第1話 山奥の家

 あの事件から数日が経った後、今、僕は近所の山の中を彷徨っている。

生い茂った木々が僕を冷たく包み込む。

真冬の死ぬ程寒い時期に何故こんな所に居るのか……それは僕にも分からない。

ただ、気がついたらここに来ていたのだ。


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 あの事件で、僕の家は疎か、住んでいた町の大半がまるで巨大隕石が落下したかのように酷い有り様になってしまった。

つまり、今の僕には何も残っていないのだ。

強いて言えば、彼女……時雨さんに助けられたこの命だけが残っている。

だが、それさえも無駄にしようとしていた。

人間、いきなり絶望に突き落とされると、立ち直るのは難しい。

僕はこの世の全ての出来事がどうでも良くなり、ただひたすらに歩いていた。

揺れ動く木々は止まることを知らない。

荒れ狂う北風が木々の秋の名残を次々と剥ぎ落としていく。

もう冬に包まれている木が所々にあるのが冬の寒さを更に肥大化させる。

風に煽られ、足を掬われそうになるが脊髄反射で体制を持ち直す。

そこに、僕の意志は全く介入していなかった。

人形のように、ただふらふらと凍りつくような冷たさの空気を掻き分けながら足を動かす。

一歩、また一歩と進んでいき、次の一歩を踏んだ時だった。

周りの空気が一変したのは――


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 北風はある一点を越えるとピタリと止み。

先程までの寒さが嘘のような気温になっていた。

僕はやっと無意識から有意識に脳を切り替え、周囲の状況を確認する。

最初に目に付いたのは、大きな家だった。

大豪邸と形容しても違和感がない程の家だ。

しかし、至る所にツタが生えており、とても綺麗とは言えなかった。

言葉にして表すとしたら大豪邸ではなく、自然に飲み込まれた廃れた家といったところだろうか。

その家を囲むかのようにさっきまでの山の木々とまるで違う優しい雰囲気の木々が緑の葉を大量に付けてバラバラと立っている。

僕は何となく、この家に入ってみようという気持ちになった。

小鳥の囀り一つ聞こえない静かな森の中にヒッソリと佇む家……静かだからこそ感じる安らぎと安心感が、僕を家の中に引き寄せたのかも知れない。


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 ギギギィという嫌な音を立て、建付けの悪い扉が開く。

屋内は意外にも綺麗で、床に穴が空いていたり、蜘蛛の巣が張っていたりはしていない。

エントランスと思われる場所の中央には今は明かりがついていないようだが豪華なシャンデリアが飾られていた。

空き家になってからまだ日が経っていないのか、はたまた、ここが天国と言われる場所なのか……

後者の可能性が高い気がしなくもない。

だが、取り敢えず今は屋内を散策しよう。

僕は特に理由もなく、この家を調べ尽くそうと思い歩き出そうとした刹那、僕の手足は金縛りに遭ったかのように動かなくなった。


「誰だ? 人の家に勝手に侵入して……不法侵入だぞ!」


窓から入ってくる自然光しか明かりがないエントランスに女性のような声が響く。

どうやら、この家の持ち主のようだ。

持ち主が居たという事実に驚きつつも、僕は彼女に敵意は無いという事を証明するべく、口を開こうとしたが手足と同様に、それは動かなかった。

コツコツと彼女の足音が近づいてくる。

そして、彼女は僕の背後に立った。

見知らぬ人に背後を取られるのはあまり気分がいいものじゃないなと僕は初めて体感する。


「うむ……見た感じ政府の人間では無さそうだな。よしっ、これからお前に幾つか質問をする。良いな?」


僕は思わず首肯してしまった。

恐らく彼女の能力によって拘束されている状況の中、正常な判断を下すのは至難の業だ。


「おっと、間違えて口まで拘束してしまっていたようだ。今から質問に答えてもらうんだから解かないとな……」


僕が喋れないことに気付いた彼女は自然光が当たる場所まで移動した。

そこで漸く、彼女の全貌が明らかになる。

髪は白色のショートカットで、服はゆるい部屋着のようなものだった。

髪色と同色の瞳が僕の姿を捉える。

そして、こちらに手をかざすと同時に、僕の口は自由になった。


「おぉ、喋れる!」


一時の喜び、しかし状況は全く変わっていない。

ひとまずは彼女がどういう考えを持っているのか分かるまでは何もできないな……


「……さて、質問に答えてもらおうか。もし、嘘を付いたら手足を一生拘束したままにしてやる。いいな?」


彼女の少し圧のかかった問いかけに、僕は何度も首を振った。

流石の僕でもこんなところでオブジェクトとして過ごすのはかなりきつい。

死ぬなら一瞬で……だ。


「まず、1つ目の質問だ。お前はどうやってここに来たんだ?」


質問の意図がいまいち良く分からないが僕は正直に答える。


「ふらふらと歩いていたら偶然この家があったからちょっと入ってみたんだ」


「ちょっと入ってみたんだ。じゃないんだよなぁ……」


彼女は呆れたのか深い溜め息を吐いた。


「それにしても、なんで入れたんだろう? ここら一帯には私の術がかかっている筈なのに……」


彼女は、ぶつぶつとそう呟いている。

術とは彼女の能力の事だろうか……

様々な憶測が脳内を飛び交うが、尋ねることはできず、そのまま次の質問に移った。


「2つ目だ。お前は、帰る家はあるのか?」


彼女のまるで僕の心を読んだかのような質問に、僕は不意にギクリとする。


「この時期に1人で、こんなところをふらふらとしているなんて明らかにおかしい。それに、最近、山の麓の町がヤバい事になったらしいな? もしかして、お前はそれの被害者なんじゃないか?」


彼女の鋭い推理に僕は思わず、笑みを浮かべてしまった。


「……あぁそうだ、その通り。帰る家も、お金もない……だから、自暴自棄になっていたんだ」


「ふぅん、そうか。だったらここに住むか?」


「えっ?」


彼女からの予想外の提案に僕は素っ頓狂な声を上げた。


「私も1人で暇だし、助手も欲しいし……何より、お前がここに入れた原因が探りたいしな」


暫くの間、僕の脳が音速を超えるスピードで回転する。

しかし、僕は無意識の内に、その提案に了承をしていた。

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