妖精の国で遊ぼう(お題6「眠り」)
まことに月の美しい晩でありました。
ひんやりと冷え切って白々とした光が街の眠りを静かに照らしています。
古い木造の小学校も、鉄とガラスでできた巨人のようなビンヂングも、赤い鳥居の神社も、その神社の境内で体を丸めている野良猫も、みんなみんな深い眠りの底に沈んでおりました。
凍りついたような静寂の中、起きて動いているものはただの二人きり。
そう……今宵の月の光に誘われるように、とあるお家の子供部屋に二人の妖精が訪れていたのでした。
「りんこちゃん、りんこちゃん」
小さな小さな緑の帽子の妖精は少女の耳元で呼びかけました。
少女の細いまつ毛は、一度だけ、ピクリと微かに震えます。けれどそれっきり。無理もありません。もう時刻は深夜0時をまわっているのですから。
「起きてよ〜ねぇ起きてってば」
「しょうがないよ、もうりんこちゃんには僕らの声は聞こえていないんだよ」
しきりにりんこちゃんを起こそうとする緑の帽子の妖精を傍らの赤いシャツの妖精が嗜めます。
「りんこちゃんがもっと小さくて赤ちゃんだった時は、僕らの姿も見えて声も聞こえて、ニコニコ笑ってくれて僕らと遊んでくれたのになぁ」
緑の帽子の妖精は寂しそうにため息を吐きました。
「大きくなっちゃったからね。人間は大きくなると僕らのことを忘れちゃうし、分からなくなっちゃう」
「つまんないな。もう一度小さくなればまた一緒に遊べるかな?」
「そうかもしれない」
妖精達は顔を見合わせます。
「じゃあ小さくしてみよう」
「でもどうやって小さくする?」
「うーん、体のどこかを切り取ったら小さくなるかもね」
「どこを切り取ろうか? 腕かな? 足かな?」
「腕や足じゃあおしゃべりができないよ」
「じゃあ頭がいいかな」
「そうだね。頭を切り取ろう」
こうして妖精達の考えはまとまりました。
早速、呪文を唱えて糸ノコギリを召喚しました。
ギザギザの刃をりんこちゃんの首に当てて、両方の端をそれぞれ緑の帽子の妖精と赤いシャツの妖精が掴みます。
「それひけ! やれひけ!」
「えっさ! ほいさ!」
妖精達は威勢の良い掛け声とともにノコギリをギコギコと左右に動かしました。
刃はりんこちゃんの首に食い込み、赤い液体が飛び散って布団を濡らします。
「うーん……」
りんこちゃんは寝苦しそうに唸って眉根を寄せましたが、まだまだ起きる気配はありません。
「やぁせっ! ほいっせ!」
「やっほい! えっほい!」
妖精達の掛け声が夜の子供部屋に響きます。もちろん、りんこちゃんにも他の誰にも聴くことのできない声でしたが。
やがて小一時間かかって妖精達はりんこちゃんの頭を体から完全に切り離しました。白かったはずのベッドのシーツはもう完全に真っ赤な色に染まっています。
「さあ、これでりんこちゃんを連れて行けるね」
「一緒に遊べるね」
妖精はお互いに顔を見合わせて嬉しそうににっこりと笑いました。
そうして、二人は「うんしょ!」と言いながらりんこちゃんの頭を持ち上げます。そのまま背中に生えた透明な羽根をパタパタと動かし飛び上がりました。
子供部屋の窓から夜の空へ……りんこちゃんの頭は妖精の国に向かってびゅーんと風を切って飛んでいきます。
「ここ……どこ?」
目が覚めたりんこちゃんは当惑しました。
そこは全く知らない場所でした。
辺り一面に薄青く光る草木が生い茂っています。そして、葉っぱの間には、透き通って冷たそうな真紅の花がぽつりぽつりと咲いているのです。
緩やかな風がりんこちゃんの前髪を揺らしました。
それと同時に、真紅の花びらや光る葉っぱが擦れ合ってシャラシャラと音を立てます。むせ返るような甘い匂いはあの花の香りでしょうか?
りんこちゃんはゴクリと息を呑み、今度はおそるおそる頭上を見上げました。
夜空には幾重にも虹色の光のカーテン……オーロラが垂れ下がっています。そして、美しいオーロラの間からは恐ろしげな何かが覗いていました。それは巨人の目玉のようなもので、十個ばかり夜空に浮かび、それぞれがギョロギョロと怪しく動いては下界を監視しているようなのでした。
りんこちゃんは、まず、この不思議な光景に見とれ、そうしてからしばらくして違和感に気がつきました。
「体がない!」
りんこちゃんは思わず叫びました。
「あっ起きた!」
「りんこちゃんが起きた!」
すぐ近くで声がします。
真っ黒な目が顔の半分を占めるくらいに大きくて、白目が無く、腕が4本、脚が4本の、人とも昆虫とも判別がつかない不可思議な生物が二匹、傍に立っていました。
一匹は緑色の帽子をかぶって、もう一匹は赤い布を纏っています。
二匹の背丈はちょうどりんこちゃんの頭の高さと同じくらいでした。
「ようこそ妖精の国へ!」
「一緒に遊ぼう!」
二匹の生物はそう言って口元をぐにゃりと歪めました。どうやら笑っているようです。
「あ……あんた達だぁれ? ここはどこ? あたしの体どこにいったの?」
りんこちゃんは混乱しながらも急いで尋ねました。
「僕達は妖精で、ここは妖精の国だよ。りんこちゃんの体はお家で眠ってるよ」
「りんこちゃんは覚えていないだろうけど、僕達は友達だったんだよ。ただりんこちゃんが大きくなったから僕達のことを忘れちゃっただけで……」
「りんこちゃんともう一度遊びたかったんだ。だけどりんこちゃんの体は僕達と遊ぶには大きすぎたから頭だけ妖精の国に来てもらったんだよ」
妖精達の言葉を聞いても、りんこちゃんにはこの二人と友達だった時のことは思い出せません。けれど、絶対に友達ではなかった、ということも言い切れない気がしました。それにうっかり下手な事を言うと、もう二度と自分の体のところに戻してもらえないかもしれません。
「遊ぶって……何するの?」
りんこちゃんはとりあえず訊いてみました。
「それはね……」
「こうするんだよ!」
なんと、妖精達は突然りんこちゃんの頭を蹴飛ばしました。
「きゃあー!」
りんこちゃんの頭は悲鳴をあげて宙を飛び、草原の上をどすんどすんとバウンドしながら転がっていきます。
妖精達はそれをケタケタと笑いながら追いかけます。
「あはははは……」
「ひゃはははは……」
二人の妖精はサッカーのようにりんこちゃんの頭を蹴り付けたり、バスケットボールのようにドリブルしたり、互いに投げ合ったり、宙高く放り投げたり……とにかくめちゃくちゃなことをします。
次第にりんこちゃんはぐるぐると目が回ってきました。息が苦しくなってきます。視界の中では、青い色、赤い色、緑の色、黄色い色、紫の色……と、様々な色がマーブル模様に溶け合いながらチカチカと明滅しています。
りんこちゃんの意識は朦朧としていきました。
けれども、その時突然、ひときわ高い、弾けるような笑い声がりんこちゃんの耳元で響いたのでした。
「あはははは……あはっ……はははははは……!」
この声は緑の帽子の妖精のものでも、赤いシャツの妖精のものでもありませんでした。
「ひははははぁ……あはははっ……ひーひひひひひぃー!」
いつまでも無限に湧いてくるようなこの笑い声は、実は、りんこちゃんの口から出ているものだったのです。
そうです。りんこちゃんは、ぐるぐると回転させられ、あっちに蹴り飛ばされたり、こっちに跳ね飛ばされたりしているうちに、いつの間にかすごく愉快な気持ちになってきていたのです。
「あはははは……」
「ひゃははははは……」
「きゃははははぁ……」
そういうわけで、妖精の国には、りんこちゃんと二人の妖精の楽しそうな笑い声がいつまでも響き渡ることになったのでした。
「ううーん……」
朝になり、りんこちゃんはベッドの中で大きな伸びをしてから、ハッと気がつきました。慌てて掌で自分の首元を撫でます。そして、頭と体がちゃんと繋がっている事を確認するとほっとしました。
「変な夢見ちゃったなぁ」
そう呟きながら体を起こしてから、改めて身の回りを見て、りんこちゃんはびっくり仰天しました。
布団もシーツもいつのまにか真っ赤な色にぐっしょりと染まっていたからです。
はじめ、りんこちゃんは赤いものは血なのだろうかと思いました。そして、自分は寝ている間に大怪我をしてしまったのだろうかと心配しました。
けれど、目の前に広がる赤い色からは血液特有の鉄錆びた匂いは全く無く、代わりに甘いお菓子のような香りが部屋の中には充満していました。それは夢の中で嗅いだ花の香りを思い出させる匂いでした。
――もしかしたらあの夢はただの夢じゃなくて本当に起こったことだったのかも……。
りんこちゃんは妖精達と過ごした楽しい時間を思い出していました。
「また会いたいな……妖精さん」
りんこちゃんはため息とともにぽつりと呟きました。
一方、窓辺に置かれたウサギのぬいぐるみの影からは、二人の妖精がりんこちゃんの様子を見守っていました。
「りんこちゃんの首は真紅の硝子花の汁でくっつけたんだよね?」
緑の帽子の妖精が赤いシャツの妖精に訊きます。
「そうだよ。ぴったりくっつけたよ。切る時もいっぱい塗っておいたからね……かなり溢れちゃったけど」
「じゃあ、取れる心配はないね」
「うん。でもね……ちょっとだけおまじないをかけておいたんだ」
赤いシャツの妖精は透明な羽をプルルッと震わせ、唇をぐにゃっと歪めながら笑います。
「りんこちゃんが成長してもっと大きくなって、もしまた僕らの事を忘れる日が来たら、その時に硝子花の接着剤の効果が消えてしまうように……」
「あはは、そりゃいいね」
緑の帽子の妖精も笑います。
「じゃあ、りんこちゃんが僕らの事を忘れた途端に頭は体から外れてゴロン! ってわけだ」
「そうだよ。もしそうなったら、またりんこちゃんの頭を迎えに来ようね」
「そうしよう。それでりんこちゃんの頭を妖精の国に連れて行って、いつまでも一緒に楽しく遊んであげようね」
妖精達はそう言い合ってクスクスと笑いながら、学習机と壁の隙間の薄暗がりの中にすぅっと消えていったのでした。
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