【平成二十年(2008年)秋】その1


【平成二十年(2008年)秋】その1


 北京でのオリンピックが華やかに開催された夏が過ぎ、九月に起こったのがリーマン・ショックである。


 ひふみ企画と、新生ひふみ的存在であるイニシアルは、どちらも上場していないので特に気になる状態ではない。広告の出稿に多少は影響があるかもしれないが、その程度となるだろう。


 爛柯牧場としては、馬主さんに影響が出る可能性はあるものの、現状では新規の引き合いもあり、牧場保有だけでなく、ひふみ企画で保有する流れも確立できているので、押し売りして歩く必要はない状態である。


 対して、上田と高崎、宇都宮のぎりぎりで踏みとどまっている地方競馬三場では、不況の始まりではないかと危機感を強めているそうだ。


 ひふみ企画の面々が三場交流会に呼び出されたと聞いて、俺もひさしぶりに上田へと向かった。遥歌さんと美冬、エスファ、それに春待先輩も一緒である。


「智樹、忙しいところにすまんな」


 指定された会館の会議室に入ると、立ち上がった父さんが話しかけてきた。


「いやいや、スタッフが優秀なので、問題ないよ。どんな感じ?」


「拡張計画を止めるかどうかの瀬戸際なんだ。ひふみ企画からの見解は聞いているが、お前とも話しておきたくてな」


「うーん、むしろ狙い目じゃないかな。よその投資が中止になったり、手控えられたりすれば、優先的に安く請けてくれるかもしれない……ってのは、さすがに虫が良すぎるか。でも、馬券の売れ行きは経験則的に、不況とたいして関係ないでしょ? バブル崩壊とは、意味がまったく違うし」


「リーマン・ショックは、バブル崩壊とは違うのか?」


「あんなの、ただのアメリカの金融商品の設計ミスだって。それでちょっと調子に乗っちゃってたアメリカ経済が崩れて、その余波を受けてるわけで」


「それならば、心配ないという見解なのかな」


 問いを挟んできたのは、新任の上田市長だった。引退した前市長の若き懐刀であった人物で、切れ者との評判を耳にしている。俺が答えていいのかな? という目線での問い掛けに、父さんは頷きを返してきた。


「……はい、リーマン・ショックについては、少なくとも中長期的にはその認識でいます」


「数億をかけて直線コースとナイター設備を整備する意義はある、と」


「これからは、地域のファンを呼び込むだけでは足りず、日本全国から顧客を掘り起こす必要が出てきます。直線千メートル戦の導入は、その一助となるでしょう。二千メートルの設定も、王道距離として意味があります。ただ、投資に見合うリターンが、どの段階で得られるかは断言できません。市長の一期目に賄えるかどうかは……」


「逆に、長期的視点に立てば、いずれ投資に見合う効果が得られるのは確実だと?」


「累積で、ですよね。それはもちろん、はい」


 市長の背後にいるお役人らしき人たちがややざわついた。おかしなことを言っただろうか?


 なにやら、他の競馬場の関係者もいるようだが、目配せが交わされた結果、市長からのご下問が行われた。


「失礼、時雨里智樹くんだね。上田市長を務める椎野という者です。一連の上田競馬の改革は、君の頭から出たと聞いている。改善傾向にあるのはわかるが、ペースが緩いと考える者もいてね。本筋の競馬以外の施策について、思うところがあれば聞かせてくれないか」


 ひふみ企画の面々に視線を送っても、やっちゃってくれと手振りで示された。先々の話は、関係各所と詰めてからのつもりだったのだが。


「競馬場を、ギャンブル拠点だと捉えると可能性が狭まります。より高次の目的への部材として考えると、活用の道が見えてくると思います」


「災害拠点としては指定している」


「それも重要ですが……、今後の国の方向として、観光立国が叫ばれています」


「まあ、確かに観光立国推進基本法は成立したが……、この上田に海外からはもちろん、国内からも多くの観光客が来るとは想像しづらい」


「アニメ映画の、「時をかける少女」はご存知でしょうか」


「あれは名作だな。それに……」


 なにかを言いかけて、市長は口をつぐんだ。


「来年、上田を舞台にした映画が公開されるはずです。上田城を中心に、聖地巡礼……、ファンによる劇中に登場するスポットへの訪問を呼び込む努力をすべきでしょう。上田競馬場で前作の上映会、なんていいかもしれません」


「どうして、その話を……。いや、それはまあいい。けれど、それと海外から観光客の誘致は結びつかないと思うが」


 確かに、先々はともかく現時点ではそうかもしれない。


「まずは、観光客誘致についての意識改革を行い、環境を整備することが必要だと思われます。上田がその映画の舞台に選ばれるのは、真田一族の本拠だったからです。真田三代には、それだけのコンテンツ力があります。既に真田まつりが行われていますが、上田競馬場でもイベントを開催したいところです。赤備えの騎馬隊が馬場を走れば、話題になりましょう」


「ふむ」


「そこから、縁のある他の地域の大名家と争うような展開も考えられます。北条、徳川、上杉が思い浮かびます。……来年には上杉を題材にした大河「天地人」が放送されるようです。真田幸村を演じるのは若手俳優の城田優さんだとか。去年の「風林火山」では、佐々木蔵之介さんが真田幸隆でしたか。かつての「真田太平記」では、真田幸村を草刈正雄さんが演じられています。どなたかをお呼びして、騎乗してもらえれば話題になりそうです」


「イベントとして意味があるのはわかるが……」


「可能であれば、真田の主従を演じるチームを、常設で上田城や上田競馬場に出没させられたら名物になるかと」


「赤備えの甲冑姿でか?」


「騎馬武者による寸劇が演じられればなおよいですね。……上田だけでなく、長野県全体で見れば、松本城、善光寺、諏訪湖と諏訪高島城、諏訪大社、諏訪高島城、猿が入浴する温泉あたりが観光地として訴求力がありそうです。上田だけでなくパッケージとして提案して、英語、中国語に対応したホテル、飲食店を紹介して……」


「ちょっと待ってくれ。話がだいぶ大掛かりになってきているが」


「長野新幹線が通っていながら、人を呼び込めていないのは、アピールが足りていないからではないでしょうか。城や武将、風景、食文化などは打ち出す価値が充分にあると思います。……まあ、確かに上田だけの話ではなくなりますが」


「そこに、上田競馬場がどう絡むと?」


「週末は競馬開催をしていますが、平日は場外発売程度の利用となっています。イベント会場として利用する道がありそうです。真田武将隊は、市の予算でやるのもすぐには難しいでしょうから、競馬場のイベント要員として身内で賄うとか」


「身内といっても……」


「ひふみ企画の琴音嬢とかヤマアラシ先ぱ……、嵐山騎手とかノリノリでやりそうな気がしますが。女幸村とか、小松姫とか、猿飛佐助とか……」


「そうか、真田十勇士もあるわけか」


 市長が呟いたところで、やや離れた席にいた他の同席者から声がかかった。


「長野新幹線を活かすのなら、高崎との連携も」


「いや、東北新幹線を使えば、宇都宮とも行程は組めるはず。現に先日のリレー開催では、無理なく移動できていたわけだし」


 他の二場の関係者だろうか。まあ、それは確かに。


「宇都宮は……、栃木に広げれば、鬼怒川温泉、日光東照宮、足利フラワーパーク、イルミネーションなどの観光スポットが。観光地以外でなら、いちご、餃子。ジャズ、カクテル? ……上田、高崎での宇都宮場外開催時に、ジャズ&カクテル祭りとかもよいかも。餃子祭りももちろんありだし。……それらをパッケージ化できれば、南関東に提供してもよいかもしれません」


「ちょっと待ってくれ、高崎は?」


「高崎は……、和田城? えーと、群馬。群馬の観光地? 上州の名物? さて……。かかあ天下? からっ風? ……あ、温泉だ、温泉」


「温泉と競馬に接点はあまり……。競走馬の温泉療養くらいで……」


 情けなさそうな高崎競馬の担当者らしき人物を見ていると、なんだかせつなくなってしまった。


「温泉のお湯を運んで、足湯イベントとか?」


「なるほど……」


「それこそ南関東の競馬場で実施できれば、インバウンドはともかく、国内からの観光客は呼び込めるかも。競馬場の集客だけを考えると、なかなか難しいにしても、県全体の施策の切り込み隊長的な役割だと言い張ってしまえば、競馬場の存続にもプラス効果が見込めるかもしれません」


 と、上田市長が情けなさそうな表情となる。


「上田は、これといった名物が。長野全体を見ても……、信州蕎麦はいまさらだろうし」


「みすず飴は、ちょっと落ち着きすぎか……。長野でキャッチーなのは、林檎かなあ。林檎フェスなんかどうでしょう。林檎、アップルパイ、シードルあたりで」


「林檎ですと、長野全体では、秋映、シナノスイート、シナノゴールドを推していますな」


「なら、信濃林檎の三種食べ比べ、三種のアップルパイ、三種のシードルなんてどうかな。名物づくりと絡められれば、補助金とかありそうだし、農協なんかの支援も受けられそう。……あとは、葡萄のナガノパープルがあったよね。他にもあるなら、それもジュースの飲み比べとかで」


 肝心の上田で何も見つからないとやばいところだった。まあ、上田というより長野全域だけれど、そこはそれこそ玄関口として考えてもらおう。


「宇都宮のいちご、餃子、ジャズ、カクテル。高崎の足湯。上田の林檎と葡萄。それを回していければ、南関東にも通用するかと。真田イベントを出張させるのもありでしょう」


「ふむ……」


「カクテルには、シードルや葡萄ジュースも取り入れてもらったりして。群馬はうどんか……。水沢うどん? ひもかわうどんもあるのか。うーん、信州そば、水沢うどん&ひもかわうどんの対決イベントとか? 対立煽りをするつもりはないんだけど」


「それは、趣向としてはありかもしれませんな」


「あとは、栃木牛、上州牛、信州牛の食べ比べとか、料理対決なんかもありかもね」


「群馬ですと、他はこんにゃくやソースかつ丼なども」


「うーん、集客できるほどのキャッチーさはないかなあ。でも、イベントが実現したら、屋台を出す分にはいいんじゃない? 中央競馬の府中や中山での開催に結び付けられたらいいんだけど。その名目で、中央の連携予算を分捕ってこれないかな」


 中央競馬が絡むと、つい黒い考えが生じてしまう。金満集団が相手なのだから、ちょっとくらいいいだろ、という思いは正直ある。


「イベントの実現は簡単じゃないけど、高崎競馬と上田競馬で競馬五本勝負レースとかを設定して、対立イベントなんかもありかも。それに乗じて、真田武将隊が和田城……、いや、高崎城を襲撃するとか」


「けれど、守備側が和田家では、知名度が……」


「それは確かに。となれば、上州の老虎こと長野業正あたりかなあ。そちらも武将隊を結成できそうなら、攻め合うのも楽しいかも。長野に縁がある有名人と言ったら、上泉信綱とか、加藤段蔵もそうだっけか。劇としてでもいいし、スポーツ的な建て付けにできれば、城のある競馬場とか、単に観光振興をしようとしているよその城とも連携できるかもね」


「宇都宮は……」


「宇都宮氏なら、宇都宮成綱とか? 栃木の人たちが誰に親近感を持っているかにもよるけれど」


「そうですなあ。後は、佐野昌綱ですとか」


「宇都宮が、佐野に栃木の代表になるのを許容できますかね?」


「むむむ、ならば、いっそ足利尊氏ですとか」


「足利家か……、一度は天下を取ったわけだし、それはいいかも。尊氏と、剣豪将軍の義輝が共存とか」


 謎の盛り上がりを見せてしまったが、周囲ではそこかしこでささやき声が交わされていた。


 俺の話したことは、本質的には質問の内容とは外れている。食べ物や武将隊のイベントは、競馬場がなくてもできることなのだから。一方で、地域全体の観光振興を考えようとの機運を競馬方面から巻き起こすことには一定の意味がありそうだ。


 眩惑策のたぐいではあるが、前世知識で地方競馬の売上がV字回復を見せると知っている身としては、ここまで存続した以上は、なんとか三場とも存続させたい。悪いようにはしないから、ここは騙されてくれ、というのが正直な心持ちだった。


「すいません、問われるままにしゃべっちゃってましたが、会議があるのでは?」


 応じたのは、上田市長だった。


「いや、ほぼ話は済んだ気がするので問題ない。実務的な調整はあるにしても」


 と、黙って話を聞いていた人物が声を発した。


「時雨里さんに一点お伺いしたい。ネット投票が急激に発展するとの確信を持たれているようだが、その根拠はどこにあるのだろうか」


 正面から問われると、やや迷ってしまう。知っているから、では済まされなさそうな迫力が放出されている。


「そうですね……。人は、利便性の高い方に流れていくものだと思うからです。90年代に携帯電話による音声通話が登場し、最近はi-modeを始めとする携帯からのインターネットアクセスが普及しました。どちらも、世界を大きく変貌させています。同じことが、競馬を含む公営ギャンブルでも起きていくでしょう。競馬に人を惹きつける魅力があるのは、間違いのないところだと思います。テレビとネットを通して、遠隔地の競馬にたやすく触れられるとの実感が普及すれば、大きな流れができるものと推測しています」


「ありがとうございます」


 納得したわけでもなさそうだが、とりあえず矛は収めてくれたようだ。占めている席からして、高崎競馬か宇都宮競馬の関係者だろうか。行政側の可能性もあるので、油断はしづらいところだった。


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