変化と観測の話(不明・要確認)
時間、始めてから結構経ったんじゃない? ここまで話が集まんの、正直予想外だったな。俺としてはもうちょっと早めにぐだってなりゆきで解散まで見てたからさ。
十人くらいは話したかね。それ以降はあんまり真面目に数えてないけど。皆もそうでしょ。時間もさ、なかなかの深夜だし。草木も眠る丑三つ時ってやりたいけど、意外と外がうるさいんだよな。
いや、あれ猿だか鹿でしょ。去年も観測会のときに悲鳴みたいのが聞こえて新入生が怯えたんだけど、地元の人が猿だって説明してたもの。まあね、絶対猿だって保証もないけど、そうだとしてもあんまり困んないから極論どっちでもいいってやつだね。分かんないことは放っておいても意外と支障って出ないんだよ。下手に手出すよかマシかもしれないね。生兵法は怪我の元とか、半可通ほどみっともないみたいな話かね。中途半端に知っちゃうと、どうしたってろくなことになんないから。しょうがないね。
ほら、俺の隣のやつなんか居眠りからガチ寝決めてるもの。……起こさないであげなよ。多那垣、昨日なんか買い出しの運転手やってくれたしさ。そのあと遅くまで盛り上がってたらしいじゃん二年生組。なんだっけ、会議室使ってスマブラ大会だっけ? うちの大学、学祭でもあるもんね大会。どうせならいい感じの成績残して天文研の名前売ってきてよ。
とにかくそんな感じだからさ、順番待ちしといて寝落ちるくらいは見逃してあげなよ。な、納井。お前だってさっきから煙草休憩とかいって出入りしてるんだから。お互い様だろ何事も。
じゃあ、俺が話す間だけは寝かせといておこうか。終わったらね、起こして話してもらおう。さすがに二話続けて話すの、難儀するから。
さっき石澤さんが話してくれたけどさ、俺寒いとこの出なんだよね。先祖代々一族郎党、みたいな感じの寒冷地人間。大学受かってやっと暖かいとこに出てきたみたいなさ。そういう山出しっていうか雪出しの田舎者なわけ。
だからさ、こっちの方出てきて困ったね。俺の感覚だとずっと春夏みたいなもんだから、衣替えのタイミングが分かんなくって。秋冬、氷点下になんないと着る気にならないし。二十度超えたら大まかに夏だもの。俺の感覚だと。
まあ、そうやってずっと半袖から七分で通すわけにもいかないしね。衣装、皮だから。勿論保温とか保護とかそういう機能もあるけど、そこに加えて社会性とかそういうのもある程度までは保持してくれるから。
それでそのシャツかっていいたいだろ。正論だねえ。反論としては趣味だよって返すしかない。どうせ着なきゃいけないなら、自分の好みで選びたいじゃん色々。大学生ぐらいだよ、こんな
で、まだ服の話するんだけど。
俺ね、昔知り合いの古着屋手伝ってたことあんの。地元の先輩繋がりで、こう……大通り沿いの表通りにひらひら派手な柄の服とかアクセぶら下げて売ってるような、胡散臭いアジアン雑貨とかの店。そこにね、アルバイトってことで紹介してもらった。向こうもちょうど人手が欲しかったらしいし、俺も暇だったし。暇が金に換金できるって考えたら、労働ってすごいシステムだとは思うよ。適不適は別としてさ。
店員ね、全部で三人。店長も入れてね。店長、俺、
ま、そういう感じの店だったんだよね。真剣に商売やってるっていうより、それこそサークルとか学生のフリマの延長みたいな。俺としては給料ちゃんと出てればどうでもいいことだったけどね。
まあ……悪い人たちじゃなかったし、楽しかったのは確かだよ。フレンドリーで大らかな感じで、月一くらいで店員一同で食事に行ったり。店長のツテでよく分かんない映画のチケットとかもらえたし。面白いかって聞かれたから人によりますって答えたけど。
そんで、秋だったかな。その日は午後からのシフトだったんだよ。いつも通りに従業員入り口から入って名札つけてカウンター行ったら、店長と砂原さんが顔つき合わせてひそひそしてて、何か変な雰囲気だなって怯んだ。借金とかヤバい系の取引だったら嫌だなってのも思ったし。映画だとあるじゃん、そういうの。
何してるんですか、って聞いた。そしたら、変な服もらった、って店長が答えた。
意味分かんないじゃん、変な服って。そもそも緑地に金赤の象縫い取ってあるような服とか、多色ビーズの暖簾みたいなイヤリング売ってる店でそんな評価あるのって話じゃん。多少派手でもぶっ飛んだデザインでも、大体馴染むよ。そういう環境で変な服って定義、通じないじゃん。
そうやって首傾げてたら、とりあえず見てよって砂原さんが言ったからさ。見たんだよね、カウンター。
変だったね。あっ
なんて言えばいいのかな、あー……ジャンルとしてはね、シャツなんだよ。前開きの、柄シャツ。黒地に銀から白の濃淡で葉っぱの柄がついてるやつ。
柄としてはさ、俺が今着てるやつより大人しいっていうか、渋めの方向性なんだよ。それより目につくシャツなんて幾らでもある。アメ横とかなんて行かなくても、その辺の地方都市の地元の年寄り相手に商売してるような衣料品店とかね。すごいよ、俺昔サテン地の紫シャツとか見たもの。社交ダンス用とかじゃなくって、普通に隣のマネキンがどてら着てたし。魔窟だよ。
そういう地味なシャツなのに、一見しておかしいんだよ。
何て言えばいいのかな。雰囲気っていうか、気配っていうのかな。見てるだけでなんか落ち着かなくなるっていうか、ぞわぞわするんだよね。ただの布なのに、その布に何かが染みついているみたいな、包まれてそのまま馴染んだみたいな、そういう感じがして。端的に言うと死体がそのままカウンターに転がってるみたいな気分だった。ここ置いといちゃいけないだろっていう警告みたいに心臓がばくばく打ちだしたからさ。嫌だったな。
どうしたんですかこれって店長に聞いたら、形見分けだって返ってきた。何もかも納得したよね、非科学的かつ非論理的だけど。
由縁もまあ、ベタだったよね。店長の飲み友達がなんか死んで、式とか始末とか全部終わったあとでじゃあ形見分けするかお前ぐらいしかこういうの着らんないだろ、みたいな感じで回ってきたって。
もらったはいいけど、どうも何か嫌だから赤の他人に確認させようとして、店持ってきたってことなんだって説明が済んだ。嫌って何があるんですかったら、気配がするとか夢見が悪いとかごにょごにょ言ってた。確認の必要ないんじゃないかなってちょっと考えたけど、バイトだから俺は黙った。
経緯が全部雑っていうか乱暴だけど、まあ店長ならあるだろうなって思った。そういう感じの人だから。まともだったら、そもそも道楽みたいな店の経営なんかしないだろうし。
で、そのシャツどうしたかっていうと、砂原さんが引き取った。
いわくつきなんて面白いじゃないですか、ってね。そういうことする人だったからさ、意外じゃなかったけどここでやんのかって思った。悪い人じゃないんだけど、何だろ、負けん気が強いって言うか、天邪鬼っていうかね。いるだろ、止めた方がいいとか危ないって言われると、わざとそういうことやるタイプ。飲み屋の悪ふざけメニューで『危険! 激辛を超えた激痛!』みたいなアオリがついてると率先して頼む人だったから、砂原さん。脂汗だらだらになりながら食べ切って、そのあとずっと座席でひっくり返ったりしてたもの。
砂原さんさ、まあ徹底してたよね。そのまま更衣室行って着替えてきたもん。俺上がりなんでこのまま帰ります、とか言ってさ。次の週からコーデのローテに組み込んできたからね。いい生地使ってるんで着心地がいいんですよとか言ってたっけ。
店長もさすがに引いてたけど、持ち込んだのが自分だからとやかく言えなかったみたいでね。俺としてはよくやるな、ぐらいの感覚。
で、まあ、そういう真似をしたからあんな目に遭ったっていうか。
先輩、人が変わっちゃったんだよね。
慣用句的なやつじゃなくてさ、こう、違う人に造り変っていくっていうか。文字通りの意味だよ。
最初はさ、何だろう砂原さん髪とか切ったかなって気になるぐらいの違和感だったんだよ。よく分かんないけど、なんか違うかもしれないくらいの曖昧なやつ。見慣れたはずの相手がふとした瞬間に全然知らない相手に見える、みたいなさ。そういうの、たまにあるだろ。
ただ砂原さん、その頻度が段々増えてったんだよね。
昼休憩で雑談してるときとか、仕事終わりにみんなして飯食いに行ったり、休みの日に店長から貰った映画観るついでに遊んでる最中に、何だかぎくっとする瞬間があった。
当たり前だけどね、顔とかは砂原さんのままなんだよ。ちょっと吊り目気味で、目のサイズの割に黒目が小さくて、口元にほくろがあって眉間に皺の跡があって、みたいな基本の造作は全然変わんないの。
でも表情の作り方とか動作の端々とか言葉の選び方が、なんか違うんだよ。
笑うときにそんな風に右目だけ細めたりしなかったし、煙草つまんで吸ったりしてなかったし、俺のことを君づけで呼んだりしなかった。少なくとも俺の知ってる砂原さんは、そういうことをする人じゃなかった。
店長も気づいてたと思う。俺も怖かった。だから、砂原さんもそうだったと思う。
だけど誰にもどうにもできなかった。当然だよ。そんな場合の対処法なんて、知ってる方がどうかしてる。
一か月くらい経った頃だったかな。どんどん砂原さんが砂原さんじゃなくなる頻度が増えてきて、どっちかというと知らない人がたまに砂原さんに見える、ぐらいの感じになってた。
たまたま俺が店入ったとき、喫煙所に砂原さんがいたんだよね。煙草の持ち方が、前と同じだった。やっぱりあの柄シャツを着てて、腹のあたりの灰色の葉っぱが轢かれた痕みたいだなって思った。
お互いに挨拶して、そしたら砂原さんがしばらく口元をもごもごさせてから、俺を呼んだ。
「今さ、俺、砂原だよな?」
それを言ったときの顔は、ちゃんと砂原さんだと……思ったけどね、俺は。そうですよ砂原さんです、って俺は答えた。砂原さん、ちょっとだけ笑って、封切ってない煙草を一箱くれた。返すのも失礼かなって思ったから、受け取ってから頭下げたよ。
それからどうなったかったら、次の週に出勤したら砂原さん退職したって話が店長から来て、連絡用のアプリからもアカウントが消えてた。店長も詳しいことは話したくなさそうだったから、俺も聞かなかった。しばらくして俺も辞めたからね。店長、ほっとしてた。
紹介してくれた人には店長から話してもらったから、不義理ってことにはならなかったしね。ただ、その人もばつが悪そうではあったな。なんでか日本酒の立派なやつもらってさ。本当なら俺が持ってく方だろうに。
まだ元気だと思いたいけどね。ただ、会ったとしても分かるかどうかの自信がない。俺の知ってる砂原さんが残ってるかって保証、ないから。
──もしかしたら何もかも解決して戻ってるかもしれない。その可能性もないわけじゃない。でもさ、同じくらいに戻らなくてどうにもならなかったかもしれないわけだろ? その辺はさ、俺には観測できなかったところだから。むしろ観測しちゃったら、そうだと決まっちゃうでしょう。だから、積極的には知らないようにしてる。
もしかしたらもうどこかですれ違って、それでも気づけないくらいに変わっちゃったのかもしんないね。向こうも俺のことなんか忘れてさ。ピアスも煙草も、色んなもんもらったのにな。
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