【平成三十年(2018年)】


【平成三十年(2018年)正月】


 創始会は、明確に解散した形となった。


 噂では武闘派が温存されているらしいが、聞かなかったことにするとしよう。生きる道はあるのだろうか……。警備会社や格闘団体でも作るというのなら、それはそれである。


 亡き親分の孫に当たる孝志郎は、連れ合いの樹理と一緒に上田で活動の基盤とするための会社を設立して、外部の仕事を請け負う形にするらしい。取引先であるイニシアル社もひふみ企画も上田に拠点を置いているので、やりやすい面もあるのだろう。


 爛柯牧場からの配合アドバイザーとしての報酬に加え、いろは系が請け負う馬券投資会社のシステム使用料代わりの配分も含めると、それだけで一財産である。彼らには、馬主資格を取っておいてもらって、風香に騎乗依頼を出すように遺言するとしよう。


 前世での記憶通りに、去年はサブチャンノワールが活躍を見せた。北島三郎さんは、既に紅白歌合戦から引退した状態だが、前年まではこの馬がGIを制覇すると競馬場で「まつり」を披露してくれていた。


 爛柯牧場の期待馬であるランカユキタカは、二歳シーズンを未出走で終えた形になる。始動はおそらく春過ぎの長距離未勝利戦となるだろう。多くの爛柯牧場出身馬が通ってきた道となる。


 そして、だいぶしっかりしてきた美春と、親子三人で対話する機会を設けた。


「話というのは、他でもない。これからお父さんは、一年半くらい仕事を休んで、三人でできるだけ楽しむ時間にしたいんだ」


 真剣な父親の言葉に、美春の首が傾げられる。


「それはやめてほしいのでしゅ」


 愛娘の即答に、俺は思わず声を上げた。


「なんですとぉー」


 そこまでで絶句した俺に代わって、少女の母親が問い掛けた。


「ねえ、みはちゃん。どうしてそう思うのか教えてくれる? お父さんとはあんまり遊びたくない?」


 いや、美冬、そんな直截的に……。肯定されたら立ち直れない気がする。美春は、まっすぐにこちらを向いて話しはじめた。


「みはちゃんはねえ、みんなといろんなお話をしながら、楽しそうにしているおとうしゃんを見るのが好きなの。たまに遊んでくれれば、それでいいのでしゅ」


 にまっと笑う愛娘には逆らえそうにない。いつの間にか、背中を見られていたということか。


「そうか……。そうかもしれないな。わかった。休みの日はたっぷり遊ぼう」


「それがよいのでしゅ」


 美冬は父子の語らいを、顔を伏せて聞き入っているようだった。





【平成三十年(2018年)5月】


 馬運車から見える風景にもすっかり馴染んでいる。桜の舞い散る中で、車は譜代の種牡馬施設へと向かっている。


「ボスが種付けに同行するのはめずらしいな」


「まあ、たまにはな」


 馬運車には、ランカリアライズとランカエカテリーナという、うちの牧場の基幹繁殖牝馬が同乗している。


 この二頭は、ステディゴールドを父に持つランカキラメキ、ヤマブキよりも、より爛柯らしい血筋と言えるだろう。


 今回の種付け相手となるディープインパクツは、受胎確認の条件はついているにしても、四千万円前払いというなかなかのお値段となる。だけれど、配合方針に変更はなかった。


 もしも、ディープインパクツを主体にした馬作りを志向していたなら、供用開始と同時につけまくるべきだったのだろう。確か、その頃は千二百万円とか、それくらいだったはずだ。


 ただ、オーナーブリーダー的な性格は帯びつつも、爛柯牧場はどこまでも地方馬主を中心とした馬主さん相手の商売を主流としてきた。


 さらには、ディープインパクツが種牡馬入りしてからここまでの七、八年で、芝長距離における非SS系、非キングリンボー系の馬作りを進められた。そちらの方向性を放棄するつもりはないが、一口馬主クラブからの要請を踏まえれば、年に何頭かずつ導入しても、後で困ることはないだろう。


 到着すると、スタッフの人が満面の笑みで迎えてくれた。すぐに、肌馬のアテンドが始まる。


 待機するようにと言われた場所は、種牡馬の待機場だった。まさかの一対一の対面となる。


「よぉ、お前さんが一歳だったとき以来だな。覚えているはずもないだろうけれど」


 なにやら、向けられてくる視線の圧が強めのように思える。恨まれる覚えはないのだが。


「なんだよ、これまで爛柯牧場の牝馬を連れて来なかったことを怒ってるのか? 悪かったって。嫌ってる訳じゃないんだ。むしろ逆で、能力を畏怖しているからこそ、他の血脈をなるべく繋げようとしたんだ。さすがに現代でセントサイモンの悲劇みたいな極端な血の飽和は起こらないとしても、お前さんの子孫がより高みを目指せるようにと思ってさ」


 いななきがのどかな空気の中に溶けていく。なんだか、対話のようになってしまっている。


「いや、本当は、爛柯牧場の牝系に導入するなら、お前さんの孫か、少なくとも息子の代になってからと思ってたんだ。血の量の関係でさ。わかるだろ? ……でも、求めてくれてる声を聞いてしまってはな。俺のいるうちじゃないと、いろいろややこしくなるかもしれないし」


 首が傾げられ、耳がこちらに向けてすぼめられる。


「ああ、俺は来年の半ばにはこの世界から去る。お前さんは、その後の競馬界も背負っていってくれよ」


 と、偉大な種牡馬がなにやら前肢を掻き始めた。


「なんだよ。なにかほしいのか。牝馬なら今年は六頭用意する。来年には、また話が変わるかも」


 掻く脚に込められた力が強くなっているようだ。


 と、案内役のスタッフが戻ってきた


「おまたせしました。おや、どうされましたか?」


「話していたら、前掻きを始めてね。なにか欲しがってるのかな。疝痛ではなさそうだけど」


「めずらしいですな。……いずれにしても、歴史的な和解の瞬間を邪魔してしまいましたか」


「別に仲が悪かった訳じゃないんだが。むしろ尊敬しすぎていたからこそ、迂闊に近づけなかったってとこだな」


「今後は、手を取り合って歩んでいってもらいたいです。……では、あちらへ」


 ディープインパクツは、まだ前肢をかいている。ただ、俺としてはその場を離れるしかなかった。


 この馬は、今後の日本の競馬界をより高みへと導いてくれるはずだ。そして、爛柯牧場の馬はその先の世界でどんな活躍をしてくれるだろう。


「達者でな。あとは頼むぞ」


 ひひん、という声の意味はわからなかったが、少なくともなにかは伝わったようにも思えた。




【平成三十年(2018年)晩秋】


 北海道で震度7の地震が発生したことで衝撃は走ったが、爛柯牧場や関連しているところの被害は軽微なものに留まった。ただ、災害対策を考えておくべきなのは間違いない。そろそろ太陽光発電や蓄電池もこなれてきているだろうから、導入するのもよいかもしれない。それは、上田競馬にも提案しておくとしよう。


 そして、この頃から、SDGs……、持続可能な開発目標についての喧伝が勢いを増していく。


 お花畑とまでは言わないが、安定しているのはいわゆる西側諸国だけのようにも思える。中東やアフリカの紛争は継続していて、改善の兆しは見出だせない。


 安定した地域だけでも、高い目標を目指そうという考え方自体は、間違っていないのかもしれない。ただ、それどころではない人々も多くいる。


 また、パワーバランスが欧米優勢に傾きすぎているようでもある。核のない時代なら、このまま屈服させてしまってもよさそうなほどだ。このバランスを中露が受け容れてくれるようなら、世界の落ち着きは継続されるだろう。


 だが、ロシアはクリミアに手を伸ばしているし、中国は台湾が自国の一地域だとして、併合を諦めていないようにも見える。イスラエルがパレスチナの諸地域との間に壁を築いたことで、やや落ち着いているのはいい傾向なのだろうか。ただ、パレスチナの人々の苦境に思いを馳せる人は多くない。


 美春が生きる世界が、戦争と無縁の世界となってほしいと切に願う。平和であるように見えるのは、中東やアフリカの現在進行形の戦争から目を背けているだけとも言える。


 欧米人が被害を受ける戦争でも起これば、モードが切り替わるのだろうか。もちろん、そうなってほしくはないが。




 3歳になったランカユキタカは、未勝利戦、条件戦は圧倒的な強さで連勝していったものの、脚部不安で秋は休養となりそうだ。


 その他の生産馬では、クラシックシーズンを迎えたシルバーチャーム産駒のミスリルチャーミーが芝の中距離路線で活躍している。とは言ってもGIでは皐月賞3着が最高で、重賞はGⅢを二つ制覇までに留まっている。


 ただ、この馬は血筋的に母の父にファイトエンブレム、母母父がステディゴールドであるため母母父父がサンデーサイレントと、日本に移籍したアメリカ由来種牡馬が血統表に並んでいる事情もあって、エスファ経由で来年にはアメリカ遠征を、との話も生じていた。


 同期のタイムパラドクス産駒のシュタインズゲートは、上田三冠と遠征を並行して進めていて、勝ち星も重ねている。ミスリルチャーミーがアメリカに遠征するなら、帯同馬はこの馬になるかもしれない。


 シュタインズゲートの母親はランカリープで、プラチナアリュールとルンルンオペレッタの娘である。ダート馬は、配合見直し後の血統取り込みが進んでいる状態だった。


 ランカフェリクスの娘であるランカパンドラは、中央の仁科厩舎に入る予定で上田の外厩で過ごしているのだが、脚元がやや弱めなところに不運な故障続きで、クラシックシーズンのこの時期までデビューに至っていない。繁殖入りは確定的なだけに、無理をさせることはないのだが、なんとか良化してほしいものである。


 古馬勢で現役生活を終えようとしているのは、ランカパンドラの全兄にして、三冠戦で上位に入りながらも栄冠には届かなかったランカフォルトゥナと、タンホイザーゲートの息子であるランカルクシオンの五歳勢だった。


 ランカフォルトゥナは、2017年シーズンは中央の中長距離戦でのサブチャンノワールとの対峙を回避して、海外遠征を選択した。カップ三冠のうち、緒戦のGⅠゴールドカップは制したのだが、二戦目でその年からGIに昇格したグッドウッドカップはストラディバリと激戦の末に2着に敗れ、GⅡドンカスターカップを制覇と、惜しくもカップ三冠は達成できなかった。


 2018年は、前年よりは可能性があると考えて中央のGI戦線へと向かったものの、春の天皇賞3着、宝塚記念と秋の天皇賞2着と、タイトルには手が届かなかった。


 その2年で、GⅡは日経賞、目黒記念、京都大賞典を制しているし、海外GIを制したのだから、充分な戦果と評してよさそうだ。


 ランカルクシオンは芝にも顔を出しつつ地方交流重賞の常連となり、地方交流GIを1勝、GⅡを3勝、GⅢを5勝とがんばってくれた。血統的な後継者候補としても、父親の価値を高める面からもとても意義深い。これで、GⅢでもいいから芝の重賞が獲れていたら、万々歳だったのだが。




 この年には、サッカーのワールドカップが開催された。今世でも、大迫は半端なかった。決勝トーナメントでの初勝利に近づいたところで、ベルギーにまさかの大逆転を喰らっての16強というのも、前世のままである。もう一度見ても、対戦相手の鮮やかさが際立った。


 俺のワールドカップ先読み知識はここで止まっている。2022年はカタール大会が予定されているが……、本当に夏に中東で開催できるのだろうか? 


 そして、阪神では金本知憲監督の三年目のシーズンが終わりを告げた。超変革を標榜したアニキの三年間は、最下位で幕を閉じる形になった。


 若手を登用して、立て直しを図るという方向性自体は、間違っていないように思える。


 戦力的に厳しいのはわかるが……。ここから復活を果たせるものなのか。令和になって、昇格した矢野監督の指揮のもとで風向きが変わることを期待したいものだが、これもまた行く末を見届けることはできないわけだ。


 令和のうちに……、いや、今世紀中にリーグ優勝を、日本一を達成できるのだろうか。ドラフトで指名された近本選手には、ぜひ赤星のような活躍が望まれるところとなる。


 一方で、かつての超変革の序盤に期待の星だった横田選手は、病気で休養状態となっている。ただ、復帰に向けた運動は始めているらしいので、復活して近本選手との一、二番コンビ結成を期待したい。もちろん、クリーンナップでも問題ないんだが。


 横田選手は今年から、ゆずの「栄光の架橋」を登場曲にしているそうだ。題名を聞くだけで、アテネオリンピックの頃の感覚が思い出されるのだから、楽曲の力というものは強烈である。俺にとっては、ステディゴールド産駒のランカキラメキとランカヤマブキの入厩先を探していた記憶が蘇る曲だった。タンホイザーゲートがまだ現役だった時分である。


 あの曲が甲子園球場で流れたら、どれだけ盛り上がることだろうか。その成否を確認することも、残念ながらできそうにないが。



 

 競馬界に視線を戻すと、アーモンドアイリスに触れないわけにはいかない。牝馬三冠に加えてジャパンカップを制するとなると、女傑という表現に留まらない感すらある。


 記憶の中では、このアーモンドアイリスが平成最後の三冠馬だった。我らが爛柯牧場から三冠馬が登場する未来を目撃したいが……。それでも、未来が開かれていることに満足すべきなのだろう。




 この年は、家族三人で多くの時間を過ごした。休みのたびに遊びに連れ出されて、美春が少し体調を崩した時期もあったのだが、幸いなことに大事には至らなかった。自分本位になってしまったのは、反省するしかない。


 幼い年頃の娘の多くの笑顔と、少しの怒気も見ることができた。貴重で、大切な時間だった。


 さらには知己の元を訪ね歩きもした。前世の自分を否定する気もないのだが、人との出会いに恵まれたのは間違いないだろう。


 残り時間は、ごく少なくなってきていた。



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