別怪:平日虚無談義

 カップに並々と注がれ湯気を立てている珈琲を居酒屋でサワーでも飲む勢いで半分ほど干して、


「じゃあ、珍しく貢献活動みたいなことしてるんだ、お前」


 ちゃんと役に立てよとやけに傲慢な一言を添えて、波川なみかわは笑った。

 納井先輩に頼まれて、サークル天文研会誌の特集企画のために怪談会の音源を書き起こしている。そう説明してからの反応がこれだ。


「いいことしてんじゃん。頼まれごとのために努力するってえらいと思うよ俺。コーヒー買う前に言ってくれたらえらいから奢ったのに」


 投げたフリスビーを取って来た犬を褒めるように、波川はやけに晴れやかに笑う。その笑顔がなんとなく癇に障って、俺は少し間を取ってから口を開いた。


「珍しくってのは何だ。普段迷惑かけてるみたいだろ、それだと」

「確かにお前、人に迷惑はかけてないな。何にもしてないけど。もうちょっと顔出せばいいのに。井坂さんお前が飲み会以来顔出さないから寂しがってたよ」


 ついこの間声を聞いたばかりの相手の名前が出てきて、何となく身構える。井坂先輩の人懐こいが何となく鬱陶しい類の絡み方を思い出して、俺は反射的に目を伏せた。悪い人間ではないが苦手な相手だ。


「……やり辛いんだよ」

「人見知りだもんなお前」


 誤解されているような気がしたが、訂正するのも面倒だった。

 コーヒーを啜ろうとして熱さに怯む。この温度のものをあんな勢いで飲める波川あいつの舌はどうなっているのかと疑問に思った。

 涙目になった俺の前で、波川はカップを手元で弄んでいる。


 年上の同級生。

 波川をできるだけ簡単に説明しろと言われたら、とりあえずこの一言で事足りるはずだ。

 一浪だか一留だか、とにかく進学のどこかで足踏みをしたらしく、俺と同じ二年生なのに年上だ。だが波川自身が成人という人生の区切りを精々酒と煙草が許可されるぐらいにしか思っていないのと、言動や行動が年下の俺や下手をすればその辺の高校生と変わらないせいで、こいつのことを年上だと意識したことがほとんどない。大体こいつがはしゃいでいるときは楽しみにしていた漫画の新刊が出るとか予約していたゲームが届くとか観たかった映画が封切りになったとかなので、分かりやすい人間なのは間違いない。

 人との交流も好きなのだろう。例会や飲み会他行事への参加率は俺よりも高いはずだ。俺と同じくサークルでは貴重な文学科勢ということもあり付き合いがあったのと、たまたま今期教養で取っている授業が幾つか被っていたのとでそれなりに仲良くしてはいるのだけども、基本的に人間が暗い自分と比較して、社会への適性の違い社交性の高さを見せつけられておののくことがある。


『夏休み明けだから適当に街に出て遊んだりしようぜ』という目的も意図も曖昧な波川の誘いに乗った結果がこの有様だ。

 平日の午後にチェーンのコーヒーショップで男二人がだらだらと発展性も生産性もない雑談をしている。講義がないからと断らなかった俺の見通しが甘かっただけなのだが、そうだとしても無為が過ぎる。


「俺としてはねえ、お前なんで合宿来なかったのとは思ったよ。なんで?」

「めんどい」

「まあね、長距離だからね。俺電車組だったけど、寝ても寝ても全然目的地に着かないのが二回目でも斬新だったな。時間が歪んでると思ったもんな」


 合宿地まで電車を乗り継いで半日以上──青春十八きっぷを活用交通費を節約する弊害だ──かかるというのも、俺が欠席を選んだ理由の一つだ。他にも初手の旅行支度でやる気が失せただの他人と寝起きするのが嫌だったなどの細かなものがあるが、そのあたりのことはこいつに話したところで流されて終わりだろう。


「合宿、俺は楽しかったけどね。観測も晴れたから条件良かったし、基本の参加率が良かったからOB持ち込みで飯とか酒が豪華だったし、買い出しついでにその辺地元観光すんのも面白かったし」

「お前は怪談会出たのか」

「あー、そういや誰か呼びかけてたな。俺も誘われたけど、飲み会優先しちゃったから。行けたら行きますとは言ったけど」


 意外だった。こいつのことだからその手のイベントには参加してると思ったのだが、当てが外れた。

 表情に出ていたのだろう。波川は少し首を傾げて続けた。


「怪談会も面白そうだったけどね。ただ飲みの方に地元のおっちゃんが結構来ててさ、そっちも結構面白い話してくれたから、酒飲みながら聞いてたら行きそびれちゃって」


 波川は地元のおっちゃんと言ったが、地元の方々との交流については、一応それなりの伝統があるらしい。交流記録が昭和の頃までさかのぼれると、一年の参加時に聞いた記憶がある。

 合宿の土地が言葉は悪いが結構な僻地──街に出るバスが一日四本だったり終電が夜の八時だったり住民の名字が三種類ぐらいしかなかったりする──なので、余所者が珍しかったのもあるだろう。『得体のしれない連中が長期滞在して胡乱なことをしていると不安に思われないために、機材を貸し出しての地元向けの観測会や学習会を開催して交流してるんだよ』と説明してくれたのは納井先輩だった。得意げな顔をした直後に近くにいた部長にはたかれていたので、よく覚えている。得体のしれない連中という表現が駄目だったらしい。

 実際宿泊所の手配やイベントの開催については地元の方々の協力に大いに助けられているらしいので、恐らく俺の知らないどこかしらで釣り合いは取れているのだろう。そういうのを差配するのがサークルの役職付きの役割なので、俺のような下っ端かつ年に数度飲み会ぐらいにしか顔を出さない幽霊部員にはあまり関係がないところでもある。


 そう考えると地元の人達との交流というのは円滑な合宿行事の運行において必要なものであり、ついては波川の行動は酒を飲んでいただけとはいえサークル員としての義務を十分に果たしていたことになるだろう。


「何の話してたんだよ、そっちでは」

「ん、地元の伝説とか。昔あった事故ー、とか事件ーとか。やっぱね、人が長く住むと色々あるから」

「地元の伝説なんてお前興味あるの」


 またしても予想外の返答だった。

 普段の話題がゲームの話と血と暴力が画面を蹂躙するタイプの映画についての感想かファミレスで部活帰りの高校生ぐらいしかやらないようなノンアルカクテル作りを始めるような人がそんな地味なものに興味を持つのは予想していなかった。

 波川は平然とした調子で続けた。


「昔話とか伝説とか面白いだろ。地域性かどうかは知らんけど、そのあたりの土地一帯に似たような話がいっぱいあったり、逆に全然違う土地で似たような話が伝わってたりさ。話集めてそういうのを見つけるとめちゃくちゃ楽しい」

「話が似るのか」

「あるよ。東北の昔話だとやたら姉が死ぬとか、継子が茹でられるとか、共通項っていうか共通の型みたいなの」


 予想よりむごい例が出てきた。もう少し穏便な例はなかったのだろうか。


「そういう……そういうえぐいの見つけてどうすんの」

「えぐいのばっかりじゃないけどね。別に趣味だからどうもしない。あーこの話あそこで聞いたやつと似てるなーぐらいで俺は終わり。真面目にやれば話型とか類型とか、それこそ物語論がどうとかできるんだろうけどね。しんどいからやんない」


 波川は間を取るようにカップに口を着ける。やはりそのまま一息に干して、今度こそ空になった容器を机の上に置いた。


「でさ、そっちの方はどうなの」

「どうなのってのは」

「怪談会。書いてて、何か面白そうなのあった?」


 言われて考え込む。とりあえずは三人分は書き起こしたが、今のところは地味な話が多いというくらいしか言えることがない。そもそも怪談に対して面白いという判定をしていいものかどうか、俺には見当がつかない。触れてくる機会があまりないジャンルだったせいもある。


「面白いっていうか……身近な話が多い」

「身近」

「こう、何ていうんだろうな。地味なんだけど、参加資格不問、みたいな」


 我ながら曖昧な表現だと思うが、これ以外の物言いが思いつかなかった。

 それでも波川は何度か頷いて、


「最近そういうの多いからな。霊感がーとか先祖代々の祟りがーみたいなのより、偶然出会ったばっかりにひどい目に遭う、みたいなのが多い気がする」

「どこ調べだそれ」

「最近やってた心霊番組と動画サイトの怪談ラジオ」


 こいつ怖い話が結構好きな人間なんじゃないだろうか。

 そんなことを思いながら、俺は適当な相槌を返す。怪談の流行りがどうなっていようと、今のところ俺には関係がない。俺の仕事は怪談を記述することであって、内容の理解については業務に含まれていないはずだ。


「ま、しばらく作業続くんだろ? 怪談会、結構人数いたみたいだし。真面目にやってたんなら、そこそこ話数もあるでしょ、きっと」


 波川の言葉に頷く。納井先輩から聞いた通りならば、三十話近くあるはずだ。まだ一割しか済んでいないという状況は、進捗としては微妙なところだろう。

 焦るほどではないが、余裕があると楽観できるわけでもない。不測の事態というのはいつだって起こり得る──明日突然俺の左手が腱鞘炎にならないなどと、誰も保証はできないのだ。


「楽しみだな、どういう話が出てくんのか」

「そういうもんか」

「俺は楽しみだよ。さっきも言ったろ、数集めて初めて分かることってあるからさ」


 お前には是非頑張ってもらいたいねと波川はにんまりと笑う。


「……それなりにやるよ。それなりに」


 そう答えてから、俺はカップにもう一度口をつける。長話と冷房のせいでコーヒーはどうにか冷めていて、生温い一口をようやく飲み下す。

 とりあえず今日帰ったら原稿の続きに手を付けよう。進められるときに進めておいて損をすることはない。

 そんなことを考えながら、だらだらとまた益体もない雑談を始めた波川の顔を見つめていた。

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