【平成二十年(2008年)春】

【平成二十年(2008年)四月】


 今年も爛柯牧場に新たな命が誕生している。忙しさは激しいのだが、それでも尊いものに感じられた。


 芝の長距離路線向けでは、ソッカーボーイの牡馬と、ウルティマクリークとランカリアリティの牝馬がエスファ検定でそこそこ合格となった。


 ソッカーボーイの牡馬の母親は、リアルフダイの娘であるランカトゥルーで、美冬から光なしと判定されながら、宇都宮競馬でなかなかの活躍をしてくれた馬である。その根性を引き継いでほしいものだ。


 長距離系の種付けは安定している状態なので、組み合わせは入れ替えつつも継続していく形になりそうだ。やや別枠となるタンホイザーゲートからも、エスファのそこそこ判定の牝馬が生まれてくれた。


 ダートの種付けに導入した新機軸の結果としては、プラチナアリュールからは牝馬一頭がそこそこ、牡馬と牝馬一頭ずつがぎりぎり、シルバーチャーミーからは牝馬二頭のぎりぎり、タイムパラドクスからは牝馬一頭ぎりぎりとなった。


 それでも、一年目としては順調とも言えるので今年も継続のつもりだったのだが、プラチナアリュールはやはり人気となっていて、二頭分の確保しかできなかった。


 その分は、さらに種付け権価格が下がっているシルバーチャーミーに賭けてみるとしようか。



 種付けシーズンが始まった頃に若番頭から入った話は、なかなかに意外なものだった。


「譜代が導入したファイトエンブレムが、お相手の選り好みが激しくて繁殖に苦労してるって話があっただろ?」


「なんか、この二年、まったく種付けできなかったみたいに聞いてるが」


「今年はなんだか調子がいいらしくて、好みの牝馬を探してるってんだ」


「どんな馬が好みなんだっけ。小柄であるのに加えて、毛色がどうとか言ってたよな」


「最近は、小柄好みは相変わらずだが、毛色はどうでもよくなったらしいぞ。顔に星やらの柄がないのが重要なんだってさ」


「ほう……」


 心底どうでもいいという俺の心の声がダダ漏れになっているのを認識して、隆が苦笑する。


「まあ、聞いてくれ。栗毛のヤマブキが条件に該当するんじゃないかと思う。キラメキも、鹿毛で流星程度だからもしかしたら」


「物色されに行こうってか?」


「譜代の担当者が困っているみたいなんだ。あの二頭のお相手は、マックイーン以降は固まっていないだろ? 付き合っても損はないんじゃないかと」


「でも、譜代はどうしてうちに? あそこは、自前の馬をかけ合わせて強い馬を作りたいんだろうに。……まさか、売れってか?」


「確かに、日本の生産界全体を考えるというよりは、清々しいほどの自前主義だよな。まあ、譜代は日本の他の牧場とは違うと考えているんだろう。それだけのことはしてきたわけだし。……今回の場合は、まったくの失敗にはしたくないってことなんじゃないかな。種付けに成功すれば、購入オファーは来るかもしれないが、無理強いされるわけじゃないし」


「ふむ……」


 苦労して生産された産駒の成績自体には、前世記憶では見るべきものがあった。今年の秋華賞を制するのは、ファイトエンブレムの娘となるはずだ。


「まあ、そういうことなら話に乗ってみるか」


「お、話がわかるな。早速連絡してみるわ」


 若番頭が譜代とコネクションを持ってくれるのは、爛柯牧場の今後にとってもいいことである。


 ……種付けに赴いた二頭のうち、お眼鏡にかなったのはランカヤマブキだけで、キラメキはなにやら憤慨した様子で帰ってきたらしい。まあ、引き続きタンホイザーゲートをつけるとしようか。


 この年から繁殖入りしたのは、ランカリアライズである。結局、牝馬GⅢを1つゲットしてくれた。エスファ評価から考えれば、健闘してくれたと見るべきなのだろう。自家所有すると決まっている牝馬は、必ずしも成績を限界まで高めなくてもよいのだが、それはそれとしてとてもめでたい。


 ランカリアリティとランカヴェニスの娘であるこの馬は、その両頭からそれぞれリアルフダイとソッカーボーイの血を受け継いでいた。


 今年はシルバーチャーミーをつけてみている。アメリカから導入されたこの種牡馬は、必ずしもダート専門というわけではないが、さてどちらに出るだろうか。


 天元のじっちゃんから引き継いだ牝馬たちを端緒に、新生爛柯牧場の初期の長距離系種牡馬を付けたランカヴェニスとランカナデシコ、ステディゴールド産駒のランカキラメキ、ヤマブキと牝系も脈々と受け継がれている。


 ルンルンオペレッタやランカエカテリーナもこの流れに加わって、より強い流れにしていってもらいたいところだった。



【平成二十年(2008年)六月】


 よその馬主さんの話になるが、オークスへの出走を目指していた白毛馬のユキノチャンが、南関東の川崎競馬場で舞台にする関東オークスに目標を切り替え、地方交流重賞の制覇を果たした。


 俺の記憶にある令和に入った時点まででも、ユキノチャンの母馬、スノーホワイトから連なるこの白毛の系統は栄えていくことになる。サンデーサイレントの娘であるスノーホワイトは、突然変異での白毛だったそうだが、子孫は再びの突然変異がなければ半分の確率で白い毛色となる。


 良血ではあるにしても、白毛馬の血脈を広めていく、ある意味で趣味に走っているとも言える馬産の流れは、本来あるべき姿なのかもしれない。


 爛柯牧場で美冬と俺が手掛けている馬産は、世の中の主流ではない。ある程度の大レースが設定されている芝の長距離と、遠くない将来に発展していくダート中距離路線に的を絞った、隙間市場狙いの生き残り策であって、競馬の王道とは本質的に異なる。


 本来なら淘汰されるはずの長距離零細血脈を取り入れた馬産は、周囲からは趣味に走っていると思われているようだ。


 俺からすれば、こういったことは最大手の譜代ファームがやるべきじゃないのかと思うのだが、いい種牡馬といい繁殖牝馬を掛け合わせるのを最上の配合として、その方針で実際に日本の競馬界を席巻しているのだから、抗弁は難しい。


 ましてや、本当に血の飽和が起きるのかどうかは判然とせず、保全したスタミナ血統が将来的に意味を持つのかどうかもはっきりはわからない。そう考えれば、自己満足なのかもしれない。


 ネット投票を含めた各場の売上は、引き続き順調に伸びており、上田競馬ははっきりと反転上昇の基調にある。高崎、宇都宮も下げ止まりから微増に転じつつあった。


 各場の特徴としては、上田は長距離が目玉で、高崎は長距離と短距離の両極端、宇都宮は牝馬戦重視となっている。


 その棲み分けの中で、正式契約締結が画策されている上田競馬での直線コース設置計画は、高崎の特徴と食い合うのではないかとの見方も出ていた。


 一方で、補完関係に持ち込めると楽観視する向きもあった。実際には左回りと右回りで違うし、短距離でも直線と小回りでは適性は変わってくるだろう。さらには砂質と勾配を考えれば……、通好みの推理が成立する状況に持ち込めるかもしれない。


 最終的なゴーサインは得られていないまでも、設計を含めて事実上進められているらしい。数億レベルの投資になるはずで……、提唱者の俺が言うのもなんなのだが、やや先走り過ぎるようにも思えている。


 ただ、当然ながらストップをかけるのは難しいし、そんな権限があるわけでもない。これもまた、様子を見ていくしかないか。


 そうそう、ザクくんが無事に結婚にこぎつけている。相手は当然と言うべきか競馬つながりで、厩舎の開業初年度に見習い厩務員として加入し、今では調教師補佐となっている女性である。調教師補佐とは、地方競馬での調教助手相当の立場となる。


 上田競馬場の本馬場を馬に乗って行進するというのが、二人にとっての披露宴だった。まあ、それだけでは済まず、競馬場を挙げての祝福となったわけだが。


 戻ってきた新婦の雪代さんは、有無を言わさぬ勢いでブーケを美冬に押し付けた。困ったような笑みを浮かべていたので、よかったねと言ったら蹴飛ばされた。どうしてだ。

 


 ひふみ企画での競走馬保有が多くなっている。爛柯牧場での生産馬は、ありがたいことに引き合いが増えているので、どちらかと言うと、繁殖牝馬として迎え入れることを検討したい馬が対象となっている。


 芝向きのうち、エスファ的には資質は感じないものの、美冬が光を見出す馬であれば、中央の仁科厩舎に預けて未勝利から条件戦にある程度挑戦した上で、上田、高崎、宇都宮の友好厩舎へ送り込む場合が増えている。ダートの向き不向きはあるが、中央で勝利できる馬であれば、まったく通用しない事態はほとんどない。


 仁科厩舎としては、できることなら能力抜群の馬を確保するのが一番だろうが、成長タイプが晩成気味の馬も含まれるにしても、勝ち星を一つか二つ安定して稼いで、頭打ちになる条件まで到達したら地方に転出していく馬が継続して入ってくるのは歓迎すべき状態のようだ。そして、騎手は高瀬巧騎手がすっかり主戦扱いになっている。


 地方に転出後も、静内で春待先輩一派による馴致、基礎調教を受け、仁科厩舎で調教を積んだ馬は、人とのコミュニケーション能力が鍛えられていて能力を発揮しやすい。結果として、上田、北関東のレベルアップに役立つ展開となった。


 預けるのは、ザクくん……、朱雀野調教師が推奨してくれる、馬への扱いがきつすぎず、腕のいい各場の調教師たちとなる。若い世代に限定することなく、各世代から選抜して、しかも恩着せがましくしないあたり、ザクくんの人柄なのだろう。


 分断するつもりはないが、結果として友好的な厩舎は増えてきていた。


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