【平成二十年(2008年)秋】その2


【平成二十年(2008年)秋】その2


 打ち合わせの後で、上田組は揃って上田競馬場へ向かった。市長までやって来たのは、なにか確認事項でもあるのだろうか。


 平日であるため、上田競馬場でのレースはないが、場外としてはオープンしている。カフェ近くの休憩スペースに陣取ると、朱雀野厩舎の面々やヤスさんも顔を出した。


「先程の最後に質問を投げてきた人には威圧されました。どなたですか?」


「ああ、あれは群馬の副知事を務めるお方ですな。切れ者として知られています」


「高崎競馬の存続については、反対されている?」


「絶対廃止を、との考えではなさそうですが、収益次第と思われますな」


「高崎は地域内での立地もいいし、上田との連携の観点からも残ってほしいところです。協力していけるとよいですね」


「まったくです。できる範囲で、支援していきます」


 市長の口ぶりからは、上田競馬の廃止の香りは漂ってこない。まあ、政治はわからないが。


「直線コースの設置となると、駐車場が新たに必要になりますか」


「よほど来場客が増えなければだいじょうぶでしょう。……増えませんよね」


「競馬の参加者は、ネット中心になるとは思います。イベント次第でしょうか」


 市長と父さんがなにやら相談を始めたので、俺はザクくん……、朱雀野調教師に話を向けた。


「厩舎方面では、コース拡張の話は広まってるかなあ?」


「ある程度は。スタンド改修の方が先じゃないか、との話もあるが」


 視線を追って周囲を見回すと、確かに古びている。味があっていいのだが、冬の夕方にはだいぶ冷えるらしい。


「薄暮開催は、あったかく過ごせないと現地組がきついか……」


「古株にはネット投票は遠い世界の話に思えるようでな」


「まあ、既存顧客を大切にすべきなのはその通り。暖房だけでも……。SDGs的な感じを押し出すために、太陽光発電とか風力とか……」


 ぶつぶつ呟いていると、エスファが小鍋を抱えてやってきた。かつおだしの香りがふんわりと漂う。


「五人分注文したら、鍋で持ってけって話になって」


「そこのおでん、うまいんだよなあ」


「ことねんが食べていたおでんだからって、わざわざ食べに来る観光客もいるらしいわよ」


「上田競馬場と言えば、そのだしの香りだよ」


 頷く俺に、美冬が少し沈んだ調子の声を発した。


「でも、無一文だとせつなさを誘うのよ」


「ああ、あのときか。あれは心細かっただろうからなあ」


「そんなことないけど」


 強がれるくらいの心境になったのは心強い。エスファは隣に座る春待先輩と自分に取り分けた後、当然のように俺に鍋を回してきた。


 受け取ると、美冬の前に置いた皿に好物の竹輪、こんにゃく、大根を置いていく。と、一瞥してエスファがコメントした。


「日本的風土からすれば、市長に先に取り分けるものかと思っていたんだけど?」


「確かに……。召し上がられますか?」


「あ、いやいや、皆さんでどうぞ」


 やり取りに割って入ったのはザクくんだった。


「妻が追加で買いに向かいました。熱いのをどうぞ」


 その頃には、朱雀野夫人である雪代さんが新たな鍋を持って、足早にやってきていた。いい香りですな、とうれしげな表情の市長には、そちらを食べてもらうとしよう。




 話が展開して、少し人がばらけたタイミングで、嵐山先輩に睨み付けられた。


「時雨里、ちょっと来い」


「ほいほい」


 立ち上がった上田での主戦騎手についていこうとすると、朱雀野調教師が声を上げた。


「おいおい、馬主筋を呼び捨てるのはどうかと思うぞ」


「テキだって、いつも智樹と呼んでるじゃないですか」


「いや、だって、智樹はなあ。小学生時代の六年の付き合いだし」


「うん、やっぱりザクくんってつい呼んじゃうなあ」


「あたしは、こいつの高校時代の先輩よ。体育会系の上下関係は絶対なの」


「いや、俺は馬術部じゃないし……」


「なんだって?」


「いえ、昔の関係性は変わるもんじゃないってことですよね。俺にとっては嵐山先輩はいつになってもヤマアラシ先輩です」


「お前……、それはやめろって。地味に広まってるんだ」


「ツンツンしてるからですよ。根はツンデレなのに」


「誰がツンデレだっ」


 周囲が残念な子を見守るテンションで笑みを浮かべる中で、ヤマアラシ先輩は俺の胸ぐらをつかんだ。


「いいから来いって」


「行かないとは一言も……」


 そのまま物陰に連れ込まれた俺は、壁ドンの態勢を作られた。いつか誰かにやられたような、とか考えていると、やや低い声で問い掛けが投げられた。


「あの、エスファってのは何者だ」


「えーと、強い馬を見分ける特殊能力を持ってる、爛柯牧場のアドバイザーだな。頼りにしている」


「能力とかいいから。春待先輩とはどういう関係」


「どういうって……、調教もこなすから、春待一派に加わっているけど、そのくらいじゃないかな」


「ホントに頼りにならないわね。いいわ、美冬に聞くから」


 針をツンツンに立てたまま、ぷいっと去っていくヤマアラシを見送りながら、最初からそうすればいいじゃんと毒づいたセリフは、壁に吸われて消えていった。


 気を取り直しておでん屋に向かうと、懐かしい人物が店頭に立っていた。


「スープを一杯もらえる?」


「あいよ、百円」


 カウンターに置くと、すぐに紙コップにおでん汁が注がれた。熱すぎないつゆは、あの頃のままの味だった。


「相変わらずおいしいね。子供の頃のことを思い出したよ」


 目を眇めて凝視した後で、ああという表情になった。


「パドックで予想してた坊やかい。あの頃は、常連どもがだいぶ頼りにしてたみたいだったよ。予想屋にはならなかったのかい?」


「ある意味予想屋なのかな。北海道で牧場を手伝ってる」


「へー、この上田から北の大地へ向かったのか。一緒にいた華奢な嬢ちゃんは元気かい? よくここで買って食べさせてたねえ」


「一緒に来てるよ。手伝っている牧場ってのは、その子が継いでいてね。さっき、鍋を持たされた金髪の子がいたでしょ? その中のいくつかを美冬もなつかしそうに食べてたよ」


「そうかい、そうかい。……最後に食べてもらえてよかったよ」


「最後って……、この店を閉めちゃうのかい? そんな歳でもないだろうに」


 さすがに、以前と寸分違わぬとは言えないまでも、美魔女的な容姿は維持されている。


「市長様が仰るには、若いやり手のコンサル様とやらが、若者向けの今風の店をご所望だそうでね。身を引くようにと諭されているんだ。こっちも、上田競馬場のためになるなら、ご意向に従おうかと」


 その若いやり手コンサルって、もしかして俺のことだろうか。


「えーと、やる気を無くしたわけではない?」


「ここまで続けて、やっとおでんの味の調整がわかってきた気がするからねえ。でもまあ……」


「ちょっと待っててね」


 俺は席に取って返して、市長を連れてきた。道中で聞き取ったところ、個別の店の取捨には関わっていないらしい。下僚の誰かの意向というところか。


「坊や、その人は確か……」


「市長をしております、椎野です。おいしいおでんを堪能しておりました。……新規出店をしやすくする環境を望んだのは確かですが、既存の店を一律で排除しようなどとは考えておりません。ただ、そう受け取った者がおるのでしょうな」


「旧来の店は、早々に店じまいしろって話になっているんだけどねえ」


「すぐに確認して改めます。少々お時間をいただければ」


「おかみさん、ごめん。そのコンサルって、俺のことだったみたい。いろは系の店を追加出店したかっただけなんだけど、話がずれちゃったっぽくてさ」


「続けてもいいってのかい?」


「上田競馬の象徴的な料理を無くすわけにはいかないって。もちろん、続けるのが難しいなら、仕方ないけど」


「そこまで言うなら、もうちょっとがんばってみようかね」


 照れた表情を隠すように、おかみさんは新たな具材をつゆに投入し始めたのだった。明日分の仕込みなのだろうか。


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