【平成九年(1997年)年末】
【平成九年(1997年)年末】
天元のじっちゃんは、有馬記念の時期に再び上田にやって来た。売却されようとしていた長距離向きでそこそこのスピード適性もありそうな繁殖牝馬を、何頭か手元に残したらしい。父系、母系ともにノーザンダンサーやメグロマックイーン、サンデーサイレントあたりとは縁遠い、いずれ劣らぬ零細血統の馬たちだそうだ。
若い番頭に委譲しつつあった馬産方針を、部分的にとはいえ切り替えるにあたっては、ダービーの馬券がモノを言ったらしい。一点勝負の当たり馬券にそういう効果があるならと、有馬記念でも単勝、馬連の馬券を購入しようとの流れとなった。
種付けする種牡馬の選定としては、メグロマックイーンはこの時点ではまだ人気が高いらしく、とても手が出ない状態で、ソッカーボーイとウルトラクリークを狙ってみるとのことだった。両頭ともシンジケートが組まれているが、融通してもらう当てはあるそうだ。
長距離志向の産駒は基本的に牧場で所有する形で、希望者が出てくれば、特に牝馬は買い戻し権付きでの売却も検討するそうだ。
そして話題は、タイジュシャトルへと行き着く。秋になって、ダートのマイル戦であるユニコーンステークスを皮切りに、スワンステークス、GⅠのマイルチャンピオンシップ、同じくGⅠのスプリンターズステークスを制したこの馬は、あっさりとスターホースの仲間入りをしていた。
タイジュシャトルが獲得してきた賞金は、キヌノジャスティスのそれと併せて、草創期にあるひふみ企画の資金繰りの助けになるのは間違いない。
一方のステディゴールドは、菊花賞に出走こそしたものの8着で、来年以降の活躍を待つ形となる。
そして、天元のじっちゃんが上田競馬場を実際に見たいというので、父さんと、暮空姉妹と一緒に案内する運びとなった。
爛柯牧場の馬は、大レースの制覇こそなかったものの、かつては中央の中長距離を賑わせていたそうだ。来訪の話が伝わると、いろは馬の実質的なオーナーである創始会の組長と、上田競馬の長老的な人物が駆けつける流れとなった。もっとも、この二人は立場的に公然と同席するわけにはいかなかったので、背中合わせ状態での会合となったが。
「ほう……、小回りとはいえ、地方競馬としては立派なものだ。それに、坊主の話では直線コースの検討もしているとか」
応じたのは、上田競馬組合の事務局長的な立場に収まっている父さんである。
「まだ構想段階ですが、直線の千メートルと、そこから一周しての二千メートルは確かに欲しいところです」
「中央のマネをすることもないが、三冠が二千、二千四百、三千であれば、盛り上がるじゃろう」
「それと、超長距離に出走馬が集まるかどうかは、どう思われますか?」
「数年後であれば、うちの馬を何頭か入厩させられるだろう。逆に、ある程度のレース数の設定がないとつらいが」
「二ヶ月に一度は必ず、できれば月に一度は、と考えています。賞金水準は、多少の長距離手当てがつく程度の普通のオープンですが」
金額を確認した天元のじっちゃんは、ゆっくりと口を開いた。
「充分じゃ。これなら、この辺りに縁のある馬主さん方に声もかけられる。北関東からの遠征は可能かな?」
「かつては高崎と馬の往来があったと聞いています。調教師は減少気味ですし、仕組みは整えられるでしょう」
「これだけ特徴のある方向性なら、全国からやって来るかもしれんぞ。その準備はしておくことだ」
「それは……、検討しておきます」
父さんはやや苦しげだった。まだ増収しているわけでもないので無理もない。
「遠方から馬が来てくれるとしたら、盛り上がるでしょうな」
そう口にしたのは、上田競馬の長老である。
「燻っているステイヤーの憩いの場となれれば、風向きが変わるかもしれんな」
応じたのは、律儀に背中合わせ状態を維持している創始会の親分である。
話がまとまったところで、俺は釘を刺しておくことにした。
「最終的には、インターネット投票の環境が整う2005年頃を目標に、土日のナイター開催、馬柱の無料提供の準備を進めなくっちゃ。在宅投票の波に乗るだけでなく、勝ち抜くためにはそれが必須だよ」
「だが、土日両方はなあ……」
「無料はさすがになあ……」
それぞれの立場からは無理からぬ発言だが、譲るわけにはいかない。
「中央競馬を楽しんだ後に、ついでに上田競馬を、という習慣付けをしたいんだってば。衛星放送が一般的になったら、テレビ中継もどうにかして入れて。……土日開催というのも、本来は祝日も含めた中央競馬のカレンダーに合わせたいくらいで」
「いや、それはさすがにきつい」
「馬柱は競馬新聞を作る際に必須のものだし、むしろ予想と読み物を充実させれば、売れ行きは上がるかも。しかも、無料といっても、お客さんにとっての話で、上田競馬から対価は支払われるわけだし」
「待て、智樹。それは初耳だ」
「いま言ったじゃない。……まさか、貴重な馬柱を無償提供させるつもりだったの?」
「いや、そういうわけでは、しかし、うーむ……」
「ヤスさんだって、阿漕な要求はしてこないって。共存共栄が一番だよ。後の世で言うウィンウィンって奴だね」
「うぃん……?」
と、爛柯牧場の主が呵呵と笑った。
「坊主の仕切りには大人たちが顔負けだな。まあ、説き伏せられた筆頭が、この老体なわけじゃが」
「いや、まだお若い。爛柯の夢よ再び、と参りましょう」
前世の記憶がある俺には、どうしても超時空アイドルの「みんな、抱きしめて、銀河の果てまでっ」というセリフが聞こえてきてしまう。爛柯牧場とランカの冠名を持つ馬たちには、牧場名との兼ね合いで彼女の名前が変わるくらいの派手な活躍を期待したいものである。
なお、「銀河の果てまでっ」というのはセリフであって、断じて歌詞ではない。ここは重要なので、覚えておいてほしい。
と、天元のじっちゃんが馬場に視線を巡らせた。
「ステイヤーの聖地となりつつ、短距離も含めた多様な番組を提供する。各種の三冠路線を設定した上で、三月初めという中央でクラシックへの期待が高まりつつある時期にブリーダーズカップ的な祭りの開催か……」
「あ、三月頭のその祭典だけは、平日にしたいと考えているんだ」
「どうしてだ?」
「中央競馬の新人騎手がデビューする舞台の定番に仕立てられれば、盛り上がると思うから。中央との交流競争を誘致できれば、騎乗できるはずだよね」
「それは確かにな……。なあ、来世紀の話にしても、ナイター開催が実現できたとして、冬もずっとなのか?」
「上田なら、ぎりぎり行けると思うんだけど」
「寒いからなあ。地元のファンに愛されないと、なかなかなあ……」
「うーん、冬は薄暮開催までにしておく? で、春と秋にお祭りを設定して、そこから切り替えとか」
「それは、メリハリがついていいかもな。……秋には菊花賞相当とかか」
「うん。牝馬三冠は春に済んでいるしね。牝馬グランプリとか作って、女性騎手招待なんていいかも」
「ああ、GⅠレースに勝ちたい、ってCMの子とかを呼ぶわけか」
「牧野結希騎手だね。招待できればいいな」
「夢は広がるが……、黒字化が先だよなあ」
父さんの慨嘆に、関係各位が苦笑を漏らしたのだった。
上田競馬のテコ入れ策については、無理なく手掛けられる内容と、将来構想とに切り分けていくことになった。
まずは、現状の平日開催の状態で、既に実施している各路線の上田競馬内重賞戦線としての体系化と、三冠としての整備となる。
賞金については、現状ではオープン競争の額に多少色を付けた程度で、馬主、調教師的な旨味は少なめだが、客への訴求力は期待できる。それに合わせて条件戦の距離体系も整備していくことになるが、そこは手探りとなるだろう。
馬柱の無料提供は、まずは大レースについて、地方紙にチラシとして入れようとの話になっている。全面広告も検討するものの、現時点では抵抗感が強いだろうとの話だった。
開催曜日の変更は、将来構想ではあるものの、少なくとも何日かずつでも試してみようとの流れだった。
ナイター開催を見据えつつの薄暮開催は、まずはレンタル投光機を設置しての模擬レースを実施してみようと動いているそうだ。
北関東の各競馬場及び新潟競馬との連携については、とりあえずダメ元で進めてみようとの話になっている。助け合えるところを探しつつ、互いに取り組みを参考にしていくような形だろうか。
インターネット投票については、まずは電話投票の導入も視野に入れつつ、南関東を主導する大井競馬に接触を試みることになりそうだ。
中央競馬での本格導入が、確か2002年頃だったので、地方では数年後……、2005年あたりと目される。
そしてコース拡張については……、さすがに先立つものがないため、将来構想扱いとなっている。ただ、計画されている駐車場方面には、新たな建造物の設置を避けようとの話でまとまった。
このあたりを遥歌さんが資料にまとめる話となり、ひふみ企画の仕事とできそうだ。俺のコンサル的な参画をひふみ企画の仕事にできれば、さらに経営的な安定性が増しそうである。それを他の地方競馬に広げられれば言うことはない。
人を呼ぶためのイベント開催も含めて、今後も相談していこうとの話になった。予算が限られているのはもちろんなのだが、起業して間もないひふみ企画にとっては、実績が作れるだけでも意味合いは大きい。ここもまた、共存共栄と行きたいものである。
有馬記念は、俺の記憶では二着に一番人気のマーベルサンデーが入るはずで、馬連がたいした配当にならないことから、単勝一点勝負とした。インパクトは薄いが、これはもう仕方がない。
人気二頭を豪快な追い込みで差し切り、キヌノジャスティスが獲得した本賞金は一億三千万あまりとなる。その八割が馬主の取り分として配分対象となる。五十分の一で、ざっと二百万といったところか。
タイジュシャトルの獲得分と合わせて、一千万近くは稼げているはずだ。幾人か雇っている状態なので、これだけで食べていける状態ではないが、それでも助けにはなるだろう。
天元のじっちゃんは、今回は暮空家に泊めてもらえたそうで、なにやらうれしげだった。やはり、孫娘というのは可愛いものなのだろう。この年の話題作「もののけ姫」に出てくる乙事主の完成度の高いモノマネをして、姉妹に呆れられたらしいが。
一方の暮空父は、今も家を不在にしているらしい。どこでなにをしているのやら。
世情としては、この秋にサッカーのワールドカップへの初出場が決まった。ドーハの悲劇を乗り越えての、ジョホールバルの歓喜と呼ばれる展開である。
Jリーグ創設からここまでの強化が結実したにしても、すぐに世界の強豪と渡り合えるようになるというほど世の中は甘いものではない。この時点では遠く思える目標には、平成を通じてのたゆまぬ努力によって、近づいていくことになる。
一方の阪神は……、吉田義男監督を迎え、三年連続の最下位こそ免れて五位になったものの、そこまでだった。
加入が遅れた助っ人外人のグリーンウェルが、「神のお告げ」によりあっさりと帰国し、中盤までは健闘したものの夏に力尽きるいつものパターンである。いや、夏前から低迷するケースもあるので、それは正確ではないけれども。
野手では和田、新庄、桧山、投手陣では湯舟、藪、川尻などもいるのだけれど、まあ、優勝できる戦力かと言われれば……。
いずれにしても、暗黒時代まっただ中で、まったく展望が見えない状態にある。確か、2000年代初頭には改善されて、優勝していたような薄っすらとした記憶があるのだが。
この時代を乗り越えた阪神ファンは、どうやって耐えきったのだろう。さっぱりわからないし、正直なところ気が知れないのだが、なんとなくチェックしてしまっているのが正直なところだった。
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