勇者、旅立ち


「ソラ、いったいどうしたの? まさか記憶喪失とか、そんなこと言ったりしないでしょうね?」


「いや、まあ、ほとんどそんな感じだけど」


「はあ!? マジで言ってんの??」


「嘘が言えそうな雰囲気でもないし」


「それは空気を読んでくれてどうも。って、そうじゃなくて……えええ、うそ、ホントなの……?」



がくりと項垂れる少女。

蒼空はさすがに申し訳なく思い、深々と頭を下げて謝った。



「……ソラ、あんた、自分が勇者だってことも忘れたの?」



項垂れたまま、少女がこぼすように言った。

瞬間。蒼空は、はっと顔を上げた。



(……勇者だって?)



蒼空は勇者という言葉に、心当たりがあった。


それは昨夜、ダイヤルを回していたときのことだ。

蒼空は童心のままに、憧れの勇者に慣れるよう、自らを調整した。

当然、深く考えてのことではない。

ゲーム感覚でダイヤルを回し、勇者になった。


蒼空が調整したのは、それだけではなかった。

自らが勇者になるのだから、当然「魔王」も必要だと蒼空は考えた。

魔王がいるなら、魔物も。

様々な種族もいるべきだろう。

そうやって、蒼空は思い付くかぎりのことを設定し、調整していった。



「……あ、あー」



蒼空はなんと答えればいいか分からず、呻く。

すると少女が顔を上げた。



「……それは、覚えているってこと?」


「ま、まあ、少しだけ……?」


「それなら話が早いわ! すぐにみんなと合流するわよ!」


「え、えええ??」


「勇者の自覚があるなら、それで十分でしょ? なに? 文句あるの?」


「え、あ、いえ、文句ないです」


「お母様? ソラをお借りしても良いですよね?」



蒼空の服を掴んだ少女が、蒼空の母へ顔を向けた。

すると母が小さく笑う。



「構わないよ。なんで帰ってきたんだか、分かんなかったしねえ」


「ありがとうございます、お母様!」


「いいわよ、そんな畏まらなくったって。……ほら、ソラ。しっかりしな」



母の手が、蒼空の腕をとんと叩いた。

服を掴まれたままの蒼空は、母に苦笑いを向ける。


状況は異常だが、蒼空は母の笑顔に懐かしさを覚えた。

元の世界では、生活が苦しくとも、蒼空を支えてくれた母。

どうやらこの世界でも、変わらないらしい。

変化があるとすれば、元の世界より生活が楽で、母に多少、余裕の表情があることか。



「……じゃ、じゃあ。行ってくるよ、母さん」


「ああ、行っといで」


「お母様、こいつにはちゃんと仕送りさせますから、安心してくださいね」


「はは、そうかい? それはありがたいねえ」



母が少女を見て、愉快そうに笑った。

その笑顔を見るだけで、この世界で良かったと蒼空は思うのだった。

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