条件と試行の話(三年・納井)

 あのときはさ、つまり置いてけぼりにされたんだよな、俺。


 いや、こっちの話。つうか人、減ったね。いやいい呼び戻せとかそんなこと言ってるわけじゃないから、止めろ宮塚。他の階で寝てるやつもいるんだから大声を出すな。朝当番のやつはしょうがないし、眠いやつだっているだろ。宮塚もいるし、石澤さんもいるし、井坂先輩も……ほら結構いるから。このくらいの人数の方がさ、話しやすいってのはあるしな。


 いや、すぐ終わる話だよ。勿体ぶってたわけじゃなくってな、なんか話しそびれたっていうか。

 正直ここまで怪談会がちゃんとやれるとは思ってなかったからな。ほら、何だかんだでOBさんとかはいい顔してない人もいたから。記録するとかそういうのがさ、決まりだってこだわる人はいたから。

 だからやろうと思ったんだけどね。そういう決まりがあるんなら、尚更。


 俺の話、その辺の説明みたいなもんでもあるんだよね。ある種楽屋向けっていうか、ほらDVD特典のオーディオコメンタリー、みたいな。聞かなくても問題ないけど、聞いとくとちょっとだけ面白い……っていうとハードルが勝手に上がるな。あー、解像度が上がる、みたいなもんかな。そんないいもんでもないったらそうだけども。高解像度で殴り書き眺めても何が楽しいんだって言われたら、まあねえ。


 それでも、話さないと終われないからな。だからまあ、聞いてくれよ。話すからには聞き手が必要だからさ。分かるだろ、そういう道理みたいなの。

 俺としてはさ、そんな悪いこともいいこともしてないんだよ。してないってことにしときたい、って言われたらそれまでだし、多分それで合ってると思うけども。


 兄がさ、いるのよ俺。どっちかっていうといたのよって感じだけど、一応死んでないから、いるって表現を使うしかない。今はちゃんと就職して、実家に盆暮れに顔出しに帰ってくるって具合。


 なんでそんな過去形なんだったら、兄だけどもう違う人になっちゃったからって説明をするしかないんだよ。


 ややこしいこたないんだ、順番通り話をしていけば、分かるようにはなってるから。──いや、分かんないけど納得はいくのか。それとも納得できないけど分かるのか。まあいいやどっちでも、根っこが変わんないならどっちでもどうでもいい。


 まず宣言しとくけど、いい兄だったんだよ。つうか、いい人だった。勉強分かんねえって言ったら教えてくれたし、遊びに行ったったらお土産買ってきてくれたし、あとはまあ友好的な親族、っぽいことは一通り押さえてくれてた。意識的にやってたとしても、それを全うできるんならもう同じことだろ。いい人のふりをし通せるんならそれだって才能だよ。

 仲、良かったよ。兄さんが都会の大学行って一人暮らし始めても、一か月に一回は遊びに行くくらいに。地元の外で遊べるってのも楽しかったけど、やっぱり兄さんと遊べるってのが嬉しかったから。


 で、高校二年の夏だった。夏期講習とかそういう大きいあれこれが終わって、ちょっとだけ残った夏休み。地元でいつもの連中とぐだぐだやるのも何となく嫌で、兄さんのとこに押しかけたんだ。

 兄さん、いつも通りに出迎えてくれてさ。普段みたいに雑談して、兄さんがPC弄ってる間に俺は部屋の漫画読んだりして、何となくいい時間になったら適当にピザ頼んだり配信サービスのいかにもダメな感じの映画みたりしてさ。そうやって何事もなく過ごしてたんだよ。


 ……映画がさあ、本当につまんないやつだったんだよね。


 内容、説明すんのもダルい感じなんだけどな。動画配信者が行っちゃいけない廃墟に乗り込んでそれなりの無礼と狼藉を働いてお化けとか人が暴れてあーあ、みたいなテンプレでさ。俺も兄さんも、ずっとげらげら笑いながら見てたんだよ。そもそもそんな行くだけで危ない場所なんかあるかよとか人んちで悪いことするとひどい目に遭うんだなとか、そういう感じの話をさ。ああ、兄さんは酒飲んでたっけな。俺は普通にコーラ飲んでた。ちょっとだけ羨ましかったけど、そんときはほら、未成年だったから。


 言い出したの、俺だったかな。こんなん現実味がないよなみたいなことを言ったのかもしれない。兄さんがそれに悪乗りして、そんなことないだろ何だって絶対ってことはないんだみたいなことを言ったのかもしれない。もうあんまり思い出せないんだよな、そのあたり。あんまりいつも通りのやりとりだったから、特に覚えてもないんだよ。


 ただ、思い付いただけなんだ。何となく流れで、雰囲気で、勢いで。そういう──魔が差した、みたいなことなんだと思う。


『じゃあさ、行ってみようか。そういういわくつきのとこ』


 兄さんが空になった酒缶を潰しながら、へらへら笑ってそういうことを言ったから。俺は何にも疑わずに着いていったんだ。

 だって兄さんがいるんだから、何があっても大丈夫だって思ったからさ。


 近所にさ、お誂え向きにそういうのがあったんだもんな。市街地のはずれとか山道沿いとかなら断念できたのに、市役所近くの住宅街なんてところにあるんだもの。そんなの、思い立ったら行けちゃうんだよ。

 いわくつきの、訳ありの、祟る場所。人が死んだとか殺されたとか捨てられてたとか、そういう……色んな噂があるけど、全部本当かどうなのか分かんない。でもきちんとみんな見ないふりをして、関わらないふりをする。

 平たくいや心霊スポットだよ。兄の家、って名前だった。兄さんがいるからちょうどいいな、みたいなことを言ったんだよな。俺だったか兄さんだったか、分かんなくなっちゃったけど。


 で、やたらと角ばった古い車ばっか止めてある庭先を過ぎて、家の中に入った。そんで──俺は帰ってこれたけど、兄さんは駄目だった。


 何があったか、覚えてないんだよな。

 気づいたら家の外にいて、玄関前に膝抱えて座り込んでた。合間のことは何にも思い出せない。すごく頑張るとあれだ、ガムテープでべたべたになった椅子、とかはでてくるけど、嫌だ。だから、話さない。


 そうやって座ってたら、玄関の引き戸ががらがらって開いて、兄さんが出てきた。


 引き戸を後ろ手に占めながら、兄さんが座り込んだ俺の方を見た。二回ゆっくり瞬きをして、何か言おうと口を動かそうとして、

 そのままばったり倒れて、それきりだった。


 詳細、言わない。嫌だから。必要なところを話すと、そのあと救急車も呼んだし入院とか通院とか色々やって、異常なしってとこで大学も卒業したし就職もした。ちゃんと両親ともうまくやれてる。

 ただ、俺のことだけ、弟がいたってことだけ駄目になってた。


 駄目になってたってのも──何だろうな、俺のことが誰だかは分かるんだけど、俺が弟だって事実が受け入れがたい、みたいな感じか。表立って言わないけども、たまに二人きりのときに確認するみたいに思い出話を振られたりするんだよ。こういうことがあったよな、じゃあやっぱり兄弟なのかな、みたいな具合でさ。


 俺がしんどかったの、目がな。やっぱりさ、分かるんだよ。お盆とかに帰ってきた兄さんと家族で飯食ってるときとか、ふっと気づくとあの人こっち見てんの。真っ黒い目が俺の方を向いて、こいつ何なんだろうなみたいな、値踏みするみたいな視線を向けられてるの。これがさ、存外に堪えるっていうか……何だろうな、視線に温度なんかないはずなのに、やけに冷たい気がするから不思議だったな。


 だから、もう兄さんじゃないんだよ。兄さんの体で声で経験をしてきた個体だけど、その中に俺の認識がないから、兄さんじゃない。いなくなっちゃったんだな、あの夜にさ。そういう理由で過去形。納得した?


 でさあ、何で兄さんがそんなことになっちゃったかったらさ、をしたからなんだって。

 何が、ってね。その廃屋、兄が行ったらいけない場所なんだって。勿論普通に行ったってそこそこ怖い目に遭ったりとかはあるけど、兄弟は特にいけない。そういう因縁話がね、あった。


 納得できるわけないじゃんねえ。

 そんなさあ、そんな決まりなんてものを破ったくらいでさ、兄さんがあそこまでひどい目に遭う理由にはならないだろ。


 だからさ、それから色々試したんだよ俺。高校んときは大人しくしてたけど、大学入って一人暮らし始めてから、そういう……やっちゃいけないこと、みたいなやつ。迷惑行為とか危険行為じゃなくて、もうちょっとこう、ホラー方面の方。

 多いんだよな、これをやってはいけない系の怖い話。音読しちゃいけない詩とか、頭洗ってるときに思い出したらいけない文章とか、寝るときに特定の順番で部屋の四隅を見ちゃいけないとか。これは全然何ともなかった。魘されもしねえの。まだこっちの熱帯夜の方が辛かったくらいでさ。異常気象の方がお化けより身にこたえるんだよな。

 あとは、まあ。入っちゃいけない場所っていうのが王道だよな。心霊スポットとか、そういうところ。


 行ったよ。初心忘るべからず、って言うだろ。

 通報とかされないんですかって、そりゃ大勢でぎゃあぎゃあ騒いでいったらそうだろうよ。俺、一人で行ってたから。俺が騒がなかったらバレない、っていうかご近所の迷惑にはならないんだよ。あとはまあ、不法侵入だってのはさておいても最低限の礼儀は守ってたから。ちゃんと靴脱いで上がったし、物壊したりもしてないし、何かしら持ち帰ったりもしてない。


 色んなとこ、行ったんだけどな。

 その気になって調べると、それなりに出てくるんだよな。ここみたいな都会だと、尚更。俺の地元に比べたら石投げりゃ幽霊屋敷に当たるんじゃないかってくらいにさ。やっぱあれかね、人がいっぱいいるとそういう因果なことも起きやすいってことなのかね。知らねえけどさ、その辺。

 ただまあ、全部似たり寄ったりってのもそうなんだよな。部屋の七割くらいで人死にが起きてるし火事で駄目になったからライター持ってくと祟られるって廃アパートとか、何をどうやっても遊具で首吊る馬鹿がでるからもうベンチしか置いてない公園にロープ持って行ったりとか。柄シャツ着てっちゃいけないってとこもあったな。一家全員強盗に惨殺された、みたいな一軒家だったけど。いけないったって、守んなかった。手持ちで一番派手なやつ着てったよ。


 でも、見りゃ分かると思うけどさ。俺はこうして生きてんだよな。


 がっかりした、っていうと失礼かもしんないけどな。でも期待外れなんだよな、全部。何が行っただけで祟られる廃ホテルだよ、足を踏み入れたもの全員死ぬ一家心中の家だよ、立ち入ったら二度と帰れない首吊り事務所だよ。健康診断にすら引っかかったことないんだぞ、俺。

 どうしてなんだろうな。とっくに俺、あのときの兄さんよりかは祟られるだけのことをやらかしてるはずなのにな。おかしいよな、なんもかんも。


 この怪談会もな、そういう具合の意図ではあったんだけど……まあ、結果としてこれだから。今んとこ普通に続いてるし、録音トラブルもないじゃん? だからまあ、こんなもんなんだなって話だよ。また外れかな、って気はしてる。それはそれとして、特集で記事書けるのはいいことだけどな。不幸中の幸い、ってやつだろ。一石で二鳥は無理だったけど最低保証は取れたみたいな。


 そうすね、先輩。まだ未完成、っていうか試行の余地はあるんですよ。

 これを記録してどうなるかって話ですけど、まあ知れてるじゃないですか。大学のサークル合宿の思い出、ってぐらいのものですよ。それはそれで得難いものじゃないですか、きっと。そのためには多少色々あったところで、ね?


 だからその辺は、平枝に任せようと思ってるんですよ。ほら、一人より二人の方がうまくいきそうじゃないですか、色々。俺が駄目でも、あいつが何とかしてくれるかもしれませんし。

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