1-2 シナリオに乗る者、降りる者
グランゼールは迷宮王国と呼ばれ、無数の冒険者が行き交う国。
武装した血塗れの男四人が城門をくぐっても誰も気に掛けない。
夕暮れが間近に迫る頃、四人は彼らが依頼を受けた冒険者ギルド支部、白の扉亭へと戻ってきた。扉を開けると、冒険者グループが二組ほど食事をとっている様子だった。
「あら、お帰りなさい!」
彼らを出迎えたのは赤紫の髪を束ねたドワーフの女性。ギルドマスター、エルダ・ヴァイスベルクだ。
四人が白の扉亭を拠点に選んだのは、かつて冒険者をしていたバルドリックの父親が現役時にここを利用していたことが決め手となっている。
決して規模の大きい支部ではないが、初心者歓迎の気風が強くサポートも手厚い。それもエルダの寛容な人柄によってもたらされたものであった。
「まずは無事に帰ってきてくれて良かったわ。ひとまずお茶を淹れるから、どうぞ座ってちょうだい。二階に今日泊まる部屋の準備もできてるし、湯浴みもすぐにできるわよ」
エルダは四人の顔つきが浮かない様子なのを察してか、ねぎらうような笑顔を浮かべた。着席を促す声にも従わず入り口で棒立ちする四人。先に口を開いたのはバルドリックだった。
「女将さん、すみません……失敗しました……」
そうして彼らは遺跡で起きたことを説明し、四名の遺品を差し出した。
「女神の微笑み亭……彼らについてはそちらに連絡してみるわね」
報告を受け取ったエルダはふんわりと微笑んで、包み込むような柔らかい声音で言葉を続けた。
「もう無理だと思ったら、撤退するのも勇気のうちよ。死ぬために冒険者になった訳じゃないものね! それに、貴方たちが遺品と情報を持ち帰ってくれたおかげで、次の展開に繋げることができるわ。頑張ってくれて、そして生きて帰ってきてくれてありがとうね。持ち帰ってくれた情報分の報酬はもちろん出すから安心してね」
考え得る限りの優しい言葉。それを受けても、サリクスは、そして恐らくは他の三人も、心に纏わりつく暗雲が晴れることはなかった。危険を排除しきることも、廃墟がどうなっているのか、何が起こっているのかを調べつくすこともできなかった。ヒトの死が関わっていることを目の当たりにして――放置すれば更なる死を招くのは明らかな状況にも関わらず、己の力不足という理由一つで逃げ出してきた。
冒険者として期待された役割を果たせなかったのだ。
「次はどうしましょうねぇ。街中のもの探しとか……そんなに危険度が高くなさそうな地域での護衛とか……見繕ってくるからちょっと検討させてね。今日はもう休みましょ」
「次……」
サリクスは無意識に声を漏らし、それにより己の中にいつの間にか根を張っていた恐怖に気付いた。
そう、次の依頼。冒険者を志願し、失敗したとはいえ生きて戻ってきたのだから、当然次がある。あまりに失敗を繰り返せばそれもなくなるものだろうが、少なくとも今回は新人の初仕事。見限るにはまだ早いと判断される状況だろう。
冒険者に向けられる依頼は多岐に渡り、そこには戦闘を伴う危険性が低いものも含まれる。しかし、そういった方向性の仕事ばかりを選んで、危険から逃げ続けるような者には冒険者としての資格はないし、何より己を誇れる生き方にはならない。
冒険者として成長した先に求められるもの。蛮族や魔神から市井の人々を守ること。人族の守護者たるべく身命を賭すこと。
憧れを抱いていたはずの冒険者の在り方。しかし、そこに一歩近付こうと試みて帯びた痛みにより、サリクスは怯んでしまったのだ。
今も血痕が主張している、意識が途切れる前に胴体に叩き込まれた一撃。痛いのか、熱いのか、暗いのか、はたまたその全てなのか解らなくなって、意識が閉ざされていく。
その間際、最後に目に焼き付けられたゴブリンの歓喜の表情。暴力に、殺戮に快楽を覚える性質の矛先が己自身に向いた時の恐怖。
もうそのゴブリンは排除したというのに、目を閉じた先にある暗闇に何度でもその笑顔が浮かび上がってくる。
そうすると、背筋につうーっと冷たいものが走り、膝裏が震えそうになる。
そして、穢れた死者と化した見知らぬ冒険者の姿。冒険者として生きるということは、ああいう終わりを迎える可能性を享受すること。
――僕は今でも、冒険者をやりたいと思っているのだろうか。
村の神殿で、家族と、友人と、村人の愛に包まれながら夢想した生き方。自由な人類の守護者。そうして生きていくことの現実にほんの僅かながらも触れた今、同じ温度でその夢を見続けることはできなくなってしまっていた。
「女将さん、逃げておきながら何ですが……もう一度、あの廃墟に行かせてもらうことはできませんか?」
そう口を開いたのはバルドリックだった。サリクスは思索の世界から引き上げられて、弾かれるように顔を上げ、彼の横顔を見つめる。
彼は未だ胸の内に炎を燃やしていた。――サリクスとは違って。
同じ夢を共有していた親友、だったはずだった。しかし二人の間には決定的な違いがあったことにその時気付いた。本物の冒険を経てからでなければ気付けなかった。
夢想の霧が晴れてもなお、同じ理想を燃やし続けられるかの違い。
心の暗雲を、その理想の炎で晴らそうとし続けられるかの違い。
「それはここでは返事できないわ。どうも事前情報から見込んでいたより危険度は高そうだしねぇ。まずは廃墟で見つけた子たちがどんな状況にあったのか、女神の微笑み亭に確認してからじゃないと……ね」
サリクスがバルドリックの申し出に反応を示す前にエルダはぴしゃりと返答をした。その判断に内心ほっとしている自分に気付き、その情けなさを思い知る。
サリクスは他の二人の仲間の表情を観察した。ライアンは驚愕の表情で、アイザックは怯えた表情で、それぞれバルドリックを見つめていた。
どうやらこの二人の心の動きはサリクスに近いものであるようであった。
予約していた二階の一室、四人が十分に横になれる大部屋に冒険用の荷物を置く。血に濡れた装備一式は『洗濯魔動機』の使用料を払うことで明日までに綺麗にしてもらえるとのことなので、全員でそれを頼んだ。
体が血と汗と埃にまみれたままでは清潔な着替えも台無しになる。店に備えられた浴場にて全員で体を洗い、用意していた軽装に着替えて、ようやく夕食を摂る準備が整った。
空腹は感じているのに食欲が沸かない。サリクスはパンと野菜スープを注文する。ライアンとアイザックが頼んだのも似たり寄ったりの軽食で、バルドリックのみが焼いた厚切り肉を注文していた。バルドリックは肉やいくつかの副菜と共に発泡麦酒を四杯注文した。エルダはバルドリックを除く三人の注文に対し、それで足りるのか心配そうにしていたが「足りなかったらまた注文してね」と言い残してその場を去る。
まずはその発泡麦酒が四人それぞれに一杯ずつ配膳される。
「いやぁ、本当は文句なしの祝杯にしたいところだったけど、まずはこうしてギルドに帰ってこれただけでも上出来だったってことで。乾杯!」
バルドリックが笑顔で音頭を取る。その笑顔も腹の奥から漏れ出る類のものではなく、努めて陽気を振りまこうとした産物であるように思えた。
サリクスもその心遣いに乗ろうとして口角を挙げるが、どうにも表情が強張ってしまう。
「……なぁ、バルドリック」
ライアンが真剣な面持ちで言葉を発した。バルドリックはその呼び掛けを静かな瞳で受ける。
「この場は麦酒一杯だけにしておかねぇか? この後どうするか……酔っ払ってない状態で、オレたちだけで話したいんだ」
バルドリックは他二人に視線を向ける。サリクスは同意を示すべく頷き、ほぼ同時にアイザックも頷いた。
「そっか、そうだな。そうしないとな。分かったよ。……まぁでも、夕食くらいは楽しくいっとこうぜ」
何も進んで空気を暗くしたい訳ではない。サリクスはそう思い、できる限り『今まで通り』の談笑をしようと試みた。
――成功しているとは思えなかったけれど。
注文した夕食を全て平らげると、四人は借りた大部屋に戻り、床に輪になって座り込んだ。
口火を切ったのはバルドリックだった。
「さっきはごめん。俺だけムキになって、先走ってエルダさんに無茶を言っちまった。みんなが俺と同じ気持ちになってないのは何となく分かる。まず、俺から本音を言わせてくれ」
バルドリックはそこで言葉を区切ると、愛の告白を思わせる真摯さで胸の内を解き放った。
「俺は許されるなら今日の廃墟の件に解決まで食いついていきたいし、その後も冒険者を続けたい。その時に隣にいるのはお前らじゃないと嫌だ。……でも、俺の我儘にお前らを巻き込むのはもっと嫌だ。だからお前らの本当の気持ちを知りたい」
そう吐き出しきると、数瞬の黙思の後、ライアンが口を開いた。
「オレは、さ。あの廃墟で真っ先にやられて、みんなを守れなかったじゃん。バルドリックが体を張ってくれて、こうして帰ってこれたけど……帰り道とか、風呂入っている時とか、オレは何で冒険者になりたかったんだろうって考え直してたんだよね。で、根っこにあるのは広い世界を自由に旅したいって理由なんだなって気付いたんだ。人類を守るとかのご立派な大義より、圧倒的にそっちなんだよ。それなら冒険者ってやり方じゃなくてもいいんじゃないかなって思えてきた。例えば行商人を目指すとかさ。どこからどう見ても逃げ腰で情けない話なんだけど」
震えを抑えるように、努めて淡々と述べられたライアンの告白。それが途切れた後、僅かな間をおいてアイザックがぽつぽつと話し始めた。
「ライアンが倒れて、サリクスも倒れて、次はボクだって実感した時、すっごく怖かった。このまま死んじゃうんだなって思えてさ。自分はこんなに弱虫だったんだって初めて実感したよ。嫌味っぽいけど、ボクには魔動機術があったし、これまでも上手く行かないことってそんなになかったから……どうにもならない状況っていうのが初めてだった。で、ライアンの真似っ子みたいな言い方になっちゃうけど、ボクも本当にやりたかったことについて考えてたんだ。ボクは魔動機術をもっと勉強したい。昔の文明についても、錬金術も勉強してみたいし、いつかこの時代ならではの魔動機も造り出してみたい。でも冒険の途中で死んじゃったら、それもできないんだなって。だからボク、みんなには悪いけど、冒険者になるのはやめておきたい。まずはマギテック協会で勉強するところから始めるよ」
涙交じりの声音ながら、はっきりと希望を言い切ったアイザック。空気を読む間でもなく、次はサリクスの番であった。
「僕は……困った人を助けられればいいな、人を守れる生き方は格好良いなと思って、冒険者に憧れてた。でも、その為に戦うってどういうことなのか、全然解ってなかったんだ。癒しの奇跡を使っておきながら、その奇跡が必要になるほどの痛みを負うのがどんなことなのか想像できてなかった。リーシャさんの件についても……冒険の中で死んで、アンデッドになったとして、そんな最期を父さんや母さんが知ったらなんて思うんだろうって、どうしても不安になるんだ。神官だって名乗っておきながら、アンデッドになることの重さや哀しさを本当には理解してなかったって思い知ったよ。それに……ゴブリンとかボルグとかの、殺しを楽しむような姿が頭から離れなくなって。恐怖症っていうのかな。またああいう蛮族が目の前に現れたら、今日みたいに戦うこともできないかもしれない。こんなんじゃ冒険者はできないよ。外の世界は見たいけど……例えば僕らの村以外の神殿のお手伝いをするとか、戦わない方法でも外の世界は知れるんじゃないかなって思うんだ」
ここで本心を吐かずに綺麗に塗装して取り繕えば、もう彼らと繋がっていることはできなくなる。そう感じて思考の全てを曝け出したけれども、言語化するにつれて己の情けなさが重みを増してのしかかってきて、惨めさだけが募った。目頭が熱を帯びてくるのを感じ、涙をこらえようと試みるが間に合わなかった。
「バルドリックは一度も倒れずに僕たちの命を守ってくれた。それで今も折れていない。君ならきっと素晴らしい冒険者になれるよ」
そう、感謝を込めた賛辞を送って口を閉ざした。
三人の友人の本音を受け止めたバルドリックは静かに頷いた。
「多分そう思ってるんじゃないかとは感じてたんだ。でも、ごめん。俺は冒険者として生きたい。お前らと冒険したいって気持ちはやっぱりあるけど……お前らがついてこないとしても、俺だけ先にくたばることになったとしても、俺は辞めたくない。やりきったっていつか自然と思える時まで続けたいんだ」
寂しさと熱が共存する、それでなおぶれない、穏やかな声だった。
「ああ、バルドリックならできるさ。あんたは本当に強い奴だ、絶対に生き抜ける!」
「頑張って。冒険についていく形でなくても、もしボクに手伝えることが出てきたら協力するよ」
「僕もだよ。絶対に倒れないでいて……いつか冒険話を聞かせてね」
道を分かつことを選んだ三人はそれぞれの激励を送る。彼らの声音は納得に裏打ちされた明るさを取り戻しつつあった。
「よし、話が纏まったところで……飲み直すか!」
大きく破顔したバルドリックに賛意を示し、再び揃って飲食ホールへと降りていく。
その席での会話は自然体で盛り上がった。
共有していた夢想の優しい霧は晴れてしまったが、そこに包まれていた各自の本当の望み、それに続く足元の道を確認したからこその安定感を手に入れた。
同じ方向に足並みを揃えて進むことだけが友情の在り方ではないと、信じていけるような気がした。
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