【平成十二年(2000年)晩春~冬】


【平成十二年(2000年)六月】


 牧場運営と高校生活が一息ついたタイミングで、美冬と俺は上田を訪れていた。


 暮空母は不在にしているとのことだったが、俺の母親の把握によれば、東京に転居したそうだ。単身で向かうとは思えないので、遥歌さんのところで同居しているのだろうか。それならそういう話が回ってきそうなものだが。まあ、美冬は気にしていない様子なのでよしとしよう。


 北関東では、ハネダブライアンと同じくブライアンズタイムスの初年度産駒、ブライアンズロマネが大活躍していて、栃木三冠を制した牝馬、ベリルミロードが新たなスターとなりつつあった。


 もっとも、遠征して活躍する馬が出ても、競馬場の収支が上向くわけではない。上田競馬と連動してのテコ入れ策も、すぐに実を結びはしない。このままでは、いずれ存続が厳しくなっていくだろう。


 ただ、ここ五、六年のうちにネット投票が整備され、2011年頃を底に、地方競馬の再拡大期が始まるはずだ。それを、少しでも前倒しさせたい。どうにか、そこまで延命してくれれば。


 今期から上田が土日開催で、高崎、宇都宮、足利が平日で入れ替わりのスケジュールが組まれている。足利は牧歌的な手計算状態なので別扱いだが、上田、高崎、宇都宮は相互に場外発売を始めている。


 四場での連携は強化され、南関東との緩やかな連携も取られるようになってきている。このまま、首都圏競馬といった概念に持ち込みたいところである。もっとも、長野県、甲信地方に存在する上田は、本来だとどこをどうひっくり返しても首都圏ではないのだけれど。


 上田競馬の賞金水準はお世辞にも高くない。ただ、長距離レースを体系化する方針は、地味に評判となっているようだ。


 北関東・長野連携の中での立ち位置はやはり長距離担当で、条件戦からオープンまで揃えた上で、牝馬限定も用意されている。長期入厩歓迎とも表明しており、他地区所属のまま滞在する馬もちらほら出てきていた。手厚く支援するのは、レースの魅力アップと、連携面での効果も狙っている。


 北関東の他の競馬場にも、番組としての特色を打ち出してほしいとの要望が出されている。高崎はそれに応えて3200メートルの競争を新設して上田の長距離路線の補完をしつつ、800メートルの電撃戦を強化している。一方の宇都宮では、牝馬レースが拡充されていた。


 そして、上田競馬場への中央競馬の場外設置が本決まりになった。この段階では、中央競馬の馬券の販売委託は認められておらず、あくまでも中央競馬の施設となる。手数料がどうとの話ではないが、土地の賃借料の名目での金銭は発生する。さらに、整備関連の支援金的なものは出るようだし、集客の意味合いもある。


 中央の場外については、高崎、宇都宮にも展開する方向で交渉が進められている。ただ、週末開催の方向の上田と違って、競馬開催中でない週末の発売となるため、両場では施設外からも入れる立地で、との話になっていた。


 上田の競馬新聞を手掛けるいろは馬は、高崎、宇都宮、足利にも進出して、一部は既存の競馬紙を吸収する形を取ったそうだ。新潟競馬の地方競馬紙が一紙廃刊となったのを受けて、人材も招いているらしい。


 また、いろは馬同様に創始会から分離した形となる飲食店を経営する企業、いろはフーズで、上田、高崎、宇都宮の各場に若者需要にも対応した軽食的なスタンド、屋台も手掛けている。各競馬場の既存客は、やはり年輩の男性が中心だが、中央競馬の場外ができれば、話も変わってくるのだった。


 競馬新聞の拡大方向だけでなく、カフェについてもヤスさん……、高寺泰明氏が仕切っている。創始会から切り離された現業部門のうち、土建方面以外はほぼ指揮下に収めているようだった。野心や功名心からというよりは、頼られてやむなく、といった状態らしい。結果として、ひふみ企画と協働する場面も増えてきていた。


 南関東との連携の一環としては、ディレクTVとスカパーで放送中の南関東競馬チャンネルで、開催のない日に北関東の中継を混ぜてもらう方向で調整している。各場とも、場内の放送はしている関係から、一定の設備はあるため、新規の経費はさほどはかからない。


 それに先立って、まずは月間ダイジェストの放送が開始されていた。定着はせずとも、練度を高めておく意味は大きい。こちらの人繰りも、創始会から切り離された制作会社が関わる形になっていた。当然ながら、ヤスさんの担当である。


 元々、地方テレビ局に出入りしていた人員のうち、その方面に明るい面々でチーム編成をしつつ、ご当地タレント的な人材育成も手掛けていく形となりそうだ。


 そういった上田と北関東の各場との関わりは、ひふみ企画を絡ませる形を取っている。コンサルというほどでもないが、俺にもある程度の報酬は出ていて、それはひふみ企画に入る形となった。俺自身はある意味持ち出しだが、まあ、趣味みたいなもんだから問題はない。


 各競馬場のホームページ運営は順調で、広告枠の販売も進められている。逆に、出稿側のサイトの広告スペース管理も手掛けるような流れとなり、競馬関連に特化する形で、一定の地位を得られつつあった。


 サイト制作については、半ばパッケージ化して他の地方の競馬場にも売り込みつつあり、同時に広告枠の確保も図っている。他の公営競技は、やや勝手が違うようだが、特に北関東については、多少の仕事はもらえるようになっていた。まあ、このあたりは焦らず広げていくべきなのだろう。


 馬柱の折込広告は、上田競馬でのトライアルを成功事例とする形で、高崎、宇都宮でも試してみている。そこでも、いろは馬の横展開が意味を持ってきていた。


 ザク先生の厩舎運営は、さすがに試行錯誤の連続のようだ。そんな中でも、そこそこの成績は残しているのだから、実力はあるのだろう。


 預託するにしても、一定の水準に達していてくれないと、いい馬は任せられない。そこは、知り合いだからと妥協できるところではなかった。


 調教師も厩務員も高齢化が進んでいるため、厩務員さんは経験豊富な年輩勢と、同年代かそれ以下の若手という構成となっているようだ。よそとの連携を年輩組に任せて、同年代勢と成長していく形になるだろうか。そういうことなら、有望な馬を預けていってもいいのかもしれない。


 また、天元のじっちゃんの死去の際に、東京競馬場や葬儀に駆けつけてくれた面々へのあいさつ回りも手厚く行った。同年代の創始会の組長、上田競馬組合の長老は、どちらもそろそろ引退しようとの心境になっているようだ。


 そうなったら、ヤスさんとうちの父さんが後継者的な立場になるわけか……。やりやすいような、やりづらいような、不思議な感覚が俺の胸には生じていた。



【平成十二年(2000年)秋】


 春待先輩とその縁者たちには、調教依頼を継続している。一気に広まっているわけではないが、よそからの依頼も徐々に増加傾向らしい。ただ、馬に対して柔らかく接し、対話していく方式は現状の主流ではない。運動強度を高めるのが最優先、という考え方は根強いようだった。


 調教の方向性の話はあるにしても、小規模の生産牧場では乗り役を自前で抱えるのはきつい。大牧場であれば、人件費をかけて集めればいいのだろうが。


 一方で、小牧場の経営者や跡取りで、自分のところの馬に調教をつけた後には、手が空く場合もあるようで、参加希望者もちらほらと出てきているようだ。


 そういうことなら、調教集団として組織化して、業務委託として受ける会社にしてしまえばという話も出ていたのだが、春待先輩の実家の牧場がいよいよ倒産の危機にあるそうで、雲行きが怪しくなってきた。


「で、ヤマアラ……じゃなかった、嵐山先輩が代役なのかあ」


「誰がヤマアラシじゃっ! ってか、あたしじゃ不満だっての?」


 少年めいた容姿のこの人物は、相変わらず俺にだけ当たりがきつい。まあ、原因はこちらにありそうだが。


「いや、騎乗技術的にはまったく。でも、この集団を高校生が束ねるのは、あんまり健全じゃないような」


「そんなこと言ったって、しょうがないでしょ。他にまとめ役はいないし、牧場が廃業しちゃった場合には、この場を無くしちゃうのはきついし」


「うんうん、愛だねえ」


「あんた……、舐めたこと言ってると抹殺するわよ」


「ヤマアラシ先輩は、自分が春待先輩を見ている時、目がハートになっているのに気づいてないんですか?」


「そんなわけあるかっ。って、誰がヤマアラシじゃ」


 仕事を出してる相手でも、平然とステッキで打ち据えてくる人物だけに、本音で話せるというものである。と、嵐山先輩がモードを切り替えた。


「生産牧場が潰れるときはきついのよ。うちもそうだった。繁殖牝馬とか仔馬とか、売れることもあるだけに、またややこしいのよ。……あんたんとこは、調子がいいみたいだけどさ」


「美冬の姉さんが、会社を経営しているのもあって、いったん落ち着いてるのは確かだな」


「先輩のとこ、支援できない?」


「んー、借金を全部肩代わりしろと言われるときついけど、馬や施設を買い叩かずに引き取るとか、整理の先行きが見えた段階での資金提供とかなら、考えられると思うぞ。俺から言うと微妙だから、伝えておいてもらえると」


「ありがと」


「ところで、ヤマアラシ先輩……」


「嵐山だっ」


「そうでした。……で、ヤマアラシ先輩、騎手にはならないんすか?」


「嵐山なのに……。中央の騎手課程は落ちた。あたし個人の技量の問題か、実家の破産が原因かどうかは知らん」


 明るい口調が、吹っ切れた結果か、装われたものかはわからない。ただ、俺の脳裏に前世での姪っ子の姿が浮かんだのは確かだった。


「地方競馬という手もあるけれど」


「実家の話なら、そっちも駄目な気がするけど……。そもそも、地方競馬に未来はあると思う?」


「ネット投票の時代が来れば、持ち直すと思う。少なくとも上田競馬は、なんとか存続させたいと思っている」


「絡んでる話は聞いてるわ。……考えてはみる」


「春待先輩も、騎手向きだと思うんだけどな」


「家業の話もあるし、それでなくても育成の方が向いてるんじゃないかな」


「なら、やっぱりこのチームの組織化か……。嵐山先輩、留守をしっかり守ってね」


「だから、ヤマアラシだってのに。……あれ?」


 周囲の調教スタッフに笑みが広がっているのは、いい傾向だろう。このチームを失うのは損失なので、できるだけ支援していくとしよう。



【平成十二年(2000年)年末】


この年の古馬中長距離戦線は、エムテイオペラオウに席巻された。現時点での絶対王者的な存在もまた、種牡馬入りしてからは、長距離馬不遇の時代の犠牲者的な立ち位置を強いられる。それでも、サンデーサイレントの時代でなければ、また話は違ったのだろうか。


 ただ、血統的にはノーザンダンサーからのサドラーズウェル産駒で、その面からの稀少価値は低い。長距離での強さは魅力的だが、マチカゼタンホイザと被る面もあり、悩ましいところとなる。まあ、もう少し先の検討でいいか。


 ステディゴールドは目黒記念以降も、GI戦線に挑むもののぱっとしない成績が続いている。主戦が多岐騎手に変わったわけでもない、というのもあった。まあ、競争成績が総てではないし、前世での記憶通りにラストイヤーで盛り上がる方がこの馬らしいのかもしれない。


 そして、ジャパンカップダートがスタートしている。後のチャンピオンズカップへと続く、ダートの最高峰レースとなる。


 これまでも、ダート1600メートルのフェブラリーステークスがGIとして設定されていたのだが、スタート地点からしばらくが芝コースだという、それでダートの最高峰レースを名乗るつもりなのかと問い詰めたくなるコース設定だった。中央競馬におけるダートの扱いというのは、そもそもそんなものだったわけなのだが。


 ジャパンカップダートの初年度の勝者はノーザンダンサー系のウィングアローズだった。できれば、ここに出走できるような馬を作っていきたいものだ。




 ひふみ企画から分離した新生ひふみは、ワンツースリーと社名変更していた。業績は好調で、上場準備が進んでいるそうだ。


 その関係から、遥歌さんが経済誌のインタビューを受けていたので読んでみたのだが、背景に暮空パパが写り込んでいるのを美冬が見つけた。俺には見分けはつかないが、肉親の言葉を信じるべきなのだろう。


 遥歌さんの背後に父親がいたのなら、本来の性質になさそうな恩義せがましい言動も、暮空母が末娘に執着せずに東京に去ったのも、遥歌さんが母親の動向の開示に積極的でない点も、総てに合点がいく。美冬以外の三人で、仲良く暮らしているのだろう。


 美冬がそれを勘づいていないはずもない。ただ、表に出す気配は皆無で、牧場での活動に学校生活を重ねた日々を送っている。この牧場が彼女の新たな家族になっているのなら、悪い話ではないようにも思えた。


 そして、暮空父が関わっているのなら遠慮の必要はない。上場に際しての株式売却で利益を最大化させる方策を考えるとしよう。


 


 牧場での年末年始は、雪の中での年越しとなる。大人たちは酒を飲んで駄目っぷりを発揮していたが、美冬と俺は当然ながらノンアルコールである。


 騒がしさと酒精の香りに追い立てるように外に出る。身体が慣れてしまっているのか、気温の数値ほど寒くないから不思議ではある。


「21世紀が来るのね……」


「だなあ」


 大方の国では、2000という数字の迫力に負けて、前年にミレニアムだなんだと騒いでしまってガス欠気味であるらしいのに対して、日本では21世紀突入のこのタイミングが重視される傾向にあるようだ。それは、今生でも同様だった。


「どんな世紀になるのかな」


「さあなあ……」


 俺の前世での記憶の中では、アメリカでの同時多発テロ、アフガニスタンへの報復侵攻、イラク戦争、リーマン・ショック、東日本大震災と、大きめの暗いニュースが続く。


 令和の世は穏やかであってほしいものだが、どうだろうか。いずれにしても、俺はこの新世紀には序盤の二十年足らずしか触れられないはずだ。


「穏やかであってほしいな」


「華やかじゃなくていいの?」


「いや、穏やかなのが一番だって」


「ふーん。まあ、わたしはそんなに長くは21世紀を見られないだろうけど」


「どうしてだ? まさか、女神との約束事があったりするのか?」


 食いぎみでの俺の問い掛けに、肉体年齢は同じ少女が小首を傾げる。


「女神……? そういうんじゃなくて、身体がやっぱりね」


「けど、だいぶ丈夫になってきたよな」


「動きはそうなんだけど……。おじいちゃん、おばあちゃんの体質を受け継いだのかな」


「天元のじっちゃんは、大往生だったじゃないか」


「おばあちゃんは、身体が弱くてね。お母さんがおじいちゃんに反発しがちなのは、その経緯があったみたいなの」


「なるほどなあ。……まあ、天元のじっちゃんの志を継ごうとする人はいくらでもいそうだから、美冬と俺がいなくなっても、たいした話じゃない。そう考えて、気楽に行こうや」


「あんたは長生きしなさいよ」


「俺は……」


 言葉に詰まったとき、夜空に炸裂音が響いた。


「綺麗……」


 静内の夜空に、大輪の花火が開いていた。馬への影響があるため、なかなか花火をしようとの話にはならないのだが、新世紀を迎える勢いに押された形か。


「新世紀おめでとう?」


 美冬が投げてきた半疑問形でのあいさつに、俺は苦笑を浮かべて応じた。


「ああ、今世紀もよろしく」


 花火の名残が、空と耳とに残っていた。


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