偽装婚約


なんとムカつく男だと、レイナは心底苛立った。

クレイ=レト=カムハ侯爵の性格の悪さは、ジェイドの比ではない。

これまで出会ってきた人間の中で、とびきりの悪人であった。



「……婚約しろと? 私が? クレイ、あなたと??」


「そうです。ただしその婚約は偽装でけっこう」



クレイが、王の執務室では見せなかった冷ややかな笑顔で答える。

その笑顔にも、レイナは嫌悪感を覚えた。

ジェイドの気持ち悪い笑顔のほうが、まだマシかもしれない。



「殿下は、どうしても勇者の支援をしたいのでしょう?」



嫌みたらしく、クレイが言った。

どうやらレイナが常々勇者の支援を考えていると、知っているらしい。

レイナは渋々、頷いた。

とにかく平和な世界になってもらわなければ、自由に街の外へ出られないからだ。

外へ出られなければ、蒼空と再会する機会はきっとない。

共に再び、ダイヤルを回し、元の世界へ帰ることは出来ない。



「……そうです」


「実のところ、カムハ家も勇者の支援を考えています。しかし、簡単ではない」


「お金の問題ですか」


「いえ、権威の問題です。カムハは数ある侯爵家のひとつにすぎませんから。カムハ家だけが勇者支援の声をあげたところで、誰も付いては来ないでしょう。そしてそれは、王家とて同じです」


「両家が力を合わせれば、支援してくれる者が増えるということですか?」


「それだけでは足りないでしょう。だからこそ、第一段階として、私と婚約していただきたい」


「第一段階? それって、つまり、第二段階もあるということですか」


「無論です」



クレイがにやりと笑う。

なんという悪い笑顔だと、レイナは苦笑いした。

王家を道具のようにしか見ていないのではないかとさえ思う。

しかしその後クレイが語る策を聞いて、レイナはほんの少しだけクレイを見直した。


クレイの考えは、ニハの国に蔓延る腐敗を取り除きたいというものであった。

腐敗とは、私腹を肥やす貴族たちのことである。

私腹を肥やす貴族の力が弱まれば、王家の権威と権力が増すはずとクレイは考えているようであった。



「しかし王家の独力では、腐敗を取り除けません」


「どうしてです?」


「実際、陛下が苦心して行動しております。陛下だけではなく、これまでの王も。しかしほとんど結果が出ていません」


「……そうなんだ」



レイナは父の姿を頭に浮かべる。

あまり仕事ができそうにない父。実はけっこう頑張ってる人だったのか。



「しかし内と外で動けば、違う結果が出せるはずです。カムハ家と王家の関係が深まれば、腐敗した貴族どもの目は、カムハ家と王家の両方に向くことでしょう」


「……ええっと、それはつまり、仲良くしてるのがムカつくからってこと?」


「……まあ、そんなところです。ムカついた貴族たちは、カムハを潰そうとするかもしれません。もしくは、王家を潰そうとするかも」


「ダメじゃないですか」


「ダメですよ。それこそが、罠です」


「罠?」


「ええ。我らはそのぎりぎりの罠を利用して、敵を叩き潰します。事前に、入念に準備を進めてね」



クレイが再びにやりと笑う。

クレイの考える最大の罠こそ、クレイとレイナの偽装婚約であった。

王家のカムハ家が急速に近付けば、腐敗した貴族は必ずなんらかの行動を取る。

その行動が悪質であれば、秘密裏に動かしている別の手の者に悪を暴かせる。



「そう簡単に事が進むでしょうか?」


「無論、事が思惑通り進むように小さな罠をいくつも仕掛けます。まあ、なんとかなるでしょう。私腹を肥やしたい保守派の貴族どもが、王家とカムハ家の婚約を黙って見過ごすはずがない」


「カムハ家は、改革派ですものね」


「その通り。腐りきった保守派の敵です」



誇るようにクレイが胸を張った。

なるほどと、レイナは頷く。

派閥争いがあるのなら、クレイの思惑通りになるだろう。


しかし、変だなとも思った。

レイナは目を細め、クレイを見据える。



「……でもそれって、ここまで聞いておいてなんですけど、お父様に提案すればいいことじゃないですか?」


「できればそうしたいところです」


「では、どうして私に?」


「現王陛下は人が良すぎるからです。秘密裏に事を進めれば、王陛下がぼろを出すでしょう。それに、王陛下を巻きこめば、秘密を抱える者が数人どころではなくなります。数十人が秘密を抱えれば、必ず誰かが秘密を漏らすでしょう。そうなれば我らは終わりです」


「私だけなら大丈夫だと?」


「ええ。ゴミに等しい貴族ども相手に笑顔を保てる王女殿下なら、コソコソと裏で動くことなど容易いでしょう?」


「……言い方ひどくない?」


「はは。よく言われます」



クレイが嫌みたらしい笑顔を見せる。

レイナは盛大にため息を吐いた。

目的のためとはいえ、こんな男と仲良くしなくてはならないのかと。


しかし偽装婚約というのは面白いと、レイナは思った。

ようやく映画のヒロインになれた気がしたからだ。

クレイと協力すれば、お飾りの力しかないただの王女ともおさらばできるだろう。

面倒事よりも、楽しいことの方が増えそうだと、心のどこかが弾んだ。



「いいわ。あなたの悪巧みに乗ってあげる」


「契約成立ですね」



クレイがレイナに手を伸ばす。

レイナはその手を取り、握手を交わした。


こうして翌日より。

クレイとレイナの企みが、ニハの国を徐々に揺るがしはじめるのだった。

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