ナマクビに選ばれた男(お題7「まわる」)
「来い」
夢の中で
「来い」
顔は彰を睨みつけながらまたそれだけ言った。
彰の夢はそこで終わった。
――あの顔、どこかで見た気がする……。でも誰だったかな?
起床した彰はそんなモヤモヤを抱えながら、朝食のパンを齧りつつ、何気なくテレビのスイッチをONにした。
いつも見ている朝の情報番組が映る。秋の行楽シーズンに合わせて様々な観光名所が紹介されているようだ。
画面には「
次の瞬間、彰は「あっ!」と声を上げた。
三矢山の観光名物ナマクビが映ったのだ。
――そうだ。夢に出てきた顔……あれは三矢山のナマクビにそっくりだ。
三矢山の山頂付近に巨大な生首が突如出現したのはおおよそ十年前のことだ。
顔の幅が12m、高さ10mで「空気が抜けて潰れかけたサッカーボール」と喩えられるような形をしているが、目、鼻、口、耳、髪の毛等、人面を構成するパーツはしっかり揃っている。眼球は動くし、鼻の穴からはプシューップシューッとうるさいくらいの呼吸音がしているのだという。
巨大生首が出現した当初は世の中は大騒ぎになり、世界中から調査隊やマスコミが幾度となくこぞって三矢山に赴いた。
しかしながら、結局のところ、巨大生首の正体は一体何なのか、そして、どこからやって来たモノなのか、未だ解明はされていない。
つまり、前代未聞の事態過ぎたためか研究者達は早々に皆匙を投げたわけだ。
「宇宙から飛来した生命体」と世間では噂されているが、それも確かな確証のある話ではない。
だが、ひとつだけ、誰もが口を揃えて言う事があった。
「この巨大生首に人類への敵意は無い可能性が高い」すなわち、無害らしい、ということだった。
巨大生首はただ三矢山の山頂に鎮座し、眠そうな目を半開きにして下界を黙って睥睨するのみ。時折瞬きを繰り返すような些細な動作以外の動きは全くしそうになかったのだ。
巨大生首が無害と分かるや否や、三矢山は忽ち大人気の観光スポットになった。
やがて、誰が言い出したのか「三矢山のナマクビの周りをぐるっと一周すれば願いが叶う」というジンクスが巷に広がった。そして、三矢山の観光人気はますます高まることとなり、今に至っている。
なお、巨大生首の名称はいつの間にやら「ナマクビ」で定着してしまっていた。固有名詞とは言い難い名前だが、日常生活で「ナマクビ」という単語を使う機会は他にそうそう無いため大した混乱は起こっていない。
――そうか、あのナマクビが俺を呼んでいるのか。
彰は素直にそう思った。
普通の人間であったらば「たかが夢」と思い、その日の昼頃にはすっかり忘れてしまっていたかもしれない。
しかし、彰は思い込みの激しい性格であった。
――宇宙からやってきた何だかわからないモノが俺を呼んでいる。しかも、ぐるっと一周回れば願いが叶うだなんて、もはやナマクビは神様のような存在だ。そうだ、神様が俺を特別な人間として選んだんだ!
彰は次の週末に早速、三矢山に登ることにした。
「……でかい」
額から汗を垂らし、息を切らしてようやく山頂に到着した彰はナマクビを前にして思わず嘆息した。
実物はテレビ等で見るよりも圧倒的な存在感がある。
既に何人もの登山客が、ナマクビの周りに沿って整備された遊歩道をてくてくと歩いている。
――無駄な努力をしやがって。あいつらは所詮ナマクビに選ばれていない。俺は選ばれたんだ! だからきっと願いはなんだって叶う。億万長者も夢じゃない!
彰はワクワクと高鳴る期待を胸に遊歩道に足を踏み出した。
歩きながら頭上を見上げる。
夢で見た顔そのままのナマクビと目が合った気がして嬉しくなった。
――早く回らなくては。
彰は歩調を速めた。
しかし、奇妙なことに幾ら歩いてもちっとも進んだ気にならない。
次第に息が上がってくる。
――……一周するのも意外と大変なものなんだな。
彰は立ち止まって額の汗を手の甲で拭った。
その時、一人の登山客が青い顔をして慌てたように彰に近づいてきた。
「お……おい、あんた! 大変だ……! ナマクビが……ナマクビが動いている……!」
登山客はナマクビを指差した。
「はぁ……」
彰は気の抜けた返事をした。ナマクビを見上げても先程から何も変わったところはない。相変わらず、頭上にはナマクビの鼻の穴が見えていて、半眼の目はこちらの方を向いている。
――ん? ずっと同じ向き……? おかしいな。だいぶ歩いたはずだからもう後頭部が見えていてもよいのに。
「私は何か変だと思ってさっきから離れた場所でナマクビの様子を見ていたんだ。そしたら……少しずつ回ってるんだよ、ナマクビが。しかも、あんたの動きに合わせて、あんたをじーっと見つめながら回ってるんだ」
「なるほど。だからずっとナマクビが正面を向いたままに見えているのかぁ」
彰は納得した。
「呑気な事を言っている場合じゃない! 不気味すぎる……十年間ずっと動かなかったのに。何が起きるかわからない。私は逃げる。あんたも早く逃げた方がいいぞ」
「ご忠告ありがとう。だが、心配はない。俺はナマクビに選ばれた人間なんだ。ナマクビがわざわざ動いて俺の方をずっと見ていてくれるのもその証拠だ。貴方は逃げたければ逃げればいいよ」
登山客は彰の言葉に一瞬不思議そうな顔をしたが、それ以上避難は勧めずにすぐにその場を去っていった。
他の観光客達も異変に気がついて三々五々、急いでナマクビから離れていっているようだった。
やがて彰はナマクビと二人きりになったことを確認すると、改めてナマクビを見上げて両手を高く差し伸べた。
「ナマクビよ。お前の言うとおり、俺は来たぞ。ずっと俺を待っていてくれたんだな。そんなに見つめられると照れるなぁ」
そう語りかけると、心なしかナマクビの顔が彰に近づいてきたような気がした。
「どうした、ナマクビ? 俺にキスしようってか? ふふ、やめてくれよ。そんな事より願いだ、願い。まずは俺を大金持ちにしてくれ。一生働かずに遊んで暮らせるくらい。それから会社のムカつく上司をクビにしてくれ。ナマクビなんだから、そういうの得意だろ? あ、でも、大金持ちになったらもう会社に行く必要ないよな! はははは……。あーあと、それから……」
彰の願い事は止まらない。
ナマクビはどんどんと近づいてくるが、そんな事もお構いなしに彰は欲望の赴くまま、ひたすら己の願望を口にし続けていた。まるで何かに取り憑かれているかのように……。
目撃者の証言によれば、ナマクビは前倒しにゆっくりゆっくりと傾いた後、一気に倒れ込んだということだ。その衝撃で砂埃が舞い上がり、恐ろしい地響きが辺りに響き渡り、地面は立っているのも難しい程に激しく振動したのだという。そして、ナマクビのすぐ前に立っていた栗梅彰が下敷きになるのを何人もが目撃している。
ナマクビは彰の上に倒れ込んだ後、山の斜面を転がり落ちていった。
木々を薙ぎ倒し、道路や民家を破壊し、麓の街まで加速しながらゴロンゴロンと回転を続け、さらに甚大な被害を出した。そして、阿鼻叫喚となった市街地を猛スピードで通り抜けて、ナマクビは最終的に海に落下した。
転がり行くナマクビを目撃した人々は口を揃えて言う。
この十年間終始穏やかであったはずのナマクビの顔の表情は信じられない程大きく歪んでいたのだと。それは、人によっては、怒っているようにも、悲しんでいるようにも、笑っているようにも見えたそうだ。
ナマクビが落下した海では入念な海底調査が行われたが、今に至るもナマクビは発見されていない。
落下地点の近くを夜間航行していた船舶の船員が、深夜、巨大な岩のような物体が波を蹴立てて泳いでいくのを見かけたという情報もあるが、確かな事は依然として何もわからないままだ。
なお、ナマクビの下敷きになったはずの栗梅彰の遺体も未だ見つかっていない。
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