【平成十年(1998年)晩春】


【平成十年(1998年)晩春】


 ボブスレーのジャマイカチームの実物を見たり、「日の丸飛行隊」を応援したりと、地元開催のオリンピックを堪能したものの、上田として考えるとそこまで直接の影響があったわけでもない。それでも、最終局面で創始会系の土建屋さんにも仕事が回ってきたようなのはなによりだった。


 タイジュシャトルの安田記念制覇は、現地で立ち会うことができそうだ。今回も天元のじっちゃんが来ていて、孫娘達とひふみ企画のデザイナー、そして上田競馬の幹部も同行している。


 ひふみ企画が製作を受注した上田競馬のホームページは、突貫作業ながらもオープンを果たしている。雰囲気のいい仕上がりとなったが、後の時代のウェブサイトに慣れた俺がそう思うのだから、現段階ではやや物足りない状態かもしれない。


 この頃、パソコン向けの動画としてのFlashの流行が始まっており、ホームページを開くとムービー視聴を強制されるのがごく一般的だった。せめて、クリックしたら始まるようにしてくれればいいのに、と以前から思っていた俺は少数派だったのだろうか。少なくとも、地方競馬のサイトを見に来る人には、アクセス直後の大画面ムービー展開は、まったく必要のない、邪魔なだけのコンテンツに思える。


 今回はその代わりに、上田競馬場に巣食う写真好きに提供してもらった画像が、バナーとして大きく打ち出されている。


 そのFlashは、やがて訪れるアップルの時代に駆逐されることになる。それも流れというやつか。


 持ち込まれたノートパソコンでは、サイトをデモ的に表示することが可能な状態にあった。


 パンフレットは二種用意しており、上田競馬の取り組みの紹介と、ひふみ企画の制作事例となっている。上田競馬については、ひとまず長距離路線の拡充と、各方面での三冠路線設定を中心に、春秋のブリーダーズカップ的な祭典開催までが大きめの扱いとなる。


 将来構想としては、土日開催への移行、薄暮からのナイター開催計画、直線千メートルの実現も含めたコース拡充計画と、徐々に小さな扱いとなりながらも掲載している。


 ひふみ企画の事例紹介としては、上田競馬の公式サイトを例に挙げ、簡便な更新や広告枠設定なども掲載している。現状は、足利、高崎、宇都宮の各場と、地場の企業が少々といった埋まり具合で、ほとんどがお試し大幅値引き状態となっている。それでもビジネスモデルとして示していく意味はあるだろう。


 また、馬柱を掲載する折り込みチラシについても、実物を持ち込んでいた。


 想定としては、どちらか興味を示す方を渡すつもりだったのだが、両方を希望する向きが多かった。


 馬主は生業を持っているからこそ馬主で居られるわけで、本業のホームページ作りをとの欲求が高まっているようだ。初期の濫造されたものから作り替えたい、との動きもあるのかもしれない。


 同時に、長距離適性しかない馬を保有していれば、ダート限定とはいえ長距離レースを通年開催しようとする競馬場があると聞いてしまったら、食いつかざるを得ないようだ。


 生産牧場としても、馬の売り方をどうするかは悩ましいポイントだし、行き先も気になるところである。ネットがどれだけ有効かはともかく、この時代にはとりあえずホームページがないことには、との風潮があり、手作りにするか、大手に頼んでゴテゴテしたものを確保するか、という二択を迫られる場合が多い。後者については、運用に苦労するケースもありそうだ。


 その点、ひふみ企画の提案は、枠をある程度固定したものにして、写真で差別化を目指す方向性で、後年のブログ形式ほどではなくても、自力で管理できる方式としている。まあ、なかなか伝わりづらいので、手軽な提案だと捉えられれば御の字かもしれない。


 当初は天元のじっちゃん人脈を通じて、こそこそと紹介していたのだが、だんだんとその知り合いや、近場の席の人が興味を示したりと、なにやら商談会っぽくなってしまった。


 ようやく一息つこうとしたとき、声がかかった。


「馬主席での営業活動はほどほどにしていただきたいですなあ、天元さん」


「おう、ニッタか。話を聞きたい人が来るのを、断るわけにもいかんだろ」


「しんでん、りじち……」


 理事長と言いかけて慌てて止めたのだが、不審そうな視線を向けられてしまった。新田と書いてシンデンと読むこの人物の苗字を、しかも天元のじっちゃんが気安くニッタと呼び掛けているのに、正しい読みを把握していそうな言動であるからには、無理もない。


「どこかで会ったかな?」


「いえ、初対面です」


 今生では、と俺は口中でつぶやいた。


 前世での初対面は、競馬学校の試験での面接官の一人としてだった。入学式で顔を合わせ、さらには怪我をして退学となる過程で、さらにはその後も幾度か連絡をくれた人物である。後に理事長となるのだから、有能なのだろう。


 首を傾げながらも話を戻すことにしたらしい新田(しんでん)氏は、ひょいと上田競馬の資料をつまみ上げた。


「超長距離とはまた……。土日開催となると、商売仇になるわけかな?」


「象と蟻より差は大きいだろうに」


「棲み分けのためのナイター開催検討です」


 じっちゃんと俺の声が重なる。


「ダートの直線千メートルか……」


「芝千二百メートル設置案は、構想段階で却下されましたのでご安心を」


 この段階で、芝の直線コース、左回り化を主軸とした新潟改修は公表されていない。新田氏の瞳がちらりと警戒心を帯びたようだ。


「君は?」


「我が爛柯牧場の経営アドバイザーだ」


「いえ、上田競馬改革の担い手です」


「いいえ、ひふみ企画の陰のドンです」


 三方からの声には、苦笑するしかなかったようだ。


「中央競馬にも一言もらえるかな?」


 ここで偉そうな講釈でもたれれば、まさに苦笑案件なのだろう。だが、俺に千載一遇の好機を逃すつもりはなかった。


「助言できるような立場ではありません。一点だけ、ご検討いただきたい事項があるのですか」


「なにかな?」


「上田競馬場の中に、中央競馬の場外馬券場設置を検討してもらえないでしょうか」


「待て、客を食われるぞ」


「悪手だと思う。独自改革の機運が出ているのに」


「上田市サイドになんと言われるか……」


 悲鳴のような声が三方からかかる。新田氏は、視線を巡らせて応じてきた。


「事前調整もしていない依頼は受けられないな」


「開設してほしいとは申しておりません。検討をお願いしたいのです。……上田競馬には、岩手競馬の盛岡競馬場のような芝コースの整備も、日本版ブリーダーズカップを開催するだけの体力もありませんが、長距離の拡充によって、少しでも競馬の幅を広げていく一翼を担う覚悟です」


 岩手競馬の水沢競馬場では、既に中央競馬の馬券発売が行われている。けれど、それは多分に特例的なもののようだ。新田氏は、やや難しい表情で腕を組んだ。


「並行発売して勝負になるとでも?」


「逆です。中央競馬を楽しんだついでに、そこから始まる開催中のレースに目を向けてもらいたいのです」


 もう少し後の年代には、多くの地方競馬場に場外馬券場が設置され、目の前で繰り広げられているレースではなく、テレビの中の中央競馬に客が熱中するという、残酷さを含む情景が展開されるはずだ。


 ナイター開催で棲み分けをしたいというのも嘘ではないが、実際には、やがて到来するネット投票時代への対応が本題である。


 それよりも、ここで中央競馬との繋がりができれば、その価値は計り知れないほどに大きい。周囲の大人たちに視線を送ると、やがて三つの頷きが揃った。


 それを見届けた新田氏が口を開く。


「こちらが言い出したことだしな。承知した。検討させてもらおう。……失礼だが、中学生くらいの年頃に見えるが、連絡は……」


「この者は、ひふみ企画の専属参謀になります。いつでもお繋ぎいたします」


 遥歌さんの如才なさが頼もしい。


 差し出された手を握り返して、時雨里智樹と名乗りながら、俺の胸は酸味のある思いに溢れていた。


 前世で、この人が手を差し伸べてくれたときに頼っていれば、別の未来があったのかもしれない。そう思わせるなにかが、掌から感じられていた。


 そこまでで、中央競馬のキーマンは踵を返した。


「ふーっ、緊張したぁ」


「それはこっちの台詞だぞ」


 父さんも、一気に弛緩した様子である。


「でもさあ、中央競馬のトップ候補と話ができる機会なんて、そうそうないだろ?」


「お前は本当に中学生なのか」


「見た目は子ども、頭脳は大人というのが昨今の流行りらしいんだ」


「そういうのいいから」


 美冬が吐き捨てて、そのくだりは終了したのだった。




 タイジュシャトルの馬主は、中央競馬会的にはタイジュレーシングクラブであって、一口馬主はワンクッション挟んだ出資者に過ぎない。それでも、馬主席には他の出資者もいて、大いに盛り上がった。


 その合間に、中央競馬の場外馬券場誘致話についても、意識合わせを行った。


「実現までは、だいぶ時間がかかる。その頃には、ネット投票への流れができているかも。そこで、中央のシステムに相乗りさせてもらうのが究極的な目標かな」


「なんと……」


「前段階として、接続可能なトータライザーに関する知見も得たい。それを北関東に横展開したい」


「ほう」


「副次的には、中央競馬の中枢との信頼関係の醸成も大きいな。交流競走の話も進めやすくなるし、情報も手に入る。さらには関係性を誇示して、他の地方競馬との連携強化を狙いたい。北関東&信越連盟の首班となれれば、色々できることも広がる。……場外馬券場が実現したら、多少の集客、収益面での効果はあるだろうけど、それらの効果と比べれば、まったくの些事だとも言えるね」


「……お前の視界は、どこまで広がっているんだ」


「いや、霧だらけだよ。北関東の各場は、どれだけ支援したとしても、滅びを免れる道があるのかどうか……」


 足利、宇都宮、高崎の北関東三場は、高崎競馬場を中核として、次いで宇都宮があり、足利はやや支場的な位置づけとなっている。前世の流れでも、高崎が最初に廃止となり、他の二場が連鎖的に倒れた展開だった。


 上田競馬と高崎競馬が連携して、上信同盟的な動きが取れれば、また違った話になるのだが……。2002年頃までに抜本的な改革をするのは、実際問題として難しい。確か、高崎ではリビングドアのヒロエモンが、廃止の話を聞きつけて事業を継承したいと言い出したはずだ。泥舟なのは間違いないが、その動きに期待するのもありか。


 連携地域を上信越とできれば、さらに話は広がるのだけれど、新潟での地方競馬は中央の新潟競馬場を主舞台に行われていて、存続させる動機づけが薄そうだ。おそらく動きは鈍いだろう。まあ、働きかけはしておいて損はないけれども。


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