その日、僕は君に叶わない恋をした――

杜鵑花

プロローグ

 その日、僕は柄にも合わず、近所のお洒落しゃれな喫茶店に行っていた。

好き、とまではいかないが最近飲み始めたコーヒーを片手にゆっくりと新聞に目を通す。

普段はこんなに洒落たことはしないがたまには非日常的なことをしてみようと思い、行動した結果、こうなっていた。


「能力者が暴走、ねぇ……」


ふと、新聞のある一面の見出しに目が留まる。

能力とは能力者が生まれつき持つ異能の力の事である。

それがこの世界にはあるのだ。

人間は愚かで何かしら強大な力を持つとすぐに自分より劣っている弱者を支配しようとする。

そんなこともあってか、最近理由は不明だが政府に対して反乱を起こすやからが増えてきていた。

政府は日々、それの対応に追われている。

世界の中枢組織である政府がそのような状態であるということはつまり、世界がいつ崩壊してもおかしくないということを意味していた。

まだ僕が住むこの町は反乱による被害に遭っていない為、僕は正直他人事ひとごとのように思っている。

だがしかし、それも時間の問題だろうな……

もうこのような優雅な時間は過ごせないかも知れない。

そう考えると、行き場のない溜め息が口から溢れ出た。

僕は新聞の残りの面に軽く目を通した後、それを閉じようとする。

刹那せつな鼓膜こまくが張り裂ける程の轟音ごうおんにみまわれた。


「何だ何だ?!」


優雅な時間を吹っ飛ばされ、文句をつける暇もなく、次々と爆発音が鳴り響く。

慌てて周囲を見渡すと、先程まで町だった場所が、焼け野原になっていた。

一緒に喫茶店にいた客はそれを見るや否や、一斉に逃げ惑う。

僕は客と逃げることもせず、呆然と立ち尽くしていた。

この町には比較的弱い能力者、そもそも能力を扱えない人が大勢集まっている。

一つの町に、同程度の強さの人間を集めているのだ。

それをする理由は単純で、弱肉強食の社会をつくらないようにするためである。

故に、今のように何かが起きてもこの町に住まう人間は、叫び声をあげながらまどうことしかできない。

対抗もできないのに大きな力に立ち向かうのはバカがする行為だということを本能的に理解しているのだ。

普段の僕もきっとそうだっただろう。

しかし、今日の僕は朝からいつもと違っていて、非日常的感覚を求めていた。

自然と、足が爆発した焼け野原の方を向く。

これから起こる出来事が、自分の平凡でつまらない運命を大きく変えるかも知れない。

いや、もしくは運命の終着点となるかも知れない。

だが、そんなことは今の僕には関係ない。

僕はそこへ向かうべく、地面を蹴り駆け出した。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「植物も人間も綺麗に消し飛んだな……」


元から平地だったと言われても納得してしまう程のこの場所で、僕は一人そう洩らした。

ここに住んでいた人はどうなったかは火を見るよりも明らかだ。

辺りには、何かが焦げた臭いと仄かな死の香りが漂う。

先程まであった建物の残骸さえないこの場所は、とてもこの世とは思えない程の惨状だった。


「おーい、誰か居るか?」


心中で無駄なことだとは思いながらも、一応そう言ってみる。

ここで、僕の危機管理能力がもう少し高ければこのような行動は取らなかっただろう。


「んー? お前は……見た感じ政府の人間じゃ無さそうだな……となると、逃げ遅れ……いや、ただの命知らずか!」


不意に背後から、凄まじい殺気を纏った嘲るような言葉が投げかけられた。

僕は恐る恐る声の主の方へ顔を向ける。

そこには、狂気的な笑みを浮かべ、血のような紅い髪をした男が居た。

周囲の風景もあいまってか、鬼の姿が脳裏を過る。

気付けば、仄かだった死の香りがむせ返るほどに濃密なものになっていた。


「うーん……このまま殺すのもなんか面白くないしな……ちょっと遊ぼうかな?」


瞬間、僕の周囲を燃え上がる炎のリングが囲った。

肌が焼ける程の熱気を体全体で浴びる。

今まで、平穏に馴染みすぎていた僕の体は、まるで金縛かなしばりに遭ったのかのように動かない。

呼吸をする毎に、喉が焼けるような痛みを錯覚してしまう。


「死にたいか? いや、死にたくないよなぁ? だったらこれを避けて見ろよ」


男が、嘲笑するようにそう言って、手を振りかざす。

それと同時に、その手から火球が放たれる。

しかしそれは、高速で僕の目の前まで迫ると、寸のところでその軌道を反らした。


「おいおい、避けることもしないのか? そんなに怖いか? 死ぬことが……うーん、じゃあそうだな一思いに一瞬で消し炭にしてやるよ。気が付いたら死んでるんだったら怖くないだろ?」


男はそう言うと、さっき飛ばした火球を手に呼び戻し、更に大きくした。

対して、僕は男がそれをしているところを見ていることしかできない。

もう足音が聞こえるほどに死が近づいていた。

元はと言えば自業自得だが、それでもまだ僕は死にたくない。

切実にそう願う。

今まで、神を信仰したことはないがこの時だけは神に祈った。


「じゃあ、おやすみ!」


しかし、たった一度の祈りだけで願いを叶えてくれるほど、神様は安くない。

男の手から放たれた巨大な火球が、近づいてくる。

それに連れ、視界が紅く染まっていき、周囲の温度も徐々に上がっていく。

僕の目の虹彩はオーバーヒートし、一瞬にして真っ暗な世界に連れられる。

僕は呆然と死をただ待っていた。


「君、よくこいつをここまで引き止めてくれたね……」


真っ黒な視界の中、何処かで聞いたことのある人間の声を聞き、遂に天国に来たかと思考しあ。

周囲の気温も下がっていたことから、その思考が、よりリアリティを帯びる。

やがて、目が慣れてくると、僕の視界に映ったのは想像通りの天国、ではなく何処か見覚えのある金髪の女性だった。

周囲はあの惨状のままで、ここが現実であるということを表している。


「あの……貴女は?」


僕は、自分が生きているということに、混乱を覚えながらも、誰か思い出せない彼女にそう尋ねる。


「私の名前は時雨美凪しぐれみなき、政府の人間よ。安心して、君はもう安全だから」


時雨美凪、その名前が頭の中で反響した。

僕はその名前を知っている。

確か、その名前は政府のトップの人間のものだった筈だ。

混乱の上に混乱が重なり、ミルフィーユ状になっていくが、取り敢えず助かったという安堵あんどで、僕は全ての思考を放棄した。


「あの男は?」


自分がもう危機的状況にいないかを確認するためにそう訊く。


「もうこの世に居ないわ。それより君、怪我けがはない?」


それを聞いて、僕は更に安堵する。


「はい、特には……」


「そう。なら良かった。でも、一応病院で検査は受けてね。今すぐ転送してあげる」


「時雨さんはどうするんですか?」


「私は政府のトップとしてこの混乱を更に広めないようにしないといけないから……じゃあね」


刹那、周囲が淡い光に包まれ、次の瞬間には目の前の景色が病院に変わった。

大量の情報に、頭が追いついていない。

しかし、僕は彼女が最後に見せたぎこちない笑顔だけは情報に埋もれず、鮮明に覚えていた。

僕は君に叶わない恋をしたんだろうな……

僕はその場でしばらたたずんでいた。

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