視覚と基準の話(要確認・不明)

 吉宮くん、ちゃんと部屋戻れたかね。あれか、二年男子ったら二階の大教室だから辿りつけさえすれば適当に寝れるだろうし、心配することないったらそうだけども。


 こんな長期戦になるなんて思ってもなかったんだよなあ。本当に予想外。

 例年ならこの辺で何となしにお開きになるんだけど……元気だね、納井。もう井坂先輩なんかうとうとしかけてんのに。

 まあ、人が減っても寝落ちてもまだ半分よりかはいるんなら、別にいいか。寝落ちた連中も放っておいたところで平気だろうし。冬だったらいけないけどね、夏だし、若いしね。どうせ明け方あたりで目が覚めるでしょ。さすがに俺たちもそこまで話してるとは思わないけど。キリよく済んだら終わるだろうし。始めたんなら終わらせないといけない、何だってそうだろ? もっともこの会、ちょうどいい終わり方ってのがよく分かんないけどな。それはそれで都合がいいかもしれないけども。何となく始まって何となく続いて手遅れ、ってのも面白いしな。


 じゃあ、場繋ぎにちょっと話そうか。そんな大した話じゃない、さっきと同じだ、おまけだよ俺は。そういう立ち位置が向いてるんだ。


 俺の出身、地方だってのはさっき聞いたね。そう、寒い土地で本やも映画館もろくになくって電車も通勤時間以外は一時間に一本あるかないかみたいな有様。みんな言ってたもんな、じゃあ覚えてくれるはずだ。真剣に聞いてたもんね、お前。大事だよ、人ん話を聞いて覚えておくってのはさ。知ってないと存在しないのと同じだからね、何だって。

 その地方で、俺がまだ高校生だったときの話だ。まだ俺が煙草も酒もやってなくって、目の下に隈も耳にピアスも何にもなかった頃の話。あー……麻雀はやってたな。親戚一同集まるとやるんだよ。まあ、概ね健全で真っ当な未成年やってたってこと。そういうことだけ分かってくれればいい。


 そんなとこ住んでて不満とかなかったんですかったって、だって田舎だもの。そりゃあるさ、好きなバンドのライブが全国って言っておいてうちの県だけこないとか、テレビで話題のキャンペーンを実施してる店舗がどこにもないとか、そういう細々した不満はね、どうやったってある。

 ただ、それで鬱屈して非行に走ろうにも走る先がないんだよ。駅前が十時回ったら暗くなるような土地で夜遊びも何もないだろ。鹿とか出るし。暴走族やろうにも走れる時期が少な過ぎてやりがいがない。寒いんだよな。駅前でたむろしてたらお巡りさんより先に救急車呼ぶ羽目になる。それじゃあ迷惑の掛け方が違うからね。意味がない。

 だからまあ、みんな大人しく高校生やってる。それでもたまに思春期だか人生だかをしくじるやつはいるけど、基本的に個人の問題だからすぐ忘れられる。

 俺の通ってた高校はことにそんな感じだったな。そういう校風ってのもあるかもしんないけど。一応進学校名乗れるくらいのとこだったから、田舎の学校にしてはマシな方の偏差値だったんだよ、昔はね。そういうところに来るような連中だから、わざわざ問題起こすよりか、学生時代なんてもんは早めに耐え忍んで大人自由になってやろうってくらいに割り切れてるやつらが多かったよ。可愛げとか青春っぽさとか、足りてなかったかもしれないけどな。


 とまあ、学校全体がそんな具合だったけど、クラス単位でも基本的にはそういう感じでね。俺のいたところはそうだった。一年のときからクラス替えなしで、最初は平均的に三十人。途中で一人転校だか不登校だかでいなくなったけど、結構早いうちにいなくなったからみんなそいつのことは覚えてない。それ以外はそれなりにもめごともなくそれなりに行事も試験ものたのたこなすような、普通のクラスだったよ


 で、三年生のときだった。確かね、六月の真ん中くらいだったと思う。朝方派手に雨が降って、午後には上がったけども晴れるまではいかなくってどんより曇ってた日だった。


 何があったか最初に言うと、西間くんが別人になってたんだよね。


 西間くんって誰だって言われたら、普通に友達。部活とか委員会とかも何かやってたっけな、その辺は特別どうこうみたいなのもない。地味なクラスメイト。喧嘩もしないけどやたらとつるんだりもしない、挨拶ぐらいはタイミングがあったらするかなってぐらいの関係。っていうかみんなとそんな感じだった気がする。それで特にどうこうもないし、本人としても上手くやってたんじゃないかなって思うよ。そういう子、心当たりあるだろ。良くも悪くも存在感がないけど、それに誰も何も思わない、みたいな。勿論自分自身もね。


 俺が朝登校して教室入ったら、何かざわざわしててさ。何あったんだろうなって聞いてもみんなしてもにゃもにゃ言うばっかりで、誰もちゃんと答えてくれない。ハブられてるとか誤魔化されてるとかじゃなくて、あー……皆どうしたらいいのか分かんなくなってる、って感じだったんだよな。


 何だろうな、って思って自分の席に着いた。そしたら前の席、西間くんがこっち向いた。

 そんでみんながざわついてるわけがすぐに分かった。西間くんの席に着いてて、西間くんの声でおはようって俺に挨拶してきてくれたけど、西


 もうね、別人なんだよね。雰囲気とかじゃなくて顔の造作がまるごと違う。

 元の西間くん、一重の垂れ目で鼻もちょっと低くて口元も柔らかい感じの……愛嬌のあるたぬきみたいな顔だったんだけど、それがこう、目なんかしゅっと筆で引いたみたいな切れ長の吊り目になってるし鼻のあたりにそばかすあるけどすっと筋が通って唇薄いしっていうような顔になってるんだもの。別人だよ。

 あ、声はね、変わってなかった。だからまだ西間くんかもしれないって判断ができた。あれで声まで別だったら、多分みんなパニック起こしてた気がする。意外と大事だから、音声情報。目は瞑れるし逸らせるけど、耳って自発的に閉じられないから。不便だよね。都合もいいけど。

 で、さっきも言ったけど地味な子だったからね、西間くん。そういう状況でどうしたお前、って突っ込んでくれるような相手もいないんだよね。かといってあんた誰だって糾弾してくるほど嫌ってるやつもいない。どうしていいか分かんなくて、みんな何となくいつも通りに遠巻きにしてる、みたいな。


 で、そうやってざわざわやってるうちに授業ってことで先生来てさ。一限で、現国だった。全員席に着くわけよ。当番が号令かけてさ。

 先生、いつも通りに教卓からこっち見て、


「えっ」


 そのまましばらく固まって、普通に教科書読み始めた。だから、それ以上何ともならなかった。すごいよね、大人の力技ってそこで初めて見た気がする。声まで出しといて言及しないの、それはそれで気合がいるものね。

 おっかないことにそれを他の教師も全員やったもんだから、結局誰も指摘しなかった。

 明らかに西間くんの顔してない西間くんのこと、全員見ないふりしたんだよね。──いや、無視とかじゃなくってさ。顔が違うってことに誰も触れないで、普通に、いつも通りに。


 俺もまあ、そうしてたんだけどね。ただほら、席順がさ。前の席だったからさあ、大変だったよ見ないふりするの。

 後ろ姿だけならね、まあ分かんないよ。髪の色とか変わってたかもしんないけど、俺そこまで鋭敏な色彩感覚があるわけじゃないし。だけどさ、プリントとか回ってくるときにこっち向くだろ。そういうときにさ、見えるわけよ。ていうか目が合うんだよね。

 目がなあ。全然違うんだもん。二重とか睫毛とか左眉の際あたりにあるほくろとかそういう細かな部分の話じゃなくって、目玉がさ。人じゃないんだよ。どう見たって。


 だって普通の人ってさ、黒目って一つだけでしょ。目玉の真ん中、黒いところがよく見たらつぶつぶ複数の瞳が集まってるってのはさ。駄目だよそんなの。


 近くで見ないと分かんないけど、見たらわかるからさ。駄目だと思ったね、あれは。だけどほら、正面から言えないからそういうこと。西間くんだって言ってるわけだしさ、向こうは……。


 次の日、ちょっとビビリながら登校した。同じように教室入って席着いて、振り返った顔はいつもの西間くんだった。……まあ、教室入った時点で分かってたけどね。だってみんな明らかにほっとした顔してたから。西間くん自身は、ちょっと落ち着かないみたいな顔してたけど。

 一応ね、迂遠な聞き方はしたんだよ。昨日なんかあった? みたいなやつを。そしたら普通に学校来てたよ挨拶したじゃんって言われて、ああそうだねって返した。確認取るまでいけなかった。そこまで踏み込めるほど親しくなかったし。


 どうなんだろうね。

 考えられるのはさ、二つあるよね。俺らのせいか、西間くんのせいか。せいっていうとちょっとあれだけど、要はどっちに問題が起きてたのかって話だよね。

 俺ら集団の目がまとめておかしかったのか、それともそいつ一人の状態? がおかしかったのか。多数決なら一発だよね、俺らがそう見えてたのが正しくって、そいつの姿が一日限定で別人に成り代わってたってだけの話。事象としては単純だろ。起きる起きないはさておいて、さ。


 あれだよね、数の暴力で押し切られるっていうと何だか野蛮だけどさ。認識する人数ってのは力になるってことじゃないかねって俺は思うよ。

 そりゃあね、一人がただ言ってるってだけならさ、そんなもんはただのうわごとだよ。ただそれを信じる人間が二人になったら、そこから四人、八人って倍々で増えていけばさ──一定の人数以上で共有された妄想ってのはさ、それはもう一種の事実になり得るんじゃないかなって話だよ。全員で見ている幻覚だったら、もうそれは幻ではなく現実に比するくらいの質量を持っている……ってのは大袈裟かな。どうだろう、哲学とか感覚の領分か、これ。俺その辺はよく分かんないんだよね、考え出すときりがないじゃんって放り投げる方だから。器量がないってのもそうだけどね。向いてないんだよ、そういうの。

 ま、ともかく。

 皆で信じれば人の一人や二人、平気で増えるし減るんじゃないかなって。そう考えると日常、結構面白いんじゃない? 間違い探し、厳密にやったら気が狂えるかもよ。一か月前と、昨日と、五分前と。全く同じものなんて意外と何にもないのかもしれない。そういう考えもさ、ありかもよ。

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