友達と庭の話(三年・多那垣)

 あー……物をね、壊したっていうか。ただ被害者が被害者してないっていうか、その辺りがちょっとあれな感じだから、前科とか賠償とかそういう方にもいかないから結局全部ほっぽらかしっていうか……うん……。


 ──ちょっと待って、もうちょっとしたらちゃんと起きるから。ちゃんとっていうかこの状況で居眠りできたんだな、俺。具合悪いとかそういうんじゃないって。普通に眠かったってだけだから。昨日あんまり寝てないところに、今日も買い出しとか地元の子供と遊んだりしてたし。昨日はほら、学年対抗スマブラ大会やってたから。例年通りOBの笹島さんがハード持ってきてくれてさ……。


 あっとね、多那垣たながき。史学科の三年。あぶねえ名乗り損ねるとこだった。寝起きは駄目だなやっぱ。ボケる。

 とりあえずさ、今のですぱっと目覚めたから。起きてるうちに話しとくよ。終わったら部屋帰って寝る。明日の朝食担当なんだよ俺。


 友達がいんのよ。

 えっとな、もうちょっと足すか。仲が良い。付き合いも長い。生まれた病院は違うけど、幼稚園から高校までずっと一緒。名字が篠田。父母兄の四人家族で、家族同士の面識もある。

 そうだな、一言でまとめて幼馴染だ。便利だな日本語。一言で大体情報がまとまる。


 まあ、友達だからさ。家とか遊びに行くんだよ。これは高校二年の夏休みに遊びに行った時の話。八月の……お盆のちょっと前くらいか。時期それなりに細かく覚えてんのはさ、確か前の日に夏期講習で出た英作文が面倒だったせいだよ。土日明け提出ってことだから、難度高い課題がきたからさ、もう途方に暮れちゃって。英語苦手なんだよ俺、中学の時に三人称単数が全然分かんなくて親にシバかれたくらいにはさ。おかげで覚えたけど、痛かったし。

 そういう苦手科目のすごいのが出たから、篠田にヘルプ頼んで勉強会しようぜって約束したんだよ。あいつ英語得意だから。社会はちょっとすごいけど。博多県とか言ってたから。今でも仙台県とか言いかけて黙ってるから、本当に興味がないんだと思う。有名な地名だけ拾ってる感じ。


 午後二時からって約束だったから、その五分前に着いたんだよ。

 篠田の部屋でやるってことだったから、ご家族とかいてもまあ大丈夫だなみたいな。そもそも付き合いがそこそこあるしね。家で行き会ってもあら渉くん来てたの、ってぐらいでおしまい。信用があんの。それでも一応さ、親から手土産に西瓜持たされてはいたよ。俺食えないから本当に先方に渡すだけだけど。嫌いなんだよ西瓜。味しないし、でろでろするし、とろみのあるマイクロビーズ食べてるみたいな気分になる。瓜臭いし。嫌いだよ。


 西瓜入った袋提げてさ、チャイム押して、そしたらインターフォンで確認もせずに篠田が玄関開けてくれた。チェックしろよって言ったら、どう見てもお前なのにするだけ無駄じゃんって返された。まあその通りだなって、納得した。

 そのままお母さんに挨拶して西瓜渡して、洗面所借りて手洗って、篠田の部屋行ったわけだ。


 最初はさ、普通に勉強してた。だって終わらせないと困るの俺だし、主目的はそれだし。篠田も数学の課題が出てたから、俺の手伝いしてくれながら解いてた。薄々分かってると思うけど、篠田の方が総合して成績良かったんだよ。だから地元の国立いけたし。こないだ飲んだとき、卒業したら公務員試験受けるって話してたもん。人生設計が手堅いんだよな、あいつ。


 で、そうやって黙々とやってたらちゃんと片付いたわけだよ。当たり前っちゃ当たり前だよな。量に限りのある課題なんだから、手動かして解いて書けばいつかは終わる。

 時計見たらちょうど一時間ぐらい経ったところだった。休憩っていうか、切り替えにはちょうどいいなってことで篠田がお菓子と飲物取ってきてくれることになった。これはさ、別にあいつのお母さんがひどいとかそういうんじゃなくて、習慣なんだよ。俺が遊びに来てるときは徹底して顔を出さない、みたいな。友達といるときに親に邪魔されたくないでしょうみたいな気遣いと、まあ多那垣くんだしねみたいな。俺個人に信用があるっていうより、付き合いの長さに基づいての方が重いとは思ってるけど。何かあったら親に連絡すればいいしね。


 そんで篠田が出てったから、とりあえず漫画でも読んでるかって本棚の方に行こうとしたんだけど。

 部屋のドアが三回ノックされて、返事も待たずに開いた。そこから篠田のお兄さんがぬっと顔だけ出して、


「ちょっと下まで来てくんない、多那垣くん」


 はい分かりました、って着いてった。何でって、別に断る理由もなかったし。家の住人に言われたら、客は従うもんだろ。客だもの。

 階段降りて、廊下歩いて居間の大窓から裏庭に降りた。蝉がめちゃくちゃ鳴いてたし、日差しはぎらんぎらんしてたし、サンダルは砂っぽくて熱かった。


 お兄さん、庭の真ん中に突っ立ってた。

 その足元の真っ黒い影の中、何か小物があるのが見えた。何だろうなあれって、とりあえず近づいてみた。

 茶碗が三つ並んでた。

 明るいピンク色の花柄のと、シンプルな紺色に図形の模様入りの、黒い焼き物みたいなやつ。見て分かるくらいに安っぽい感じで、百均で売ってそうだって思った。

 お兄さん、俺の目を真正面から見て、一度頷いた。


「悪いんだけど、この茶碗を割ってほしいんだ」


 何でってなるじゃん。聞いたよ。でもお兄さん、全然教えてくんない。きゅっと口元を吊り上げて笑うだけ。


「割ってくれるだけでいいんだ。絶対、何にもおこらないから」


 そうして眉を寄せて、首を傾げてさ。年下の俺にめちゃくちゃ丁寧に頼むんだよ。

 声は柔らかいし笑顔だけど、了承するまで逃がさない気だなってのは薄々分かった。俺がごねるたびに、右手が握ったり開いたりしてんのも、なんかね。お兄さん、どっちかっていうと痩せてて上背があって骨の細い感じの人なんだけど、手だけやたらと大きいんだよ。デカめの蜘蛛みたいな。そんな手が指蠢かせてるんだから、さ。


 だからさ、割ったよ。三つ。


 どうやって割ればいいんですかって聞いたら、お兄さん黙って指をさした。その指先に、空っぽの花壇があった。花壇の縁が赤いレンガだったから、そこに叩きつけろってことなんだって思った。


 茶碗を手に持ったとき、あったかいなって思った。長く日に当たってたんだろうなってことにした。それ以外のあり得る状況については考えないようにした。

 持ち上げて、狙って、ぶつけて。三つ、あっけなく割れた。

 一つ割って、二つ割って、三つ割って。あんまり細かくは割れなかった。ばらばらになった、って印象だったな。組み上がってた部品を崩した、みたいな。


 日射しがさ、ずっと強くてな。

 あんまり光が強いから、何もかんもがいやに白っぽく見えるのが変な感じだった。のぺっとして見えるっていうか、実在する物体っぽさがないっていうか……影がな、飛んでたんだな、きっと。お兄さんの足元にいた影は、あんなに暗かったのに。

 首の後ろがじりじり焼かれて、汗が背中を流れてんのが分かった。そんで、妙な音が聞こえて、振り返った。

 お兄さんさ、拍手してた。

 うれしそうな顔でさ、俺の方をじっと見てんの。蝉の声と拍手の音が混ざって聞こえるのが、なんかやけに落ち着かなかった。めちゃくちゃ雨が降ってる中に取り残されてるみたいな、そんな感じ。


 何か言おうとしたけど、全部駄目だった。何を言ってもどう答えられても、俺は困るなって思ったから。そこの判断は、今でも間違ってなかったと思う。


 しばらくしてから、お兄さんが戻ろうかって言ってくれた。じゃあもういいよありがとうねって軽い調子で礼を言われて、さっきと逆の手順で戻った。

 庭から居間に上がって、廊下を歩いて、階段を登ろうとした。


「多那垣くんが壊したのか」


 呼ばれたから、振り返った。

 廊下の向こう、玄関の横。和室から篠田のお父さんが首だけ出して、こっちを見てた。

 そうです、って頷いたらそのまま引っ込んだ。だから、俺もそのまま二階に上がった。篠田の部屋に入ったら篠田と兄さんがいて、お前どこ行ってたんだよって炭酸飲みながら篠田が笑ってた。


 説明しようとして、止めた。お兄さんが、こっち見て頭下げたから。細めた目が、さっきの影みたいに真っ黒だった。


 で、それっきり。何もなくおしまい。

 俺は月曜に課題を提出して、普通にスペルミスで減点食らった。それ以外は何にもなかった。茶碗三つも割ったのに、家に電話もこなかった。


 うん。まあ、そういうこと思うよな。そいつら何だったのかって。吉宮と同じこと、俺も考えてた。

 本物だと、本物だったと思うんだけどね。っていうか、そこの判断材料も俺の主観しかないからね。証拠としちゃ弱いだろそんなの。論拠としたら論外だ。

 あの日は休日だったから、家に篠田のお兄さんやお父さんがいること自体は別に変ではないんだよ。俺も見た感じの違和感とかはなかったし。篠田のお兄さんだしお父さんだなって普通に納得したもん。お兄さんに至ってはその後部屋にいたからね。篠田自身も会話してたし。じゃあ、偽者ってことはないじゃん。少なくとも赤の他人が入り込んでたっていうのは通らない。そんなんあったら、俺がどうしようが大騒ぎになってたと思うし。別件の大ごとだよ。


 本物の、あの家に住む篠田のお兄さんが俺に茶碗を割らせたんだと、俺はそう思ってる。分かる分からないとか納得するしないはともかく、そういうことをしたってことを覚えてる。あの生温かい茶碗と真っ黒い影と土の白さ。それだけは確かに記憶にある。


 篠田とは今でも普通に付き合ってるよ。こないだこっち来たから、映画観に行って、その後感想会ついでに飯食いに行っていい感じに楽しくなったからカラオケ入って歌ってから何か飲み足りなくってコンビニ寄って買い揃えて俺んちで飲み直して次の日目覚めたら二人して床で寝てたりした。元気だよ。


 ただお兄さんのこと話題に出すと、ちょっと強めに拒否ってくる。


 いや、別に死んだとか家出したとかそういう話は聞いてないから、今でも普通に元気なんだろうけど。でも、俺がお兄さんどうしてるって聞くと、露骨に嫌そうな顔する。あいつ誤魔化すの下手だから、あーとか呻いてから黙っちゃうんだよ。それがかわいそうだから、聞かないようにしてる。別にそんなに頻繁に出す話題でもないからな、友達の親族。ふっと世間話の流れで出そうになるのは危ないけど。


 お父さんの話はもっと駄目だ。泣かれた。

 びっくりしたもんな。俺の親父こないだキャンプ行って腰いわして病院行ったけどお前んとこのお父さん元気って雑談振ったら返事がなくって、顔見たらぼろぼろ泣いてたから。声も出さずにさあ、ただ瞬きのたびに涙が溢れてる。その目で黙ってこっち見てるんだから、困るじゃん。泣かれるとさ、泣かせた方が悪いことになるし。だからそれ以上聞けなくて、話打ち切って最近飲んで潰れて気づいたら風呂場で浴槽に寄り掛かってた話した。そしたら何事もなかったように会話してくれたから、まあ。目はね、赤かったけど。ふちのところがさ、泣いたから。

 お父さんもね、まあ……地元の親から特に連絡とかないから、生きてるだろうし元気だろうけど。お兄さんと一緒だよ。確認までいけない。これ自体がもう証拠だろって訳にもいかない。俺には説明も関連付けも上手くできない。


 踏み込めないし、でも忘れられない。ずっとここで行き止まり。そういうやり辛い話だよ。

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