夜道と可聴範囲の話(一年・平塚)
怖い話、結構被らないもんですね。先輩がたみんな準備してきたんですか? っていうか、事前に言われて準備できるもんでもない気がしますけど。あれですかね、やっぱり二十年ぐらい生きてるとちょっとぐらいは変なことがあるもんなんですかね。規模が小さいだけで、案外誰でも体験してるっていうか。生きてるのに忙しすぎて見ないふりしたり、ぶん投げたりしてるだけで……まあ、ちょっと変な目に遭ったからって色々やってたら時間と金が幾らあっても足りませんよね。生活、面倒ですし。
あ、名前ですよね。一年の
最初は話す気とかなかったんですけど、なんか……雰囲気的に俺のやつもいけるかなって感じになったんで。いや、めちゃくちゃしょぼいんですよ俺の話。気のせいだろとか病院行けとか言われたら嫌じゃないですか。
だけどこの流れ的に? そういうこと言われそうにないなって思ったんで、じゃあせっかくだから話しておこうって思ったんです。だから、全然大したことないんですよ。そこだけ念押ししとこうかなって。大丈夫ですか? 病院行けとか言われませんか? あいつやべーんじゃねえかとか悪口──はい。ありがとうございます。冗談ですよ。先輩方も南川も、そういうこと言うような人じゃないって分かってますよ。
そういうふうに、しつこめに確認するくらいには不安だってだけなんです。俺が。そういう話なんですよ。
俺大学入ったときから一人暮らししてるんですけど、大体週三で買い物行くんですよね。月曜と水曜と金曜。冷蔵庫に物あんまり詰めておきたくないのと、買い物結構好きってのがあって。楽しいじゃないですか、商品眺めて選んでカゴに入れてっていうの。選択と獲得の快感みたいなもんがありますよ。
買い物行く時間帯、夜の七時くらいですかね。惣菜とか割引つきはじめるし、夜に出歩けるのが単純に嬉しいんで。実家が田舎なんで、尚更。太陽が沈んで街灯とか車のライトとか店の照明みたいな人工の光がぴかぴかしてんのを見ると嬉しくなっちゃうんですよ。お祭りみたいだって。
で、住んでるアパートからスーパーまでの経路。当たり前ですけどいつも同じ道使ってるんです。
アパート出てからまっすぐ行って三叉路と自販機スペースを過ぎて、ひたすら道なりに歩く。十五分ぐらいですかね。やる気ない歩き方してるとちょっとかかりますけど、それでも三十分は掛からない。一本道ってわけじゃないんで、もっと近い道とか歩きやすい道とかあるかもしんないですけど。一番最初にとにかく迷わないようにって歩いて覚えた道なんで、もう馴染んじゃってるんですよね。
春先でした。
いつもみたく買い物行った帰りで、ぼーっと歩いてたんです。春の夜って温くってむずむずするよなとか春らしい食材ってよく分かんねえなとかそういうどうでもいいこと考えながら、晩飯用の材料入った袋下げてアパートに向かってた。
ひと気、ないんですよね。閑静な住宅街ってわけじゃないんですけど、表から一本奥に入るせいか、夜だと車も人もあんまり通らない。勿論家から奇声が聞こえたり犬が吠えたりとかもないんで、めちゃくちゃ静かなんですよね。街灯が等間隔にあるんで不安にはならないんですけど、相応に暗いし寂しい。
『
タザラ、田んぼの田に、皿洗いの皿です。声が聞こえて、字まで分かった。でも何喋ってんだか分からない。けど割り振られている文字は直接頭ん中に流し込まれるみたいに分かるから、何言ってるか分からないのに言われたことは入ってくる。
そういう声が、聞こえたんです。
ちょうど自販機置いてあるとこだったんで、誰かいんのかなって足止めてあたりを見たんですけど、誰もいない。こう、ボロいけどベンチとかも置いてあって休憩所みたいなスペースになってるんで、たまに昼間とかだといるんですよお年寄りとか。でも、普通に無人でした。ただ自販機がぺかぺか光ってるだけ。今みたいな声がしそうなものも見当たらない。
『チェロキーの典範に待ち合わせて二誌目だから次はないということでしたが』
『水括りたたら芦刈の密航船が畦道の葡萄を盲腸の抜糸痕に包括しての大健闘』
でも声はやっぱり聞こえるし分かる。じゃあどっからだってその辺をぐるぐるしたんですけど、音の感じがどうも近いんですよ。普通だったら動くと声の音量って変わるじゃないですか。それがないんですよ。じゃあ、音源が俺のすぐ近くにあるってことなんですけど、そんな訳ない。耳元払ったりしましたけどなんともならない。
怖くなりました。
だって、明らかに普通の状態じゃないでしょ。聞こえるはずがないものが聞こえてその上文字まで分かるって、明らかに、その、おかしいじゃないですか。俺が。頭が。すごく。
とりあえず病院行った方がいいだろうか、じゃあ救急車呼ぶにしても家帰った方がいいかって考えたんですよね。生もの冷蔵庫に入れたかったんで。……やっぱり気が動転してたんですよね。普通ならヤバかったらすぐ病院行かなきゃいけないのに。二割引きの鶏肉の心配してたの、ちょっとおかしいなって思います。
で、自販機に背を向けてよろよろ歩いて、あともう五分ぐらいで家に帰れるってところで、ぴたっと聞こえなくなりました。
びっくりしてまた立ち止まりました。ちょうど街灯の真下、白い明かりの真ん中に立って耳を澄ませても、当たり前に何も聞こえない。
風も吹かない春の夜、ただただ暗くて静かな夜でした。
今までの何だったんだ、ってやっぱり周りを見回したんですよ。ちょっと歩き回って、来た道を戻って、
『不用意にアルノルフィニ氏はここ数日で帰郷する地上は釜炊きの
二歩戻った途端、聞こえました。また街灯まで進んだら、何も聞こえなくなりました。
範囲外なんだ、って思いました。
つまり一定区間で聞こえて、その外だと受け取れない。トンネルの逆ですよね。あの声が聞こえる……範囲? みたいなのがあるんだなって。そんで今俺それを抜けたんだなって、そう考えたんです。
そんで無事に家帰って、鶏肉適当に炒めて夕飯にしました。その日はそれでおしまい。特に怖い目にも合わないし、祟りみたいなこともなかったんです。
で、一回安心したら気になっちゃって。買い物がてら、条件色々試したんですよね。いつ聞こえてるのか、みたいなやつを。
火曜と金曜の夜七時から八時まで、ってのが確実なところです。その時間に自販機のあたりから街灯のとこまでを通ると、絶対聞こえる。土日の夜も試したんですけど、うっすら聞こえるかどうかってところでした。っぽいものは聞こえるんですけど、音量が小さすぎて。火曜と金曜が一番……受信状況? がいい感じでした。
そんで条件分かってどうしたかったら、その……最初は道変えたんですよ。怖かったから。惣菜と値引きのためには時間帯ずらしたくなかったんで、じゃあ違うとこ通るしかないなって。別ルート探したんですよ。ちょっと近くて、当たり前ですけど声も聞こえない。そこを一か月くらい使ってたんですよ。
そうなんですよ。
一か月経ったら、聞きたくなっちゃったんですよね。
そもそもがだらーっとネットラジオとか聞くの好きなんですよ。中学んときはそれこそ深夜放送とか聞いて寝不足になってた口です。だからっての、説明にならないとは思うんですけどね。どうですかね、音声コンテンツが好きみたいな感じでいけませんか。俺がその、よく分かんない声にハマってるっての。話してる内容も分かんないのに何にハマってんだって言われたら、そうですよねって言うしかないですけど。
やばいかもしれないってのは、まあ。意味分かんないものを聞きたがってるの、こうやって話すと全然まともじゃないなっていう感じはすごいするんですけど。
でもまたあの声を聞かないでいられるかっていうと、何か寂しいっていうか物足りない感があるんですよ。日曜日の夕方みたいな、そういうどうしようもない気持ちになるんです。だから聞きに行っちゃう。別に不幸になったり怪我したりとかもないから、じゃあいいかなって。危険、ないっぽいじゃないですか。少なくとも今のところは。
推し配信者のラジオみたいなもんだなって思えばいいかって、そういうことにしてます。毎週火曜と金曜の夜七時半から、三叉路近くの自販機の前で買い物袋下げてぼーっとしながら。雨の日も風の日も、このままいくと雪の日もなんですかね。
飽きたら大丈夫だと思うんですけどね。冬までハマってたらちょっと考えます。寒いの苦手だし、風邪とか引きたくないじゃないですか。
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