教怪:予兆あるいは杞憂

『ねえ、平枝くん』


 名前を呼ばれたような気がして振り返る。

 視界に入るのは本棚と去年の六月からめくるのを放棄されたままのカレンダー。とうに過ぎ去った日付の群れの上、描かれた朱色の花は役割を果たせずに終わったものへの供花のようだ。棚の上に置かれた時計は物音ひとつ立てることなくデジタル数字で20:14土曜の夜の始まりを示している。テレビはスイッチを入れていないし、ラジオなんて文化的なものは置いていない。一人暮らしの部屋には当然自分以外の人間がいるわけがない。

 俺の名前を呼ぶようなものは、何ひとつ及び誰一人として存在していない。


 気のせいだと納得して、PCの画面に向き直る。開かれたフォルダの中にはテキストデータが並んでいる。


 データは作成日時を基準に整然と並んでいる。晩夏からこつこつ地道に続けている作業の成果というべきだろう。怪談会の音声のテキスト化という仕事は順調な進捗を見せている。

 八月の頃より打ち込むペースは上がっている。単純な打ち込みの速度もそうだが、作業に慣れてきたせいだろう、最初の頃よりは変換や聞き取りで手間取ることも減った。


 技術的・環境的に作業が滞る理由はどこにもない。ならば問題は何もない──そう言い切れない理由が僅かながら存在しているというのが残念な話だ。


 テキストのタイトルの中に混ざる(不明・要確認)の文字。他のタイトルと同じく無機質なフォントで表記されているそれを見つめて、俺は溜息を吐いた。


 文字通りの意味だ。テキストのタイトルには仮題と共に話者の名前を記録するようにしている。井坂先輩がルールとして提示したせいだろう、殆どの参加者は名乗るタイミングの差こそあるが、大抵はきちんと名前を名乗っている。


 これまで幾つか書いて打ち込んできて、音源を聞くうちにそれなりに参加者は絞れてきたはずだ。自分がサークルに顔を出さないせいで馴染みのない人も含まれてはいるが、それでも耳が最低限は聞き慣れてきたせいか、それなりの精度で聞き分けができているように思える。

 休みが明けてから何だかんだで以前よりは例会に顔を出すようにしているせいもあるだろう。生の声を聞いてからPCで聞いた声だと納得することがある。普通なら順序が逆なのだろうが、そうなっているのだから仕方がない。作業の性質上、声と名前だけはそれなりの強度で結びついている。データが映像だったらまた話は別だったかもしれないが、残念ながら音声のみだ。声と話の内容から想像していた人間とはかけ離れた顔を見て、勝手ながらそれなりに衝撃を受けた相手もいる。宮塚があんなにじゃらじゃらしているとは思わなかった。


 八月の頃よりは俺の知識──サークルに所属する人間や怪談会の面子についての記憶だ──も増えている。

 それでもなお覚えのない、顔も何も思いつかない声。正体の予想は一向につかず、現実と何一つ結びつくことなく、ただ音声データの上でだけ存在する声がある。


 恐らくは男だろう。低い声だ。その奥底にざらざらと砂の混ざるような荒れ具合を滲ませるくせに、端々に爪を立てるような妙な甘さと柔らかさがある。悪声とも美声とも言い難い、聞いたことがあれば確実に忘れられない類の声。それなのに聞いた端から耳から溶け零れるようにその印象ごと薄れて消えてしまう。

 聞き慣れてはしまったが、知らない声であることに変わりはない。ざらりとした質感の、ひどく特徴的な声なのに現実の誰とも結びつかない声は、相変わらずその正体を朧にしたまま饒舌な語りだけを重ねていく。


 その声が語るときには名乗りがない。名前も学年も名乗らず、ただ穏やかに当然のように、奇妙な怪談とも奇談ともつかない曖昧な恐怖を語っている。


 最初にその声が現れたのは宮塚の語りの後だった。一回目の時点で名乗っていなかったが、だからこそただのミスだと解釈した。二回目、石澤先輩の後に割り込んできた時もそうだった。出身地が寒いところだとか昔のバイト先などのどうでもいい情報はべらべらと語るのに、名前だけは頑なに名乗っていないのだ。


 周囲の人間が反応しているらしい音も録音されているのに、誰も名前を呼んでいない。だから推測することもできない。その声自身は話の中で他の参加者の名前を呼ぶこともあるというのに、その逆の状況が見当たらない。打ち込んだ話数や聞こえてくる内容からして、怪談会ももはや終盤の一歩手前まで来ているはずだ。それでも一度として名前を呼ばれずにいるというのは、あり得なくはないが珍しい状況ではあるだろう。基本的に一人一話で進んできている状況で二話目を語っているのもこの声しかないのに、そのことに誰も言及していないのも気にかかる。

 だからこそ、一度気づいてしまった以上は聞き逃せなくなってしまった。

 最近では話の合間に挟まる雑談やざわめきの中にもふとその声が混じっていることに気付けるようになった。当たり前のように、それこそ耳に馴染み過ぎて聞き取れない喫茶店のBGMのようにさりげない調子で、日常において目を向けるに値しない雑音としてその声は聞こえてくる。


 素性も身元も何一つ分からない。そんな曖昧で不確かなものをこの作業を通してその声の存在だけをただ刷り込まれているような感覚。それが何となく落ち着かない。柔らかな声と異様な語りが、耳を通してその存在を馴染ませようとしてくる。ただその声質だけが徐々に俺の記憶に浸み込んでいく。そんな嫌な想像をしてしまう。


 想像を打ち消すように首を振る。まだ気のせいだと言い張れる、はずだ。俺がただサークルの人間を把握しきれていないだけだと言われたら反論はできないし、声を聞いていない人間なんて幾らでもいる。不思議なことも不気味なことも何も起きていないと主張することは容易いだろう。

 それと同じくらい、異様なことがあり得ないことが起きていることを否定する根拠もないのだ。

 あり得ないことを証明するほど難しいことはない。そのくらいは怠惰な大学生の俺でも知っている。数学の証明の問題のように、現実は事象をお膳立てしてはくれない。正答はどこにも用意されていないし、必要な要素も無関係な因子も同じ顔でごろごろと転がっているばかりだ。正しい数値を代入すればその通りの答えを出力するのが数式だが、代入すべき値を探し当てる術がないのならばどうにもならない。


『平枝くんはさあ、』


 ──まただ。

 作業上の問題点として気にかけているせいだろう。幻聴とまではいかないが、日常のふとした瞬間にあの声で呼びかけられたと感じることが度々起こるようになった。

 耳元近く、あるいは背後。ひどく近い距離で囁くように聞こえる時点でまともではない。生身の人間がそこまで近づいていたら、いくら雑な俺でも気づかない方がおかしい。

 ましてや一人暮らしの室内でそんなものが本当に聞こえているわけがない。だからこれは純然たる気のせいであり、ただの気の迷いであり、聴覚の気まぐれでしかないはずだ。


『中途半端に知っちゃうと、どうしたってろくなことになんないから。しょうがないね』


 直前まで聞いていた音声が、やけに生々しく思い出される。

 荒れて甘い歪な声が不意に耳元にまつわりついたような気がして、俺は舌打ちしてから椅子に凭れかかる。

 椅子の微かな軋みとキャスターが床を擦る音が部屋に響き、すぐに静寂に飲まれて消えた。

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