ベランダと夜煙の話(四年・井坂)
録音回った? じゃあ、とりあえず俺からな。
年長者順ってことだけど、一周したり思い出したやつから話してくれても別にいい。ただ、名前だけはちゃんと名乗ってくれな。今年はサークル誌に書き起こしたやつ載せるって話だから、名無しになりたくなかったらちゃんと名乗れ。名乗らなかったやつにはあれだ、俺が適当に仮名をつけるぞ。……嫌な顔しましたね綾田さん、だって去年はあれですよ、怪談じゃないけど神話研究の記事であんたが実名出すの嫌がったから、俺が頑張ってリバーサイドADAYAってつけたんですよ。母音が一種類しかないから、偽名でもアナグラムし辛くて困りましたからね。ダセえとか痛えとか文句あんならちゃんと名乗ってください。
えーと。確認事項、このくらいです。ただまあ、基本は楽しく話してくれれば大丈夫です。敬語でも英語でも好きに話してくれていい。暴力沙汰さえ起こさなきゃ大まかに無礼講です。一年生もOBさんも地元の方も、ここにいる方なら大歓迎。各々の持ってきた怖い話をしてください。俺からは、四年の井坂からは以上です。
じゃあ、始めるぞ。
今日の昼間も暑かったし、夜もこうして暑いわけなんだけども。俺季節の中だと夏が一番好きなんだよな。暑いし虫湧くし日焼けすると痛いしってのはあるけど、その辺ひっくるめても好きが勝つ。
理由、いっぱいあるけどな。かき氷が大手を振って食えるってのもあるし、厚着しなくていいから面倒がないとかもあるし。
一番の理由、夜が好きなんだよ。
何かこう、雰囲気があんじゃん。暗いけど明るいっていうか、何となくテンションが上がるっていうかさ。やたら生温い風とか、いつもより妙に暗く黒く見える夜空とか、夜中に何となく立ち寄ったコンビニの誘蛾灯の青さとかさ。健全かどうかで言われるとちょっと疚しい、起きてるだけで背徳感みたいなのがある感覚がね。
そういう夜に、アパートのベランダで煙草吸ってるのが俺の贅沢なんだよ。ぼーっと夜眺めて煙吐いてな。そういう夜が過ごせるんなら、ずっと夏でもいいくらいだ。
で、七月だったかな。今年全然雨降んなかったけど、珍しく降った日だった。夕方くらいに急にばらばらっと降って、すごい久しぶりの雨だなとかそんなこと考えたのを覚えてる。
結局、夜になったら雨が上がったんだよね。そういや雨の音しないなって気づいて、窓開けてみたら案の定止んでた。じゃあ外で吸うかって決めてね。ベランダに出て、真っ黒な空見ながら煙草に火点けた。
夏の雨上がりの夜って、気配が独特なんだよな。肌に触れる風がひんやりしてて、そのくせ空間全体は昼間の熱とか雨の名残りが残ってて温いの。距離感分かんないやつに纏わりつかれてるみたいな感触。気色悪いのにどことなく離れがたくて、タチが悪い。
一本吸ったら戻って風呂入ろう、そう思ったね。吹き込んだ雨で出しておいたサンダルがべしょべしょになっててさ。意外と足が気持ち悪かったんだよ。ぐしゃぐしゃいうし。
そうやって一本、いつもと同じに咥えて吐いた煙の向こうに、一瞬人の顔が透けて見えた。
咥えたまんま、しばらく固まった。先の灰が落ちそうなくらい長くなってから、じわじわ狼狽えた。『自分は今、何を見たんだ』ってな。
当たり前だけど、俺しかいないんだよ。普通の学生アパートで、年季の入った手すりと普通の仕切り板。足元はコンクリートが平らに敷いてあるばっかりで、他には何にもない。
気のせいだと思ったよ。あるだろ、強い光を見たあとに暗い所を見ると残像みたいなのが見えるやつ。別に何にも見た覚えないけど、そういうの何かの加減で、ベランダの何かが人の顔に見えたのかなって。何にもないけど。何にもないけど、要は見間違いだってことにしたかったんだよ。
ただまあ、なんか嫌だろ。ちょっと肌寒かったのもあって、残り台所で吸おうと部屋に戻った。
ガラス戸開けて、部屋入って、そのまま戸閉めてカーテンもちゃんと閉めて、よし換気扇回して吸うかって台所に向かおうとしたときに、
ばんばん、って二回叩く音がした。
一回なら聞き違いで済むだろ。けど、二回鳴っちゃったんだよな。じゃあまあ、確認とか無理だなって。下手にその……原因? を見て、まともじゃない種類のやつだったらどうにもなんないなって思ったから。大体そういうときに見るのって、ろくなことにならないじゃん。お約束だよ。だから、見なかった。
次の日の朝、明るくなってから確認したよ。幸いめちゃくちゃ晴れたから、朝の六時にカーテン開けた。
べったり二つ、手形がついてた。や、二つとも左手だったけどな。そんだけ。
何ですか綾田さん、全然怖くないって当たり前じゃないですか。あんた聞いてるだけですもん。体験してないんですから。
そう、全然怖くないんだよ。その程度の恐怖体験なんだよな。俺も分かってる。
起きたことまとめると、煙の中に人っぽい顔が浮かんだ気がして、びっくりして部屋入ったらベランダの戸叩かれて、次の日見たら手形があった。地味だろ。まだヤバめの隣人に夜中いきなり壁ドンされてから鍵穴覗かれつつドアガチャされた方がが怖いまである。夏にやってる心霊番組の再現ドラマで、この手形の話やったらめちゃくちゃ不評だと思う。ベタだし、凡庸だし、地味だよ。二回言ったけど。
ただ、こんな地味なやつだけどな。自分で体験すると結構嫌なんだよ。
テレビで見るんなら他人事だけど、これまぎれもなく全部俺の話なんだよね。だから、何があっても俺に関わってくる。番組切り替えたら終わりってわけじゃなくて、俺が見たことを覚えている限り、極論俺が俺として存在する限りはずっと自分の体験なわけよ。誰も代わってくれない。
自己責任って苦手な言葉だけども、実際そうなんだよ。自己に対して起きたことの始末って、結局自分でつけるしかないから。他人事の修羅場ってめちゃくちゃ面白いけど、自分だとそれどこじゃないってやつだよ。ああいうもんはフィクションで楽しんでこそだ。実体験なんてするもんじゃない。
いきなり知らない女に胸倉掴まれて「私のコーちゃんを取らないで」って言われるのとか、最悪だし面倒くさいばっかりだからね。何ですかそれって……コーちゃん、バイト先の先輩な。俺とよく映画観に行ってたんだけど、それで先輩を独占すんなって女が吶喊してきた。何が怖いってこれ、女も別に彼女とかじゃなかったからね。すげえ面倒だったしいつ刺されるかって思ったもん。俺じゃなくて先輩が刺されたけど。ドラマでやったら陳腐だけど、リアルだと気が気じゃないからね本当。
そんで俺がその後どうなったかったらあれよ、カーテン開けんの怖くなった。
ようやく旅行の三日前に、もしこれで不慮の何かで死んだら心残りの何パーセントかがこの手形になるなって考えて、そんなもん俺の人生に残したくねえなって腹決めて日本酒と塩撒きながら拭き掃除してきた。ついでに風呂の排水口まで家中大掃除してな。すごいだろ。
おかげで俺んち今めちゃくちゃ片付いてる。出発する日の朝、油汚れとか何にもないぴかぴかのシンクで換気扇回して煙草吸ってきたし。ベランダは見てない。怖いから。
で、つまりどういう話かっていうとだな。
どんな些細なことだってな、自分で体験すると倍率が違うっていうことだ。そんでおばけの怖さと人間の危なさはジャンルが違う。優劣とかないし、警察とか金属バットが効かないだけ俺はおばけの方が怖い。
以上、俺の話でした。こんなもんでいいからな、気楽にやってくれ──ほら、次いけ次。
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