第2話 召喚されたようです?

 

 頬に当たる柔らかな感触をうっとりと堪能しながら、美夜ミヤはころりと寝返りを打つ。


(よく寝た……。そう云えば、ここのところずっとレポートとバイトにかかりきりで、ずっと寝不足だったな)


 やけに質の良いシーツだなとぼんやりと考える。

 自宅のベッドはこんな寝心地だっただろうか。


「ン……?」


 ゆったりと瞬きを繰り返すと、どうにか視界がクリアになる。

 真っ先に目についたのは、豪奢なシャンデリアだ。キラキラと光を弾く透明なクリスタルが目に眩い。


(シャンデリア? 知らない天井過ぎる)


 戸惑いながら、美夜は身を起こした。

 ふかふかのクッションに埋もれないよう、両手で身体を支えようとして、動きを止めた。

 見覚えのない、ふかふかの何かが目に入る。

 灰色の毛皮に覆われた、短い前脚。

 目にした物がそれだと頭では理解しているはずなのに、意味が分からなかった。

 だってそれは、子犬か子猫の可愛いあんよだ。

 それは分かるけれど、なぜ自分の意思に合わせて動いているのだろう?


(まさか……。まさか、だよね?)


 美夜は慎重に身を起こした。

 両手をついて起き上がるはずが、なぜか四つん這いのままだ。それでもどうにか身を起こし、そうっと周囲を伺った。


(やっぱり、見覚えのない部屋だ)


 見慣れた1DKの自宅アパートとは比べようがないほどに豪華な部屋だった。

 執務室だろうか。高価そうな調度品の中でも一際立派な黒壇の机が奥に据えられている。

 少し離れた位置には座り心地の良さそうなソファセット。低いテーブルの上には立派な花瓶に漆黒の薔薇が飾られている。

 壁一面は本棚だ。ぎっしりと埋められた本の背表紙にある文字は見たことがない形をしていたが、なぜか美夜には読めるようだ。

 床に敷かれた絨毯ひとつとっても、それがとんでもなく価値が高い代物だろうと、門外漢の自分でも分かった。


(……さて、現実逃避しても仕方ない。そろそろ向き合おうかな)


 深呼吸して落ち着きを取り戻すと、あらためて自分の身体を見下ろした。

 もふもふだ。細く柔らかい毛に包まれた、何とも頼りない小さな体だ。

 持ち上げてみた手は愛らしいフォルムをしている。てのひらにはクマの形をしたピンク色の肉球。意識すると、小さく細い爪がにょきっと顔を出す。


(うん……これは、あれだな……)


 首を巡らすと、ふさふさの尻尾がはたりと揺れた。今まで存在していなかった肉体の一部が、意識すると動かせる感覚が不思議でならない。


 思い切って、居心地の良い寝床から立ち上がった。

 寝かされていたのは、クッションやブランケットを敷き詰めたカゴの中だったようだ。

 幸い、高さはなかったので、よたよたと頼りない足取りでもどうにか外に出ることが出来た。


 目指すは、窓際。

 執務机の後ろが一面、大きな窓になっている。

 慣れない四つ足で辿り着いた窓際には、ピカピカに磨き上げられた窓ガラスが嵌まっていた。


(うん、鏡になるね。さて、私の姿はいったいどうなっている……?)


 きっ、と睨み付けた先のガラス窓には、美夜の予想通りに小さくてふわふわの子猫の姿が映っていた。


「ニャッ⁉︎」


 思わず声が出た。か細くて頼りない猫の声。聞き覚えがある。

 何よりもガラスに映った子猫の姿に美夜は愕然としていた。


(大学に棲みついていた、あの子猫。……そうだ、意識を失う直前にあの子を抱きかかえていた――…)


 猫と、身体が入れ替わったのだろうか?

 まさか、そんなことがあるはずはない――だが、実際に美夜はいま、あの子猫の姿になっている。


(どういうことなの? あの変な魔法陣が光って気絶して、その後……)


 そう云えば、妙な老人の独白を耳にしたことを思い出す。

 勇者召喚、二つの魂が融合。そして、魔王。


 単語の断片だけでも嫌な予感がひしひしと迫ってくる。

 あの老人は何と言った? 

 魔王が、勇者を拐うつもりか、と―――…


「目が覚めたか、勇者よ」


 低く艶やかな声が頭上から聞こえた。

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