「真っ暗な世界に住む僕は、隣に佇む彼女の顔を知らない」

福望 慶人

第1話 「見えぬ世界に踏み入る彼女」

 


――キーンコーンカーンコーン……


 水中で藻掻く泡粒の音のように、意識しないと聞こえないクラスメートの雑談を縫って、機械的な鐘の音が放課後を告げる。


 チャイムが鳴り終わったのを確認し、担任が「黙れ」の意図を含んだ喉を鳴らしす。

 さすがに高校1年にもなると、ここから「皆さんが静かになるまで先生○○――」と言われることなく静寂が作りあがった。


「今日順位表が配られたと思うが、特に下位30番以内の奴らは死ぬ気で勉強しろよ。はい、じゃあ解散!」

 

「「「はーい」」」


 対象の生徒が絶対聞いていないであろう一言を言った後、サンダルの底を器用にカツカツと鳴らしながら教室を去っていった。


 担任が出て行ったことで、騒がしさが再び訪れる。


「さて、僕もとっとと帰ろう。確か今日は『赤チョコペン先生』の新作が出て2か月だ」



 僕は世間一般的に言われるところの「盲目」。

 もっと詳細に言うと光をも感じとれない「全盲ぜんもう」である。



 そのため普通に本が読めない。

 しかし、僕が知識を蓄えるには本を読むしかない。というか知識云々以前に、僕は読書が大好きだ。


 そのことを両親も感じ取ってくれたのか、幼いころから1年に3冊ほど母さんが点訳してくれている。


 申し訳なさを感じて何度か点訳てんやくせずとも、そのまま読めるようになろうと挑戦してみはした。


 だが、両親に発見されるたびに「さすがにこれくらいは頼って欲しい」と止められたので、素直に親からの厚意を受け取ることにした。


 最近は電子点字図書や音訳図書が結構普及している。

 しかし漫画を電子書籍で読むことをよく思わない人がいるように、機械越しに物語を読む・聞くというのはあまり好きではない。


 そんな僕にとって、抵抗なしに協力してくれる両親は、僕にはもったいないほどありがたい存在だ。


 強いて不満をあげるなら、「他の子より負担を掛けてごめんなさい」とか、「面倒だろうにありがとう」というとボロボロ泣くことくらいだ。

 どうやら何不自由ない体に産んであげられなかったことに、今でも後悔や罪悪を感じているらしい。


「だからこうして普通の子みたく、普通の学校に通って、普通に生活してるのに。優しさも行き過ぎると、苦しくなってくるなぁ……うん?」


 カバンに荷物を詰め終わったので、横にかけておいた白杖はくじょうを持って帰ろうと思ったのに、肝心の杖が見つからない。


 自分が置いたと思っている場所と、実際の杖の在りかが違うのかと、大きく右手を机の横に伸ばしてみるが、杖の「つ」の字も掴めない。



――チリンッ。



 赤子の笑い声よりも高く、コスモスのようにおしとやかでありながら、きちんと最低限主張しているような鈴の音が、机を挟んで正面から鳴る。


 間違いなく僕が白杖に付けている鈴カステラの見た目をした鈴の音だ。


 僕が気づかないうちに誰かが白杖を倒してしまって、それを誰かが拾ってくれたのだろう。


 鈴の音が正面から若干右に沿っていたことから、拾ってくれた相手は白杖を横に倒しているのだろう。


 幸いこの席は窓際で、なおかつ1番後ろの席だ。


 相手の意図としては僕が白状をとりやすくしつつ、杖先が他の生徒にぶつからないように杖先側を窓のほうに向けているのだろう。


 この咄嗟に機転を利かせられる点。真っ先に声をかけて杖を渡してこない点。

 柔軟剤の香りがローズ系である点。この3つから女子生徒と推測し、顔を15度上げる。


「わざわざありがとう。どうやら気づかないうちに杖を倒してしまったみたいだ」



「いいえ、あなたは杖を倒していないわ。あなたを確実に呼び止めるために、私が杖を回収したのだから」



 僕はこの声を知っている。

 私立団栗学園しりつどんぐりがくえんの生徒で彼女の声を知らないものはいないだろう。

 というか、不気味なほど教室が静かになっている時点で察するべきだった。


月下つきした……えーっと妃都美ひとみさん。男嫌いで有名で確か一部じゃ『フローズンローズ・プリンセス』とか呼ばれている君が僕に何の用かな?」


 目の見えない僕にとって、「ひとみ」なんて名の人間を呼ぶことは抵抗が拭えず、少し詰まってしまった。



「あら? 私、男が嫌いなんて明言した覚えはないわ。その証拠にあなたには交際の申し出をしに来たのだから」



「ぁはい?」


 喉にホコリでも詰まったみたいに、上手く声が出なかった。



 月下 妃都美は見るもの全てを魅了するほどの美貌の持ち主だとこの学園では有名だ。

 入学してから2か月しか経っていないのに、2人の教師を辞任させた。非公認ではあるが加入者200人越えの大きなファンクラブが設立。9人の男子生徒を不登校にさせた。などのさまざまな記録が保持されているため、その美貌は本物らしい。


 ちなみに辞任した教師は職を失ったショックよりも、彼女に振られた時に受けた言葉のほうが刺さって苦痛だったらしい。


 それほどに彼女の男を振るときの言葉はきついらしく、男嫌いで有名になった。

 ゆえに振られた男が嫌味半分で、「フローズンローズ・プリンセス」と呼んでいるらしい。

 本人からすれば、とばっちりもいいところだろう。 


「し、仕事と学業だけでなく、恋愛も両立するのは、さ、さすがの君でも難しいんじゃないかな?」


「あら。モデルの仕事は月に数回しかないし、勉強方面は言うまでもないでしょ? というか……私と付き合うのは嫌じゃないんだ」


 穏便に振る方法を考えて柔らかくいってるに決まっているだろ! 偏差値70超えてるうちの学園の学年次席レベルで天才で、絶賛有望株で芸能界引っ張りだこなんだし、顔色とか声色から相手の意図ぐらい察してくれよ。


 思わず出てしまいそうになった本音をぐっと堪える。


 というか、何が男嫌いだ。男を惑わす言葉を右耳で囁くとかバリバリの手練れじゃねぇか。


 おっと。いかんいかん。冷静さが欠如している。


 大きく息を吐きだし、うるさく鼓動を打つ心臓を落ち着かせる。


 こうなれば、プライドを捨てよう。

 自分が盲目であるせいで、他人に下に見られるのは絶対に嫌だ。だが、もうこの際このプライドを一時的に捨ててでも、この場を切り抜けなければ。


 ただでさえ盲目なのに他の生徒と全て同じ授業を受けて、悪目立ちしているんだ。



 これ以上目立つような日々はごめんだ。



「申し訳ないが、僕は盲目なんだ。目が開いているからわかりずらいよね。すまない。だから僕と恋仲になる場合、他と比にならないほど苦労をすることになる」


「ふふ。そんなこと知っ――」


「それにっ! 君と対等になれるほどのものは、何も持ち合わせていないんだ。だから……他をあたってくれ」


「ふっ……ふふ……ふふふ……あははは!」


 彼女は加減を知らず、酸欠になるまで笑い続けた。

 

 しばらくして落ち着いた彼女は、胸からお腹へと手を撫でおろし、一息ついた。


「全国模試で満点を叩き出して、プロ選手を何人も輩出しているうちの学校の、実質プロ入りが確約されたようなスポーツ推薦の生徒を下す。

 そんな偉業を、全盲というディスアドバンテージを持ってやり遂げたあなたが『何も持ち合わせていない』? あなたユニークにもほどがあるわ!」


 物理法則を無視して突然街中に起きた津波のように、一気に教室の中がざわつく。


「ど、どうしてそれ――」



 『この学校の1年生には神童が存在する。』



 入試試験で満点を叩き出し、その後のいかなるテストも満点以外採ったことのない天才が。

 しかしその正体は一部教師と学園長にしか明かされていない。


 ゆえに生徒内では噂だけが、幽霊のように徘徊している。


 結果、生徒たちのなかで考察が考察を重ね、「正体は謎の無限留年生で、全部のテスト満点を引き換えに、生活費を補助して貰っている」なんて面白すぎる結論に落ち着いている。


 白状しよう。その正体は「神崎 朧かんざき おぼろ」だ。


 ちなみに不正は一切ない。問題用紙も点訳されていない、正真正銘ほかの生徒と同じ答案用紙と問題用紙で叩き出している点数だ。


 ついでにいうと生徒の中での考察で一部間違っていないものがあって、全盲である僕がこの学園に入学する条件として提出されたのが、入試試験満点である。


 今も満点を採っているのは、生徒たちの考察にズレが発生して正体がバレるのが怖いからだ。


 僕が求めているのは『普通の生活』だ。

 だから可能な限り目立たないように、学園長と約束して内密にして貰っていたはずなのに……。


 咄嗟にでた、疑問の言葉だったが、答えは深く考えるまでもなくすぐに出てきた。


「教師を落として、吐かせたのか」


 無意識のうちに語気が強くなるが、もうどうでもいい。僕が望んでいた平穏で『普通の生活』はもう戻らない。


「人聞きの悪いこと言わないで。勝手に吐いたのよ。で、そこからあなたに興味がわいて調べさせてもらったの」


「もういい。これ以上は手遅れだろうが、場所を移そう。杖を返してくれ」


 目には見えないが、悪戯っぽく笑う姿と杖を後ろに隠す姿が感じ取れた。


「その必要はないわ。今日から私が、あなたの杖になるもの」


 制服の生地が擦れる音から手を差し伸べているのだろうが、手の甲で抱いた怒りとともにそれを弾き、立ち上がった。


「僕を舐めるな。杖が無くても学校程度なら歩ける」





 これが僕と彼女のファーストコンタクト。

 何度思い返しても、間違いなく最悪の出会いだった。


 

 

 

 

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