【平成二十年(2008年)秋】その3&【晩秋】
【平成二十年(2008年)秋】その3
遥歌さんと打ち合わせをしていたヤスさんを捕まえて、出店絡みの相談を済ませた頃に解散となった。
美冬と一緒に実家に戻ると、両親と雅也に加え、ことねんこと三浦琴音嬢が迎えてくれた。
「どーしてここに、ことねんが?」
「いちゃ悪いですか。……みんな来るかと思ってたのに、美冬さんだけですか。人望ないんですね」
「痛いとこ衝くなあ。エスファも遥歌さんも宿を取ってたみたいで」
「人気もない、と」
「そりゃあ、動画配信界隈にその人ありと謳われたことねん様ほどの人気はないだろうけど」
「仕事です」
「楽しんでるでしょ?」
「その側面が皆無だと言ったら嘘になりますけどね」
「まあまあ、とりあえず入ってよ」
雅也に促されて、俺達は時雨里家に踏み込んだのだった。
両親と雅也の落ち着いた関係性が俺にはやや眩しく映る。一緒にいて疎外感を受けるわけではないのだが、やはりしっくり来る度合いに落差を感じてしまう。
そして、ことねんはその関係性に馴染んでいるようであった。家庭面で恵まれなかったと聞いているので、安らぐ環境なのかもしれない。
雅也との息も合っているようだ。年齢差も一回りほどあるし、そういう仲なわけでもないだろうが。……ないよな?
その流れで、ヤマアラシ先輩の詰問を思い出して、俺は美冬に質問してみた。
「ヤマアラシ先輩が抱えている問題とやらは解決したのかな?」
「うーん、エスファがどんな娘かあれこれ訊かれたけど、納得したのかな」
こちらを向いたことねんが問い掛けを発した。
「あの金髪美人ですよね。どんな方なのですか? 動画に出演いただけると助かるのですが」
「そういう趣味はなさそうだな」
そこで美冬が強めの視線を向けてきた。
「智樹は、エスファのことをどう思ってるの?」
「どうって……、口は悪いけど、いい奴だよな。相馬眼度外視でも、得難い相談相手だと思うぞ」
質問者はふっと息を吐いた。
「そう。……ヤマアラ、じゃなかった嵐山先輩に訊かれていたから」
「ふーん、直接でも答えたのにな」
ことねんが、やや苦笑気味の息を漏らす。
「そういうことじゃないと思うのです」
じゃあ、どういうことなんだろうと首を傾げていると、着席した雅也が話に加わった。
「まあ、兄さんはなにもかも見透しているようで、意外なところが抜けてたりするから、無理もないんじゃないかな」
「抜けまくりだと思うが、今回の抜けポイントは正直わからん」
「うーん、そこに気が回るようじゃ、智樹くんじゃない気がするし」
「でもさあ、気がつかないままに大事なものを失ってしまうかもよ」
「大事なものって?」
美冬が居心地が悪そうに身じろぎした。なおも言い募ろうという気配のわが弟を、ことねんが制する。
「変に意識させて、悪化することもあるのよ。行き過ぎはよくないわ」
「それはそうかも」
矛を納める気になったらしい雅也は、再び調理に合流した。ある程度食べてきたと伝えてあるのだが、母さんが張り切っているらしい。
準備を終えた三人が食卓につくと、穏やかな時間が流れた。
次の日は、連続でのお見舞いとなった。まあ、同じ病院の隣の病室なのだが、任侠の引退済み首領と競馬組合の元顔役だけに、大っぴらには交流を持たないことにしているらしい。もう、ノーサイドでいいような気もするが、二人とも病床にありながらも、まだいつでも現役復帰できそうなくらいに元気なのは確かである。
どちらからも、上田競馬場の活況ぶりや馬作りを見守っているから、死去の際も含めて気にするなとの話があった。これまでの関わりを考えると、それで済むわけもないが、動画やネット情報を通じて見守られていると思うと、あたたかな思いが生じるのと同時に、身が引き締まる面もある。
ヤスさんと遥歌さんに合流した俺らは、いろは系のいろはフーズ経営のイタリアンの店を訪れていた。
「はー、おしゃれだな、こりゃ」
「残念ながら、内装は居抜きでな。潰れたフレンチレストランそのままだ。隣の和食店も、鮨屋そのままだし」
「それは、どちらもいい物件だったね」
「その分、人件費にかけられている。地元出身のシェフと板前をおやっさんが口説いてくれたのが大きかった。若手の育成に理解があるのも助かっている」
「競馬場のカフェにも顔を出してくれてるのよ。本当に、助かってるわ」
ヤスさんの言葉に、遥歌さんがうれしげに重ねてきた。イニシアル社は東京にオフィスはあるものの上田に本拠を置いており、競馬場関係のイベントにも助力してくれている。
イタリアンを基本にしながら様々なジャンルの料理と、和食側からの鮨と天ぷらに川魚の煮付けはどれも美味だった。
「超絶美食家なわけじゃないけど、どれもおいしすぎるよ」
「うん、すごくいいと思う」
美冬もうれしげに食べている。と、続いて運ばれてきたのは、同じ料理だった。
「試すわけじゃないんだけどな。こっちも食べてみてくれ」
不思議に思いながら食べ進めると、自然と息が漏れた。
「全然違うね」
「びっくり」
驚いている俺らに、ヤスさんがタネ明かしをしてくれた。
「最初の料理は、若手調理人の手になるもので、後からのはシェフと花板の料理だ。……若手もなかなかの腕だろう?」
「うん。これと比べなければ、とってもおいしいという評価だよ。それは、間違いない」
「安心したよ。彼らにも主軸になってもらう予定だからな」
「今後に期待が持てるね」
ヤスさんの合図で、職人勢が入ってきて、あいさつを交わす流れになった。料理人も互いの料理に手を付けたりしながら、話は続いた。
「……狙い通りに上田競馬が黒字になれば、観光資源強化に向けた資金を確保できる。町もにぎやかになるし、外国からの観光客の来訪も期待できる。名物を作っておきたいな」
「それなんだがな。真田グッズは強化していくつもりなんだが、目を引く料理があまりないんだ」
「イタリアンも和食も絶品だと思うけど」
「だが、東京でなら普通に食べられるだろ?」
「それが上田で食べられるのには意味があると思うけど。……ここでしか食べられない料理ってこと?」
「すぐにできるとは思わないがな」
「うーん、信州牛かなあ。信州サーモンはまだのはずだし」
後半は口中のつぶやきに留めている。マスをかけ合わせて県内で生産される信州サーモンは、もう少し後の時期の登場となるはずだ。
「せめて、デザートで特色を出せればいいんだが」
「うーん、ハイブリッドスイーツとか?」
「なんだって?」
「あれ、まだなのかな。……えーと、ティラミスとかパンナコッタとか、タピオカとかナタデココとか、いろいろ流行ったスイーツあったよね」
「ああ。どれもわりと懐かしいな」
「そういった飛び道具的スイーツに限らず、組み合わせて新しい味を作り出そうという考え方かな。ティラミスをビスケットでサンドするとか、フレンチトーストをドーナツみたいに揚げるとか、ドーナツにアイスを詰めるとか。組み合わせで無限にできるかな、と。クレープとかたい焼きの具にして屋台で出せば、競馬場向け軽食にもなるかも」
なんだか、料理人の人達の間に、ぴきっという音が立ったように思えた。
「和菓子にもありですか」
「もちろん。羊羹やどら焼きの皮になにかしても、モナカの中にアイスや洋風の菓子を入れてもいいし」
「……スイーツに限りませんな」
「それはもちろん。でも、料理でハイブリッドはありふれた考えに思えるけど……。ステーキ丼とかもそうだろうし」
「いや、高いレベルで組み合わせれば、話はまた変わってくる。だろう?」
「そうだな。色々とやりようはありそうだ。そこに長野の食材を絡ませれば……」
なにやら話が派手になってきたが、期待させてもらうとしよう。
「ねえねえ」
「ん? どうした、美冬」
「馬を連れて来てるから、物流にも対応できるんじゃない? 日高の食材を供給できれば、売りになるかしら」
「ああ、漁協人脈か」
高校の生産コースで一緒だった美冬の友人に漁協の顔役の御曹司夫婦がいて、海産物の安定供給に苦心しているのだった。
「この技量があれば、活用してくれそうだな。馬が来ているから海産物も、という納得感のあるストーリーにもなるし。後は、漁協のホームページなんかをその絡みでイニシアルかひふみ企画に依頼してもよいのかも」
ただ、料理人たちはハイブリッドという発想に夢中のようで、北海道からの食材供給について提案するのは、もう少し後の方が良さそうだった。
【平成二十年(2008年)晩秋】
関連会社で保有していた株式は、成長期待株を除いてリーマン・ショック直後にいったん売却している。最安値は、東証平均で7000円を割り込むとか騒いでた気がするので、空売りを仕掛けてもいいくらいではあるが、自重するとしよう。
7000円台前半になるあたりで、成長期待株を買い増すと同時に、日経平均の投信を仕込むというのが、株式方面の方針となる。特に天元財団では、どれだけ稼いでおいても悪いことはない。
この頃になると、各方面で俺が断言する事柄については、あまり考えずに従うケースが見受けられる。話が早くて助かるのだが、将来的な判断力養成を考えると、いい状態ではない。指示は最低限にするべきなのかもしれなかった。
この年から、ジャパンカップダートが阪神開催となった。中央競馬でのダート競争充実への道は速足とはとても言えないが、進んではいるかなという状態である。
ほぼ芝のみの欧州、芝もあるけれどダート中心の北米と比べれば、日本では格式として芝の方が上でも、地方競馬も含めれば量としてはダート競争も多い。芝と比べさえしなければというのはあるが。
中央で三歳牡牝のダートGIを設定すればいいのに、という気もするが、南関東との棲み分けも考えているのだろうか。
爛柯牧場は長距離とダートの二本立てを目指しているが、現状では長距離向けの方が先行している状態である。
そのほかの特筆事項は……、この年の牡牝混合GIのうち、安田記念、スプリンターズステークス、天皇賞秋、マイルチャンピオンシップ、有馬記念の5競争を牝馬が制している。前年にダービーを制したヴォートカが開いた牝馬の時代は、加速しているようでもあった。
生産者目線になると、牝馬にどこまで走らせるかという思考が出てきてしまうのだが、能力の高い馬は競争に集中させるのもありなのかもしれない。
秋が深まる中で、惜しい馬を相次いで二頭亡くしてしまった。
一頭は、種牡馬のランカリアリティで、腹痛が出てから程なくしての急死だった。生き物と過ごしているからには、死は避けられないのだが、それにしても急なこととなった。
亡きランカリアリティは、天元のじっちゃんが直談判でリアルフダイを種付けした馬で、父の血統を継がせようとして未勝利ながら種牡馬入りさせた馬なのだが、後継種牡馬は残せなかった。
牡馬の産駒がいるにはいるのだが、美冬が光を感じない馬では、残念ながら能力を引き継げる可能性が低い。
ランカリアリティは未出走からの種牡馬入りだったが、美冬が光を感じていながら、後ろ脚の蹴りが強すぎて脚元を悪くしてしまった結果のデビュー断念、という経緯があった。
それでも、より上流から途絶えそうな状態なら、無理やり繋げることも検討してもよいのだが、祖父のヘイルトゥリーズン、父親のロベルトはこの先にある程度の繁栄が約束されている。ブライアンズタイムス、シンボルクリスエス、グラスワンデルなどから、その血脈は残っていくはずだ。
ランカリアリティは、爛柯牧場の長距離系の生産で小さくない存在感を示し、牝馬にその血が流れていると考えれば、果たした役割は大きかったのだろう。
もう一頭は、ランカヴェニスである。ウルトラクリークの娘であるこの牝馬は、ランカリアリティとは同年の生まれになる、新体制爛柯牧場の基幹繁殖牝馬的な存在だった。
こちらは、今年の種付けがうまくいかずに空胎となっていて、のんびり過ごしていたはずが、ある朝に息を引き取っていた。
この二頭は同年生まれで、新体制爛柯牧場の初期に誕生した世代となる。まだ9歳だけにひどく残念である。
両者の娘であるランカリアライズは、シルバーチャーミーの仔を受胎していて、来春の出産を控えている。二頭の血を活性化させるような活躍をして欲しいところだった。
そして、この年は阪神が……、13ゲーム差をひっくり返されて優勝を逃している。北京五輪の影響は否定できないだろうが、それにしてもなこの大逆転劇は、いわゆるメークレジェンドというやつらしい。
もう平成のうちに優勝はしないはずと思いながらも、バタフライエフェクト的ななにかが起こって歴史が覆ったのかと思ったのだが……。
岡田監督はV逸の責任を取る形で辞任し、翌年からは真弓監督が指揮を執ることになった。残念ながら、やはり優勝の記憶は見つけられない。
2003年の優勝は18年ぶりだったわけだが、2005年から2019年まででもだいぶ長期とも言える。嫌な予感が俺の胸にはあった。
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