【平成七年(1995年)夏~秋】
【平成七年(1995年)八月】
夏休み、夕方の時間帯は美冬がうちにやってきて、グリーンチャンネルを眺めることが多くなっていた。家にいると、父親が起きてきたタイミングでやや気まずさが漂うらしい。
俺としては、同級生の興味深い能力の検証が進むので大歓迎である。そして、数をこなすことで、見分ける精度が上がってきているようでもあった。
中央競馬であれば、未勝利戦では淡い光が数頭程度で、まれにはっきりした光の馬が混ざる場合がある。条件戦ではその数が増え始め、やや強い光の馬も混ざる。重賞を含めたオープン戦では、ほぼ全馬が最も強い光を放っているそうだ。
そして、過去の名馬はデビュー戦の映像から、漏れなく最強の光を示しているとなれば、やはり実力を示していると考えてよいのだろう。
放牧風景などでも同様で、種牡馬や繁殖牝馬でも、光を纏っている馬もいるようだ。競りでも見えるからには、これはもう本気で有効である。一方で、どれだけの名馬でも、年輩になると薄れていくようなので、その時点の実力と考えてよいと思われた。
光の有無が中央の未勝利突破レベル、最大の光は、900万下条件……、将来の二勝クラスが境界となっていそうである。
「いや、ホントにすごい才能だって」
「でもでも、活かせる場面なんて本当にあるのかなあ」
「求めれば、きっと」
「そうだといいんだけど」
隣家の少女が、この話題になるとやや遠い目をするのは、少し気になるところだった。体力は次第についてきているようだし、働けない理由は特に思いつかない。競馬業界に、なにか忌避感などあるのだろうか。
「それにしても、春のサンデーサイレント産駒の勢いはすごかったわね。秋も続くのかな」
「続くんだろうなあ」
●ジーニアス、タモツツヨシ、ダンシンパートナーと、クラシック戦線はサンデーサイレント旋風が吹き荒れた。阪神淡路大震災の影響で、阪神競馬場から京都に場所を移して行われた桜花賞も、勝利こそミラクルパヒュームが手にしたものの、出遅れながら二着となったダンシンパートナーの強さを印象づけたレースだった。
そう、この年の一月には、阪神淡路大震災が発生している。前世では学校に行っていてあまり把握していなかったけれど、改めて二週目の視点で見ると、物凄い被害である。
今の俺の手は短いし、仮に望んでも被害を減らせはしなかっただろう。そして、意図して史実を変えようとすると、存在を消されかねない。
あの女神との対話をもう少し重ねるべきだったと、今にして痛感している。自分起点での行動で物事が変わるのは許容されるけど、意図的に変えようとするのはダメ、との理解でよいのだろうか。
馬券は……、当たり馬券の大量購入については言及されていたが、一億とか突っ込んで謎の馬を一番人気にするとかもまずいのかな? いずれにしても、個人のたしなみの範疇に留めろということかもしれない。
「今年は地方競馬との交流が始まって、だいぶ盛り上がってたよね」
「そうだなあ。リンドンリーダーもクラシックに乗ってきてたし、ライブラマウントとホクトヴェガが地方で活躍してたしなあ」
「上田競馬から、クラシックに乗る馬がいつか現れるかな?」
「いやあ、それはなかなか」
上田競馬には交流重賞は設定されておらず、この波に乗り遅れた状態となっている。ただ、四歳牡牝の三冠路線と牡馬マイル三冠に、古馬向けとして早春、晩春、秋それぞれの時期にマイルとクラシック、長距離の上田競馬内重賞を、との父さんの主張は受け容れられ、翌年度から採用される運びになっている。
問題は、競馬新聞の発行者となりそうだ。というのも、父さんは言葉を濁していたのだが、どうやら反社会勢力と関わりがあるらしい。
暴対法は三年前の施行となっている。この頃はそこまで激しく排除はされていないかもしれないが、運営側と一体的にネット公開することまで視野に入れると、高度な健全性が求められるのは間違いなかった。
【平成七年(1995年)十一月】
秋になっても、前世での記憶の通りにサンデーサイレント旋風は止まっていない。菊花賞こそ、ブライアンズタイムス産駒のマヤトップガンに制覇されたものの、ジーニアスが天皇賞秋で二着に入り、ダンシンパートナーは海外遠征を経て、菊花賞で五着に入線した。さらには、次の世代も続々に勝ち名乗りを上げている。
「サンデーサイレントは、やっぱり歴史を塗り替えていくのね」
「だなあ。ノーザントースト時代の終焉か。でも、これだけ席巻したのに、後継がいないのは……。譜代ファームは、結局いつもそうなんだよな。世界の血と比べて劣っているとしても、父系を残すことに一定の意味はあるのに」
「でも、後継種牡馬は何頭かいるわけだし」
「確かにね」
そう応じながらも、俺は前世の記憶で、ノーザントーストの父系が早々に途切れる未来に触れている。もちろん、ノーザンダンサー系として考えれば、こだわる血統ではないとの考え方もあるのだが、それにしても功労者なのに。
そして、地方交流競争では、中央勢の強さが際立っていた。地方競馬は以降、短期的には衰退に向かうのだが、厳冬期を耐えた競馬場は、ネット時代を迎えて息を吹き返すことになる。ただ、それは売上に限定された話ではある。
さて、史実では廃止に至った上田競馬は、果たしてどうなるだろうか。現状だと、なんの変哲もない地方の競馬場に過ぎない。
事例としては、芝コースを売りにしようとしながら、管理の難しさもあって活かしきれなかった感のある盛岡競馬場に、トレセンも兼ねてナイター設備を充実させ、新馬を呼び込んだ門別競馬場、ナイター開催を売りに廃場寸前から巻き返すことになる高知競馬場など、見習うべき存在は多い。まあ、どれも未来の話なんだけれど。
上田競馬場の一周は1400mとなっている。直線の入り口からスタートして、一周してからもう一度直線を、という設定での1600m、1700mのレースが今年までの主体となっている。
1400mの内訳は、ホームストレートとバックストレートが300m、カーブが緩めに400mずつ、という構成である。
向こう正面の直線入り口をスタート地点にした、1周半相当の2300m、2400mは、馬への負担も考えてか、これまではほとんど設定されていなかった。ただ、競馬界ではダービーディスタンス、クラシックディスタンスと呼ばれる重要な意味合いを持つ距離となる。できるだけ重視していきたい。
同様に2周だと、3000m、3100mが設定可能となる。これは、春の天皇賞の3200mに近い、長距離と呼ばれる範疇となる。
2周半だと3700m、3800mとなり、長距離の中でも、だいぶ長い部類となる。
3周の4400m、4500mは……、差し詰め超長距離といったところか。かつての中山競馬場での日本最長距離ステークスの4000mを越えた日本最長を売りにできるかもしれない。
中央での日本最長距離ステークスは、調教並みの凡走となるケースがあったために、レース内容の魅力的にも、また、公正性確保の観点もあってか、だいぶ以前に沙汰止みとなってしまっている。ただ、地方で、しかも路線として確立させれば、別のやりようもあるかもしれない。
そして、短距離は……。現状でも、半周と直線の構成で、1000mの設定は可能なのだが、いかにも忙しない印象になるだろう。
そう考えれば、コースの改修が必要になるが、ホームストレッチから直線コースを延ばして1000mが設定できると、中央の新潟競馬場で実現される日本での直線レースという方向性を、ダートにしても先取りできる。
さらに、700mの直線に一周を足せば、2000mが実施可能となる。こちらも中距離と呼ばれる、競馬の基軸となる距離で、皐月賞、秋の天皇賞などに加え、先々にはGIとなる大阪杯、牝馬三冠の最終レースとしての秋華賞なども設定されていくことになる。
俺は前世も今生も絵心及び器用さはなく、父さんが持ち帰っていた上田競馬の見取り図のコピーにいたずら書きをする際に、紙をぐちゃぐちゃにしてしまった。見かねて手伝ってくれたのが美冬で、駐車場に食い込む七百メートルの直線の絵図は準備ができている。
どうせならと、現在の一周をより緩いカーブに拡張して、一周1600mとしたコース図と、900mの直線延伸コース、さらにその外の芝直線1200mの欲張り版も美冬に形にしてもらった。
さすがに後者は無理だろうが、理想の形としてぶち上げて、追加の直線コース700mを勝ち取るという方向性はありかもしれない。
海外遠征としては、年末にフジサンケンザンが香港で国際重賞を制覇するはずだった。それを呼び水として、シンボルルドルフの時分以来の海外遠征活性化時代が到来する。
一方で、パソコン業界には、Windows95の波が押し寄せていた。孝志郎の興奮ぶりは微笑ましいが、これが後のWindowsシリーズの実質的な始まりだと考えると、確かに転換点ではあろう。
「それで、パソコンはいいとして、将来はどっちに進みたいんだ? 別にパソコンのハードウェアの設計とか、開発をしたいわけじゃないんだろうし」
「いや……、具体的には見えていない。いろいろな物事が進むというのはわかるんだが、どの分野が発展するんだろうか」
そう反問できるあたり、この人物には俺とは違ってそちら方面の才能があるのだろう。
「将来は統計だとか、アルゴリズム、人工知能なんかが世界を変えることになるんじゃないかな」
「そうなのかもな。となると、数学か……?」
同級生の少年は、なにやら口中でつぶやいている。思考が漏れている状態なのだろう。
「焦ることはないけれど、進路を決めるのだとしたら、やりたいことから逆算するのが効率的かもな」
当初は俺の言うことに反発することが多かった孝志郎だが、いつの間にか普通に会話が成立するようになっていた。そうなると、老婆心が芽生えてくるから不思議である。
と、そこで話し相手のモードが急に切り替わった。
「それはそうと、エヴァは熱いなあ」
「あー、エヴァンゲリオンかあ」
新世紀エヴァンゲリオンのテレビシリーズは、この十月から放映が開始され、ややカルト的な盛り上がりを見せつつあった。孝志郎も、すっかりハマってしまった一人であるようだ。
「長い付き合いになるぞ、きっと」
平成の終わりの段階で、エヴァンゲリヲン新劇場版は、四部作の三作目とされているQまでしか進んでいなかった。令和のうちに、本当に完結したのだろうか? それとも、四部作では終わらずに次の年号まで引っ張っていたのか。はたまた、シン・シン・エヴァが始まっていたのかも。
俺は、そこまでどハマリしたわけではなかったが、それでも生前にどう完結するかを見られなかったのは心残りである。孝志郎には、ぜひ長生きをして、俺の分まで見届けてほしいものである。
アニメと言えば、来年の一月から、名探偵コナンのTVアニメがスタートするそうだ。初期は見ていないが、前世でも話題になっていた気はする。
見た目は子ども、頭脳は大人というキャッチフレーズを、今生では俺が先取りする形になったわけだ。……まあ、いずれ見た目も成長して、単なる凡人となるわけなので、今のうちに上田競馬の関係者を幻惑しておくとしよう。
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