【平成十八年(2006年)春】


【平成十八年(2006年)二月】


 それぞれ師走の牝馬重賞に挑戦したランカキラメキとランカヤマブキは、どちらも三着入選を果たした。


 惜しいところだったが、優勝なり連対なりしてしまえば、その後の重賞戦線、クラシック路線になぜ出てこないんだ、との話になりかねないから、ある意味ではよかったのかもしれない。


 この戦績で、上田のレースを走らせるのはさすがに違和感がある。そのまま故郷に戻った両馬には大きな仕事が待っていた。


 もっとも、競馬界の話題は、三冠馬であるディープインパクツの有馬記念での敗戦に終止している。優勝したのは、同じくサンデーサイレント産駒のハートクライで、前世では国内のレースで唯一ディープインパクツに土をつけた存在となる。


 そして、年明けからほどなくして、リビングドアに強制捜査が入った。遥歌さんからは、知ってたんじゃないでしょうねと睨みつけられた。まあ、知ってはいたんだけどさ。


 ワンツースリーは、リビングドアと取引はそこまで多くはなく、直撃的な影響は生じないはずだ。けれど、ヒロエモンとタロエモンがつるんでいる印象は強かったようで、連想で売り浴びされる展開となった。


 リビングドアは証券取引法違反に問われており、世間は色めき立った。報道も加熱し、特にはしゃぎ気味だったのは買収されかけた富士山テレビと、同じグループに属する経産新聞である。公平性ってなんだっけという所感を持つのは前世以来二度目だが、まあ、乗っ取られかけたのなら、持てる力の総てを振るって殴りにいっても、無理はない……のか?


 ワンツースリーにも取材陣は押し掛け、取引先離れが生じ、タロエモンは雲隠れ状態となった。その展開も、マーチステークスの当たり馬券で解消した借金取り問題以来二度目となる。


 遥歌派が抜け、特に本業方面で弱体化していたワンツースリー社は、耐えられずにほぼ業務停止状態に追い込まれたそうだ。そうなれば、顧客が離れていくのはむしろ当然であろう。


 対してリビングドアは、捜査を受けながらも業務を継続しているという。そこは覚悟の差か、従業員の質の違いなのか。


 見守っていた遥歌さんの携帯に着信があったのは、騒動が続く中でのことだった。




「追放された身ですが、お世話になってきた取引先にご迷惑をかけ、かつての仲間が苦しんでいる状態を座視することはできませんでした」


 沈痛な表情で説明する遥歌さんの隣には、琴音嬢がいる。ほんわか系ときつめの美人が並び立つ様は、間違いなく人目を引くだろう。


「ここには、アドバイザー的な立場で立たせてもらっています。現状、出社している最高位の役職者は、広報部長兼サイト制作部長の三浦琴音です。……代表者である父、暮空太郎を始め、取締役とは連絡が取れていません。企業として正しい状態ではありませんが、残っている従業員の職分の範囲で、株主の皆様、取引先の皆様の利益の保全を図ってまいります」


 そこで、遥歌さんが一歩下がり、紹介された琴音さんが口を開いた。


「具体的な方策をご説明いたします。かつて、ワンツースリーとして上場する前に分裂したひふみ企画は、競馬関連中心ではありますが、サイト制作、広告仲介業務に携わっております。ひふみ企画への委託を了承していただける顧客の方々については、その方向で対応をお願いしたいと考えています」


 入れ替わるように、遥歌さんが再び前に出る。


「ひふみ企画の代表者からは、最低限の作業料のみで対応すると、確約を得ています。先方の株主も、かつてのひふみの誕生に関わった経緯から責任を感じているようで、特殊な形での対応となります」


 ひとつ息をついて、元社長が言葉を続けた。


「そちらの代表者は、わたしの実の妹です。上場前に、競馬事業が邪魔だからと分割した経緯があったにも関わらず、製造物責任めいたものを感じているようです。わたし自身も、父の路線転向に反対しながらも止められなかった不甲斐ない立場ですので、責任を果たしたいと考えています」


 質疑に移ると、鬱憤の溜まっているらしい記者達からの集中砲火が始まった。ねちっこい質問にキレそうになる琴音嬢をやんわりと制しつつ、一問ずつ真摯に答えていく姿に、やがて場の雰囲気のきつさが和らいでいった。



【平成十八年(2006年)四月中旬】


 トリノ・オリンピックではイナバウアーが炸裂し、野球の世界大会であるWBCでは日本が初代王者となった。そのすぐ後に、ドバイでハートクライがGIを制した。スポーツイベント盛りだくさんである。


 4月からは、オッズパークでの地方競馬のネット投票が開始された。上田競馬と、高崎、宇都宮の北関東両場も初手から参加している。


 南関東のSPAT4への加入と意味合いがかぶるようではあるが、実際には南関に興味がなければ加入しないと思われるSPAT4と、全地方競馬に広がる勢いのオッズパークとでは、客層がだいぶ異なると思われた。


 さらには、天楽競馬も翌年からのサービスインに向けて準備が進んでいるそうだ。これに、2012年だったはずの中央競馬のネット投票も加われば、いよいよ本格的な反転攻勢が始められる。となると、その前にどれだけ仕込んでおけるかを考える必要があった。


 そして……、歴史は変わらなかった。4月3日にメグロマックイーンがこの世を去ったのである。


 ステディゴールド牝馬を、二歳戦までで繁殖に上げた理由はここにあった。後年、ステマ配合と呼ばれるステディゴールドとメグロマックイーン牝馬の掛け合わせの逆は、この無理を通さないと実現しなかったのである。


 父系としてのメグロマックイーンの血脈は、このまま行けばほぼ断絶する形となる。それを打開するために、ステディゴールドとの相性を借りようというのが、今回の試みの主眼となる。


 ただ……、種付けを実施した二頭のうち、受胎したのはランカキラメキ一頭だけだった。生まれてくるのは、牡馬だろうか、それとも。


 一方で、ランカヤマブキへの代替種牡馬としては、うちでは基本的にダート向けとして扱っているカイトウテイオーを選択した。マックイーンとはライバル関係にもあったので、こちらにも期待したい。


 マステ配合の実現を目指して、うちの牧場にしてはめずらしくサンデーサイレントの血を受け継ぐキラメキ、ヤマブキはどちらも小柄で活発な性格である。俺としては、長距離は小柄な馬の方がいいかもと思っているのだが、この時代はわりと大柄が正義とされている。まあ、売るつもりもないからいいのだけど。


 そう言えば、この年からスピキュールという馬が種牡馬になった。サンデーサイレントの直仔で、芝は未勝利ながらダートは7戦全勝で、重賞挑戦前の故障で引退した馬となる。ダート特化型サンデーサイレント系で受胎条件30万円というのはなかなかお買い得で、本格的に地方競馬向けでもサンデーサイレントの血が入っていく時代となったわけだ。


 もっとも、この頃にはストーンサンデーなども20万円程度ではあり、芝に出てもいいと考えれば、サンデー系の入手は難しくなくなっている。


 長距離系では、タップダンスシティが種牡馬入りしたので、合いそうな牝馬につけている。アメリカ産のこの馬は、日本では貴重なリボー系の血統となっている。譜代系ではないため、継続した繁殖牝馬の確保は難しいと思われ、引退しないうちにつけていきたいものである。長距離が向きそうなのだが、パワー系でもあるためにダートにも合うかもしれない。そこはまあ、様子見となりそうだが。


 カイトウテイオー産駒四頭のうち、美冬判定で光なしと出たのが二頭、見所あり判定が二頭となった。その二頭も引き続きのそこそこ想定で動いていたら、ふらりと姿を表したエスファが、牝馬の方にいい感じとの判定を出してくれた。重賞が期待できそうな水準となるだろうか。


 これが牡馬だったなら、血統継承候補だったのだが……。それでも、可能性は見えてきたと考えてよいのだろう。


 牡馬でエスファからそこそこ判定を得られたのは、メイユウオペラ産駒である。メイユウオペラもまた、ダート界を席巻した馬なのだが、このところ種付け数が減ってきているらしい。こちらも引退してしまったりするのだろうか。正直なところ、種牡馬は超有名な馬でもなければ、死亡年や引退年は記憶していない。


 メイユウオペラ産駒で爛柯牧場産の現役馬としては、ルンルンオペレッタが岩手で活躍していて、現地重賞を幾つか勝ってくれていた。


 上田を拠点にしているタンホイザーゲートは、上田、北関東を主戦場に28勝無敗、重賞9勝、うち交流重賞1勝、上田三冠達成という成績を引っさげて中央入りしている。仁科先生へのオーダーは、惨敗を避けての芝での好走実績を、というものとなる。


 無理そうなら、そのまま引退でもかまわないとしているが、中央のオープンで好走できれば、その意味合いは大きい。


 そうそう、やや旧聞に属しそうな事柄となってしまうが……、新体制爛柯牧場で初の中央重賞タイトルを、ウルティマクリークがもたらしてくれた。二月の長距離戦、芝3400mのダイヤモンドステークスである。


 いったん先頭グループから遅れたので着が拾えればとか思ってしまったのだが、府中の長い直線をじりじりと追い上げ、勝利をつかんでくれたのだった。


 こうなったら、阪神大賞典から春天へ! と一瞬だけ色めき立ったのだが、今年のその路線はディープインパクツが歩むことを思い出して、しょぼんとしてしまった。別の道を歩むことが決まっている。

 


 出産シーズンが一区切りした頃、乗り運動からの帰り道で、俺は知己に声をかけられた。


「来ちゃった」


「おかしいなあ。なんとなく既視感があるのだけれど」


 遥歌さんの隣には琴音嬢の姿もある。むすっとしてても明白な美人は絵になる。


「ワンツースリーは落ち着いたんじゃなかったの?」


「うーん」


「落ち着いたのが悪かったようです。タロエモンが帰還し、事業を売却して再生させる話が進んでいます。……交渉している相手は、やや微妙な筋なようです」


「そうかあ。遥歌さんとしては、完全撤退?」


「うん。元々が関係すべきではない存在だから。ひふみ企画への外注の件も、琴音ちゃんが背信行為だと責められてねえ。ゴメンねえ」


「いえ、当時は最善の策だったと信じています。……出していた仕事を回収しなければ、ひふみ企画に法的措置を取ることになると脅されました」


「ああ、それでワンツースリーから流れてきてた業務対応は一息つけそう、って話につながるのか。片瀬さんも苦労してるなあ。……それで、遥歌さんはともかく、琴音さんはどうするの?」


「どうするって……。わたしは、競馬関連事業を切り捨てた身ですし、いまさら……」


「いや、結果としては、競馬部門を保護して存続させてくれた感じだって。ワンツースリーの一部門だったらと考えると寒気がするよ。良質なスタッフも流してくれたわけだし。あとは、琴音さんが来てくれればミッション完遂なんだけどな」


「わたしは……、でも……」


「琴音ちゃん。ホントは競馬好きなんでしょ。無理しちゃダメよ」


「うんうん、無理は身体に悪いって」


「考えさせてください」


 それはもう、いくらでも。 



【平成十八年(2006年)四月下旬】


 ワンツースリーは仕手のおもちゃになりつつ、なにやら怪しげな企業グループに取り込まれたようだ。


 脱出組は、ひふみ企画や爛柯牧場を手伝ってくれていたが、仕事量的に人員過剰ぎみとなっている。さらには、みんなが競馬好きなわけでもないことから、新たなひふみを興そうとの動きが出てきている。


 今後の方向性を相談されたので、動画配信とかどうかなあ、と言ってみた。令和の始めには基盤的サービスとなりつつあったユアチューブを意識しての話となるが、プラットフォームを握ろうとはせずに、コンテンツづくりに特化する形を推奨した。まあ、それを踏まえてどうするかまでは、俺の知ったことではないが。


 この段階から趣味的な動画を積み重ねておけば、微妙な存在でもユアチューバーとして名を残せるだろう。それを束ねる組織を作れれば、色々と変わってくる。世界対応も含めて仕込んでおこう、という提案は、少なくとも何人かには響いたようだ。


 結果としては、自前の動画配信サイトを構築しつつ、既に登場しているユアチューブにも並行配信する形を目指すらしい。


 ただ、この段階では、動画配信による収益モデルが描き出せない。そこで効いてくるのが、地方競馬のレース動画のネット配信なのだった。


 実際には、ひふみ企画はワンツースリーの手助けをしている場合ではなかった。4月のオッズパークでのネット投票開始に合わせて、様々な施策が行われているためである。これまでは地元中心だったが、他の地方に向けたアピールをしていきたいのだった。


 広告の出稿対象は、競馬雑誌と、他の公営競技を扱うメディア、スポーツ新聞を重視している。そして、中継映像の動画配信も手掛けていこうとしている。


 その総仕上げが、5月5日開催の一連の施策だった。高崎競馬場での群馬記念に合わせて、当日は宇都宮で朝開催、高崎での早めの薄暮開催、上田で遅めの薄暮開催と三場リレーの実施が決まっている。その件で、一般の全国紙に全面広告を出そうとしているのだった。


 宇都宮では朝の早い時間帯の八汐賞と、午後三時台の最終レースとして北関東皐月賞を。


 高崎の象徴的なレース、群馬記念は薄暮のうちの早めの時間帯に。


 上田での遅めの薄暮レースとして、今回から改称されたスタミナ王決定戦、という構成となる。


 広告の構成としては、その四レースの馬柱を中心に、各競馬場、競争のロゴを掲げる形になりそうだ。


 高崎、宇都宮サイドからは、せっかくの全面広告なら綺麗な写真や理念を掲げたいとの要望も出たのだが、馬柱こそが総てだと黙殺する方向になっている。


 上田の長距離戦の馬柱には、父母に長距離血統が並び、ダートの三千メートル超のレースが上田、高崎、宇都宮で定期的に組まれていることが、分かる人にとっては一目瞭然である。その意味合いは強烈だろう。


 そして、嵐山騎手を鞍上にして大本命扱いをされているのは、今年のダイヤモンドステークスを制して、主にこの日のために上田に転厩してきたウルティマクリークである。そう、決して前週に春の天皇賞を圧勝したディープインパクツに恐れをなしたわけではない、高度に政治的な判断に基づく転進というやつなのだ。そういうことにしておいてほしい。


 まあ、今後も含めて残念天皇賞的な位置付けにするのもありかもしれない。上田としての古馬長距離三冠は別に設定予定となる。


 他では、爛柯牧場出身のメグロマックイーン、マチカゼフクキタルの子らも出ていて、他の馬主さん所有や、よその競馬場から流れてきた中には、リアルフダイやウルトラクリークを父に持つ馬も出走していた。


 それとは別に、1500メートルの群馬記念はなかなかの豪華メンバーが揃っていたし、北関東皐月賞は若駒たちの争いを新鮮な目で予想することができそうだ。2000メートルの八汐賞も、北関東と上田だけでなく、南関からも出走馬が出ていて、なかなか難解なレースとなりそうだった。


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