おまじないと血縁の話(四年・葛西)

 もう随分いい時間なんじゃないかな。


 ああ、脅かしたんならごめん。この部屋、外から見ると暗いからさ。もう解散したかなって思って雑に開けちゃった。ごめんね、ぶち壊したんなら謝るよ。

 にしても今起きてるの、昼間寝てたような連中ばっかりでしょう。一年二年の子達は明日も買い出しだのなんだので出るだろうし、そろそろ──あ、そうなの? いや、話す予定があるっていうなら別にいいけどね。井坂くんはどうせ一番手やったんだろうけど、納井くんは何をそんな勿体ぶってたの。その結果聞き役もいなくなってたら意味ないでしょうに。

 別に喧嘩売りに顔出したんじゃないよ。最初に言ったでしょう、様子見と、あとは……ちょっとこういうとこじゃないと話せない感じの手持ちがあったからさ。

 終わってたら諦めるつもりだったけど、まだだらだらやってたんなら、さ。いい? 長い話じゃないからさ、納井くんの前座、ぐらいの位置で。そのくらいの話だから。


 ありがとう。名乗らないといけないの? じゃあ、四年の葛西。年上特権のゴリ押しってことになるのかな、これ。今年で最後だから、堪忍してね、納井くん。来年からは君が横暴を押し通せる方だから。


 そうだね、概要としては私の田舎の話、なのかな。ジャンルとしては避雷針のつくり方、みたいなことなんだけども。避雷針を悪用したらろくなことにならない、って感じの。口に出すとあまりにも当たり前だね。


 ひどい目に遭ったこと、ある?

 ええとね、違うの。宗教とかそういう勧誘じゃなくって、あれだ、条件設定がしたいの。そういう状況のときに、って導入だから。別にお祓いがどうこうとか前世がどうとか言わないよ。そういうのは趣味じゃないから。お祓い、面白いけどね。火が燃えてリズム隊ががちゃがちゃやってて。ん、年一でやるんだ、私んち。ただの年中行事だけどね。

 話、戻すね。経験の有無、とりあえず思い浮かべてくれたかな。

 そんなめちゃくちゃにひどいことじゃなくっていい。そうだね、気に入ってた煙草が廃盤になったとか、よく通ってた本屋がいつの間にか潰れてドラッグストアになってたとか、デザインが気に入って買ってきたコップを使ったその日に割ったとか。そういうくらいのやつ。


 何か、不幸があるとするでしょう──今の例で不幸っていうと大袈裟か、日常生活における、何かしら嫌な経験。

 そういうのをね、押しつける相手を作るの。誰でもいいから、適当な人の名前をつけて、その人に起こったことだって語るのね。そうするとそのできごとの縁がその架空の相手に移って、後々悩まされることがなくなる。


 つまるところおまじない、なんだけどね。他で聞いたこと、今んところないから。うちだけっていうか、地元の言い伝えみたいな枠なんだと思う。後々お婆ちゃんも知ってたしね。

 私は母から教えてもらった。確かね、父とプラネタリウムに行くんだって約束してたのが駄目になったときだったかな。ずっと楽しみにしてたから悔しくってね、わんわん三日ぐらい泣いたり落ち込んだりして食事も取らずにいたら、教えてくれた。プラネタリウムに行けなかったのも悲しかったのも私じゃない、別の誰かのせいにしよう。だから、こうやって泣くのも拗ねるのも意味がないこと、みたいなね。子供に教えることじゃないったらそうだけど、でもそれで納得したからね、私は。まあ、まだ恨んでるけど。単純にしつこいから、私。


 おまじないだけど、一応禁止項目みたいなものもあったよ。

 血縁、もしくは顔が思い浮かぶような近さの相手の名前は使っちゃいけない。全く架空の人、実在をこちらが認識していない相手に対してやらないといけないんだよね、要はさ。

 だってそうでしょう、具体的に実在している人のことでやったら、それは風評被害っていうか……呪いと同じことでしょう。不幸をその人に、本当にいる人に押しつけるわけだから。お前のせいだ、のお前のところに実名を入れたらただの糾弾だもの。よくないこと、でしょ。


 まあ、そういう前置きがあったらね。当然気になるよね。

 決まりを破ったら、呪ったらどうなるか。だってやっちゃいけないことが分かってるんなら、やれるんだもの。

 やった人ね、いるよ。というか、私。


 実験ぐらいのつもりだったんだけどね。あとは、……まあ、内緒でいいか。好きに考えてくれていいや。解釈の余地、ある方が好きでしょう。最近はみんなそんなのばっかりだしね。勿論私も好きだけど。趣味がね、悪いから。なかなかの無法だよ、人の内心だの事情だのを推測して慮って理解したようなふりするの。自覚があるならまだしも、ね。


 叔父がね、死んだの。春の三月、ようやっと風があったかくなってきた頃にね。


 ああ、これは前提。私が高校生になる前かな、事故だか自殺だか曖昧なあたりで、ばつっとね。大まかには身投げかな。どっちでも取れるから、どっちでも悲しいやつだった。

 いい人だったよ。夏休みとか冬休みにお婆ちゃんちに遊びに行くと会える親戚で、父さんたちが忙しいときにドライブに連れて行ってくれたり内緒でアイス買ってくれたりするような人だった。私が小さいとき、多分法事かなんかのときだったかな。暇だなって寄っていったら煙草の煙で輪っか作ってくれたのをまだ覚えてる。可愛がってもらった、っていうか構ってもらえた方だと思う。多分ね、向こうとしても何か動く小さいものがいるな、っていう構い方だったとは思うけど。犬猫と同じ。でも、ひどい目に遭わされたりはしなかったから。じゃあ、嫌いにはならない。そういうものでしょう。


 そういう叔父さんだったから、死んだとき悲しくってね。思い出すたびに悲しい、でも忘れてなかったことにするはもっと嫌だなって、葬式の最中ずっと考えてたの。


 去る者は日々に疎し、ね。昔の人は要約が上手いよね。自分の人生からいなくなったものって、あっという間に覚えていられなくなるもの。大事にしていたのにうっかり割ったキャラクターのコップも、駄々をこねてようやっと買ってもらったけどすぐに履けなくなったお気に入りの靴も、飾りの魚が可愛くってずっと使ってたのにいつの間にか失くした水族館土産のシャーペンも、全部ね。写真とかに辛うじて残ってるけど、実感は全然。でも、まだ写真っていう証拠が残っているならね。記録がないと、どう思っていたかどころか、思っていた相手さえ忘れちゃうから。きっといっぱいあるんだろうな、そういうもの。私にも、君たちにもね。


 それにね、前提がちょっと違うでしょう。

 私が覚えている叔父さんは、私の頭の中にしかいないわけだから。

 じゃあ、私が忘れないようにするしかない。当然だよね、他人の覚えてる叔父さんじゃ、意味ないもの。私の記憶している叔父さんを、私が絶対に忘れないようにしないといけない。それが大前提なんだから。


 そうやって色々考えて、おまじないのことを思い出したの。それで、使ってみようと思ったの。嫌なこと、っていうかこれから私に起こることの幾つかを叔父さんに押しつけようって。

 とにかく忘れたくなかったんだよね。どういう使い道でもいいから、叔父さんのことを覚えておきたかったし、ん……更新し続けたかった、みたいな感じかな。ほら、死んだ人ってそこで止まっちゃうでしょう。それが嫌だったの。せめて体験を被せることで存在の位置を引きずっておきたいなって。叔父さん自身はいなくなったから、もうそれきり新しい記録は増えないけれど、私がここで嫌な体験を被せる相手として設定したら、疑似的に叔父さんの体験も増えていくでしょ? 去る者が疎くなるのはその存在が時間に削れていくばかりなんだとしたら、削れるより多く付け足し続けていけばいいってこと。一日二歩下がるにしても、三歩進んでおけば少なくとも損失はない。収支の問題だよね。


 めちゃくちゃ言ってるでしょう。理屈がね、雑。

 しょうがない、って見逃してね。中学三年生の思い付きに論理を求めないでよ。そもそも根拠が田舎のおまじないなんだから、そもそも前提から破綻して然るべきだし。

 でも、思いついちゃったから。だから試したの。


 もう一つ、悪いことした。決まりを破った、っていうべきかな。

 日記をね、つけてた。生活記録とかそういうんじゃなくて、その……おまじないの記録、かな。どういう嫌なことがあって、それをどうやって叔父さんに押しつけたかを、ね。

 本当なら語るだけで済ませないといけなかったんだよね。最初に母さんが言ってた。口に出して、しょうがないねえって笑い飛ばして、忘れないといけなかった。

 それだと意味がないし、嫌だったから。

 それにね、そうやって書き残すことでより確かなものにしたかったっていうか。私と叔父さんの秘密だから、せめて文章にしておきたかったの。だってそうしないと、忘れちゃうから。


 こつこつそういうことをね、中学生からやり続けてたんだけど。今年の三月に、法要ってことでお爺ちゃんの家に集まったの。

 一族郎党、っていうと大袈裟だけど。顔を知ってる親族が大体喪服で集まってね。読経と説法が終わってから、みんなして食事会兼宴会みたいな感じになったの。

 皆ね、ちゃんと思い出話をしてくれたの。叔父が小さい頃に迷子になって靴なくして出てきたとか、高校のときに自転車でしくじって右膝に跡が残ってたとか、大学生のときに迷子になった子供に親と間違われて懐かれて別れ際に余計に泣かせた、とか。


 そういう私の知らない話の中に、私しか知らない話が混じってた。


 高校一年のときに階段から落ちて額を切ったこと、高校三年のとき、私の友達が目当てだったやつに告白されて付き合って友達と渡りがついてからすぐに振られたこと、大学一年生のときに酔っ払った父さんが『お前のことをどうしても好きになれないし才能もないから早く家を出てどこかに行け』って笑いながら言ったこと。

 全部叔父の話じゃない、私があのおまじないで押しつけただけの経験。その話が叔父の思い出話に混ざってたの。

 私が押しつけたことが全部法事の思い出話で出てくるの。そういうこともあったよなってみんな笑顔で、いかにも故人を偲ぶみたいな口調で。あるはずないのに。全部私が遭遇して、押しつけた不幸なのに。


 そこまで考えてね、遺影を、見たの。お葬式からずっと、何年も見てなかった。

 白黒写真の右目の上、眉と額の合間に、傷跡が増えてた。

 高校生の私が怪我したのと同じ位置に、ね。当たり前じゃない、私が押しつけた傷だもの。なかったはずの傷、でもそれがなかったことを、今じゃ私しか証明できない。そういう跡を、つけてしまった。

 それでたまらなくなって、止めたの。


 どうだろうね。ここまで話しておいてなんだけど、そう言ってるのは私だけって話でもあるんだよね、これ。

 全部私の気のせい、思い込みってのが普通にありえる。っていうかそっちの方が普通、だよね。今私が話したこと、丸飲みで信用するような人はちょっと怖いもの。騙されがちなやつじゃないかな。嫌いじゃないけど、きっとろくな目に遭わない人だよ。


 だから、曖昧なお話ではあるの。

 聞いてる人間が、どちらを信じるかってだけの話だよね。たかが子供の思い込みと田舎のおまじない一つで、そんな人の過去や認識が改竄されるようなことがあるかどうかっていったら、ねえ。めちゃくちゃでしょう、そんなのが通っちゃったら。そんな簡単にとんでもないことが起きたら、普通に生きるのだって難儀な話じゃない。


 私? 私はね、信じたくなくても信じておかないといけないから。よくないことをしたんだもの。バチ、当たるまでは覚えておかないと。当たり前でしょう。


 だからこんなところで、名乗ってまで話したわけだから。記録してくれるんでしょう、この夜の話。私にとってはすごく都合がいい。覚えてもらってさえいれば、ね。。ねえ、納井くん?

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