暴にワックスが塗られている床に歓迎されながら踏み込んでいく。


 そして部屋に入ってすぐ横にある旧式のパソコンが置かれた机の隣を歩み、行き止まり1m前に設置された、底のペンキが木と共に剥がれている扉の向こうの部屋へ案内される。


 この学園は定期的に改修工事が行われ、ここを除くすべての部屋は床がコンクリートタイルで、最新鋭の機材などが揃っている。


 なぜここだけ改修工事していないのか学園長に聞いてみたが、その理由は「RPGの宝箱が金属で出来ていたら嫌じゃん?」なんて謎な理由だった。

 僕はデジタルゲームができないのに、その例え出すかね? 「ロマン」で伝わるよ。


「そこの椅子でくつろいで居て。私はコーヒーを用意するわ」


 確かこの部屋は横長に約12畳。壁は木製の有孔ボードで、中央に折り畳みの長机が置いてあって、向き合うように四つ足パイプの丸椅子が合計で6つ置いてあったはずだ。


 で、彼女の立ち止まった位置と声の出方から彼女の向きを推測し、彼女が指差すまでに服が擦れる音から腕の角度を予測する。

 最後に彼女の性格からどの椅子を選ぶかを考え、それが聴覚から得た情報と相違ないことを確認し、入り口から一番遠い手前の椅子に腰を掛ける。


「盲目が嘘なんじゃないかと思うわ」


「そう思ってくれるなら、僕の15年の努力は報われるよ」


 盲目の人がサングラスをかける理由に、「他者を不快にさせないため」や「盲目であることを他者に知ってもらうため」というものがある。


 全盲の人間の目はだいたいが健常者のものと異なり、他者を不快にする可能性があるらしい。


 だが僕の場合。目自体は問題なく、脳の受信部分がシャットアウトしているらしい。

 だから見た目だけで言えば、僕は健常者と見分けがつかないそうだ。

 両親に会うたびに悲しませずに済む。この奇跡には感謝しかない。


 しかし蓋を開けてみれば、僕が全盲である事実は変わらない。

 それで近所の人とかあらゆる存在から、僕の両親が悪く思われるのも、無用な同情を浴びるなんてことは、僕にとって何よりも苦痛だ。


 だから『盲目が嘘』という言葉は、僕にとって最高クラスの誉め言葉だ。


「はい。機械で作ったから、飲めないことはないと思うわ。ガムシロップとかは手前に置いとくわね」


「どうも」


 以前この部屋に入ったときにはそんなものなかった。コーヒーメーカーなんて部費で落とせないだろうし、彼女の私物だろう。


 マグカップから上る湯気が、顔を保湿し、豆の香りが鼻をくすぐる。


「……飲まないの?」


「残念ながら僕は極度の猫舌でね。後でいただくよ」


 彼女は自分のカップを卓上に置き、僕の正面の椅子に腰を掛けた。


「唯一の弱点発見ね」


「別に唯一じゃないさ。言わないけど、いくつかはあるよ」


「さてと。コーヒーが冷めるまでさっきの話の続きをしましょうか。と、その前に」


 ゆっくりと立ち上がった月下は、足音を殺して先ほど入ってきた扉に忍び寄る。

 そして、勢いよく扉を開けた。


 ドミノ倒しのように、3人の男女がバタンと転がりこの部屋に入ってくる。


「盗み聞きは感心しないわね。新聞部の3バカトリオさん? キツイお説教が聞きたいのかしら?」


 今回が初めてじゃなかったのか。


 新聞部の3人は、説教された過去がフラッシュバックしたらしく、勢いよく図書室から出て行った。

 流石は売れっ子モデルというべきか。こういう厄介者を察知する能力は高いらしい。


 扉を閉める際。途中で扉を止め、少し間を開けてから完全に締め切った。察する限り、図書室に入ってきている野次馬に軽い笑顔を見せたのだろう。


「ごめんなさいね。さて、気を取り直して……あなたなら好きになれそうなので、付き合っていただけないかしら?」


 まるで振られるなんてことは絶対にないと言いたいように、淡々と告白をしてきた。


 まぁ、絶対的な美貌は簡単に自信に繋がる。自信があるから魅力が溢れる。


 この幸せの連鎖を常に体験しているような彼女にとっては、本当に失恋なんてものはあり得ないのだろう。


 そうであっても、「このセリフはないだろ。僕にとって人生初めての告白だぞ……」というのは、心のうちに留めておこう。


「申し訳ない。今の僕は君とは付き合えない。正直なところ、僕は君に憧れも、恋心も……何も抱いていない。きっと君は他の子よりもずっと綺麗なんだろうけど……僕にとってはただの女の子だ」


「……。」


 彼女にとって振られることは相当な予想外だったのだろう。誤魔化すようにコーヒーを口に含む。


「知っていたけど、しっかりと自分を持っていて。相手のことをしっかり見ているわね」


「……僕、他人のこと見れないんだけれど?」




「あなたが今、私を振った理由って、『私がかわいそうだから』でしょ?」




「……。」


「私、やろうと思えば大抵のものはあなたに提供できるわ。それに自分で言うのもあれだけど、私はモデルで食べていけるくらい容姿も整っているし、頭だって悪くない。むしろいいほうよ。性格は……あなたが望むなら変えるわ」


 かなりの自信家と言いたいところだが、事実なので言えない。

 というか、性格に棘があることは自覚していたのか。


「正直、私はかなりの良物件。それなのにあなたが私を振る理由があるとすれば、恋心を自分に抱こうとしている。そんな相手を利用するのが……とか、相手の思いに応えられないと相手がかわいそう。とかじゃないかしら? あなたは真っ直ぐな人間だもの」


 半分図星だ。


 恋愛なんて同級生の事情をラジオ感覚で聞くか、物語の世界で嗜む程度だけど。

 

 明らかに優秀な相手を振る理由なんて、周りからの目が怖いから。

 それか自分に自信がなくて、「どうせ自分じゃ相手を幸せにできない」と思い込み、未来に罪悪感を抱くのが嫌だから。のどちらか。あるいは両方だ。


 単純に好きじゃないから。っていう理由で振る人間もいるかもだが、周囲の話を聞いた感じ極端に少ない。


「そう……その通り。僕は学生にとって、貴重な恋愛感情を傷つけたくない。それに君は綺麗なんだろ? 定期的にポップするうん千年に一人の美女なんて謳われているじゃないか。君には無限の未来がある……その気にな――」


「うるさい!」


「はいぃ?」


 先ほどまでは言葉の先まで威厳たっぷりだった彼女の声が、急に……そう急に……大型犬に威嚇するチワワのようなものになっていた。


「利用されてもいいの! 全財産奪われたって! 実質身体だけの関係だっていいの! もう何をしても構わないから、私をあなたの彼女にしてよ! どんな形であれ愛されるように頑張るからぁ」



 しばらくの静寂の後、鼻をすする音だけが聞こえた。



 きっと今の僕は、福笑いのような顔になっているだろう。


「え、えっと……もしかして僕の前世が、君の救世主か何かだったの?」


「違うの。もうどうしようもないくらいに、あなたが好きなの! だから……だから!」


 今までの尊厳はどこに置いてきたのか。目の前には今にも泣きだしそうな月下しかいなかった。


「あぁもうわかった。わかったから!」


「何が?」


「わかった。君の告白を受けるよ。受けるから、今にも泣きだしそうなのを何とかしてくれ!」


「そう。流石のあなたも、パニック状態を装えば騙せるのね」


「はい?」


 彼女は机の上に何かを滑らせた。


 こちらにやってきた何かに恐る恐る手を伸ばし、指先で撫でまわす。


「これは……リップクリーム?」


「そう。私、目の下にそれを塗れば、簡単に泣けるのよ」


「……え? じゃあ、さっき妙に服が擦れた音が多かったのは、動揺によるものとかではなく……」


 彼女は職業としてはモデル。だが、最近ドラマデビューを果たしたらしい。


「はめられた」


「女は時に汚い手を使うのよ。安心して? あなたを好きになれそうってのは本当だから。これからよろしくね? 『ダーリン』」



 あぁ。初めて喋ってから一時間経っていないのに、僕は君が嫌いになりそうだ。



 

 

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