怪話:この頃巷の怪談流行り

「秋の主張、年々弱まってると思わん?」

「夏がうるさくなってるんじゃないか、どっちかっていったら」

「あー……そうだねえ。九月の半ばで三十度越えてんの、よく考えるとおかしいよな。八月に四十度出すのもあれだけども。暑さが七味からハバネロ的ランクアップしてる感がある」


 波川はうんざりしたような顔でばたばたとシャツの胸元を掴んでいる。人の服ではあるが、布地が痛まないかどうか不安になるくらいには雑な扱い方だ。『最近の服は安くなっただけ布の品質がどんどん落ちている』という噂を聞いたような覚えがあるが、出所を思い出せない。世間の無数のどうでもいい情報を出自も忘れるほどに流し込まれている現状としては、そんなことを気にするだけ意味がないのかもしれないが、自分の知っているものの素性すら曖昧になっていくのは何となく恐ろしいような漠然とした感覚だけがある。


 例会後の帰り道だが、喫煙所で時間を潰していたせいだろう。人影は見当たらない。大学前の暗い歩道を、まだ蒸し暑い夜の中を男二人でだらだらと歩いている。

 別に帰ろうと約束したわけでもなんでもない。例会の解散後になんとなく一緒になり、喫煙所で成りゆきのように一服してからそのまま雑談とも独り言の応酬とも微妙なものを重ねているだけだ。こいつとは最寄り駅が同じだからこうして共連れになることは珍しいものでもないが、何となく最近は今までよりも顔を合わせる頻度が増しているような気がしなくもない。


「そういやさ、どうなの頼まれごとの進捗」

「ああ……順調。ちょこちょこ不具合っていうか疑問点は出たけど、こないだ確認とったし」

「出たんだ不具合。どんな感じの?」


 どこか愉快そうな声音に聞こえたのは気のせいだろうか。波川は猫背を伸ばして俺より頭一つ分高い位置からこちらを覗き込むように見つめている。ひょろひょろと伸びた身長のせいで無駄に迫力があるので、何となく身構えてしまう。

 その視線を真正面から見ないようにしながら、納井先輩に以前話したものをほぼそのまま繰り返す。


 とりあえずは三割程度の書き起こしが終了したこと。その中でも名前が分からない語り手の扱いについて。名乗ってはいるが表記が曖昧──個人が確定していない場合の対応はどうするべきか。

 波川はそれらを黙って聞いてから、どうしてか深々と息を吐いた。


「やっぱ名乗んないやついるんだね。ていうか、完全に誰か分かんないとかありえるの」

「幽霊部員とか、入会届出してないけど顔は出してるみたいなやつだと把握してないみたいなことは言われた」

「あー、うち大所帯だもんね」


 じゃあ特に祟りとかは起きてないんだとあからさまにひどいことを言って、波川はばたばたと掌で自身を煽った。


「そっちを期待してたのか。祟りがないのはいいことだろ。そもそもこんなことくらいで祟られてたまるか」

「まあねえ、墓石蹴倒したり道端の花束踏んだりしたもんでもないしね」


 突然に提示された具体例に、どう言葉を返すべきかを見失う。

 三歩分ほど沈黙が続いてから、波川が続けた。


「あれよ、こうすればいいのにってわけじゃなくてそんくらいしたら祟られない方がおかしいっていう話をしてんの、俺は。よくあるじゃん罰当たりの描写に。心霊番組の再現ドラマとか、予算ない感じのホラー映画とかで」

「俺、その辺は話題になったのしか見てないから」

「そうなの? 結構導入も色々あって面白いよ。最近だとヤンキーの肝試しより動画投稿者の方が多いとかそういう流行りもあるし」


 主張が正しいのかどうか分からず、俺は曖昧に頷く。そこまで真剣にホラー映画を観たことがない。ここまでの熱量の差があるとどこまで茶化していいのか掴めない。

 しばらく機嫌良さそうに歩いて、また口を開いたのは波川の方だった。


「怪談会自体はずっとやってたんだよな」


 頷く。書き起こした話で、怪談会の歴史について言及していたものがあった。


「いやさ、こないだコーヒー飲みながらダベったじゃん? あれからうっすら考えてたんだけど、そういう例年のイベントがあるんなら恒例の特集で記事書くやつなんか歴代で山程いそうなもんだなって」

「なんかあれだ、よくないことが起きるからって言ってた人はいたっぽい。その手の話をしてた人がいた」

「いたんだ。まあ怪談だしなあ、縁起が悪いってするやつはいるだろね。ていうかやろうとしたやつは納井先輩以外にもいるんだろうなきっと」

「いる……のかね」


 いるだろと軽い調子で答えて波川は続けた。


「一人が思いついたら世界で三人は同じこと考えてるっていうだろ。つうか、発想自体はそんなに目新しくないじゃん。最近ホラーってジャンル自体がじわじわ流行りだし。動画サイトで怪談朗読とか怪談喋る商売の人とかいっぱいいるっぽいし」

「部誌に載せる記事だぞ。天文関係ないジャンルでもありなんだろうか、それ」

「去年自分の好きな肉まん特集で記事書いた先輩もいるじゃん。戸田さんだったかな。自作レシピまで載せてたから、普通に実用性高くてウケてた」


 そういう特殊な代物を例として出されても困るが、言いたいことは理解できる。サークルの部誌とはいえ、内容の種類をそこまで厳密に問う気はないということだろう。部誌という括りが創作料理ぐらいに広範囲を抱き込めるようになっている。


「天文学関連っていうより、サークル活動の記録の方が主って感じなのか、やっぱり」

「そりゃあまあ。そもそもそこまでガチだったら俺やお前なんか入会の時点でハネられてないといけないからね。あとはさ、記事集まんなくて部誌完成しない方が困るじゃん。お前例会あんま来ないけど、結構呼びかけとかしてんだよ寄稿募集者」


 初耳だったが、これまで例会にロクに顔を出していないのも事実なので反論のしようがなかった。サークルについて、というか周辺に興味を持たないで適当に生きてきたことをこんな理由で後悔する日が来るとは思わなかった。

 波川はひらひらと団扇代わりに手を振った。余程暑いのだろう。能井先輩ほどではないがそこそこに派手な柄のシャツ──白地に水墨画じみたタッチで草花が描かれたボタニカルな代物だ──は見事な半袖だ。


「正直レポートとか報告出せるくらいにやってるやつ、そんないないしね。観測班は班でまとめて出しちゃうから、スペース的には微妙だしあいつらの本気って文化祭の時だし」


 だから不思議だなって思ったんだよと結んで、波川は息継ぎのように息を吐いた。


 怪談会の書き起こしがアイデアとしては陳腐な種類だ──そうだと仮定して、その大多数が思いついていたであろうものが書き起こさなかった実行されなかった理由は何だろうか。

 記事が豊富に集まり、えり好みをするだけの余裕があった。これが一番常識的かつありうる理由だろう。怪談会より他に優先度の高い記事があるのは別に不思議でもなんでもない。

 ただこの理由を採用するには先程の波川の言葉が邪魔になってしまう。呼びかけをするほどに記事の当てがない状況ならば、怪談会の書き起こしなんてやりやすくて字数が稼げる内容を優先して手を付けないことの説明ができない。

 天文とは無関係だから優先度が低かったというのも肉まんの記事のせいで通らない。肉まんの記事の出来についてはさておいて、天文と肉まんの関係があるかと言われたら相当な理屈を捏ねないと接着が難しいだろう。


 だとすると、思いつくのは二つだ。

 誰もそんなことを思いつかなかったか、思いついてもやるべきではないと止められたかのどちらかだ。


 思いつかなかったなら問題はない。そういう趣味の人間がいなかったとかそんな類の平和的な結果で終われるだろう。世の中の人間が誰しも皆怖いものが好きというわけでもない。ホラーというジャンルは好き嫌いが激しい印象もある。好きな人間はそれこそどこまでも執着するが、苦手な人間はとことん駄目だったりする。俺の父がそうだった。幽霊も何も信じていないくせに、たまたまテレビで見かけた心霊番組が怖くて眠れずに徹夜して会社に行ったことがあるような人間だ。


 ただ、やるべきではないことだったとしたら話は別になってしまう。久野先輩の話を思い出す。関わること全てが忌まれ、語られず触れられずに遠ざけられていたもの。

 そうして行儀よく決まりを守って扱われ続けた結果、忌まれ禁じられていたことさえ忘れられてしまったら、どうなるのだろうか。


 しばらく足を止めて、幾度か首を振る。

 馬鹿げた思い付きに、目眩がしそうだった。


 たかがサークルの部誌だ。そんな大それたものなわけがない。子供ならともかく、少なくとも成人した人間が深刻に祟りだ禁忌だなんてものを考えなければいけない時点で何もかもが間違っている。


「でもさ、俺楽しみだよ」


 数歩先から、波川がこちらを振り返って言った。


「何が」

「何ができあがるのか、みたいなやつ。人がどういう文章書くのかって興味あるじゃん」

「期待してるとこ悪いがベタ打ちだぞ。聞こえたのそのまま打ってる」

「んー……でもさ、それでもあるよ、やっぱ。楽しみな理由」


 何がだと問おうとした途端にけたたましく鳴り始めた警報音に不意を突かれて立ち止まった。

 周囲を見回す。道路を隔てた向こう、踏切を電車が通過していくところだった。

 もう駅の近くまで来ていたのかと心底から驚く。余程夢中になっていたらしい。対象が怪談だというのが何となく嫌ではあるが、実際に歩き切ってしまったのだから仕方がない。


「じゃあ俺、今日この辺で買い物してから帰るから。またな」


 記事頑張れよな、とどうにも凡庸で他人事な言葉と共にひらひらとおざなりに手を振って、波川はこちらの返事も待たずに踏切の向こうへと歩き去った。

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