【平成十三年(2001年)晩春~秋】



【平成十三年(2001年)6月】


 春待先輩の生産牧場の破産手続きに、爛柯牧場が関与していくことになった。具体的には債務の一部を肩代わりして、一部を貸し替え対応し、馬や設備を引き取る形である。


 牧場の敷地は、運動場の一部を育成場として、その他は農地転換を目指すことになった。育成場はともかく、農地へはすぐに切り替えられるものでもないらしいが。


 春待先輩は、大学への復学を模索しながら、乗り役集団のまとめを続けることになった。ヤマアラシ先輩は、しっかりと留守を預かりきった形となる。


 二人には、会社組織にするのなら、美冬を中心に出資する用意がある旨を伝えている。できれば、それこそ番頭役を確保してからの方が良いかもしれないが。




 この年から、ダービーが外国産馬に開放された。勝利したのは、内国産馬のジャングルポッケ。外国産馬の最先着は5着のクロフネライコウだった。サンデーサイレントの導入によって、日本馬のレベルが上昇しているのは、前世での今後の推移を見ても明らかだろう。


 まあ、日本の高速馬場に限定され気味な面はあろうが、日本で生産しているからには環境に適応していくのはむしろ当然とも言える。


 ジャングルポッケは、府中を得意とするトニオビン産駒になる。左回りの広いコース、長い直線が得意な仔を多く出すだけに、東京競馬場向きなのは間違いない。


 現状で目指している芝長距離かダートという方向性からは外れるが、サンデーサイレントもキングリンボーも入っていない血統構成は魅力的である。自前でつけるまではいかなくても、サンデーサイレント、キングリンボー系以外の牝馬と配合した産駒のうち、繁殖に回せる牝馬は、特に引退後に購入を目指していきたいものだ。だいぶ先の話とはなるけれど。


 そして、エムテイオペラオウが春秋春の天皇賞三連覇を果たしている。強さは際立つが、ノーザンダンサー系であるため、やはり優先度は低めとなる。




 この秋には、東京ディズニーシーが開場する予定となっている。情報番組などで取り上げられる回数が増えていて、美冬がちらちらと見ている場面を幾度か目撃した。


 牧場のオフィスは、集中して作業するための静かなブースエリアと、テレビを複数台つけながら大テーブルを囲み、雑談しながら仕事を進める広間に分けてある。複数台あるのは、中央競馬の東西と地方競馬中継を並行でチェックしたい場面があるためだった。それだけに、情報番組が多発する時間帯では、ディズニーシー関連の話題がかち合う場面もままあるのだった。


 行ってくればいいんじゃないか、とは言ってみたのだが、仕事もあるし、そういうわけにはいかないと言明した上で、むくれられてしまった。誰か誘ってやればいいのに。


 そして、牧場では新たな取り組みが行われていた。夜間放牧と呼ばれる、夜に馬を厩舎に入れずに、放牧したままとする方式である。若駒であれば、運動の強化ができて、同時に寝藁や飼い葉がなしで済むという効果もある。


 この取り組みについては、若番頭が愛読しているらしい「優駿」にも出てくるのだが、少なくともこの時期にはほとんど見られないらしい。やがてわりと広まるのは、前世知識としてあったので、先んじてやらないかと水を向けたところ、当初は反応が鈍かった。


 よくよく聞くと、かつて亡き天元のじっちゃんが主唱して試したのだけれど、若駒が怪我をしてしまって、馬主さんに迷惑を掛ける形になったらしい。


「でも、昼の放牧でだって、怪我をすることはあるだろう?」


 俺の問いかけに、若番頭が口を尖らせる。


「そりゃそうなんだが、担当スタッフが凹んでしまってな。だいぶきつそうだから、場長にお伺いを立てたんだ。中止というのが結論だった。……もちろん、智樹が別の判断をするのはかまわない」


「そのスタッフさんは、まだきついかな?」


「いや、もう乗り越えていると思う。当時は加入直後だったからな。ただ、若駒の結構いるからな。正直負担はありそうだぞ」


「別に、全頭やらなくてもいいわけだから。馬主さんに売却済みの馬を大事にするのは、悪いことじゃないから、まずは自家所有馬に限定して試してみて、その様子を見て広げるかどうか考えるか」


「それなら、まあ」


 言いながら若番頭が、幼馴染らしい女性スタッフに目線を向けるからには、おそらくそういうことなのだろう。俺の知るその彼女は、すっかり熟練したムードメーカー的な存在であるので、気にして導入を控える必要はなさそうだ。


 これが、いい馬づくりの一助になってくれるといいのだが。




【平成十三年(2001年)9月】


 ディズニーシーは9月4日にオープンしたが、一週間後にその日がやって来てしまった。


 2001年9月11日。アメリカでの同時多発テロは、前世での記憶通りに発生した。


 日本時間では夜の十時過ぎで、朝の早い生産牧場では既に就寝している向きが多い時間帯である。執務室でテレビを見ていると、記憶通りの流れで臨時ニュースが入り、ビルにジェット旅客機が吸い込まれる信じがたい光景が画面に映し出された。


 戦慄しながら見ていると、夜着姿の美冬が現れた。


「何が起きているの?」


「アメリカで、ひどい事件が起きたみたいだ。……あまり見ない方がいいかも」


「でも、眠れそうにないよ」


 テレビでは、NHKと民放各局で特別報道番組が流れていて物々しい。確かに落ちつかないだろう。そして、九月とはいえ北海道の夜は冷える。


「なにか温かいものでも飲むか?」


「じゃあ、ココアを」


 美冬には虫歯がないのを把握している俺は、甘めで牛乳多めのココアを用意した。


「なんで、こんなことが起こるんだろう」


「そうだなあ。できるだけ仲良く過ごしたいよな」


 前世では、お茶の間に流れた衝撃的な映像だけではこのテロは終わらなかった。同様の軌跡をたどり、いわゆるテロ戦争へと繋がっていくのか。


 沈黙してテレビ画面を眺めながらも、二人の間に特に冷ややかさはない。やがて、美冬の頭がゆっくりと揺れ始めた。


 背もたれに完全に重心がかかったところで、俺は美冬を抱え上げた。かつて背負った時分よりは重くなっているのだろうが、牧場仕事もこなしているため、俺の筋肉も増強されている。結果として、かつてと同じ程度のバランスが保たれているようではあった。


 広間に戻ると、さらに速報が入っていた。映画よりもリアリティーに欠けると感じるのは、二度目でも同じだった。


 映画と言えば、この時期には千と千尋の神隠しが大ヒットしている。俺からすると、特に主人公の両親の食事シーンなどは、それこそ恐怖映画にしか思えないのだが、だからこそよいのだろうか。


 いずれにしても、このテロの影響は激しいものとなる。戦慄を覚えながら、俺もココアを飲み干したのだった。



【平成十三年(2001年)11月】


 アメリカでの同時テロ事件が人生観を書き換えたから、というだけが理由ではないのだろうが、身近で多くの人が転機を迎えた。


 地方競馬の騎手に挑戦することになったヤマアラシ……、嵐山先輩は、静かに高校から身を引いた。春待先輩の去就が固まったためもあるだろう。


 その春待先輩は、起業して馬の育成を手掛けると腹を据えたようだ。できる限り、支援していくとしよう。


 ひふみから改称されたワンツースリー社は、はっきりと拡大路線に舵を切っている。放映が決まったテレビCMはシュールな作りで、遥歌さんの趣味に合うとはとても思えない出来栄えだった。父親の影響力が強まっているのだろうか。そうだとしたら、やや心配ではある。


 ひふみ企画の方は、収支的には安定した低空飛行が続いている。こちらはそれこそ拡大路線はきつい状態だが、食べていける稼ぎは確保できていた。


 よその公営競技の広告は予算がだいぶ渋いらしく、既存の業者以外に新規参入を希望するところはあまりないらしい。そこに、地方競馬からの横展開として営業に来るとなると珍しがられ、ちょっとだけにしても仕事をくれるところがちらほら現れていた。


 今の時点はそれでいいし、デザイナーが社内にいるのも心強い状態だった。




 リアルフダイ産駒のランカリアリティは、上田競馬に登録こそしたが、ザクくん……、朱雀野調教師の見立てでは、脚元が弱くてデビューは避けた方がよいとのことだった。単に競争能力が弱いというよりは、後ろ脚の蹴りが強すぎて他の部分が耐えられない感じのようだ。


 競走馬としてやっていくにはきつい状態だが、父親の特質をよく継いでいるとも言える。未出走のまま種牡馬入りさせるのもありかもしれない。


 ノーザントーストの後継種牡馬的に導入されたリアルフダイだが、流行らないステイヤーではあっても、最高傑作なのは間違いないフラワーシャワーが、レースでの故障で予後不良となってしまっている。他に後継種牡馬は見当たらないし、前世通りであれば今後も出てこないはずだ。


 となれば、このランカリアリティに丈夫な牝馬をかけ合わせれば、ワンチャンで血脈の継承があるかもしれない。……さすがに夢見がちではあるが。




 高校生活は二年目に突入している。通っている生産科は園芸コースと馬事コースの二択となる。園芸コースに進もうとしていたら、美冬に強制的に馬事に連れ込まれた。


 学校側に、既に生産牧場で経営側に立っている状態で通っていいものかとお伺いを立ててみたら、それはそれでありとの返答だった。ならば、まあいいのか。


 生産牧場の関係者は、跡取りも含めて幾人かいる状態だが、険悪ではないにしても、そこまで仲良しという状態ではない。馬事コースには、馬に限らずの畜産志望の生徒や、厩務員を目指している向きもいて、特別扱いをされることもなく穏やかに過ごせていた。


 そして、課程の中に馬産があるのだが、さすがに主導権を取るのは控える形とした。また、教科書的な技法は、爛柯牧場のやり方とは違う部分も多く、参考にできそうだった。


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