【平成十四年(2002年)七月】


【平成十四年(2002年)七月】


 この年に行われたワールドカップは、日本での単独開催を目指していたのが、よくわからないままに対抗馬の韓国との共催になるという謎展開だった大会である。


 日本としては、決勝トーナメント進出を果たして、一直線ではないにしてもその後に繋がる一歩を踏み出したと言えるだろう。


 共催相手の韓国は、ホームの利を活かして……、という表現で良いのかはともかくとして、ベスト4になった。それがあまりいいことのように感じられないのは、少なくとも平成の終わりの時点までを見ると、よい流れに結びつかなかったためとなる。


 そして阪神は、星野仙一監督を迎えて、期待感に満ちた状態となっている。暗黒時代を経てのこの流れは、確かに中毒者を生み出しそうである。


 ただ、うっすらとした記憶では、この年ではなかったような気もする。いずれにしても、生暖かく見守っていくとしよう。


 前年の12月、ステディゴールドは、引退レースとなる香港ヴァーズで海外GI制覇を達成した。


 それ以前にまとまりそうになっていた、日高地域への売却話は流れてしまったものの、シンジケートが組まれる形となった。結果として、譜代ファームからの遅れての香典代わりとして、種付け権を貸し出してもらえた。


 三頭分を無償で、とはなかなかに豪気な香典である。よそからの引き合いも、引退前から予約を受け付けていたのが、香港ヴァーズ制覇後に大人気になったらしい。まあ、シルバー&ブロンズコレクターとして人気を博した馬なのもあるかもしれない。


 爛柯牧場としての種付け相手は、自前の有力牝馬となる。やや人気に陰りの出たマックイーンも、引き続きつけていく形となった。


 出産シーズンは、死産もあったものの、全般的には順調な推移となった。


 美冬が出産直後から光を感じた有力そうな仔馬としては、マチカゼタンホイザ産駒の牡馬がいた。出産直後からおぼろげな光を感じるというのは、爛柯牧場ではかなりの期待馬となる。まあ、大牧場からの馬では、誕生直後から強めの光を感じる馬もいるそうだが。


 資質にもよるが、ノーザントースト系の後継種牡馬候補として期待したいところである。かつて日本の競馬界をサンデーサイレント的に席巻したノーザントーストだが、世界的に見れば、偉大な血脈であるノーザンダンサー系の、特筆事項のないローカル種牡馬に過ぎない。ただ、サンデーサイレント系、キングリンボー系が飽和する流れの中では、いずれ見直される場面もあるかもしれない。


 マックイーンを種付けした三頭のうち、二頭が無事に牝馬を出産した。現状で光はないが……、まあ、今後に期待したいところだ。


他では地方向きと思われるメイユウオペラ産駒の牝馬が薄い光を帯びていた。




 今年のセレクトセールでは、あの馬が登場するはずだ。会場に到着した俺は、やや緊張してお目当ての馬のところへと向かった。


 そこには、見覚えのある先客がいた。北海道とは言え、七月上旬はそこそこに暑いのだが、相変わらずの黒づくめである。


 黙って横に立つと、胡乱げな視線を向けてくるところも、かつての通りである。相手もすぐに気づいたようで、興味を無くした風情で視線を馬へと戻していた。


 金髪の少女だった人物は、もう少女と表現してよいのか迷うほどに大人びて見えていた。彼女が見つめていたのは、競りに出されようとしている一歳の牡馬である。この馬は、後にディープインパクツと名付けられるはずだった。


「買わないの?」


 ぼそりと音のしそうなつぶやきが、桃色の唇からこぼれた。


「この馬の物凄さはわかるが、彼の運命を捻じ曲げたくない。……君は、この馬をどう見る?」


「掛け値なしの一番でしょ。見たことのない猛烈なオーラを身に纏っている」


 俺の目には、身体の薄い当歳牡馬にしか見えない。注目しているのは、この馬が成し遂げたことを知っているからだ。


 対して、この人物は現時点の姿だけで凄さを見極めているようだ。実力を見極めているのか、未来視なのかはわからないが。


「どうだ、爛柯牧場に来ないか?」


「はぁ?」


 やりとりがそこまで進んだところで、小走りに駆けてくる人物がいた。


「智樹、ここにいたの……、その人は?」


 美冬の声が少し尖る。なんと答えようか、わずかに逡巡する間に言葉を交わしていた相手が口を開いた。


「なんか、誘われてた」


「はぁ?」


 剣呑な反応に、目の前の仔馬が耳をこちらに向けた。影響を与えるのはまずい。


「ちょっと場所を変えようか」


「逃げるのか?」


「後ろめたいところがあるの?」


 どうしてこうなるのだろうか。ひどい話ではある。




 待機スペースのテーブルに陣取ると、美冬が問い掛けを投げてきた。


「府中の馬主席で、この人と立ち話してたわよね」


「ああ、その前のマーチステークスの時には、なんか文句を言われた後に、拍手をされた」


 少し首を捻っていたが、やがて思い出したようだ。


「気の狂った馬券を買うと聞こえたから、思わずありえないって言ったのよ。でも、まさかの的中だったからね」


「まあ、あの馬券はそう取られても仕方ないわな」


「……で、何を誘ってたって?」


「相馬眼が凄そうだったから、爛柯牧場を手伝ってくれないかなと思って」


「あの当歳馬? 確かに、光は強かったけど」


「あなた……、見えるの?」


「え……?」


 見つめあう二人は、なにやら互いに不安げである。


「二人とも、俺にはわからない馬の能力を感じられるみたいだな。美冬は、ある程度以上の能力の馬が識別できる。こちらの人物は、凄い馬が分かる……でいいのかな?」


「じゃあ、あの馬は?」


 金髪の人物が指さした幼駒は、例外なく美冬も光を感じていたようだ。逆に、美冬が強い光を感じた馬では、相手は感じたり感じなかったりのようだ。


「美冬は、競争能力が一定水準以上かどうかを感知しているようだ。君は……、能力を見ているのか? それとも、将来の活躍度なのか?」


「マーチステークスで答えは出てるんじゃない?」


「確かにな。実力か……」


 美冬が中央での勝ち上がり水準から条件突破レベルかどうかを判別できるのに対して、この人物は、歴史的名馬になる器かどうかを判別できるということなのだろうか。


「この美冬が経営している爛柯牧場で、馬を見ていってくれないか? あの仔馬レベルの馬はいないだろうけど」


「別にいいけど……。あんたは?」


「俺の名は時雨里智樹。この子は、暮空美冬。俺は今、彼女が祖父から継承した牧場の運営を手伝っている」


「ふーん。あたしはエスファリア・シオーヌ。エスファでいいわ」


 今回の競り対応は、若番頭に任せられる状態である。同い年だという彼女と一緒に、俺たちは牧場へと向かった。


 


 手持ちの生産馬を見てもらうと、メイユウオペラ牝馬とマチカゼタンホイザの牡馬がエスファ嬢にとっての最低ラインとのことだった。


「さっき見つめていた当歳と比べてどんなもんなんだ?」


「まったく、比較にもならない。あちらは例えて言うなら虹色の明るい光。こちらは、ぼんやりとした蛍の光程度」


「それでも、まったくない馬よりはいい?」


「まあ、そうね。でも、重賞に届くかどうかってとこよ」


「それは凄い」


「凄いの?」


 本心から不思議そうだが、このあたりの感覚のズレは、立場によって変わるものではある。


「中央のオープン級ということは、地方競馬ではスターの器なんだ。ダートをこなせるかって話はあるけどな。それに、この牧場の生産馬で中央のオープンに上がれれば大成功だ」


「はぁー、そういう世界もあるのね」


「ここの馬を買ってくれるのは、地方競馬の馬主さんがほとんどなんでね。長距離路線に活路を見出そうとしているけど」


「スピード競馬全盛のこの流れの中で?」


「マイルからクラシックまでが主流なのは間違いないだろうけど、そこを狙った馬づくりでは、長距離を得意とする馬はそうそう出てこない。そう考えれば、長距離特化は筋の悪い狙いではないと思うんだがな」


「まあ、日本じゃサンデーサイレントが席巻してるわけだもんねえ。そこに正面から挑むのは、体力がないと無理なのか」


 特にバカにしている気配は感じなかったが、美冬はやや苛立ったようだ。


「あんたは、どういう立場なのよ」


「あたしは、別に何物でもないわ。父親が中東の競馬に携わっていてね。いい馬を探して報告はしてるけど、それが通るわけでもないし……」


「なら、やっぱり手伝ってくれないか。アドバイザーみたいな感じで」


「まあ、今日みたいな感じで、馬を見分けるくらいならかまわないけど。ちょっと状況的に中東との往来は色々あるし」


「ぜひ頼むよ」


 少し戸惑ったような笑みを浮かべるエスファとは対照的に、美冬はむすっとした表情を維持していた。


「その話からすると、さっきのセレクトセールにいた、あの当歳馬が一推しなんだけど」


「いや……、俺には馬の実力はわからないけど、活躍する馬が予見できる場合もあるんだ。あの馬は、俺と関係のない状態で、日本の競馬界を変える存在になると感じている。関わって、その未来を消してしまうのが怖い」


「なんだかわからないけど、こだわりがあるのならかまわないわ」


「できれば、この爛柯牧場や関連牧場での生産馬の実力見極めで力を貸してほしい。いつでも、滞在してくれていいから」


「ん。わかった」


 馬を見分ける特質が別系統の二通り組み合わされば、より強力になるのは間違いない。


 ……今年が三歳シーズンとなるソッカーボーイ産駒のナデシコと、ウルトラクリーク産駒のヴェニスは、エスファが言うには感じなしとのことだった。現状の方針は、中央に入厩させて長距離の未勝利から条件戦を目指す流れだったが、早めに上田競馬の長距離路線参入を目指すのもありかもしれない。


 引退後の繁殖牝馬入りも視野に入れると、余力を残す形での現役生活を目指すべきだろうか。まあ、まずは中央での長距離未勝利突破を目指してもらうとしよう。


 当歳のマチカゼタンホイザ産駒と、メイユウオペラ産駒のほかでは、二歳のウルティマクリークが「最低限かな」とのコメントが得られた。マチカゼタンホイザとウルトラクリークは、どちらも断絶しそうな血脈であるため、オープン級であるなら大事に使っていくとしよう。




 高崎、宇都宮競馬場の敷地内の、競馬場の外からも入れる立地での中央競馬の場外馬券場の設置が本決まりとなった。近場に南関東と北関東、上田競馬の場外も設置して、飲食や待機スペースは共用とする形で、常時オープンできる建て付けとしている。


 南関東との連携も進み、首都圏競馬としての緩やかな連結も進んでいる。南関東四場のうち、浦和は立地的には北関東に近い面もあり、別立ての交流を進める機運も生じている。


 広告などで馬柱を露出させる方法論は、前世で触れていた浦和競馬のやり方から学んだものでもある。ズルではあるのだが、本家となるはずの浦和競馬の関係者は、謙虚に事例の交換を求めてきた。


 上田競馬としては、場外馬券場開設に至った経緯、北関東と上田でのトータリゼーターの共通化によるコストダウンと相互発売への取り組みなどを共有し、競争の交流も含めて協力しようとの話になっている。


 宇都宮と高崎を、中央と南関東との交流に巻き込んでいるのは、関係先を多くして撤退しづらくしようとの黒い思惑もある。狙い通りに2010年代まで存続できれば、むしろ地方財政に寄与するものと思われるので、さほどの罪悪感はないのだが……、さて、どうなるだろうか。


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